原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

行きずりの92歳ご婦人と一緒に楽しんだダンスステップ

2017年03月18日 | 人間関係
 今年の3月は真冬並みの寒さが続いていたが、昨日は私が住む東京地方でも春らしい暖かさが感じられる一日だった。

 こんな日は、野外でランニング練習したら気持ちよさそうだ。 
 いつもはジムにて筋トレ及びランニング練習をする曜日だが、この絶好のランニング日和に屋内にこもるのはどう考えてももったいない。
 と言う訳で昨日、久しぶりに自宅近くの大規模公園へランニング練習に出かけた。


 野外ランニング練習の際には、ウォーミングアップの意味合いもあり公園内でまず軽くストレッチの後、ウォークマンにて2曲ほどダンスミュージックをかけ、ダンスエクササイズをするのが通常だ。

 昨日もこのダンスエクササイズを始めたところ、ちょうど公園内で踊る私の前を通りかかった高齢のご婦人が、じっと私の方を見ながら何か話しかけておられるようだ。

 急いでウォークマンのイヤホンを外し、婦人に近づき「こんにちは」と声を掛けた。
 そうしたところご婦人がおっしゃるには、「私もダンスが好きなの。一緒に踊りたいな~。」
 即答して私曰く、「是非、ご一緒に踊りましょう!」 
 と言い終わるのも待てないがごとく、手押ししていたシルバーカーを離れ、ご婦人がダンスステップを踏み始めるではないか!
 これがビックリ!!   上手なのに加えて、私がいつも踊っているジャズダンス系程の軽快なノリのテンポが速いステップなのだ!
 「凄いですねえ。 何だか負けそうですが、ダンス経験がおありですね!?!」と尋ねると、ご婦人が「昔ダンスをやっていたの。 今は腰が痛くてそれどころじゃないのだけど、貴女を見ているとつい踊りたくなったのよ。」
 (いやはや参ったなあ。世の中には希少な高齢者が存在するものだ)と心底驚いていると、ご婦人が「私今92歳なんだけど、ずっと商売をやっていたせいで比較的元気な年寄りかもしれない。」と言い始めるではないか。

 (92歳!! 後30年も生きて私はこんなに元気でまだダンスを踊っていられるのか?? )と脳裏に我が将来像に対する不安感が過りつつも……
 「そうですよね。 自営業の方は定年退職が無くいつまでも主体的にその職務にかかわれるのが羨ましいです。」などとしどろもどろに返答すると、「主人が亡くなってからは、店頭に置いていた自動販売機を6台から2台までに減らしたの。 そうでもしないと私の缶の入れ替え仕事がいつまでも大変だから。 でもたまに娘がやって来て、自動販売機への入れ替えはお母さんが自分でやった方がいい、と見放すのよ。 惨い娘でしょ?」と言うので、 「いや、それは娘さんのお母様への愛情ですよ。 そんなご自身の仕事がある事も生き甲斐の一つではないですか? お仕事を全うされつつ100歳を過ぎても生きておられるようなパワーを感じさせて頂けます。 私もそれにあやかりたい思いです…」等々と会話を連続していると、
 ご婦人は「あ~ら、ごめんなさいね。ダンスの邪魔をしたわね」と言いながらシルバーカーへ再び戻り、公園内をさっさと去って行かれた。

 その後、私が5㎞のランニング練習を終了しかかった時、当該92歳の高齢女性が未だ公園内をシルバーカーを押しつつ歩かれている姿を垣間見て、改めてこのご婦人の生命力(この世を生き抜かんとするパワー)の程に恐れ入った私だ。


 現在92歳ということは1924年のお生まれ。  日本の元号で言うところの大正末期にご生誕された人物のようだ。
 そうすると、第二次世界大戦末期には既に成人されていたご年齢であろう。
 その頃未だこの世に誕生していない世代の私にとっては、当時の国民の生き様に関して想像不能な部分が多いのが事実だ。

 ただ未だ未熟者の私にとって、92歳までの年月に渡りこの世を生き抜き、大都会東京で現在に至って尚商売を続行されているとのご婦人が、行きずりの私に垣間見せて下さった“ダンスステップ”に、大いなるインパクトを受けた事は確かだ。

 その素晴らしさこそが、大正・昭和・平成との長き年月に渡り存在し続ける彼女の証しではないかと、昨日行きずりにてほんの一時合いあいまみえたご婦人のご人生の程を鑑みつつ、身勝手にも尊敬申し上げたい思いである。

稲田朋美さん、虚偽答弁に隠蔽工作、もう辞任しかないですね

2017年03月16日 | 時事論評
 冒頭より、本日3月16日午前中に発表されたネット情報から 「稲田朋美防衛相、さらに窮地に 森友・陸自日報で野党攻勢『虚偽答弁に次ぐ虚偽答弁』」を引用しよう。

 南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報問題に絡み、防衛省が「陸上自衛隊には存在しない」と説明してきた日報の電子データが保管されていたことが15日判明し、野党は稲田朋美防衛相への攻勢をさらに強める構えだ。
 「16日の衆院安保委員会で追及する。即刻辞任してもらう必要がある」  民進党の山井和則国対委員長は15日夜、産経新聞の取材にこう強調した。 稲田氏が、学校法人「森友学園」(大阪市)の訴訟に関与していないとの答弁を撤回した問題も含め、「虚偽答弁に次ぐ虚偽答弁をしたことになる」とも指摘した。  同党参院国対幹部も「政権の致命傷になる。もう稲田氏はもたない。安倍晋三首相にまで波及するのではないか」と勢いづいた。
 野党は15日の参院予算委員会などでも稲田氏を引き続き追及した。
 民進党の杉尾秀哉氏は、学園理事長退任の意向を示している籠池泰典氏との関係を取り上げ、「籠池氏はインタビューで『2年前に稲田氏に会った』と言っている」と指摘した。 稲田氏は「籠池氏とはここ10年来疎遠にしている。政策会合や講演会などに籠池氏がお見えになったのかもしれないが、私の記憶に基づくとお会いした認識はない」と説明。辞任の要求には「防衛相として職務に邁進(まいしん)したい」と重ねて訴えた。
 (以上、稲田防衛相に関するネット情報より一部を引用したもの。)


 本日昼のNHKニュースでは、この民進党の稲田氏への辞任要求を受け、自民党菅官房長官が特に南スーダン日報データ保管に関して稲田氏を弁護する発言をする映像が映し出された。
 原左都子の私論だが、これが笑える。 「稲田大臣は今後防衛省の日報管理を厳格に徹底すると発言しているのだから、ちゃんと大臣の役割を果たしていて辞任の必要はない」 (正確ではない点をお詫びします。)
 菅氏も苦し紛れに手抜きの弁護発言をして、墓穴を掘ったものだ。 国家機密の日報データを一時喪失したと発表した時点で防衛省トップの稲田氏の責任が問われるべきで、その時点で辞任しても少しもおかしくない話だ。

 あるいは森友学園裁判代理人問題に関しても、「記憶違い」と自身の虚偽答弁を平然と撤回し謝罪する始末。 弁護士として裁判に出廷した事実の記憶がないなど、プロの弁護士としてあり得ない話だろう。 もしも実際記憶が無くとも、過去の弁護士活動記録を閲覧すればその事実が記載されているはずだ。 よくぞまあ、ぬけぬけと「記憶がない」と国会答弁の場で言えたものだ。  そして後日それを安直に撤回し謝罪すれば自分の身が安泰だと本気で考えているのだとすれば、一国家の政権省庁のトップとしての資質がとわれて当然だ。


 ここからは、原左都子の“意地悪婆さん”観点から、少し稲田朋美氏に対する印象を述べさせて頂こう。
 
 この人、現在50代後半の年代らしいが、どうも外見が洗練されておらず“ダサさ”が前面に出てしまっていると、皆さん感じませんか?
 ご自身は自分が“美しい”とでも思っておられるのだろうか??  長い髪にこだわっているようだが、これがとにかく外見的な鬱陶しさを倍増してしまっていると私は悪評価するのだが… 
 氏の過去の写真と比較すると整形手術を施したのは間違いないようだが、現在の容貌を拝見するに顎周辺の垂み具合”がそのヘアスタイルで強調されている事実に、本人は気付いておられないようだ。
 一国の大臣ともなると、専属のスタイリストを付けているのだろう(?)が、そのプロに今一度相談して、真に大臣らしき外見をアドバイスしてもらっては如何かと言いたくもなる。

 しかもこの方、安倍首相の“操り人形”そのままで、自身の内面に秘めているはずの人格の程が一切感じ取れない人物だ。
 国会答弁等に立つその姿は、まるで“アンドロイド”。 顔面は“能面”を被っているがごとくにいつも無表情。 
 答弁に立った際、その“能面”の口から言葉を発するのだが、どこまでが本心でどこまでが演技なのかがその無表情と共に捉えにくい人物でもある。(実際、“超右翼”は単に表向きのセールスポイントに過ぎず、内面に何のポリシーも無いのではないかと私は疑っているのだが…)

 ここからは原左都子の推測だが、稲田氏とは、実は本気で「本音(自己)」が無い人物なのか?と感じるふしもある。  あくまでも安倍首相の“アンドロイド”に徹する事こそが自らの生き甲斐であり、それこそが最高の自分の人生と信じ、今を生きているような感覚すら抱かされる。

 稲田氏に関して私がそのような感覚を抱くのは、過去に稲田氏に関して調査した経歴等々の情報にもよる。


 その情報を、「原左都子エッセイ集」2016.8.13 バックナンバー 「安倍首相が“超右翼”稲田氏を防衛大臣に指名した魂胆」 内で公開しているため、今一度以下に反復させて頂こう。

 2016年8月3日に発足した第三次安倍内閣。  今回の内閣改造と同時期に行われた内閣改造人事には、今後の安倍内閣を考える上で、見逃せないポイントがある。
 その一番のポイントとは、安倍総理の寵愛を受ける “タカ派” 稲田朋美氏の防衛大臣起用だ。
 保守派の論客である稲田氏は、まだ当選4回。 本来なら、入閣までの日数が足りていないはずだ。 だが、稲田氏は安倍氏の寵愛を受けながら、ずっと陽の当たるポストを担って来ている。 
 今回の内閣人事では、防衛大臣という要職を担う事となった。 防衛大臣とは、安全保障に関する議論はもちろん、今後憲法改正をめぐる議論の際にも非常に重要なポストとなる。  この思い切った人事は、稲田氏を今後自民党総裁候補、等々、安倍氏自らの後継者として育てようとの安倍氏の強い意志を感じさせるものだ。
 引き続き、数日前にコピー&ペーストしてあった、稲田氏に関する情報を以下に紹介しよう。
 2016年08月04日  韓国が嫌う「稲田防衛相」という"劇薬"の効能    今回の内閣改造の目玉人事といえるだろう。  
 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
 実は私は、稲田朋美氏が安倍政権により“陽の当たるポスト”に取り上げられ国会答弁にて国民の前に姿を現すまで、氏の存在をまったく知らなかった。   国会にて拝見する稲田氏に対する我が印象とは、申し訳ないが、安倍氏が“政権の要人として”?? 取り上げている程にはインパクトはなかった。
 野党からの質問等々に対し暴言を吐きつつ反論するものの、声質が高いせいもあるのか、(失礼ながら、このおばさん、何が言いたいの?)としか感じられなかったものだ。
 そこで私は、現在安倍政権の要人とも言える防衛大臣に任命された稲田朋美氏に関し、ウィキペディア情報を探ってみた。
 以下に、その情報を要約して紹介しよう。
 稲田 朋美(いなだ ともみ、1959年(昭和34年)2月20日 – )は、日本の政治家、弁護士。 自由民主党所属の衆議院議員(4期)、防衛大臣(第15代)、自民党福井県連顧問。
 内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、国家公務員制度担当大臣、自由民主党政務調査会長 (第56代)、自民党福井県連会長を歴任。
 早稲田大学法学部在学中、当時男女雇用機会均等法も無く就職先がほとんど無かったので、司法試験を受けた。 弁護士になると5年間法律事務所の雇われ弁護士として法律の仕事を習得したが、子供ができたのを機にやめた。 その頃夫が『産経新聞』と『正論』を読んでいたので稲田も読むようになり、やがて「いまの教育はおかしいんじゃないでしょうか」などといった投稿をたびたびするようになった。
 「南京事件の件についていっしょに裁判をやらないか」と声をかけられ、本人はその当時の心境を「東京日日新聞、現在の毎日新聞が戦意高揚で書いた〔南京事件の際の「百人斬り競争」の〕嘘の記事が唯一の証拠になって、戦後の南京の軍事裁判のBC級戦犯として〔競争をしたと書かれた野田毅少尉と向井敏明少尉の〕2人が処刑された。 まったく嘘のことが、日本の名誉を傷つけるようなことが教科書でも教えられているし、本当のこととして流布されているという現状を私は日本人として放置できないと思ったんです」]と述べている。 最終弁論の日、向井少尉の次女の向井千恵子に出会い、女性ひとりで戦っている姿を見て感銘を受ける。これがきっかけで野田少尉と向井少尉の遺族が『毎日新聞』『朝日新聞』本多勝一らを相手取り、名誉毀損の裁判を起こすことになった。 稲田は「私は政治には全然興味がなかったんですけど、嘘のことで日本の名誉が毀損されているという状況を何とかしたいと思ったんですね」と述べている 。郵政解散のちょうど2週間ほど前に、自民党本部で「百人斬り競争」はでっち上げであるという内容の講演をする機会があり、これが聴講していた安倍晋三幹事長代理の目に留まり、政治家にスカウトされることになった。   (以上、稲田朋美氏に関するウィキペディア情報の一部を要約引用したもの。)  
 原左都子の私論でまとめよう。 
 なるほど、上記の稲田朋美氏に関するウィキペディア情報を読む限り、人間とは成長途上で身近な人間の影響を受け易い事を実感させられる。   稲田氏が早稲田大学卒業後、就職に難儀し弁護士になった後の(夫氏を含め)人間関係が気にかかる。 
 もう少し、稲田氏は人間関係オープンにして柔軟性がある青春時代を過ごせなかったものなのか? なる老婆心を抱きたくもなる。   ただ、その稲田氏の経験少なき “偏った人生経験” が安倍氏の目に留まり、「使い易い人材」として政治家にスカウトされたとの事だろう。
 すべての政治家達が稲田氏のごとく偏った寂しい歴史を辿っているとは思いたくもない。 だが私に言わせてもらうならば、人生経験希薄な(あるいは偏った)人物がやわら政治家としてスカウトされ、いとも簡単に防衛大臣にまで上り詰める事実こそが今現在の日本国家を創り上げてしまっているのかと、稲田氏の経歴を拝見して気の毒に思わざるを得ない…。
 (長くなり恐縮だが、「原左都子エッセイ集」稲田氏に関するバックナンバーの一部を引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 現在の稲田氏に関して、与党自民党内からも“指導的発言”が出ていると見聞している。
 遡って、野党や世の動きを真剣に考えている国民が、貴女の今後の動向を如何なる視点で注目しているのか、稲田氏はご存知なのだろうか?

 真に一国の大臣(特に「防衛大臣」との差し迫った危機にも対応せねばならぬ)職責をご自身が真に全う出来る能力ある人材か否かを、少しは“アンドロイド”の兜を脱ぎ、自身こそが再考されては如何だろうか?

 日本は決して安倍独裁国家ではないのですよ。
 国家は、大日本帝国憲法の時代から既に大きく移り変わっている。
 その事実を、稲田氏が如何程に理解した上で現職防衛大臣としての任務を果たそうとしているのだろうか??
 大抵の見識ある日本人(少なくとも私の周囲の国民達)は、稲田氏の愚行の数々に愕然としていますよ。

インパクトがあったホワイトデーのお返し

2017年03月15日 | 人間関係
 (写真は、昨日3月14日に娘が職場から持ち帰ったホワイトデーのお返し品のひとつ。)


 私自身の「ホワイトデー」と言えば、30代半ばの独身時代に “海老で鯛を釣った” 記憶がある。

 そもそも結婚願望が無ければ、周囲の若き女子達のように“バレンタインデー”だからと言ってキャピキャピと騒ぐキャラでもなかった。

 そんな私が既に30代半ばの頃に所属していた職場にて、バレンタインデー前日の2月13日の事だ。
 帰宅しようとした際、職場の男性陣が口々に私に告げる。
 「さとちゃ~ん、明日何の日だか分かってる~~?」 「忘れ物しないようにね~~。」等々と声掛けしてくるではないか。 (参考だが、さとちゃん、さとこ は上京後の職場時代の我が愛称であり、それを現在エッセイ集のペンネームとして引用している。)

 これが困った事に、当該職場は男性が30数名に対して、2月14日に出勤する若手女子がたったの2名。 もう一人の女子と話合い「幾らなんでも数が多すぎだよね」と二人で困惑しつつも、それぞれが男性数ずつチョコレートを持参する事とした。 
 あれだけ無邪気で天然質の男どもの態度に触れると、放っては置けない可愛らしさもあった故だ。
 私は偶然 “見栄えはよいが安価なチョコ” を発見し、全ての数を揃えてもさほどの金銭出費ではなかったのだが。  片や、もう一人の女子は20代少しの若さにもかかわらず、安価チョコに巡り合えず何と万札を飛ばす金額を要したとの事。

 そうこうして、バレンタインチョコを配り終えた1か月後、3月14日のホワイトデーがやって来た。

 これにはびっくり仰天!
 真っ赤な薔薇の花束やブランド小物類、お菓子類等々に加えて、便せん4枚に綴られた交際申し込みの手紙、ドライブの誘い等々、配ったチョコの数きっちりの30数個のホワイトデー豪華絢爛プレゼントが手元に届けられたのだ。


 話題を冒頭写真に戻そう。

 実は我が娘も社会人1年目に向かえたバレンタインデーには、職場でチョコレートを配らないとの選択をした。
 その理由とは、日頃より旅行土産を数回配りそのお返しを複数の職員氏より貰っているため、配り過ぎる迷惑こそを回避するべきと本人が考え、私もその意見を尊重した故だ。

 ところが、やはりホワイトデーにはお返しが届くものだ。

 昨日娘が持ち帰ったそれらお返しが、社会人1年目の娘の初々しさに相応しい物品であったことに親として目を細めさせてもらったりした。

 そんな中、一番目に付いたのが冒頭写真のお返しだ。
 モロゾフが発売している「Meeting Bus VOLKSWAGEN」と銘打つチョコレートとVOLKSWAGENバスのミニチュア模型セット商品なのだが、そのわずか長さ6㎝のバス模型が精密に出来ていて、バス内に椅子もあれば運転席のハンドルも模倣して作られている。  (参考だが、ネットで調べると¥2,160-と高額商品だ! これを何個も職場の女性に配った男性の“やる気”の程がまた凄い!?!)

 「これをホワイトデーのお返しに選んで下さった方は、おそらく車のファンなのだろうね」と娘と共に唸りつつ、プレゼントのお返しもこうやって“自己主張の手段”として利用出来る事を認識させて頂けた。


 我が本音を語ると、「バレンタインデー」「ホワイトデー」などに潤うのは商魂たくましい営利企業ばかり、それに踊らされる庶民の姿をアホらしく思う人間である事実には変わりはないが…。

 ただ妙齢の娘を持つ母の立場としては、こういう風に娘が持ち帰ったバレンタインデーのお返し品を拝見して、その贈り主の人物像を想像出来る一時を楽しませてもらえる事自体が嬉しいものだ。

 若き世代にとってはそんなプレゼント慣習も捨てたものではないじゃないのかと再考した、昨日のホワイトデーだった。

路線バスとタクシーで行く郷里の旅 (高齢者介護施設編2)

2017年03月13日 | 医学・医療・介護
 (写真は、郷里旅行中に宿泊したホテルより撮影した郷里中心部交差点の風景。 駅前のメインストリートにしてご覧の通り交通量が少なく、人の姿がほとんど見当たらない。)


 今回の郷里旅の旅行記最終編では、旅の第一目的だった高齢者施設に話を戻そう。

 旅行の最終日は、再び実母が入居している高齢者有料介護施設を訪問した。

 郷里到着後の初日に訪問した際に、既に母が元気に暮らしている事実は把握していた。
 それでも、遠方に住む家族のためそう易々と幾度も訪れる訳にはいかないため、今回の貴重な訪問の機会に、施設長やケアマネ氏、それに可能ならば施設に住む高齢者氏達と積極的にコンタクトを取りたいと志していた。

 私の場合、東京の施設に入居している義母の保証人の立場で既に5年以上の年月に渡り施設とかかわって来ているため、その手法や感覚で実母の施設ともかかわりが持てるものと考えていた。


 ところが、「高齢者介護施設」と一言で言えども大きく勝手が違うものだ。

 そもそも、義母と実母双方が入居している高齢者施設の分類が異なる。

 義母が入居しているのは、一般的に「介護付有料高齢者施設」と呼ばれている施設である。 ここでは65歳以上の健常者から要介護5までのすべての介護ランクの入居者を受付け、その介護度合いに応じた介護を提供している。 そのため本人や家族が希望すれば終末期の「看取り」まで実施する故に、先だって実施されたケアマネ氏との今後半年間の介護計画の際に、義母の「看取り」に関する保証人からの要望の話合いが持たれたという訳だ。

 これに対して、実母が入居している施設は、一般的に「サービス付き高齢者向け住宅」と呼ばれている施設だ。 ここでは自立生活がほぼ可能な高齢者を受け入れ、基本的に本人の自立した生活をサポートする事に主眼が置かれている。
 ただし実母の施設の場合、大病院付属である事が功を奏して、介護のランクが進むとその病院グループ内の介護ランクに応じた施設へ優先転居出来るとのメリットがある。 (という事は、実母の介護ランクに応じて、家族には“引越作業”が課せられるとのデメリットもあるのだが…
 それでも、実母が言うには車椅子の90代の女性も当該施設で頑張っているとの事だ。 要するに一人で頑張る意思がありその生活が叶う高齢者は、いつまでも現在の施設へ留まれるとの意味のようだ。
 「ならば貴方(母の事)も、一生この施設で暮らせるといいね。」と私が言うと、「施設長さんはじめ、スタッフの皆さんがそう言って下さるので、私も出来る限りここで頑張りたい!」との意向で、とりあえず安心した。


 と言う訳で義母の施設とはまったく勝手が違う実母の施設では、基本的に施設長やスタッフの皆様と保証人である家族が話し合いを持つ機会は無い、とのことのようだ。
 それを承知の上で、「せっかく遥々東京から来たのだから、施設長さんと話合いを持ちたい」と私が言っても、母は「職員の皆さん多忙で迷惑だから、やめた方がいい」とのアドバイス。

 加えて、入居者の皆さんとも通路やエレベーター以外ではお目にかかれない。
 「食事時に、私が挨拶しようか?」と母に告げても、「誰もそんな事していないから遠慮して」との返答だ。 
 今時は地方の高齢者施設とて、そうなのだろう。 特に実母が入居している施設の場合は「住宅」の位置付けにあり、個室の面積も広く要するにマンションの一室の感覚だ。(都会に住む私としては実際その広さに驚かされる! 親子3人で悠々暮らせそうな広さだ。) 食事とて、たまたま施設が提供して下さるから食事処で頂いているだけの事であり、後の生活に於いては個々の自由度が高いのだ。
 母の意向を尊重して、スタッフ氏はじめ入居者の皆様とのコンタクトは、通路やエレベーター内にての挨拶以外は、敢えて避ける事とした。

 
 そんな中、当施設のケアマネジャー氏が、実母の部屋までご挨拶に来て下さった。
 昨年10月の施設への引越し手伝いの際に、施設長へ「ケアマネ氏とお話をしたい」と私が告げていたことを施設長氏が覚えていて下さったようだ。 当該ケアマネ氏は、母を含め入居者皆様の個室へ定期的に訪問し様子を伺って下さっているとの母の説明でもある。
 ご多忙の中、遠方から来た保証人の私に面談に時間を割いて来て下さったのみで十分だし、母も大いに喜んでいた。
 ケアマネ氏との会話内容は私が何を尋ねても、「お母様はお元気で何も問題はございません」に尽きる事実が物足りないものの、これで済ませるべきと判断した私は、日頃の御礼を申し上げるのみで留めた。 ただケアマネ氏の笑顔の程が素晴らしく、実際母はこのケアマネ氏の日頃のケアにより当該施設で元気に暮らせているとの実感を得たものだ。


 午後になると、実母の知り合いが尋ねて来て下さった。
 母の旧住居地近隣の方であるそのA氏が管理栄養士であり、元々高齢一人暮らしの母に種々アドバイス頂いたりお世話になっていた事実は昔から母から聞いていたが、私はとしては初めてお目にかかる。 
 母が言うには、A氏は施設入居後も定期的にご訪問下さっているとのことだ。 遠方に住む家族として、こんな有り難い事はない。
 今回は私が東京から遥々施設へ訪れていたことに遠慮され早々と引き上げられたが、「どうかこれからもお暇がございましたら、母を尋ねて頂けますように」とご挨拶すると、「もちろんです。必ずやお母様ご訪問を続けます。」と返答して下さった事に、これまた安堵した。


 高齢者施設の皆様とは十分な会話が叶わなかったものの、今回の実母入居施設への訪問の際に偶然会合が叶ったスタッフ等々の皆様等との会話内容で、我が実母がある程度充実した介護施設生活を営んでいる事実を垣間見れた。

 実母からの、「私はこの通り大丈夫だから、貴方は東京の義理のお母さんを大事にしてあげなさい。」との旅道中最後の母の言葉を 自分が産んだ“娘へのエール” と判断して、私は郷里から去った。

路線バスとタクシーで行く郷里の旅 (タクシー編)

2017年03月12日 | 旅行・グルメ
 (写真は、郷里中心部の宿泊ホテルから実母が暮らす高齢者施設まで乗車したタクシー内で撮影した風景。)


 今回の旅行はその移動手段として主に路線バスを利用しつつ、どうしても待ち時間が長かったり乗り換え時間のロスが大きい場合はタクシーを利用する事とした。


 旅の最終日は、実母が住む高齢者施設より地元のタクシー会社に迎車をお願いして施設まで来て頂いた。

 施設玄関前でタクシーに乗り込むや否や、運転手氏が尋ねて下さる。
 「どちらまで行きますか?」  私が応えて、「空港までお願します。」
 すかさず運転手氏が「飛行機の出発時間は何時でしょうか?」と尋ね返して下さる。

 この質問の意味を私はすぐさま理解出来た。
 要するに、航空便の出発時間までに空港へ到着可能か否かを真っ先にタクシー運転手が判断して下さろうとしたのだろう。
 それを察した私は、「出発時間まで十分に時間がありますので大丈夫です。 この辺りは道路がいつも渋滞で混雑しているようですが、それを勘案しても出発までに間に合います。」

 と応えた直後にタクシーが主要道路へ出ると、案の上すぐ渋滞にはまった。 
 そこで私が、「ところで、例えば空港へ行く顧客の方が飛行機の出発までに間に合わなかったことがありますか?」と尋ねると、 運転手氏応えて、「あるんですよ。 運転手としては責任重大ですので必ず出発前に出発時間を確認するのですが、お客様はタクシーに乗れば間に合うと信じている方が多く、時間ぎりぎりの場合、運転中に胃が痛む思いです。」
 「で、実際に出発までに間に合わなかった場合はどうするのですか?」 と問うと、運転手氏曰く「次の便に乗って頂くしか仕方がないのですが、何だか罪の意識もありこれまた胃が痛み後味が悪いものです。」

 (いやはや、タクシー運転手業も大変だなあ~)、と内心同情申し上げていると。
 運転手氏が話題を変えて曰く、「でも、いい事もあるんです。 新大阪から福岡まで新幹線で帰りたいとおっしゃるお客様を、本四連絡橋を渡って新神戸駅までお連れしたのです。新神戸から乗車する方が短時間で帰宅可能と判断したからです。 その帰り道中に淡路島の休憩所でコーヒーを飲んで一休みしていると、そのお客様から携帯に電話があり“福岡の自宅に着きました”とお伝え下さったのにはびっくりしました。 新神戸で下車され別れてから1時間しか経っていなかったからです。 そんなに早く到着するとは夢にも思っていませんでした。」

 何ともまあ、自身の業務に対する責任感の強い運転手氏と感動しつつ、その後も会話が続く。

 例えば、運転手氏が「東京を航空便で往復する場合、どれくらいの旅費になるのですか?」と問うて下さるので、「私の場合、いつもネットで格安の“航空便とホテル宿泊パック旅行”を予約するため安価で済みます。今回の旅行の場合、娘と二人で¥〇〇程度でした」と正直に応えると、これまたびっくり仰天した運転手氏(ご高齢域の方でいらっしゃったが)が、「そんなに安価で済むのですか!! 若い方はいいですね。そうやってパソコンを操れて。 それで例えば、私が東京へ行きたい場合もそういう安価なパックが予約出来るのですか?」  (決して“若い方”ではない)私が“若いふり”をして応えて曰く「もちろんです。以前母を東京に招こうと考えそれを調べた事もあるのですが、混雑時期を外せば安価でしたよ。」

 そうこうピンポンの会話を続けているうちに、タクシーに乗車して約1時間後に空港に無事到着。
 そこでも運転手氏は我々を気遣って下さる。 「到着が早過ぎたようですが、大丈夫ですか?」 「はい。空港で食事をしてお土産を買ってから飛行機に搭乗する予定でしたのでちょうどよかったです。」 
 運転手氏はその我が回答に安堵し、「お忘れ物なきように」と言い残し空港を去って行かれた。


 私は十年程前より車の運転を完全卒業している関係で、自宅がある都心でもタクシーを利用する機会は多いかもしれない。
 あるいは郷里ではない他の日本国内の地に旅に出た時にも、現地ではレンタカーを借りるでもないため、タクシーに依存する機会は少なくない。

 その経験から言うと、現在の“全国標準”として、概ねタクシー運転手氏は顧客であるこちらから車内で話しかけない限り話を切り出す事はないのが通常だろう。 
 それでも何かのきっかけでタクシー運転手氏と会話が始まる場合、私は積極的にそれに乗る(ノル)人種だ。
 
 ところがこれも一長一短。 会話がピンポンで展開する人材はほぼいないと結論付けられそうに思う。

 例えば話好きの運転手氏の場合も、5分10分の短時間乗車ならば相手可能だ。
 ただ運転手氏側の一方的なお喋りが1時間にも及ぶ場合、聞き役に徹しつつも(あのーー。私クラブのママじゃないんですけど…)と言いたい思いを抑えつつ、降車後は怒り心頭だ!

 かと言って、タクシー乗車時間が1時間にも及びそうな場合、いい大人の私から何らかの話題を切り出さねば! なる使命感がいつも脳裏にあり、運転手氏の年代や個性を見抜きつつ話題をこちらから提供したりもする。


 それ程までにタクシー内で顧客の立場で運転手氏に配慮し、心労を溜める必要もないのだろう。
 それも承知だが、「タクシー」という完全個室内の人間関係を皆様はどのように対処されているのか、私からお聞きしたいくらいだ。