原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「負けてる」と思う気持ちを引きずるのが嫌だった。

2017年02月13日 | 自己実現
 最近、他人が発した言葉を我がエッセイ表題に引用する機会が増えているが、今回もその例外ではない。

 「『負けてる』と思う気持ちを引きずるのが嫌だった。」

 この言葉を聞いたのは、先週NHK昼前の総合テレビ番組内に於いてだ。
 ちょうど昼ご飯の準備に差し掛かる時間帯に、NHK昼の天気予報及びニュースを視聴するがためにテレビのスイッチを入れる習慣がある。
 その時に、天気予報の前番組で取り上げられていた売れっ子パティシエの若き女性が発したのが、表題の言葉だ。

 我が国の売れっ子パティシエやフレンチ・イタリアン等のシェフとは、欧州(フランスやイタリア等々)で何年か修業を積んで来てこそ一人前と認めらるような風習があることを、私も食べる立場として認識している。
 その慣習を取り上げて、当該パティシエ女性が発した言葉が表題の通りだ。

 要するにこの女性はその海外修行をせずして、既に売れっ子パティシエとしての地位を築いていたようだ。 ところが、どうしても「海外修行してこそ一人前」なる得体の知れない観念に縛られる内面の心理、彼女に言わせると「負けてる」感覚に苛まれ続けた様子だ。
 こんなマイナーな思いをいつまでも引きずりたくない。 ならば、いっそ欧州パティシエ修行を強行しよう! と実行に持ち込んだらしい。

 その後は昼ご飯を作りつつの“ながらテレビ”視聴のため詳細は不明だが、彼女に同行したご主人が言うには、「語学力もある彼女の欧州修行は大成功だった」との事のようだ。 
 その後帰国後の彼女のパティシエとしての華々しい活躍ぶりは、私から説明するまでもないであろう。


 このパティシエ女性のお気持ちの程は痛い程分かる。
 と言うのも、私も過去に似たような経験を何度もして来ている記憶があるからだ。

 実際は自分の方が実力がずっと上なのに、その分野で要求される(信憑性無き)条件に於いて「負けている」ために(あくまでも自らの内心に於いて)敗北感を苛まれる事態を幾度も経験して来た気がする。


 一つ思い出すのは、晩婚出産後に某独立行政法人研究所(前回の小保方氏関連エッセイにて既述した某研究所だが)にて、“アルバイト”の身分で仕事をした事例だ。

 これなどそもそも “たかがアルバイト” であれ、採用競争率が十何倍の狭き門を突破しての就業だった。
 ただし、まさにサリバンとして厳しい子育て真っ最中の身であり、しかも40代後半に差し掛かろうとしている我が身に照らして “たかがアルバイト” であれ採用された事だけでも感謝するべき事態と重々自覚していた……  
 それを承知の上での就業である事を自分に言い聞かせ、職場に行ってみれば……。

 当然ながら、アルバイトにはアルバイトとしての業務しか用意されていない。(とは言えども、その業務内容とは医学基礎実験をこなして来た経歴が無ければ実施し得ない内容であることはもちろんだが。)
 しかも、研究室内周囲にいる若手研究員達の“アルバイト職員”に対する無言の差別感を感じざるを得ない。

 それに増して、屈辱的な事態に遭遇するはめと相成った。
 この行政法人研究室では、提携がある(?)大学から実習生を受け入れていたようだ。 
 その提携某私立大学より実習にやって来た女子大学生の指導を私に任せられ、それを実行した。 実習自体はつつがなく終了したのだが、後日その女子大学生が私に告げるには……
 「貴方は“たかがアルバイト”の身分の方だそうですね。 その事実を後で聞いたのですが、私はまさか“アルバイト女性” から指導を受けるためにこの研究室へ来ていないのです!」と、怒り心頭の様子だ。
 その礼儀知らずぶりに驚かされたものの、まさに“たかがアルバイト”の立場で、我が過去の科学経歴をこんな小僧に語るには及ばない事くらいは承知している。
 こちらも怒り心頭なのだが、どうせ当該女性は短期間で研究室を去っていくだろうと予想し我が怒りの程を内面で抑えた。
 その後時期が過ぎ、この実習女性の大学卒業後のその後を研究室で垣間聞く機会があった。 結局、研究者志望を諦めとりあえず外国へ行くとの事だった。


 我が事例の場合、決して「負けてる」と結論付けるべく事象ではなかった事は承知している。

 ただ、そのまま当該研究室であくまでも“アルバイト”の身分で仕事を続ける事とは、私自身のそれまでの生き様を振り返った場合、汚点となれども、自己実現意欲から得られる達成感が全く無いどころかマイナス面が大きい事に気付いたのだ。
 当該独立行政法人研究所を退職した理由を、幾度もバックナンバーにて既述している。  娘のサリバン業が厳しかった事実を前面に掲げた記憶があるが……

 だが決してそれが真の退職理由ではなかった。
 その実とは、くだらない理由でアルバイト職員である私に(お前こそが「負けてるぞ!」)との感覚を暗黙に強制し、自らの研究者としての身分を死守したい人物が研究室内に存在していたとの、馬鹿げた実態を斬り捨てたかったのが、我が真なる退職理由かもしれない。
 要するに私側としては、お前らには“負けていない”証明を、退職との形で実行したという事だ。

 その時の教訓は今に至って活きている。
 私は “アルバイト”等最初から身分で必然的差別待遇を受けるべく職種には、決して応募しないと固く決めた。 それを選択する事とは、自分から無駄に「負け」を認める事と身をもって経験したからだ。
 その後、幾度か就職活動をした。 それらの職種とは、フランチャイズ自営経営者や教育現場指導者等々…  (あるいは、街でスカウトを受けたシニア端役女優??) 残念ながらすべて結果としては実り無き状態だが……


 ところで、某国立研究開発法人研究所は今尚安倍政権よりの莫大な血税投入により成り立っていると把握している。
 その後「STAP事件」ごときの不祥事報道を聞かないまでも、未だに国民からの血税をあてにして、何ら役に立たない基礎研究を繰り返しているのだろうか………

NHKの小保方氏番組に人権侵害勧告??

2017年02月11日 | 時事論評
 3年以上前より「原左都子エッセイ集」をお読み下さっている方々は、ご記憶の事と期待申し上げるが。

 2014年初頭に発生した「STAP細胞改ざん・捏造事件」に関し、一応“科学者の端くれ”を自負している私は、ほぼ1年以上に渡り当該事件を追跡しつつ本エッセイ集に於いて事件に関する私論を展開して来ている。

 以下に、本エッセイ集に於いて2014年に綴り公開した STAP関連エッセイ を列挙させて頂こう。

  2月3日     「実験好きと理系頭脳とは相関し得るのか?」
  3月12日    「STAP細胞騒動は基礎研究体質のいい加減さを露呈した」
  4月3日     「STAP騒動、私なら未熟者扱いされるより捏造を認めたい」
  4月10日    「4/9小保方会見、むしろ科学者として墓穴を掘った」
  5月10日    「5/8理研調査委『STAP論文取下げ』記者会見を論評する」
  5月21日    「小保方論文“切り貼り”は何故『改ざん』と確定されたか?」
  6月4日     「STAP論文すべて撤回で、今後の小保方氏の行く末は?」
  6月14日    「理研の新法人化は当分棚上げにするべき」
  7月2日     「小保方氏って、未だ理研から給与貰ってるの?」
  7月29日    「小保方氏はもはや不正疑惑から逃れられない」
  8月5日     「笹井副センター長自殺はSTAP不正を証明したも同然」
  10月25日   「STAP事件は“必然”だったか“偶然”だったか!?」

 上記の中から、2014.10.25 公開の 「STAP事件は“必然”だったか“偶然”だったか!?」の私論結論部分を、今一度以下に反復させて頂こう。
 とりあえず、小保方氏が「かわいい(職場内でアピールされる)女性」であるのか否かに関しては論評を避けるとして、朝日新聞記事内の小熊英二氏の論評が、「民間企業」に於ける科学研究を焦点として書かれている事が多少気にかかる。 
 小保方氏の場合民間への就業経験は皆無であり、早大にて博士課程修了後は独立行政法人理化学研究所等の国家関連組織を自己の研究土台としていると私は認識している。   そうした場合こと小保方氏に関しては、民間にての“プロジェクトチーム”だの、“若手研究者の使い捨て”等々の試練とは無縁の人生を歩んでいるのではあるまいか??
 これこそが、小保方氏にとって一番のネックだったとも言えよう。
 (民間のごとく)厳しい科学研究の世界を小保方氏が一度でも経験できたならば、もう少しマシな「実験ノート」を作成する能力を修得出来たはずである。 加えてもしも小保方氏が民間で鍛えられていたならば、自費で開催した4月の「記者会見」に於いて、記者団よりあれだけの“こっ酷いバッシング”を受け人生初めて決定的打撃を直に経験し、墓穴を掘らずに済んだはずだ。
 早大が小保方氏の博士論文取消し判断に於いて“猶予期間”を設けた事態に関しては、早大こそがその責任を取るべきだ。
 ところが小保方氏が一時所属したハーバード大学とて科学誌「ネイチャー」とて、既に小保方氏を見放している。 そんな厳しい状況下で、専門力の程が計り知れない早大が一体如何なる責任を取れると言うのか?!
 最後に朝日新聞小熊氏の論評とは趣旨を異にする原左都子の結論を、以下に提示しよう。
 小保方氏のとんでもなく低きレベルの科学者としての資質の欠け具合、及び理研を筆頭とする周囲研究者達の決定的落ち度を考慮した場合、やはりSTAP事件は“必然的に”発生した、我が国科学史に於いて稀に見る「汚点」と評価せざるを得ないであろう。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)


 さて表題に関してだが、本日(2月11日付)の朝日新聞記事によれば。

 昨日(2月10日)放送倫理・番組向上機構(BPO)は、STAP細胞の研究不正問題を検証した「NHKスペシャル」について、論文を書いた小保方晴子?元理研研究員の名誉を棄損する人権侵害があったと認め、NHKに対し委員会の決定内容を放送するとともに再発防止に努めるよう勧告した、との事だ。
 これに対しNHK側は、「真摯に受け止めると共に、人権侵害はない」と反論している。
 BPO側の言い分としては、NHKの報道に於いて、小保方氏がES細胞を『盗んだ』とする表現に人権侵害があると主張すると共に、取材のやり方が、まるで小保方氏を不正の犯人として追及するような姿勢があった点にも、放送倫理上の問題があったとしている。 その一方、委員9名のうち2人は「放送倫理上の問題はあるが、人権侵害があったとまでは言えない」と公表している。
 これに対するNHKの見解は、特にES細胞を『盗んだ』と表現した事実に関して「客観的な事実を積み上げ表現にも配慮しながら制作・放送した。番組の中の事実関係には誤りはない」と反論している。
 (参考のため、BPOとはNHKと民放が設置した第三者機関のため、委員会の決定は尊重される前提で、決定をどう生かすかは各局の判断に任されている、との事だ。)

 それよりも私が興味深々なのは、小保方氏側が今回のBPO勧告をどう受け止めているか、との点だ。
 これに関しても、朝日新聞記事内に記述がある。 引き続き、以下に引用しよう。
 小保方氏代理人の三木弁護士は、10日報道陣の取材に応じ「NHKスペシャルの放送が私の人生に及ぼした影響は一生消えるものではありません」などとする、小保方氏のコメントを読み上げた。
 さらに三木氏は小保方氏の近況に関して、「精神的ダメージを受けて療養中」と語った。
 小保方氏は2014年12月に理研を退職し、昨年著書出版、雑誌に理研退職後の日々を綴った連載等を発表している。
 (以上、朝日新聞記事より要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 小保方氏の精神的弱さに改めて落胆し、呆然とさせられる。

 いやもちろん科学者と一言で表現しても、人それぞれ千差万別なのだろうが……
 何故いつもまでもいつまでも、小保方氏は弁護士三木氏に依存する人生を歩み続けているのだろう?? 

 上記NHK番組が取り上げたように、貴女がES細胞を『盗んだ』か否かは二の次としても、それを疑われるがごとく“灰色実験”を繰り返してきた事実は否めないであろう。 そのような“灰色研究室環境下”で貴女が周囲の著名再生細胞研究者達におだてられつつ、実験を繰り返した事は事実だ。
 私に言わせてもらうならば、それを何とも思わず素直に従っただけでも、貴女は所詮 “科学者足り得ない”人物だった。

 貴女はその後、理研に不正研究費返還措置のみで 2014年12月には無罪放免との優遇を受けている。
 その幸運を活かして、何故 「科学者」として蘇るチャンスを自ら立ち上げなかったのか!?
 それをせずして弁護士三木氏に頼り続ける事態が、貴女が“似非科学者” だった事実を証明しているようなものだ。 要するに、貴女は「科学者」としての何らの基盤も自ら築けていなかったのだろう。

 か弱き女性を責めるつもりは毛頭ないが、ノーベル賞レベルの研究をしたと一時世間で取り上げられた若き女性が、これ程までに他力本願に生き続けている現状こそが嘆かわしい……

何故経営危機の底辺私立大学を公立化せねばならないのか?

2017年02月09日 | 時事論評
 原左都子も公立大学へ通った経験がある。
 30代にして2度目の大学入学を志し無事合格し、大学院修士課程を修了するまでの6年間通学した大学が、首都圏に位置する某公立大学だった。

 手前味噌ながら、当該公立大学に関して少し紹介しよう。
 1882年(明治15年)創設、1949年(昭和24年)に新制大学として発展を遂げた老舗の公立大学だ。
 2015年には、学生数5000人未満の世界大学ランキングで日本2位、世界16位にランクインしている。 文系を含む5000人未満の大学としては、日本1位の地位を誇っている。
 私自身が2,3年前に垣間見た某雑誌の国内全国の“国公立大学ランキング”でも、比較的上位に選出されていた。
 

 近年、経営危機に陥った地方の“私立大学公立化”の動きが相次いでいる様子だ。

 いきなり私見だが、どうもこの動き、(同じく公立大学出身者である身の)私にとっては印象が悪い。
 もちろん、国公立・私立にかかわらず、全ての大学が自らの特質を誇りつつ存在しているのであろうし、何が良くて何が悪いとステレオタイプに結論付けらるはずもないのだが…。


 早速、この動き(私立大学の公立化)に関するネット情報を以下に要約して紹介しよう。
 定員割れで経営危機に陥った地方の私立大を地元の自治体が公立化する動きが、各地で相次いでいる。 2016年度からは京都府福知山市の成美大が福知山公立大と改称して再スタートを切ったほか、山口県山陽小野田市の山口東京理科大も公立大に衣替えした。 自治体側が地方創生の拠点となる大学の存続を願ったためで、学費が下がることで志願者が大幅に増えている。 しかし、安易な公立化は将来、自治体に重い財政負担を負わせるうえ、大学間の公正な競争を妨げることにもなりかねない。 日本私立大学協会の小出秀文常務理事は「公立大の在り方が問われている」と疑問の声を上げている。 18歳人口が急減する大学の「2018年問題」を控え、地方の大学はどこへ向かおうとしているのか。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 この動きを受けて、その一例の現状をレポートしているネット情報を発見したため、引き続きその一部を要約して以下に紹介しよう。

 「来年度から学費が安くなる。学生も今より増えるかも」。 山口県山陽小野田市にある山口東京理科大学1年の男子学生は期待する。 学校法人・東京理科大学が運営する同大は、2016年度から山陽小野田市のもとで公立大学法人となる予定になっているからだ。
 同大は工学部のみの単科大。 地元自治体が資金協力する「公私協力」方式で1987年に設立された短大が前身。 95年に4年制となった。
 公立化の背景にあるのは慢性的な定員割れ。 「これまで様々な手を打ってきたが効果がなかった」と同大の学長。 定員は1学年200人。 14年度までの10年間で定員充足率は平均74%にとどまり、累積損失は約86億円に達していた。 このため学校法人・東京理科大は廃校も視野に入れ、公立化による存続を検討するよう昨年7月に山陽小野田市に申し入れた。
 あわてたのは市側。 設立時などに多くの費用を負担した。 人口6万人台の同市にとって学生の存在も大きく、廃校となれば地域経済への打撃が避けられない。 とはいえ公立化も容易ではない。 すでに隣の宇部市に国立の山口大学工学部があり、同じ工学部のみの単科大を公立化するのは理屈が立たない。 県内には薬学部がなかったため、東京理科大の支援を受けながら17年度に薬学部を新設する方針を打ち出し、なんとか公費投入の大義名分をひねり出したのが実情。
 実は、新たに公立大を設置しても自治体の財政がさほど傷むわけではない。 公立大をもつ自治体には必要な経費が地方交付税交付金への積み増しの形で国から拠出されるからだ。 地元選出の有力政治家の後押しなども受けながら、ようやく公立化の合意にこぎつけたのが昨年12月だった。  山口東京理科大は公立化で私学助成金よりも手厚い補助が国から受けられるようになる。 年に約100万円の学費は半分ほどとなる見込み。 15年度の志願者は前年度比4.2倍の1474人、入学者も364人と定員を上回った。
 一般社団法人・公立大学協会によると14年度時点で全国の公立大学は86校。  過去20年間で1.8倍に増えている。

<最近の地方私大の公立化事例>
◆2009年度:・高知工科大学
◆2010年度:・静岡文化芸術大学 ・名桜大学(沖縄県)
◆2012年度:・鳥取環境大学
◆2014年度:・長岡造形大学(新潟県)
◆2016年度(予定):・山口東京理科大学 ・成美大学(京都府)
◆検討中:・新潟産業大学 ・長野大学 ・旭川大学 ・諏訪東京理科大学

 18歳人口がさらに落ち込む「2018年問題」を控え、地方の私大経営は今後ますます厳しくなる。 とはいえ「公立化」が安易な救済策として使われてしまえば、そのツケを納税者に回すことになる。
 人口減少時代に多額の税金を投入してまで公立大を増やす必要があるか。
公立化された私大は、その意義を結果で示す責任がいっそう重く問われることになる。
 
 以上の報道を受けての、ネット記事筆者氏の見解を以下に紹介しよう。
 私立大学公立化後の評価基準を提示するべき。 公費投入により、授業料負担などが軽減されるならば、その大学を卒業し た者が、どのように社会に貢献するか、できるかを評価するシステムがあっても良いのでは。 国立を除く地方公立大学は、基本的には、その大学が存在する地域の経済や文化などに貢献する人材の輩出を目的とすることを、第一義として良い のではと思う。 従って、大学のアウトプットの評価方法は、卒業後の就職・就労数とその相手先および起業家数してもよいのでは。
 就職先を選ぶ自由は卒業する学生本人にあるが、地方企業への就職や、その地域における起業・独立結果などを集約し、他の進路実績との比較や要因分析等も実施し、一定の比率の地域就労目標値を設定し、地域・地場の産・官・学の協働を 強く推し進めるべき。
 ただ、そうした場合、例えば人口数万人レベルの某市が、私立大学を市立大学化するというのは、無理がある。  少なくとも地方における公立大学化は、相当数の人口と周辺都市の人口を擁する都市に限定すべきであり、県立大学ベースであるべき。  当然、条件として県の負担金を相当のレベルで求めるべき故だ。
 ついでに、国立の存在意義とは?   国立大学は、理念としては国家及びグローバル社会レベルで貢献する 人材の輩出機関と位置付けて良いと思う。
 最後に私立大学に関しては、それぞれ独自の理念・目的をまさに私学として持ち、その 実現に取り組むべきだろう。
 (以上、長くなったが“私立大学公立化”に関するネット情報より引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 当エッセイ集バックナンバーに於いて、私は防衛大学卒業生の防衛省への任官拒否者が多くなっている現状に関し、肯定的に捉えている旨のエッセイを綴り公開している。 (よろしければ、2016.3.21公開 「防衛大学卒業生の任官拒否者が多い程、私は世の安泰を感じる」と題するバックナンバーを参照下さい。)
 それは“超特別バージョン”として、ここでは置いておくとしよう。

 それにしてもだ。
 定員割れで経営危機に陥った地方の私立大を地元の自治体が公立化する動きが活発化している現状を、当該市町村に住む住民の皆様が本心で承知しているのであろうか?
 いや、もしかしたら、我が子が“そこなら入れるかもしれない!” などとのわずかな望みに親は賭けているのであろうか?? そうした場合、公立化すれば学費が半額以下になるし~~。 なる親負担の軽減に安直に親として酔いしれるのだろうか??

 その前に、上記ネット情報内にある、公立・国立・私立の果たすべき役割として掲げられている卒業生人材輩出に関する専門家氏のご意見に関してだが…。
 ごもっとものご意見と一応賛同しようとも、まず“叶わぬ夢”ではないだろうか?
 今の時代、やはり卒業生本人の意思と希望こそを尊重したいものだ。 公立出たからその市町村内で働け??  国立出たら、グローバル社会で貢献するべき??  私立はそれぞれの理念の元で自由にしてよい???

 これぞステレオタイプ過ぎて、失礼ながらせせら笑いたくもなる。 
 現実とは決してそうではなく、むしろ卒業生の学力や特質、自身の希望に沿った進路を描くのが現代の社会では理想と私は心得る。 (私自身がそうして来たし、我が娘もその進路を歩み始めたところだ。)

 そうした場合、“定員割れで経営危機に陥った地方の私立大を地元の自治体が公立化する動き”とは、必ずや破局を迎える!であろうと、私は結論付けたい。

 それは早期にやって来るだろう。 そうなってから当該市町村が“公立化が失敗だった”と嘆きあたふたしたところで、その負担は市町村に住む人々の血税にかかるのだ。

 そもそも、“定員割れで経営危機に陥った地方の私立大” など、在校生を卒業させた暁には入学者募集を取り止め、とっとと破産宣告してこの世から去るべきと考える私だが。

国は沖縄県民を日本国民として扱っていない。

2017年02月06日 | 時事論評
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画が浮上してから21年。

 本日2月6日朝、名護市辺野古の沿岸部で普天間代替施設の建設に向けた海上工事が始まった。
 反対派の市民たちは憤りの声を上げて警官ともみ合いになり、現場周辺は騒然とした。
 現場海域には5日から作業船や台船が停泊。 移設予定地の陸側、米軍キャンプ・シュワブのゲート前には6日早朝から反対派の市民ら約100人が集まり、工事開始に抗議する集会を開いた。
 現場が騒然となったのは午前9時半過ぎ。ダンプカー4台が姿を見せると、市民らは車両の基地進入を防ごうとゲート前に座り込んだ。 それを機動隊員が数人がかりで抱え上げ、強制的に排除した。「離せ」「暴力やめろ」。抱え上げられた人たちは声を張り上げ、緊迫した雰囲気となった。
 (以上、ネット報道より引用したもの。)


 今回のエッセイ表題 「(国は)沖縄県民を日本国民として扱っていない」なる言葉は、上記抗議集会に参加した稲嶺進名護市市長が発した怒りの声である。 
 先程、昼のNHKニュースにて見聞したばかりだ。


 引き続き、別のネット情報の一部を引用しよう。
 
 沖縄の美しい海を埋め立てて巨大な米軍基地を造るための工事がまた一歩、前へと進んだ。
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設に向け、政府が6日、初めて海上工事に着手。
 まだ真っ暗な午前6時前、前夜の雨もあり肌寒いキャンプ・シュワブゲート前に続々と移設反対派が集結。「これ以上工事を進めないためには、作業員を中に入れないという抵抗をせざるを得ない」。約150人が「辺野古新基地NO」「辺野古埋立阻止」などと書かれたプラカードを掲げるなどして抗議の声をあげた。
 同県南風原町の男性(63)は「市民の意思を今日示さなければ、政府の意向を沖縄が黙認したことになる。民意を無視しようとも、県民の意思は揺るがない」と語気を強めた。
 午前8時15分、作業員が乗った乗用車が到着。 作業現場に向かうためキャンプ内へ進入しようとしたが、反対派は入り口前に座り込んだ。 すると沖縄県警の機動隊が隊列を組んで阻みながら、隣接する出口の方から工事車両を通した。反対派からは「きちんと手順を踏め」と怒号が飛んだ。
 「帰れ!帰れ!」反対派はゲート前で腕を組んで壁を作り声を張り上げた。 一進一退のせめぎ合いの末、午前10時半ごろ、足止めとなっていた車両がキャンプの方へ。 機動隊は約80人を次々に排除。腕をつかまれた高齢の男性は「県警は県民とアメリカとどっちが大事なんだ」と叫んだ。
 ゲート前には、辺野古への移設阻止を訴えるため翁長雄志知事と稲嶺進・名護市長も駆けつけた。「アメリカでも、沖縄の置かれている状況はよく聞いてもらえたと思っている。 全く無視し続けるのは日本政府だ。 訪米中に防衛大臣が『辺野古が唯一の解決策』との見解を示すなど、恥も外聞もない」と怒りをあらわにしていた。
 (引き続き、ネット情報を引用したもの。)


 「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて、私は幾度か米軍沖縄基地移転問題をテーマに取り上げている。

 一つ思い出すのは、「いっそ東京・永田町に米軍基地を沖縄から移転せよ!」と主張したエッセイだ。 (娘が当時未だ高校生だった記憶があるため、おそらく数年前に公開したバックナンバーだろう。) そのバックナンバーを探したのだが残念ながら自力で発見する事が叶わなかったため、このエッセイに関して思い出すままに反復すると…
 当該エッセイには、様々なご意見を頂戴した。 「冗談でしょ。 そりゃ無理だ。」 「米軍基地は沖縄という位置にあってこそ日米安保条約を遂行可能だ。」等々……

 ただ、私は冗談や酔狂でこのエッセイを公開したつもりは毛頭無い。
 (表題に掲げた名護市稲峰市長のご発言通り)、沖縄県民とて日本国民である事実をもっと国民皆が(たとえ想像力内でも)実体験として理解するべきだ。
 ましてや、沖縄の皆さんに長年課し続けている米軍基地を抱える危険性及び重圧、そして心の痛みを、国家政権こそが我が事として受け入れるためにも本気で永田町に移転するべき! と発信したくもなったのだ。
 東京都民である私自身も、沖縄の皆さん同様の痛みを味わう覚悟を決めてこそ、本気で米軍基地問題を語れるであろうとも考えた結果だ。


 近年の例を挙げれば、2015.10.29公開 「沖縄県民民意を踏みにじる辺野古埋め立て強行着工」 とのバックナンバーも公開している。

 以下に、その一部を反復させて頂こう。
 もしもこの先、現沖縄県知事であられる翁長雄志氏が「米軍普天間飛行場辺野古移設計画」を白紙に戻すとの快挙を成し遂げられたなら、私は是非とも翁長氏を“ノーベル平和賞”候補者として推奨したい思いだ。
 それ程までに翁長氏知事就任以降の「辺野古移転阻止」に向けた精力的な闘いぶりに賛同申し上げつつ、陰ながら応援させていただいている。
 初当選を決めた翁長氏は「私が当選したことで基地を造らせないという県民の民意がはっきり出た。それを日米両政府に伝え、辺野古の埋め立て承認の撤回に向けて県民の心に寄り添ってやっていく」と述べた。  そして、辺野古工事を強行している安倍政権に対して、沖縄の民意をぶつけるということだ。今度の知事選は、公約破棄である埋め立て承認に対する県民の初めての判断になる。だからこそ結果をしっかりと出す必要がある。 私たちは「オール沖縄」とよく言っているが、「イデオロギーよりもアイデンティティーが大切」ということだ。
 私(翁長知事)からすれば、日本全体で0・6%しかない沖縄に米軍基地を押し付けておいて、抑止力も何もないと思う。日本国民全体で守って初めて抑止力が働くのであって、「日本国全体で守る」という素地をつくっておかないと、抑止力にならないと思うし、日本国の決意は見えない。このままでは沖縄戦の70年前と同じだ。 (以上、ネット情報より翁長雄志氏のポリシーの程を紹介したもの。)
 原左都子の私論でまとめよう。 
 翁長氏の素晴らしところは選挙前の公約通り、この1年足らずの間にご自身の身の危険をも顧みず「辺野古移設取消」に向け、出来得る限りの行動を起こされた事実だ。
 安倍政権が国民の民意を無視して「安保法案」を無理やり強行採決させたと言えども、未だ当該法案は“施行”には至っていないと私は理解し、今のところそれが救いと考えている。 それにしても本日(2015年10月29日)、政府が沖縄県民の民意を無視して辺野古埋め立てに向け工事を着工したのは事実だ。
 この事態に対し翁長知事は、以下のように反論されている。 「はなはだ遺憾で断じて容認できない。 国が代執行等の手続きで司法判断を問うならば、判決が出るまで作業を開始するべきでない。」
 まさに、翁長氏のおっしゃる通りだ。   日本は法治国家であるはずだ。  安倍政権内には、それを安倍氏に正せる学識経験者が一人として存在しないのか!?   それとも、何故それ程までに安倍政権が米国迎合にこだわるのだ??
 安倍政権が無理やり強行採決に持ちこんだ安保法が“施行”される前に、少し腰を落ち着けて法治国家のあり方を自らが今一度問い直すべきだろう。 
 そして、特に国家の歪んだイデオロギーの下長年翻弄され続けて来た沖縄県民のアイデンティティこそを今後尊重するべく行動するべきだ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」2015.10.29公開エッセイより、一部を要約引用したもの。)


 上記エッセイ公開から2年半程の年月が流れ、米国はトランプ共和党政権に移り変わった。

 沖縄県知事翁長氏がつい最近米国を訪問したものの、トランプ政権要人との会合は果たせなかったとの報道だ。 そうだとしても、翁長氏の感覚としては日本国家の沖縄を“ないがしろ”にした沖縄対応よりも、米国の反応の方こそが沖縄に好意的だったとの情報もある。

 そんな状況下での、本日(2月6日)朝の名護市辺野古沿岸部での普天間代替施設の建設に向けた海上工事開始との国家の対応。
 私に言わせてもらうと、まるで “ヤクザもどき” の手法だ。
 何故、安倍政権はそれ程までに沖縄県民をいたぶりたいのか?!?
 おそらく翁長知事が米国要人との会合が叶わなかった事実を速報で知り、“今こそだ!” と事を焦ったのではあるまいか?

 それにしても、超右翼稲田防衛大臣のあの “無表情ぶり” の不気味さ(政治家として実際如何程の能力があるのやら?? 結局それが一切無いからこそ、安倍氏に操られるままに右翼を演じ防衛大臣の地位を死守し続けるしか自らの身の保証が無いのだろう、と私は推測しているが…)や、 菅官房長官の “自己ポリシー無き単なるメッセンジャーぶり” をテレビニュースで見せられるにつけ、安倍政権の国民に対する“愛情の無さ”を実感させられる日々だ。

 沖縄県の皆様、超々微力ながらも私は今後も沖縄からの米軍基地全面移転を応援し続けます。
 どうか翁長知事や稲峰市長の下、少しでも辺野古移転阻止に向けて良き結果を導かれますように。

肺癌疑いを放置したとの医療ミスが報道されているが……

2017年02月04日 | 医学・医療・介護
 「癌」と一言で表現すれども医学が目覚ましく発展進化を遂げた今尚、 「(最善の医療行為を尽くせば)命が助かる癌」 と 「(それを施して尚)助からない癌」 が存在している現状と、元医学関係者の私は捉えている。


 原左都子自身も癌を経験している身だ。
 その経験を以下に振り返らせて頂こう。

 今から遡る事21年前、我が40歳時の事だ。
 多少の事情を抱えて産まれた娘が2歳になり未だ発語が出ないと親として気をもみ始めていたその時、私の頭頂部に元々存在していた“できもの”が、どんどん大きくなっていくのを私は認識していた。

 この“できもの”に関してだが、31歳時のある日突然、頭頂部に出没した。 髪の毛に隠れて合わせ鏡でも見えないものの、手探りで直径約1cm程だった。 触れると固くてその部分の皮膚が突っ張る感覚はあるものの、痛くも痒くもない。 (一体何なのだろう??)との不気味さはあったのだが、学業と仕事と享楽と日々多忙を極める身にして、(まず心配はないし、2,3日で消えるだろう)と結論付け、放置する事とした。
 その後半年経過しても、“できもの”はそのままの形で我が頭に存在し続けた。 大学の集団検診時、私は初めて医師との問診時にその“できもの”に関して質問した。  若き医師(我が30代の所属大学に医学部が併設していたため、おそらく附属病院の若手医師が大学の検診を担当したものと推測する。)の回答とは、「おそらく“粉瘤”でしょう。 心配はないと思いますが、もしも形が崩れたり、大きくなったり、何個も出来始める等々変化があれば、直ぐに皮膚科を受診して下さい。」  私もそれぞ模範解答!と同意した。

 さてその後8年程の月日が流れ、私は晩婚後に娘を出産した。 まだサリバン業には着手していない時期だが、何事にも手のかかる娘に翻弄されつつ、我が脳裏の片隅には、出産後より頭の“できもの”が徐々に大きくなっているような嫌な感覚が蔓延っていた。
 そして娘が2歳になった頃には、その“できもの”の大きくなり様が尋常ではない実感もあった。
 ところが、母の立場としては娘の成長の遅さこそがずっと大きな課題だ。 まずは、その対策を練った後に、亭主に我が頭の“できもの”について話そうと決心した。
 その後、娘に対する医師よりの“発達の遅れ”及び“今後の指導方針”に関する診断及びアドバイスが下り、その指導方針に従って我がサリバン業を開始する段取りと相成った。

 そこで私は初めて亭主及び親族に、頭に“できもの”が元々あってそれが大きくなっているから病院を受診する旨を伝えた。 
 実はその時既に、我が“できもの”が「悪性」化しているのであろう予感はあった。
 ただそれを親族には伝えなかったところ、医学の心得が一切無い親族皆が口をそろえて「大した事はないよ」と言ってくれたのに助けられる思いだった。
 ところが、結果とは無常だ。  組織診の結果、我が頭の“できもの”は「悪性」、すなわち「皮膚癌」の診断が下り、私は即刻入院手術と相成った。
 (その後の成り行きに関しては、本エッセイ集開設当初のバックナンバー「癌は突然やって来る」に於いて記載しておりますので、よろしければご参照下さい。) 

 そんな経験がある私は、今に至って“ある思い”が脳裏をかすめる。
 もしもあの時、私が病院受診しなかったとしたら、今私はどうなっているのだろうか?
 意外や意外、そのまま放置しておいてもいずれ自然治癒したかもしれないのか??? その種の思考も無くはない。  
 それよりも何よりも、やはり自己の体内に不気味な“できもの”が突如として現れ、それがゾンビのごとく増殖して大きくなっていく事態とは、ご経験の無い皆様の想像以上に恐怖心を煽られる出来事なのだ。
 私の場合、そのゾンビ状態が体表面の皮膚に出没した事に助けられたのだろう。 だからこそ早期にそれが「悪性」である(悪性化している)事実に気付く事が叶ったとも言えよう。
 そうではなく、体内に発生した癌に関しては、特に医学経験の無い皆様には永遠に計り知れない病状であろう。


 話題を変えよう。

 肺癌の疑いがあるにもかかわらず1年間放置されていた医療ミスに関する報道を、先だってテレビニュースにて見聞した。
 その医療ミス事件を受けて、ネットで発見した関連情報を要約して紹介しよう。

 病院の検査で異常が見つかりながらも、結果が患者に伝えられずに適切な治療を受けられなにかった例は過去にもたびたび起きている。
 名古屋大学医学部付属病院(名古屋市)は昨年12月、肺癌の疑いがあると指摘された検査結果を主治医が確認しなかったため、80代の女性が3年にわたって放置されていたと発表。 治療が遅れた女性は死亡した。  同大病院は昨年9月にも、肺の画像診断で肺癌を見つけたとの情報が担当医に伝わらず、50代の男性患者が約2年後に死亡したと発表したばかり。 平成20年にも、口腔癌の疑いがあると診断した30代患者を約3年間放置していたことを公表している。
 医療事故に詳しい「医療過誤原告の会」の宮脇正和会長は「今回、慈恵医大病院は自ら見落としがあったことを患者に説明し謝罪したが、同様のミスは全国の大病院で起きているだろう」と語る。
 相次ぐ伝達ミスに、名古屋大病院は院内で患者の情報を共有できるようなシステムの導入など再発防止策を検討中。 
 今回、肺がんの所見が放置された男性の妻=当時(51)=は15年、都内の別の大学病院で点滴用カテーテルを誤挿入されその後死亡。 男性は病院側の責任を求め提訴し、和解後も大学病院の医療安全をめざして活動していた。 「伝達ミスを防ぐには、個人の頑張りでは限界がある。大学病院など大規模な病院がシステムの改善など再発防止策を共有していくことが必要だ」と話している。
 (以上、ネット情報より一部を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 冒頭に記した通り、一言で「癌」と表現しようが、その病態とは千差万別であるのが実態であろう。

 医療行為を施さねば必ずや死に至る癌もあれば、(これは一部の情報であり臨床的に確立した概念ではないであろうことを明示した上で)放置しておいても治る癌もあると、私は認識している。

 むしろ医療業界及びその関連団体が「検診利益」を上げんとするばかりに、無駄な検診を毎年国民に強制して健保収入をぼったくろうといている事実も否めないと私は捉えている。

 そんな医療を取り巻く現実下で、発生し続ける医療ミスの現状。
 これに関しては政府と医療業界の癒着以前の問題として、医療界の患者に対する姿勢を改善するべき基本的課題である事には間違いない。

 私が過去に経験した癌の場合、癌そのものに関して一切の痛みが無かった事に始終助けられたものだ。(一番辛かったのは、術後の抗癌剤投与による発熱・脱毛等々の身体衰弱の有様だった……

 そうではなく特に痛みを伴う癌の場合、その痛みから患者氏を解放してあげる目的のみでも、決して医療ミスを繰り返してはならないと結論付けたい。