原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

絵むすび (朝日新聞2016.11.05編)

2016年11月05日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2016.11.5 パズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)


 朝日新聞「絵むすび」ファンの皆様、お待たせ致しました。

 
 実は本日、私は大学・大学院にてお世話になった某ゼミ会同窓会に出席するため横浜まで出かける予定でおりました。
 ところが、あいにく今週初め頃より歯痛に悩まされる始末…… 

 この歯に関して説明しますと、既に十数年前より本来ならば抜歯するべきと歯科医先生に指摘されていました。 ただ現代の歯科界の方針として、なるべく抜歯せず温存する方針に転換しているのは皆様もご存知の事でしょう。
 抜歯を指摘されてから今に至るまでの十数年間、この歯には断続的に痛みや腫れに悩まされ続けて来ました。 それでも、ブリッジを支える貴重な歯としてボロボロ状態で頑張ってくれています。

 さて、痛みだけならば鎮痛剤でも飲んで同窓会へ出席しようと志していたところ、とことん歯茎の化膿が進んでいるのか、昨夜から発熱する始末……
 この症状は、昨年1月に旅行したイタリア旅行の出発日にも出ました。 まさか同行する娘も楽しみにしている旅行を直前キャンセルする訳にもいかず、果敢にも発熱状態で旅を決行したものです。

 今回の同窓会の出欠に関しても大いに悩んだ挙句、同窓会(飲み食い会)とのその趣旨を勘案し、欠席を決断したとのいきさつです。

 そんなこんなで本日自宅で休養しておりますと、我がエッセイ集編集画面に「絵むすび」関連アクセスが少なからず到着しています。
 これは本日の朝日新聞パズルが「絵むすび」であろうと予想していたところ、昼過ぎに亭主が新聞を集合郵便受より取って来てくれたのを見ると、まさにその通りでした。



 前書きの余談が長引きまして、誠に申し訳ございません。

 歯痛と微熱を抱えつつ、早速昼過ぎに「絵むすび」回答に取り組みました。

 そうしたところ、“難易度4”にしては意外や意外、簡単です。
 おそらく、我が脳内思考回路が「絵むすび」に適応するべく進化を遂げているのでしょう。


 解法を簡単に述べますと、いつものようにまず四隅に位置するアイテムに注目します。
 今回の設問の場合、「チーズ」「金づち」「帽子」がそれに該当します。 基本的にこれら四隅にあるアイテムから線を引く事を目指しましょう。 ただすぐ線を引くのではなく、他アイテムの妨害とならない地点までに一旦とどめます。

 次なる課題は内側に存在するアイテムですが、今回の課題の場合特に上部に「脚立」「ぶどう」「巾着」がひしめき合っている点に配慮しましょう。 
 これらアイテムが上部に存在する事を鑑みると、どうやら「チーズ」は、それらアイテム邪魔をしないためには下に線を伸ばした方が良いなる発想が湧きます。
 加えて、「脚立」が歩むべき道のりとは四角四面の左側を行かせるべきだろう、などとの発想が湧くかもしれません。

 そこまで思考が及んだならば、もう完成が近いことでしょう。


 朝日新聞「絵むすび」ファンの皆様、我がアドバイスを参考にして頂き、上記回答を見ずしてご自身でご回答を導かれますように。
 何事も「慣れ」こそが成長を導くものと心得ます。 これぞ脳内活性化をもたらす「学習効果」そのものと考察します。

 子どもの学習とて理論は同じです。 とくかく「学習習慣」を身に付けさせ、日々学習に励ませることで児童・生徒の脳内活性が持続される事には間違いないでしょう。 

 老化を遂げつつある脳とて理論は同様です。 どうか高齢者の皆様も、それぞれの目標に叶った対象を発見し、日々自主的に脳内活性活動に励まれますように。


 などと「絵むすび」エッセイを綴っておりましたら、束の間、私の歯痛が軽減したような感覚があります。
 

末端業者が担わされる過酷労働と重圧の実態

2016年11月04日 | 時事論評
 今回のエッセイにて取り上げるのは、3日前の11月1日に発生した出来事である。


 郷里に住む実母の高齢者有料介護施設への引越の大方は既に10月下旬に終了しているが、母の希望により、テレビと洗濯機だけは11月1日の別配送・現地取付を引越業者に別料金にてお願いしていた。

 その理由とは、母本人が11月1日の実質入居日まで未だ自宅にて残務があるため、施設と自宅を行き来したいと申し出た事による。 特に自宅で夜間一人で過ごす時間帯にはテレビを見たいし、朝方洗濯機が必需品と言い張るのだ。
 当初、業者に引越を依頼した私の立場から、「そんな面倒臭い事を言ってないで、自宅に戻ると言っても後数日なのだからテレビと洗濯機は我慢して、先に全部運んでもらっとけば?」とアドバイスした。
 ただ、高齢単身しかも後数日の自宅にての最後の日々を、母がいつものように過ごしたい思いも重々理解可能だ。 「分かった。それじゃあ、私の方から引越業者へ11月1日の別配送の件を連絡しておく」と母に告げると、母は心より安堵したようだ。


 さて、その11月1日がやって来た。
 いや、その前日からトラブル発生の予感が我が脳裏に過った……
 と言うのも、前日の夜、引越会社の下請電気工事業者から東京の我が家に電話があったのだ。 「明日のお母様の引越し先の電気工事の件ですが、何時頃に引越先へ伺えばいいですか?」
 (ちょっと待ってくれよ。そんな事顧客である私に聞くか? 引越会社の大本に確認すれば済む話だろ?)と感じつつも… 
 社会経験が長い私は、大手引越会社の傘下で下請業者が困惑している状態が目に見えて分かるのだ。  それを海千山千の私が責める訳には行かない。 そう考えた私は、「引越会社の方からは荷物の搬出が〇時頃と聞いていますので、その後搬送時間を考慮するとおそらく〇時頃の引越先への到着となると思います。 その後の時間帯に電気工事に伺って下されば幸いです。」 
 ここまではまだ、“事件”の序の口だ。

 さて、追加引越当日11月1日の夕方の事だ。
 とっくに実母の電気工事が終了したと安堵していた東京の自宅に、上記と同じく下請電気工事業者よりまたもや我が家に電話が入った。 「実は他の電気工事に時間を取られまして、お母さまの引越先への到着が18時頃になります。」  それに私が応えて、「おそらくその時間帯は母は施設の夕食時間帯と心得ますが、施設自体はまだ開いていますので、施設の受付にその旨申し出て下されば電気工事可能と思います。」

 ところが、これで事が済んだと思っていたら大違い!! 
 この引越の成り行きが許し難き事態となっていた事に関して、引き続き以下に綴ろう。

 19時過ぎに、大本である大手引越会社より東京の我が家に電話が入った。
 へらへらと引越会社大本の社員らしき人物が私に語るには、「今回は我が社を利用して頂きましてありがとうございました。何が不都合等がございましたら、どうのこうの…」
 この電話に怒り心頭の私曰く、「何を言っているのですか? 我が郷里の追加引越は未だ終了していませんよ! 先ほど貴社の末端業者より電話が入って電気工事が遅れるとのことです。それを大本が把握していないのですか! 我が母の引越先が高齢者施設である事を貴方は認識されていますか? それ故に門限もある事を引越依頼時に重々申し出ております。その伝達もなされていないのですか?  とにかく電気工事が終了次第、私までお電話下さい。 同時に本日電気工事がこれ程までに遅延した事に関して、貴社からも施設に直々にお詫びを入れて下さい。」と私は噛み付いた。
 そうしたところ、大本引越企業の若手社員と思しき人物が、私に尋ねるのだ。 「それは、私がする事ですか? それとも電気工事者でよいですか??」
 その世間知らずの貧弱な回答にとことん落胆させられた私は、「それは大本引越会社である貴社が判断実行することでしょ! 顧客である私に問う内容ではないですよ!」と一喝しておいた。

 一応その後、引越元である大手企業より我が家に再度ご丁寧なお詫び電話が届いたものの……


 我が国に於ける企業系列の実体として、何故これ程に本元である大手企業体質がお粗末なのだろう?
 (それは何処の大企業もその実態とは名ばかりで、上層部に真に優秀な人材が配備されていない故と心得るが。)

 片や、その末端部を担わされている下請業者従業員皆様の誠心誠意の働きぶりには、いつも感動させられる私だ。
 今回の実母の引越に於いても同様だった。 
 最初に実母宅の主たる引越を担当して下さったのは、郷里地元に住む若者二人だった。 この二人がイケメンならば、その働きぶりは既に“全国標準化”されていると私は悟った。
 その二人が無駄口一つたたかず引っ越し作業を終えた後、その二人のあまりにも可愛らしい風貌に感激した私は尋ねた。 「これで本日の引越作業は終わりですか?」 ところが、返された答えに驚かされるはめとなる。「これからもう一件の引越をこなします」

 これ、いくら若者と言えども重労働に間違いない事実だ。 大本の大手引越企業はこの現状を如何に捉えているのだろう。


 こんな歪みがある経済政策を更に煽ったのは、安倍政権によるアベノミクス経済政策に他ならない。
 そもそも、安倍政権が政権発足当初より目指したアベノミクス経済政策とは、経済上位部に位置するごく一部の企業を潤わせ、下部の組織団体はそのしたれ露を浴びる事により“おこぼれ”を頂戴する政策であった事は、皆さんも重々ご存知の事であろう。 
 ところがどっこい、そのアベノミクス経済政策大失策により、今に至っては末端部に“おこぼれ”が届くどころか、上層部までもが経済困難に陥らざるを得ない現在の我が国に於ける貧弱実態だ。
 
 生活保護受給者が、過去に増して現役世代までにも拡大している我が国の実情でもある。
 その現状下に於いて、企業組織の末端部で日々身を粉にして一生懸命働いている若者の働きぶりを非難できるはずもない。

 庶民の立場として問うべきは、アベノミクス経済政策大失策により思考力を低下させられ、我が身息災にみっともなくもホクホクとしている上位1%程のごくごくわずかに潤っている“らしき”企業団体上位に位置する組織の惨然たる有り様だろう。

古着屋ワンダーランド♪

2016年11月03日 | 芸術
 (写真は、先だって都内某所の古着屋にて購入したブローチ3点。 写真は、ほぼ実物大。)


 本日は、「文化の日」らしい。
 温かい好天に恵まれた秋の祝日の今日、外からは外出する家族連れや子供達の遊ぶ声が響いてくる。

 こんな日にはいつもと大きく趣向を変えて、軽ノリエッセイを簡単に綴って手抜きで済ませよう。 


 近年、私が「古着屋」なる場所へ最初に訪れたのは、今から10年程前の娘が小学校高学年の頃だ。

 いつも娘と二人で訪れる池袋サンシャインシティ内にあるティーンズ向きショッピングセンター内に、特異的に可愛い種々雑多な洋服を沢山並べている店舗を発見した。
 そこが「古着屋」とはまったく気付かず店内に入り、娘の好む洋服を物色したのだが、他のティーンズ向け店舗に類を見ないカラフルなレパートリーに唸った。

 やっと古着屋だと気が付いたのは、商品の値段を見た時だ。
 その超安価!ぶりに「どうしてこんなに安価なのですか!?」と店員氏に質問したところ、「ここは古着屋ですので、返品が出来ません。その理由もあって安価にて販売しています。」との回答だ。
 そうだったのか、古着屋か。 と納得しつつ、娘が気に入る洋服を数点購入した。

 後に再びその店舗を尋ねたのだが、残念な事に既に閉店していて、その後「古着屋」からは遠ざかっていた。

 
 その後、私が義母の高齢者施設保証人を担当し始めた頃だから、おそらく今から4年程前の事だ。
 施設からの帰り道中にある洋服店を訪れた。 これまた他店に類を見ないお洒落な洋服のオンパレードだ。 こんな場違いの(?)場所にこんなお洒落な洋服店があるんだ!と感心しつつ店内を模索し、やはり商品価格が破格に安価な事に気付いた。 ところが、既に「古着屋」の存在がすっかり脳裏に無かった私は、やはりその店舗が古着屋と露知らずに、(何でこんなに安価なんだろう??)と思いつつ、得をした気分で自分用の洋服を数点買い求めた。
 その店舗が「古着屋」と分かったのは3度目に行った時の事だ。 会計時に店員氏が「要らなくなった洋服等を買い取りますのでお持ち下さい」と直接声を掛けてくれて以降だ。 (後に2度程、我が所有する洋服類を売るためその店舗へ持参した事はバックナンバーにても公開している。

 
 もしかしたら「古着屋」と聞いて、マイナスイメージを抱く人種が大多数なのかもしれない。

 ただ、私の考えは違う。 とにかく“お洒落”も外せない大事な趣味の一つの私としては、例えば行きつけの店舗で気に入りもしないのに「お似合いですよ」などとおだてられて高額な商品を買わされるよりも、自分自身がとことん気にいる一品を吟味・選択出来る事の方がよほど嬉しい。

 そんなこんなで、私はここ4年来「古着屋」のファンである。
 その後も、よく買い物に出る他の某私鉄沿線の駅近にも、もう一軒のお気に入りの「古着屋」を見つけた。 こちらの店舗が自宅からより近い事もあり、食料品等の買い物に出ると必ず立ち寄って好みの洋服や小物類を散策する。
 (参考だが、今の時代の「古着屋」には傷んだものや汚れたもの、あるいは販売されてから年数が経過した商品は販売されていない。  売る側も経験した私だが、その種の商品は引き取りを拒否される。)


 さて、冒頭に紹介した写真の解説をしよう。

 古着屋アクセサリーコーナーにて発見した「ブローチ」3点だが、どうやら輸入物かあるいは外国にて購入した商品が売りに出され再販売されていたものと推測する。
 これを「ブローチ」として使用するには工夫が必要な感じだが、「芸術作品」と捉えた場合、十分に面白い商品だ。 
 “AMIGOS"なる作品のテーマまで名付けられていて、その説明文が添えられている。 それを簡単に訳すならば、「人間の真の富とは“友達”を持つ事であり、フレンドシップキャパシティこそが人の喜びの実現を叶える」とある。
 そのテーマ通り、南米系風の衣装を来た人形が仲良く並べて配置されているブローチ3点だ。 この作品の細工が細やかな事にも驚かされる。 例えば女性のスカートをめくると下着まできちんとデザインされているのには感嘆する。  その小ささたるや、写真に爪楊枝を写し込んだ故にお分かりいただける事だろう。 (その再販売価格は、ご覧の通り “¥77+TAX” と超安価!)


 まさに私にとっては 「古着屋ワンダーランド」 だ。
 お気に入りの洋服のみならず、こんな素敵な“芸術作品”にも出会える古着屋散策を、今後も我が趣味の一環として楽しみたいと志している。

 どうか古着屋さん達、潰れないで長く営業して下さいね!