原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

藤井聡太4段も学校の休み時間は校庭で遊んだだろうか?

2017年06月12日 | 教育・学校
 つい先ほど見たNHK昼のニュースによると、本日(6月12日)将棋棋士藤井聡太4段の写真が印刷されたクリアファイルが発売され、それを買い求めるファンによる長蛇の列が出来たとの報道だ。

 今を煌く天才棋士藤井4段だが、伏し目がちのシャイそうな可愛らしくあどけなく表情とは裏腹に、内面に秘めた闘志と負けず嫌い気質の程が実に素晴らしい!
 将棋ファンでなくとも、ついつい母性本能がくすぐられ応援したくもなるというものだ。


 話題を表題に戻そう。
 表題の結論を述べるならば、藤井4段も小学生時代には学校の休み時間は校庭で遊んだものと推測可能だろう。
 なぜならば、藤井4段は陸上競技が得意でかなりの俊足とのメディア情報がある故だ。


 早速、藤井聡太4段に関するウィキペディア情報の一部を以下に紹介しよう。

 藤井 聡太(ふじい そうた、2002年7月19日 - )は、将棋棋士。 名古屋大学教育学部附属中学校在学。 21世紀生まれで初となる将棋のプロ棋士である。 またプロ初対局初勝利から続く「新人連勝記録」で歴代1位の記録保持者。
 5歳のときに祖母から将棋を教わる。
 プロ棋士や奨励会員、詰将棋作家が多数参加する詰将棋解答選手権のチャンピオン戦には、2011年の第8回大会に小学2年で初参加して、大阪会場の24人のうち13位。2015年の第12回大会で同選手権史上初の「小学生による優勝」を達成し、以後2017年の第14回大会まで3連覇。 2016年9月3日、日本将棋連盟の第59回奨励会三段リーグで13勝5敗の1位となり、10月1日付、14歳2か月でプロ棋士(四段)となる資格を得た。 これは最年少記録。
 プロとしての公式戦初対局は2016年12月24日に行われた第30期竜王戦6組ランキング戦の初戦、加藤一二三との対局。この対局で公式戦勝利の史上最年少記録を更新した。 2016年度はその後も勝ち続け、最終的に公式戦を10戦全勝。プロ入り初年度を全勝したケースは清野静男(1949年度・9勝0敗)以来、67年ぶり。 2017年4月4日、王将戦1次予選で小林裕士に勝ち、松本佳介と近藤正和の10連勝を更新するプロデビュー以来の11連勝の新記録を達成した。
 プロ初対局初勝利から公式戦25連勝中(2017年6月10日現在)。 連勝記録は歴代2位の記録であり平成以降としては最長記録である。またプロ初対局初勝利から続く「新人連勝記録」としては歴代1位の記録を更新中。
 棋風としては、居飛車の本格派で悪手の少なさに定評がある。得意戦法は角換わり。 終盤で力を発揮し、鋭い攻めとともに相手の攻めを正確に受けて勝つ対局も多い。
 人物像だが、幼少期に将棋を覚えるため「NEWスタディ将棋」(くもん出版)を用いた。 母は「生活能力が低い」と藤井を評している。 小学校を卒業した頃に、関西将棋会館(大阪市)での奨励会例会に一人で行かせたところ、服や傘を全て将棋会館に置いたままで帰宅したという。 学校の授業で好きな科目は、算数と体育。 球技は苦手で陸上競技系が得意。 ラーメンが大好物で、味噌煮込みうどんも対局前によく食べる。
 (以上、ウィキペディア情報より将棋棋士藤井聡太4段に関する内容の一部を引用したもの。)


 ここで話題を大きく変えよう。

 昨日の「原左都子エッセイ集」ランキング上位に、「学校の休み時間は校庭で遊ばねばならないのか?」と題する2013.10.31付バックナンバーがランクインしていた。
 その内容の一部を以下に要約して紹介させて頂こう。

 10月に入り台風が続いた後、今週水曜日あたりからやっと秋晴れに恵まれている東京地方だ。
 そんな折、10月30日水曜日の午前10時半頃だっただろうか。 公立小学校に程近い位置にある高層住宅上階の我が家の室内まで、小学校教員による校内放送アナウンスが高らかに響いてくる。
 「生徒の皆さん、今日はいい天気です。 校庭に出て遊びましょう!」
 そこまでならば、私も許容範囲だ。  ところが、このアナウンスはまだまだ続く。  「外に出て太陽光を浴びましょう。 室内で閉じこもっていては体の発達に悪いです。 皆さん、校庭に出て元気に遊びましょう。」云々…
 ここで、原左都子の私論に移ろう。
 ちょっと待ってよ、先生。 確かに子どもの発達のためには外で太陽を浴びながら元気に遊ぶ経験も必要ではあろう。 ただし、学校の休憩時間とは最大20分程度ではなかろうか? (たかが20分程度太陽光を浴びる事による子どもの発育への医学的好影響の議論は、ここでは割愛しよう。)
 もっと大きな問題とは、その短時間を生徒個々人の意思で如何に過ごそうと自由ではなかろうか?、との観点だ。
 さて、次の日も快晴に恵まれたのだが、同じ時間帯に同じ教員の音声で、同じ校内放送が我が家まで流れてきた。 
 ちょうど(当時)大学の授業が午後からだった娘が在宅していて、我が家の室内でこの放送を聞いていた。 小学校時代には(持って生まれた事情により)自己表出能力に乏しかった我が子であるが、今となっては素晴らしいまでの成長を遂げている娘が、母の私に伝える。 (参考のため、我が娘は小学3年生3学期よりこの公立小学校に転校し卒業まで在籍していた。)
 「昔からこの小学校は、晴れるといつもこの放送を同じ時間に流した。 私にとってこの放送ほど辛かった事はない。 校庭になど出たくもなくて教室の座席に一人座って本を読んでいると、教員が教室までやってきて“校庭に行け!”と強制する。 しかたがなく校庭に出ても大勢の生徒達で混んでいて、私の居場所などどこにもない。 しょうがないから校庭の生徒に不人気な暗い日陰の遊具に、一人ぽつねんと座っているしか自分の居場所がなかった…。 同じ座って休み時間を過ごすならば、自分の教室の慣れた席で座らせて欲しかった……」
 我が娘の訴えを聞き、娘が小学生時代に経験した“心の闇の隙間”を改めて認識し直し、親として娘同様に心を痛め涙を流さないはずはない。 
 ここで私事に入るが、日本の過疎地出身、しかも“もはや戦後ではない”数十年前の時代に小学生だった私だ。 そんな我が小学生時代にはまさか、学校側からの放送で「校庭に遊びに行きなさい」なる指示すら一切なかった記憶がある。 おそらく教員達も生徒の休憩時間を自分達の休憩時間にぞっこん当てていたのであろう。  それでは、私の小学生時代に児童達は何をして学校の休憩時間を過ごしていたのかと言うと、正直なところ3年生程までのその鮮明な記憶は無い。   原左都子の記憶に少しあるのは、私は小学校高学年頃「小説」らしき文筆を好んでしていた事だ。 この作業にはまり、自主制作ノートに気ままな小説を数多く書き込んでいた。  
 更なる私論を展開しよう。
 たかが小学生と言えども特に高学年に達している場合、上記原左都子事例のように既に自分なりの“世界”を築いている生徒も存在するのではあるまいか?  それをすべて無視して、「皆さん、校庭で遊びましょう!」との教師側の発言とはいくら何でも無謀と心得る。
 幼い子どもを抱える小学校現場と言えども「子どもの個性・多様性を尊重する」べくスタンスに立ち戻っては如何だろうか?
 人間とは子ども・大人に係わらず皆多様で個性豊かな存在なのだ。  どうして、人間がこの世に持って生まれ出た素晴らしい個性や多様性を、この国や自治体の行政は今尚認めず潰し続けるのだろう!?
 「晴れたら生徒皆が校庭に出るべきだ」?  そんな旧態依然としたことばかり言い続けているから優秀な人材達を根こそぎ失っている現実に、もうそろそろ自治体や国家は気付こうよ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約引用したもの。)


 最後に私論でまとめよう。

 藤井4段なる類稀な天才棋士と、一般人を同等に扱う過ちを犯してはならない事など百も承知だ。

 そうだとして。
 私が推測するに、藤井4段はおそらくご家庭環境にも恵まれつつ、14歳まで輝かしきサクセスストーリーを一筋に歩まれたのであろう。
 現在国立名古屋大学付属中学に在学されているとのことは、(もしも附属高校も併設されているのであれば)そのままストレートに高校進学するとの恵まれた立場にもあろう。 (その後大学受験かな? あるいは、将棋界に残る決断を下すのだろうか??)

 藤井4段の場合そんな恵まれた生育環境下に於いて、むしろ突出した才能があるとの理由で周囲より“やっかみ”によるいじめを受けるとの被害に遭遇しそうだが?  ところが、藤井4段に関するそのような情報は一切見聞しない。 いやもしかしたら藤井4段が醸し出すあの“独特の控え目で可愛らしい雰囲気”故に、周囲よりマイナス感情すら抱かれにくい人物であるのかもしれない。?? 
 いずれにせよ、よくぞまあ14歳の若さで現在の将棋棋士の地位を築き、それを続行している事を鑑みると、まさに賞賛に値する人物だ。

 話題を一般庶民に移そう。
 学校が言うところの「休み時間は皆が校庭に出て遊べ」との論理は、天才藤井棋士にとっては難なくこなせるどころか、俊足の藤井氏にとってはそれも自己鍛錬の励みに繋がった事であろう。

 ところが、庶民とは所詮庶民でしかない。
 その庶民の自我が目覚める小学校高学年時期に、自分がやりたい事を「休み時間」を利用して実行して何が悪いと学校側は言いたいのか!??
 我が娘が、学校側からの「休み時間は校庭に出よ!」との強制指導に幼心に傷ついた歴史を思うと、私にとってはまさに“弱者虐待”の指導との認識すらある。

 少なくとも、子どもの自我が芽生える第二次反抗期に達する小学校高学年の児童に関しては、休み時間の過ごし方など自由にさせた方が、むしろ子供本人の自我発達を促す結果となりそうにも思える。

 皆が皆、天才将棋棋士藤井聡太4段になれない事実など、国民皆が重々承知だろう。
 少なくとも小学校教育に於ける自由時間であろう「休み時間の過ごし方」に関し、児童の個性や年齢に応じた対応を期待したいものだ。

原左都子が撮影した “ストロベリー ムーン”

2017年06月10日 | 芸術
 (写真は、原左都子が撮影した今年の “ストロベリームーン”。)


 “月を愛でる”などとの風流な趣味も無ければ天体写真撮影趣味も無い私が、何故“ストロベリームーン”を撮影したのかには、涙無くして語れない理由がある。


 実はつい先だって、亭主から借りていたデジカメを壊してしまったのだ。

 この亭主のカメラだが、2016年冬のイタリア旅行の際に亭主の“好意”により借り受けた。
 娘と2人のイタリア旅行に際し、私自身が購入して10年以上経過しているデジカメ(乾電池入替え方式)と電池を準備していたところ、「今時そんな電池入替えの古びたデジカメ持って旅行へ行くの??」と声を掛けてくる。 「これに慣れているし十分写せるし、軽いからこれでいいのよ!」と突っぱねかけると、「ボクの貸すよ」と言いながら亭主が持ってきたデジカメの何とも重いこと!
 「こんな重いカメラ持ちたくもないし、しかも充電器も持たなきゃいけないし…」とブツブツ言いつつ“お試し撮影”してみると、画面は大きいわズームは広範囲だわ、 結局ちゃっかり借り受ける事と相成った。

 その後も亭主が「返せ」と言わない事を良きこととしてすっかり“私物化”し、つい最近まで“酷使”状態だった。

 今週火曜日の事だが、いつものように撮影した映像をパソコンに入れようと繋ぐ線の差入れ口をカメラに入れようとしたところ、入らない。  (ああ、逆さまだったかな?)と思い直し再び入れ直したところ、やはり入らない。  (どうしたことか? 困ったなあ。)と腹立たしくなって来て力を込めて入れ直したところ、やはりダメだ。 娘の繋ぐ線を借りて来て同じ事を繰り返したのだが結局ダメ。
 結果として、デジカメの“線の繋ぎ口”が故障したことに気付かざるを得なかった。

 それでも“楽観派”の私は、(カメラ本来の機能を発揮するべき内部が故障した訳でもあるまいし、外部の繋ぎ口などおそらく数百円程で修理してもらえるだろう。) と高をくくっていた。

 並行して亭主に謝罪したところ、「別にいいよ。〇子(私の事)が自分のカメラをずっと有効活用していることは十分知っている。 ただ、もしかしたら修理代が高いかもしれないよ。」 「もちろん、それは私の自己負担!」と返答しつつ…

 あくる日早速、家電量販店(ビッグカメラだが)にデジカメ修理のため足を運んだところ…
 やはり亭主が言う通り、甘い話ではなかった。 何と、たかが“繋ぎ口”の故障修理に ¥10,000-以上要するとの説明だ。
 「それじゃあ、新しいカメラを購入しても価格がさほど変わらないのではないですか?」と私が尋ねると、係員氏が懇切丁寧にパソコンにて調査して下さる。 こちら側も、「最低限、この故障したカメラの性能・機能以上のカメラが欲しい」等々の要求を述べると、「カメラ技術の進化により、もしかしたら修理代金程度で手に入るかもしれない」との回答だった。
 
 そうしてデジカメ売り場へと場所を移し、私は新たなカメラを買い求めた。
 結果としては修理代金の2,5倍程の購入代金となったが、おそらく“私物化”して故障させた亭主のカメラよりも進化したデジカメをゲット出来た事だろう。


 その性能を試そうとして我が買ったばかりのカメラで撮影したのが、冒頭の“ストロベリームーン”の写真だ。

 実はこれを撮影したのは、満月前日の6月8日だった。 空が薄曇り状態の中、“ストロベリー色”とは決して言えないものの、私が過去に天体を映した中で月の表面画面が一番明瞭に撮影出来た写真である。
 満月当日(6月9日)にも我が“おニュー”のデジカメにて撮影し直したのだが、どうも上手くいかなかった。

 カメラにはズブの素人であり今後もそれを貫く意思が強い(私自身がまだまだ目指たい方面が盛沢山あるが故にカメラ撮影趣味は後回し)状態の私だが、今回の「亭主のカメラ壊し事件」により得た教訓が複数ある。
 その第1は、我が亭主が“他者の失敗に関して寛容”であること。(これは亭主との見合い段階から虎視眈々と見抜いていた事実だが。へっへ。)
 第2に、現在のカメラとはたかが線の差し入れ口への挿入を誤っても故障し、その修理代金が高額であること。
 第3に、今時の(特に大都会の)家電量販店とは決して“売れ!売れ!主義“ではなく、顧客一人ひとりの要求に時間をかけて対応してくれるとのこと。


 最後に、少しはロマンチックに“ストロベリームーン”に関するネット情報から引用して、エッセイをまとめよう。

 ストロベリームーンとは、6月の満月のことを意味するので、今年2017年のストロベリームーンは6月9日(金曜日)になります。 夏至の頃の満月は月の高度が低いことから、赤みを帯びた温かい色合いに見えるんです。
 ストロベリームーンを見ると、「幸せになれる」とか、「好きな人と一緒にみると、その人とは永遠に結ばれる」との言い伝えもあるのだそうです。
 2017年6月9日は満月です。 夏至に近い6月の満月は高度が低くなり地平線に近い位置を移動するので、朝日や夕陽が赤く見えるのと同じ理由で赤みを帯びて見えるんです。 夏至の日の太陽の高度は1年で最も高くなり、昼の長さが一番長い日となります。太陽と正反対の軌道を通る夏至の月は、出ている時間は1年で最も短くなり高度も最も低くなります。 ストロベリームーンの満月は地平線に近い軌道を通るので、月の出や月の入りに限らずずっと赤みを帯びて見えるというわけです。
 ストロベリームンの名前の由来は、ネイティブアメリカンと言われていて、6月はアメリカでは苺の収穫期だったそうで、この時期の月が赤く見えることからストロベリームーンと呼ばれるようになったのだそうです。 苺の収穫時期ではないヨーロッパでは、ストロベリームーンではなく、「ローズムーン」と呼ばれています。
 ストロベリームーンは赤みを帯びた満月が神秘的な力を宿しているように見えることや、アメリカでは苺の収穫時期ということで、「果実が熟す」ことから、「恋の機が熟す」ことを暗示しているんだそうです。
 (以上、ネット情報より“ストロベリームーン”に関する情報を要約引用したもの。)


 つい最近亭主のカメラを壊すとのアクシデントに直面した事により、偶然“ストロベリームーン” なる言葉を初めて知った私だ。
 まさに 今年の“ストロベリームーン” を直近で新しく買い求めたカメラで撮影することが偶然叶った私に、今後幸せが訪れるのだろうか!?!

実親を憎み続ける熟年者が少なくない事実に何故か安堵する私

2017年06月08日 | 人間関係
 先だって、郷里の高齢者介護施設で暮らす実母より電話が掛かって来た。


 昨年11月に介護施設へ入居後早くも7ヶ月以上が経過した現在、実母はすっかりと施設の生活に慣れ、元気に快適に暮らしているとのいつも変わらぬ電話での談話だ。

 「それは何より!」と応えつつ、既に“母親”ではなくなっている事実にいつも気付く私だ。
 何と言おうか、子どもが母親に自分の事を聞いて欲しくて電話口で甘えて一人芝居で喋くり倒している、と表現するのが適切だろう。 要するに、娘である私は常に実母の“母親役”を強制されているのだ。

 これは施設入居後に限った事ではなく、実父が60代に突然死を遂げた後に既にその“現象”は出現していた。 (まさに、私が娘を超難産で産みサリバンとして日々過酷な日々を送っていた頃からだ。)
 我が実母の場合、現在米国在住の姉には一切甘えられない様子だ。 我がままで手が付けられない姉に対しては、施設に入居後の今尚電話にて“聞き役”に徹している。 その電話の内容が気に入らない時には必ずや次女の私に電話を寄越して「米国の姉に手こずる。どうにかして欲しい。」と泣き付く。 いつも私の応えは決まっていて、「そんなに嫌ならもう介護施設入居の身だし、姉に『私も年老いたし、少しは私が置かれている立場も考え我まま電話を控えて欲しい』と直言すれば済む事でしょ。」と何度言っても、それが実行出来ないでいる。
 結局母として姉が可愛いからそういう結果となっているのだろうが、言いたい事が言い易い私にばかり甘える母の “甘えられ役”をずっと担当させられている現状だ。

 実母に限った事ではなく、義母の場合は認知症状が進んでいることもあり、もはや義母にとって私の存在とは「お姉さん」であるらしい。 いつも電話を寄越しては「お姉さん、聞いて。」と話しかけて来る。
 「あれ、間違えたかしら。何だかね、〇子さんが私の姉とダブるのよ。」と少し前までは弁解していたが、今に至っては私は間違いなく義母の「お姉さん」以外の何者でもないようだ。
 ただ義母の事例の場合、私側は何らの不都合が無いどころか“可愛らしさ”すら感じる。 それは、元々義母とは私を育てる義務など無かった人物だし、晩婚後高齢に至るまで実に厚遇して貰った故だ。(特に経済面で。

 それに比し実母に対しては、私に対する養育義務があったはずなのに、それをろくろく果たさずして私が上京し自立するに至っている。
 何で今更、“ろくろく育てていない”娘に頼りたいのか!?? との憎しみ感情が脳内で優先してしまうのだ。 しかも、“手がかかった”長女にいつも母は翻弄されていたにもかかわらず、その姉には頼ろうとしないどころか、年老いた今尚電話にて姉の話は聞いてやっているのだ。
 いやまあ私の場合は、実母になど今更何も相談することすらないのだが。 米国に渡り何十年か経過した現在尚、実母に電話を寄越し自身の辛さや愚痴を訴えねばならぬ実姉の心情を思えば、確かにその子を産んだ親としては何らかの役に立ちたいとの事なのだろう。


 さて、話題を変えよう。

 朝日新聞6月3日付 “悩みのるつぼ” 相談は、50代女性による 「両親への怒りが消えない」 だった。
 以下に、要約して紹介しよう。
 私は小中学生の頃、父から性的虐待を受けた。 その後自分が産んだ子供が中学生になった頃に当時の自分とだぶり、周囲の人に打ち明ける事で少しは楽になった。
 しかしその後父が自殺した。 今80代になった母は当時「私だって苦しかった」と言う。 昨年私が胃癌手術を受けた際「なんで胃癌になったの? お酒の飲み過ぎでは?」と言われ、蓄積してきた怒りが爆発し、「母親である貴方にそんな事を言われた事こそが人生最大のストレスで、病気もそれが原因だ。お見舞にも来ないで!」と言った。
 毒づいたことは反省していないし、私を守ってくれずそれを反省もしていない母に対し怒りが激しくなるばかりだ。 
 現在の夫は私を守ってくれる人で、とても幸せだ。 彼は「もういいだろう」とも言うが、私には両親に対する怒りが消えない。 どうすれば解放されるのだろうか?
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”より相談内容を要約引用したもの。)


 ここで一旦、私論に入ろう。

 上記相談内容とダブる部分がある。

 私が郷里に帰省して酒を飲むと、決まって実母が「あんたは何でそんなに酒を飲むのか。そんな事では人生ダメになるよ」といつも意味不明にたしなめるのだ。
 そう言う割には、亭主が酒を飲む事に関しては何も言わない。 これぞ「男女差別意識」に基づいた発言だったのだろうし、あの過疎地では女性が酒を飲む事に慣れていない故の発言だったのかもしれない。 好意に解釈するならば「酒とは害ばかりある」と信じて疑がっていなかった実母が、娘である我が身体に及ぼす害を回避せんとしたのだろうか??
 そうだとはしてもこの実母の見識浅く否定的で歪んだ配慮がとことん嫌で、私はその後郷里帰省時には必ずやホテルを予約し、昼間のみ実家を訪ねて決して実家に宿泊する事は無かった。 

 
 歌手・俳優であられる三輪明宏氏の“悩みのるつぼ”ご解答内容のごく一部を以下に紹介しよう。

 回答者である貴方は現在、夫も子供もいて幸せなのですね?  その幸せである現状を、きちんと認識して欲しいと思う。
 貴女のお母様に関してだが、耐えて耐えての人生だったと思いますよ。 お母様は苦労人だったことでしょう。 
 不幸の経験がある人は、だからこそ、ささやかな幸せを感じる事ができます。 貴女なら、「あの不幸な出来事も、今の幸せを10倍も20倍にも感じられるような土台」と思って、これからは前を向いて欲しいです。


 最後に、原左都子の結論でまとめよう。

 何事も短く美しく過ぎ去れば、すべてが素晴らしい記憶として残りそうに私も思う。

 ところがどうしたことか、現在私が保証人として抱えている義母・実母の介護保証人責任が長引きそうなのだ……
 両人共々、本人からの体調不良訴え及び「病院・医者好き」に反し、現在のところ何らの致命的症状が無いのだ。
 どうかそれを自身の長所として長生きするに越した事はないのだろうが、両人共々医学専門知識が皆無のまま他力本願に長生きしそうな現状だ。

 これが大変!
 義母よりの「お姉さん、話聞いて」はよしとして…、
 実母よりのいつまでも「私が産んだ姉妹の妹のあんたが私の戯言を聞け!」と言わんばかりの電話に、今後何年付き合えば私は自由解放されるのやら…

帝王切開麻酔ミスで母娘植物状態ニュースに背筋が凍る…

2017年06月06日 | 医学・医療・介護
 いえいえ、私の23年半前の「帝王切開手術」の場合は決して「麻酔ミス」ではなかっただろう。

 私の事例は、行きつけの産婦人科医院より救急車にて大病院へ運ばれた後の緊急帝王切開手術だったため、むしろ麻酔が効かないまま手術に入った。
 
 手術室が切羽詰まった雰囲気の中、麻酔が効かず激しい陣痛の痛みが収まらず悪寒と全身の震えがガタガタと止まらない私はすぐさま手術台に寝かされ、何人かの看護師氏に押さえつけられた状態で腹部切開に入った。
 「痛い!やめてくれ!!」と何度大声で叫んだ事だろう。
 お腹の赤ちゃんが取り出される時に、腹部が陰圧状態になるのを実感した。 この時初めて、子どもが体内から外に出されたと一旦安堵出来た。
 その後直ぐに腹部縫合に入るのだが、この一針一針がグサリグサリと耐え難く痛い! 「もういい! やめて! 早く終わってくれ!」を何度か叫んでいるうち、手術は終了したようだ。
 憔悴し切っている私の耳に「脈拍はいくつ!」「血圧はいくつ!」等々の看護師氏の切羽詰まった声が響く。
 これで私の命は絶え果てるのか……  と覚悟を決めかけたところ、

 死にかけていたのは娘の方だった… 

 既に救急車の中で、連続した激しい陣痛と「いきみ」に襲われていた。 手術前に「いきみ」が抑えられずいきむと「いきむな! 我慢せよ!」の看護師氏のご指導。  
 体内で逆子だった娘を普通分娩で産んだのでは必ずや死に至ったであろう事を鑑み、生きさせるための緊急帝王切開手術だった。

 そうやって仮死状態で誕生せざるを得なかった娘とサリバン母である私との二人三脚の人生が、23年半前に開始し現在に至っている。


 本日(6月6日)午前中、帝王切開手術に関する悲劇のニュースを見た。

 以下に紹介しよう。
 帝王切開の際の麻酔のミスにより、妊婦だった女性(38)と生まれてきた長女(1)がともに寝たきりの植物状態になったとして、女性の夫(37)と両親らが、京都府京田辺市の医院を相手取り、損害賠償を求める訴訟を京都地裁に起こしたことが5日分かった。
 「1時間くらいで生まれてくるだろう」。 新たな家族と対面するうきうきとした気持ちは、一瞬で暗転した。 産科麻酔のミスで妻子ともに意識障害に陥ったとして、入院先を提訴した夫(37)が同日、取材に応じ「妻と娘に対する責任をとってほしい」と心境を明かした。
 無痛分娩が浸透している米国に夫婦で暮らしていた経験から、麻酔投与にもともと抵抗はなかった。 今回の医院を選んだのも自宅近くにあり、ホームページで無痛分娩の実績をアピールしていたからだ。
 長男(2)も同医院で無痛分娩により出産。それが「人生最良の日だった」という。長女も同じようにするつもりだったが、逆子のため帝王切開をすることに。 それでも夫妻に不安はなく、新たな最良の日を迎えるつもりだった。
 分娩当日、別室で待機していると、妻に呼びかける大きな声と、頬をたたく音が漏れ聞こえてきた。 室内に入ると、真っ青な唇で意識を失った妻がいた。 体も冷たくなっていた。
 そのとき医師からは「アレルギーショックだろう。大丈夫です」と説明を受けたという。 だが搬送先の総合病院では「全脊髄麻酔の影響だろう」と言われた。「麻酔方法、管理のミスがあった」との疑念が深まった。
 あれから1年余り。 入院を続ける妻のもとへ週4回は通っている。 長く植物状態だった妻は最近ようやく、目配せやうなずくことができるようになった。 だが、首から下は一切動かないまま。 別の病院にいる長女は自発呼吸ができない危険な状態が続く。 泣き声は一度も聞いたことがなく、対面するたび心の中で長女にわびているという。 夫は「長男も入れて家族4人で遊びたかった。今も絶望の中にいる」と話した。
 (以上、ネットニュースより引用したもの。)


 偶然ながら、上記の現在植物状態を余儀なくされている妊婦だった女性と私が娘を緊急帝王切開手術にて産んだ年齢が38歳と同一だ。
 私が出産してから既に23年の年月が流れ、現在に於いては30代後半以降の女性の高齢出産は珍しくもなくなっているのかもしれない。

 何が運命を分けたのか?


 私の場合も、出産直後はそれはそれは大変な目に遭った。

 手術後、担当医師より患者である私本人には何らの説明もなかった。 看護師氏等にそれとなく質問しても、「誕生後直ぐに保育器に入れた。当病院では帝王切開手術の場合いつもそうしている」と応えたのみで、後はノーコメントだった。 どうやら娘が「仮死状態」で誕生した事実は、病院の方針により伏せられていたようだ。
 出産に際し待合室にいた義母が手術を終えた医師を掴まえて、「手術はどうでしたか?」と一言聞いたところ、「赤ちゃんの頭部が圧迫状態だったため、もしかしたら後々脳に障害が出るかもしれません。」と応えたとのことだ。
 私が義母からその話を初めて聞いたのは、なんと!娘が2歳になった時だ。 その頃「2歳過ぎても発語が出ないし、誕生以来どうもすべてに於いて発育の遅れがあるような気がする。」と私が騒ぎ始めた時に、やっと亭主を通して私に告げたのだ。
 「何でそんな大事な事を医学関係者である私に今まで黙っていたの!!」と怒り心頭の私に対し、「〇子の産後の体調が良くなかったし、一見して娘は普通に見えるし、何も大騒ぎして〇子にさらなるダメージを与えるのはやめよう、との自分と義母との〇子に対する配慮だ。」との亭主の話だった。

 それからが大変。 直ぐに専門病院へ娘を同伴して詳細に及ぶ問診や諸検査等を実施した。 そうしたところ、医師の診断はやはり「発達に若干の遅れが見られる」との結論だった。
 その時点から私は「サリバン先生」と化し、本格的に娘との二人三脚の歴史を歩み始める。

 ただ後に考察するに、確かに義母と亭主の判断は正しかったとも思えるのだ。
 何らかの障害を抱えていようが、(特に脳の場合)それが顕著に表出し始めるのは2歳頃からかもしれない。 出産後の体調の悪い時期に、もしも「あなたが産んだ子は脳に障害があるかもしれないわよ」と義母に言われたものならば我が体調は悪化を辿り、もしかしたら産んだ我が子の子育てもままならなかった事態も考えられる。
 今となっては、よくぞまあ義母はそんな“医師からの衝撃発言”に2年間も一人で耐え忍んでいたものだと、感謝の念すら抱く。
  

 話題を、上記ネットニュースに戻そう。

 この事例の場合、明らかに帝王切開手術担当医師のミスが認められそうだ。 手術時の麻酔ミスを、「アレルギーショック」と医師が家族に告げている故だ。
 何故、麻酔ミスならそうと当初から告げなかったのだろうか???


 最後に、私論に入ろう。

 我が出産時の経験から考察して、赤ちゃんとは妊婦が普通分娩で産んでくれさえすれば、担当医師としては「頑張れ!」と声掛けだけすれば万々歳である事実も重々承知している。
 私が24年程前に通っていた産婦人科医院でも、医師があからさまに高齢妊婦である私に常に辛く当たっていた事実に鑑みて、マイナスイメージでそんな事は重々承知だ!

 我が記憶によれば、「普通分娩」で産もうが「帝王切開手術」で産もうが “保険点数”が同一との記憶があるのだが…
 これでは、担当医師が「帝王切開手術」に及ぶに当たり、「何で帝王切開が必要な鬱陶しい患者に当たってしまったのか!?!」と落胆するのが患者側の私にも目に見えてしまうのだ。

 ここは、健康保険制度の改革を要するのか、と考えたりする。
 母体から生まれ出る命に格差がないとしても‥…
 それを取り上げる医師側にその技術格差が現存しているとするのならば、医師側の意見を少しは聞いてみるのも良いかもしれない……
 むしろ、そうでもして貰わない事には、高齢にて出産したい女性達にとっては医師側の差別待遇に耐えられないと言いたくもある。
 高齢出産経験者としては、「自費でカネ出すから、万全を期した体制下でちゃんと産ませてよ!」 と主張したくもなる。

パズル「推理」 (朝日新聞2017.6.3編)

2017年06月05日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2017.6.3 付パズル「推理」に原左都子が解答したもの。)


 朝日新聞パズル「推理」ファンの皆様、お待たせ致しました。


 今回の「推理」課題は、難易度4 にしては解答に手間取りませんでしたか?

 実はこの私も、3日土曜日午後に一度取り掛かり、そして昨日4日日曜日午後にも再チャレンジして失敗し、本日先程 “人払い” をして集中して取り組んだところ、やっと解答が叶った次第です。


 これ程朝日新聞「パズル」解答に難航したのも珍しいのですが。 
 何分、土日は家族皆(と言っても私以外は亭主と娘の2名ですが)が料理嫌いの私が作る“まず飯(めし)”(我が家では私の料理をこう自称しています)を指をくわえて待っているし。
 更には特に先週末は日本選手大活躍の「世界卓球」を見なきゃならないし状態で、得意の集中力が途切れざるを得なかったのです。
 (参考ですが、昨日当エッセイ集にて公開した東京都知事小池氏“都民ファースト”候補者に関する時事論評エッセイなど、当該「推理」解答に時間を要した挙句公開を諦めた後に、わずか30分程の時間で執筆し公開に持ち込みました。 元々の予定では公開日が逆で、この「推理」を昨日公開したかったのが我が意向でした。)


 そんな私が今回採用した手法とは、決定項目に「赤印」を付けるとの手段でした。
 設問を読み、動かしようが無い決定事実(例えば、笠井さんが「ぬいぐるみ」、佐々木さんが「本」と言っている事実、あるいは深沢さんが「ぼく『写真』でない」と話している項目の 〇✖ に「赤印」を付けたのです。

 その後取り組んだのは、箱数の計算です。
 「誰それの2倍」「誰よりも6箱多い」「ピンセットの人は時計の人より6箱多い」等の言葉を、「?マーク」を付けながら回答欄に書きこみました。
 
 その「?マーク」をじっくりと精査して行き、全員の箱数が決定しました。
 その後は、比較的簡単に解答が進んだとのいきさつです。


 話題を大幅に変えましょう。

 私がパズルやクイズを愛好している話題は「絵むすび」も含めたパズルバックナンバーに幾度か記しています。
 
 そんな私が最近はまっているのが、某無料ポイントサイトの「脳トレ」なるいわば子供相手の“IQテスト”のような課題です。
 これを毎日解答する事によりポイントが貯まるのに加えて、日々の自分の“脳年齢”が発表されるのです。

 この某ポイントサイトをネット上で発見したのが3月頃。 その後、旅行中以外は一日も欠かさずこの「脳トレ」に励む私です。(参考のため、5問程の出題群を3ゲームこなして約5分程度の所用時間ですが。)
 その3ゲームの中の最高得点が「本日の自分の“脳年齢”として1週間程記録されます。(参考ですが、自分のみが閲覧でき非公開です。)

 これを3ヶ月程実施している身として面白いのが、その学習効果と共に日々解答率が上昇するとの事実です。 また、出題項目により“得手不得手”があるのは当然として、“不得手”な出題にも高得点を出したい!と頑張り力を発揮すると必ずや得点が上昇するのも嬉しいものです。

 それで一体全体、現在の私の“脳年齢”が何歳とのネットの判断かと言えば…… 
 「31歳」との判定が出ているものの、相対評価不能なためこの判定年齢が如何なる評定なのやら不明なのに加えて、実はさほど「31歳」判定が嬉しくも無いのが正直なところかもしれません。 (自分としては25歳程を期待したいかも!?! 所詮無理なのかなあ……)

 更に面白いのは体調不良時や飲酒時にこの「脳トレ」を実施すると、とてつもなく高年齢結果となるのは私も納得出来そうです。

 ご興味がある方にはそのサイトをお教えしたくもありますが、何分“CMだらけ”のサイト故にここでは控えるべきでしょう。
 おそらく私同様にパズルやクイズファンの皆様は、既にそのサイトをご存知かもしれませんね。