原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

安倍首相の「こんな人達」発言にみる個々の人権蔑視の姿勢

2017年07月23日 | 時事論評
 私は、昔から「皆さん」「みんな」なる言葉に嫌悪感を抱いている。

 天邪鬼の私がこの言葉を聞かされても、咄嗟に「『皆さん』って一体誰だ?!?!  あんたは誰にものが言いたいんだ?、 明確にしてから発言せよ!」 との反発心しか湧かない。
 そんな私にとっての「皆さん」なる言語とは、発言者側の独裁者としての一種特権意識が背後に潜んでいるかのような恐怖すら煽られる感がある。


 この言葉を好んで発するのは、主に学校の教員達だ。

 確かに便利な言葉なのであろう。
 クラス全体を対象に話しかけるに当たり、とりあえず「皆さん」と発しておけば、クラスの皆が聞くだろうと自己陶酔に陥ることが可能だ。

 いやいや、(何度も書くが)子供の頃から客観力があり生徒の役割を果たすべきと悟っていた私は、自分の天邪鬼気質を押し殺してでも必ずや教員達の「皆さん、…」発言は聞いたものだ。
 むしろ理解力に長けていた私は、クラスの誰よりも教員の「皆さん話」の要点を把握したことだろう。 そんな私は、(一時の反抗期を除き)ずっと「いい子」で通って来た。

 年月が経過して、自らの教員時代はどうだっただろうか?
 おそらく既に「皆さん」発言に嫌悪感を抱いていた私は、生徒達の前で決してこの言葉を使用しなかった気がする。 いや、この言葉を発せずして用が足りた気もする。 「皆さん」と言わずして簡単な挨拶の後、要件を生徒達に伝えたように記憶している。 
 「皆さん」と冒頭に付けようが付けまいが、聞く子は聞く、聞かない子は聞かない、学校現場とはそういうものであり、それぞ集団現場に於ける性(さが)でもあった事だろう。


 話題を大幅に変えよう。

 去る2017.7.2に開催された都議会議員選挙の選挙戦最終日に、自民党候補者応援のため秋葉原駅前にて演説した安倍首相の口から出たのが、「こんな人達」 との驚愕するべき発言だった。 
 その時の事の詳細を新聞情報より少し説明するなら、この秋葉原の安倍氏の演説に集まった多くの市民より「安倍辞めろ!」「帰れ!」が連呼されたのに対し、安倍氏が発したのが「“こんな人達”に負けるわけにはいかない」との雄たけび発言だったそうだ。 

 これに関するニュースをその日の夜テレビにて見聞した私は、実に驚かされた。
 安倍氏にして決して不思議・不注意とは言えない発言であろうが、これで完全に「国民を更に敵に回した」と私は実感させてもらうと共に、これで安倍政権は更に支持率を下げるものと安堵したものだ。


 ここから安倍氏の「こんな人達」発言に関する私見を述べよう。

 このニュースを見聞して私が感じたのは、恐らく安倍氏は国民(特に安倍政権)を支持してくれるあくまでも “不特定多数の得体の知れない” 国民を「皆さん」と捉えているのであろう事実だ。
 実際安倍氏の演説等々で「皆さん」発言を多発している実態とも把握している。
 これぞ、安倍氏が“安倍独裁政権”を牛耳る独裁者たらんと希望するべく発言であろうと、私はずっとマイナスの意味合いで理解して来た。

 もしかしたら安倍氏は、その対極発言として「こんな人達」なる信じ難い発言を公衆の面前で深い思慮もなく発してしまったのではあるまいか??!
 安倍氏にとっては、自分を今までずっと支持してくれた(あくまでも得体の知れない不特定多数の“なんとなく”の支持派も含めた)国民達こそが自身の味方であることには間違いない。
 それらの人々との“差別化”の意味合いで、「こんな人達」なる発言を安易に発してしまったのだろう。

 原左都子の私論だが。

 冒頭に記した通り、そもそも「皆さん」なる発言の意味合いを安倍氏自身が今一度深く考察してみるべきだ。
 安倍氏が言うところの「皆さん」とは、その実態が実に不透明な存在である。 (それは、縮図であろう学校現場において教員が生徒に発する場合も同様だが。) 
 その対極にある 「こんな人達」 発言は、明らかに安倍政権の支持率を急降下させる元凶だったものと私は理解している。


 さてここで、朝日新聞2017.7.20 記事に、大学教授 蟻川恒正氏による 「『こんな人たち』首相発言 国民を『個人』と見ぬ不明」と題する記事より、最後の結論部分のみを紹介させて頂こう。

 政権批判をすることは、市民にとっては危険をおかすことである。 それでも声を上げた小さな個人の葛藤を決断を組織による動員と見誤る政権は、国民と向き合う自己の姿勢を反省することもできないだろう。
 政権が未だ事態をわきまえぬ中で、自らの発意にもとづく政治的判断を積み重ねた個人が力を示すのは都議選だけではあるまい。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 私論が上記蟻川氏の結論と異なるのは、最後の部分 「都議会選」にて小池氏の勝利を蟻川氏が肯定している箇所だ。
 これに関する私論は、とりあえずは「自民党都議連」に小池氏が勝利した結果は肯定するものの、「都民ファーストの会」の存在を完全肯定するに至っていない点だ。 これは原左都子として是非ともここで明記しておきたい。
 その上で、蟻川氏が政権批判に声を上げた市民に対する安倍政権の姿勢をバッシングしている部分に同感する。

 「皆さん」って一体誰だ? 
 これを権力者を自称する者達が明確に定義した上で、その呼称を底辺に存在する庶民に発信して欲しいとの我が思いに変わりはない。

 それと並行して、「こんな人達」と大失言してしまった時の人物 安倍さんにも提言したい。
 今後、公の場で発言する機会があるならば、「皆さん」も「こんな人達」も取りやめて、単に挨拶だけして自分が言いたい事を発言したらどうなのか?!?
 皆に自分の偏った思想を聞いてもらえると信じるその“奢り感覚”こそが安倍氏の思い上がりであり、それこそが貴方の独裁資質に他ならないだろう!?

失言と疑惑のデパート稲田さん、尚首相にかばって欲しいのか!?

2017年07月20日 | 時事論評
 冒頭より、稲田朋美防衛相が去る3月に「報告ない」と国会答弁したPKO日報問題に関する最新のニュース報道を要約して引用しよう。

 南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊が作成した日報を陸上自衛隊が「廃棄した」と説明しながら保管していた問題をめぐり、防衛相の特命に基づく特別防衛監察の報告書がまだ出ていない。 来月8月3日を軸に検討されている内閣改造では、稲田朋美防衛相の交代論が強まっている。 その前に結果が公表されるかが焦点だ。
 PKO日報をめぐっては、陸自が情報開示請求に対し「廃棄した」と説明したが、実際には陸自内に日報のデータが保管されていたことが判明。 従来の説明と異なることから、データを消去するよう指示が出された疑いが持たれている。 特別防衛監察では、現役の検事らが100人を超える関係者に繰り返し聞き取りをし、誰の判断で非公表になったのか全容解明を進めている。
 今回の調査は3月に始まった。 過去の特別防衛監察の中には、調査期間に1年以上を要した例もあったが、防衛省関係者は「稲田防衛相の任期中に報告書を出すのが筋だ」と指摘。 内閣改造前に調査結果を公表する方向で調整を進めているという。 稲田氏も先月20日の記者会見で「しっかり説明したい」と語っている。
 (以上、ネット情報より要約引用したもの。)
 

 本エッセイ集2017.3.16付 「稲田朋美さん、虚偽答弁に隠蔽工作、もう辞任しかないですね」と題するバックナンバー内で、私は当該PKO日報問題及び稲田氏ご本人に対する印象等を述べている。

 以下に、その一部を再度掲載させて頂こう。
 
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報問題に絡み、防衛省が「陸上自衛隊には存在しない」と説明してきた日報の電子データが保管されていたことが15日判明し、野党は稲田朋美防衛相への攻勢をさらに強める構えだ。  「16日の衆院安保委員会で追及する。即刻辞任してもらう必要がある」  民進党の山井和則国対委員長は15日夜、産経新聞の取材に対し、「稲田氏は虚偽答弁に次ぐ虚偽答弁をしたことになる」と指摘した。 同党参院国対幹部も「政権の致命傷になる。もう稲田氏はもたない。安倍晋三首相にまで波及するのではないか」と勢いづいた。
 本日(3月16日)昼のNHKニュースでは、この民進党の稲田氏への辞任要求を受け、自民党菅官房長官が特に南スーダン日報データ保管に関して稲田氏を弁護する発言をする映像が映し出された。
 原左都子の私論だが、これが笑える。 「稲田大臣は今後防衛省の日報管理を厳格に徹底すると発言しているのだから、ちゃんと大臣の役割を果たしていて辞任の必要はない」 (正確ではない点をお詫びします。)   菅氏も苦し紛れに手抜きの弁護発言をして、墓穴を掘ったものだ。 国家機密の日報データを一時喪失したと発表した時点で防衛省トップの稲田氏の責任が問われるべきで、その時点で辞任しても少しもおかしくない話だ。
 ここで原左都子の稲田氏に対する印象だが、安倍首相の“操り人形”そのままで、自身の内面に秘めているはずの人格の程が一切感じ取れない人物だ。   国会答弁等に立つその姿は、まるで“アンドロイド”。 顔面は“能面”を被っているがごとくにいつも無表情。  答弁に立った際、その“能面”の口から言葉を発するのだが、どこまでが本心でどこまでが演技なのか、その無表情と共に捉えにくい人物でもある。(実際、“超右翼”は単に表向きのセールスポイントに過ぎず、内面に何のポリシーも無いのではないかと私は疑っているのだが…) 原左都子の推測だが、稲田氏とは実は本気で「本音(自己)」が無い人物なのか?と感じるふしもある。  あくまでも安倍首相の“アンドロイド”に徹する事こそが自らの生き甲斐であり、それこそが最高の自分の人生と信じ、今を生きているような感覚すら抱かされる。
 原左都子の私論でまとめよう。
 現在(3月当時)の稲田氏に関して、与党自民党内からも“指導的発言”が出ていると見聞している。  遡って、野党や世の動きを真剣に考えている国民が、貴女の今後の動向を如何なる視点で注目しているのか稲田氏ご本人はご存知なのだろうか?   真に一国の大臣(特に「防衛大臣」との差し迫った危機にも対応せねばならぬ)職責をご自身が真に全う出来る能力ある人材か否かを、少しは“アンドロイド”の兜を脱ぎ、自身こそが再考されては如何か?  
 日本は決して安倍独裁国家ではない。 国家は大日本帝国憲法の時代から既に大きく移り変わっている。 その事実を稲田氏が如何程に理解した上で、現職防衛大臣としての任務を果たそうとしているのだろうか?   大抵の見識ある日本人(少なくとも私の周囲の国民達)は、稲田氏の愚行の数々に愕然としていますよ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」2017.3.16バックナンバーより一部を再掲載したもの。)


 朝日新聞本日7月20日の記事によれば、そんな疑惑渦中の稲田氏を安倍首相は今更ながら“かばって”いるのだそうだ。

 私論だが、国民の支持率を大幅に下げ8月に内閣改造を余儀なくされている安倍氏が、この後に及んで失言を繰り返し疑惑続きの稲田氏を“かばう”行動に出るとは、呆れるのを通り越してせせら笑いたくもなると言うものだ。

 朝日新聞記事よりの引用だが、「問題発言が続く稲田氏と、かばい続ける首相。 そんな2人の姿勢が、国民から不信を招く要因となっている。 稲田氏は先の都議選の応援演説で、自衛隊の政治的中立性を侵しかねない発言をしたばかり。 首相周辺からも『早く辞めさせておけば良かった』との声が上がる。」


 最後に、原左都子から “失言と疑惑のデパート” 稲田さんへメッセージを贈ろう。
 
 貴女は、先だっての都議会選挙時に「自衛隊の政治的中立性を侵害する演説」を堂々と実行してしまった時点で、自ら引責辞任するべきだった。

 それまでにも幾多の失言を深い思慮もなく繰り返している貴女だが…。 
 私が認識している限り、あの「自衛隊演説」は防衛大臣との立場にありながら一体何を血迷っているのか?!?と心底呆れさせられ、一国民として怒ると言うよりもまさに“失笑”せざるを得なかったものだ。
 弁護士でもあられるらしい貴女が、ご自身で十分に理解・吟味した上での言動だったのだろうか?? 

 繰り返すが、稲田朋美氏との人物とは、“超右翼”であることを売り物にしていたが故に、それだけの理由で時の首相である(同じく右翼思想の)安倍氏に内閣の要人扱いで取り上げられた、という事だろう。
 稲田さん、貴女はそんなことで満足だったのだろうか?
 8月初頭の内閣改造で貴女は“やっと”閣僚を外されるらしいが、今後どう身を振るのか、国民の一人として観察しようかなあ。
 いや、元々貴女のような “他力本願” 思想の生き様の人物に一切興味がない私としては、そんな趣味もないなあ。

やはり異才的魅力を放つ藤井聡太四段

2017年07月17日 | 教育・学校
 ここのところ本エッセイ集に於いて藤井聡太四段に関するエッセイ執筆が続き、原左都子が藤井四段のファンである事がバレバレだろうが… 

 いやはや男も年齢にかかわらず “聡明さ” と “可愛らしさ” を備えていれば、これ以上ない魅力!! だよねえ~。


 プロ棋士デビュー以来29連勝を達成し、新記録を樹立した将棋の最年少棋士・藤井聡太四段(15)。
 デビューから負けなしで連勝を続け、四段棋士としては異例となる公式グッズも多数作られるなど“藤井フィーバー”は社会現象となっている。 そんな藤井四段に現在CMなどのオファーが殺到している。 関係者によると、4月に放送されたインターネット番組で羽生三冠を破った頃からオファーが届き始めたといい、現在は大手企業からも依頼が複数寄せられているという。 ファンクラブ結成の動きも進み、地元の愛知県瀬戸市は藤井四段へ、市としては初の試みとなる「広報大使」を正式に打診するプランも暖めている。
 その一方で、藤井四段の周囲は冷静だ。 連盟関係者は「現時点ではCMを引き受ける余裕がない」と話し、別の関係者も「連盟としては受けない方針」と明かす。 師匠の杉本昌隆七段(47)も「勉強時間が減るだけで、彼の時間をつぶすことになるので…」と慎重だ。 藤井四段の母・裕子さんも20日に瀬戸市で行われたファンイベントで「聡太が大人になったら少しは、瀬戸市のPRも出来るのではないかと思っています。それまで、学業との両立の間は何卒そっと見守って頂きますようお願い致します」とコメントを寄せた。
 取材を進めると、藤井四段の周囲は広告などを引き受けることに慎重な声が多い。 棋力が伸びやすい大事な時期に将棋に向き合って欲しいとの思いが強いようだ。 関係者によると、杉本七段は藤井四段がプロ棋士になった際に「イベントなどで将棋の普及をするのではなくて、将棋に勝ってタイトルをとることが一番の普及」と伝えていたという。 周囲の意向もあり藤井四段も当面は将棋と学業に専念することになりそうだ。  
 (以上、ネット情報 デイリースポーツより一部を引用したもの。)


 この藤井四段が、2017.7.15付朝日新聞 別刷「be」トップ記事 「フロントランナー」に取り上げられていた。
 半面大伸ばしの藤井四段の写真は、自宅リビングルームソファーにてスマホ片手に満面の笑みで寛いでいる風景だったが。
 ただ残念ながら私の好みは、いつものうつむき加減で伏し目がち、控えめな雰囲気にもかかわらず何とも愛らしい藤井四段だ。 あの自然体の表情こそが藤井四段の内面に秘めた聡明さと能力を決定付けるものであり、ファンとして惹きつけられる魅力があるのではなかろうか。


 この朝日新聞記事内で、原左都子なりに興味深い内容が2カ所あった。

 その一つは、「高校進学するか?」と問われた箇所だ。

 私見だが、確かにこれ、今後の藤井四段の棋士人生及びその後の人生に大きくかかわる重要な課題だ。
 もしも私が藤井四段の親だったなら、如何なる結論を下すだろう?  いや、これは自分の子が藤井四段程の天才に恵まれなければ親として一切悩まなくて済む課題でもあろう。 お陰で実際私は(サリバンとしての大きな課題はあったが)その種の天才の子を持ったが故の厳しい課題を通過せずして、ここまで来れたが…
 
 この質問に対する藤井四段本人の回答は。  「まだわからないですね。」
 ここで取材に同席していたらしき藤井四段の母親氏曰く、「中高一貫校に通っているので高校へは行けるが、出席日数が足りるかどうか。 今は本当に先のことが予想できない。」

 私見だが、まさにお母上がおっしゃる通りであろう。
 棋士天才肌の藤井四段にしてしばらくはこのまま天才棋士人生を歩めそうだが、将来の展望など誰とて予測出来ない。 親の立場としては、高校程度は卒業させておかねばなる、一般庶民感情も拭え去れない感覚なのだろう。 
 そうした場合、むしろ大学生時期にプロ棋士になる方が、棋士道で失敗した暁にはその専門分野で身を助けられるとのメリットがあるのだろうか?  いやいや、結局どちらもお先中途半端となるのが見通せてしまうとの厳しい事態か??
 

 さらにもう一カ所、朝日新聞の取材に回答した藤井四段の回答内容に私は惹きつけられた。

 その質問とは「(学校で)苦手な科目は?」なのだが。
 それに回答して藤井四段曰く、「美術です。 鉄板ですね、これは。 何で絵を描かないといけないのか、わからないんです。」  同席した母曰く、「納得がいかないことはやろうとしない。“適当にやっておけばいいんじゃない”ということが聡太にはないんですね。」 

 いやはや、原左都子も藤井四段とまったく同じ感覚を抱き続けた児童・生徒時代だった。
 私も図画工作の授業を忌み嫌っていた。 教員から絵を描け、工作物を作れと強制されたとて、何故そんな事をせねばならないのか意味不明と認識し、不快感に苛まれ続ける義務教育時代だった。 
 同じく、家庭科の調理実習で集団グループで料理を作れ!と言われても、そんな事したくもないのに何故… との無念感覚に苛まれ続けた。
 体育授業に於いて、幼き頃「逆上がり」せよ、「跳び箱」飛べ、と強要されようが、一切やりたくない私にとっては拷問に近い感覚があった。

 これらは一例に過ぎないが、藤井四段が美術の授業で“鉄板に絵を描け!と強制され「何故それをせねばならないのかが分からない」と回答している事実に、この私も救われる思いがするのだ。 そして藤井四段の場合、棋士としての快進撃があったからこそ、学校現場に於いてその分野を通り過ぎる事態が許されたのであろう。
 片や、そんな藤井四段の深層心理を母親氏が理解し、藤井四段の決断を支持しているところも素晴らしい。 そうであるからこそ現在藤井聡太四段なる類まれな天才棋士が育ち、現世で活躍を続けているとの事であろう。


 更に、朝日新聞質問、及びそれに対する藤井四段の回答を紹介しよう。

 「何歳でタイトルを取る、もしくは名人になるイメージがあるか」 との質問に対する藤井四段の回答。
 「10代ピークから20代前半でピークに達していないといけないと思う。」

 「20歳の時の自分のイメージは?」 (藤井四段25秒ほどの沈黙の後)「今の自分とは比べものにならない程に強くなっていたい。」

 「では、30歳の時は?」 藤井四段応えて「いやあ、30歳の時はもう落ち目じゃないですかね。」


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 これどう考察しても、未だ15歳にして藤井聡太四段を「天才」と位置付けずして他に表現しようがないのではなかろうか。
 もしも藤井四段が現在15歳との年齢下において、自分自身の30歳時の状況を冷静に「落ち目」と本気で判断しているとするならば、既に彼なりのプロ棋士たる人生展望をしっかりと描けているような観も抱かされる。
  
 そうだとしても、藤井四段が未だ経験していない世の数々の分野も多い事だろう。
 これから藤井四段が如何なる人生を歩むのかは、まだまだ大人への入り口として始まったばかりの時期ではなかろうか。
 現在プロ棋士である貴方の一ファンとして、藤井聡太くんとの男の子が今後如何なる人生の道筋を選択し歩むのか、一庶民の立場でも楽しみに見守り続けたいなあ。

中国が最も恐れた人物 ノーベル平和賞受賞者劉暁波氏の死

2017年07月15日 | 時事論評
 劉暁波氏が亡くなった後に報道にて知ったのだが、どうやら私と劉氏は同い年だったようだ。
 享年61歳。 去る7月13日に末期の肝臓癌にて病死した劉氏は、1955年生まれだったらしい。


 以下に、朝日新聞2017.7.14付記事より劉暁波氏に関する略歴を引用しよう。

 劉暁波氏の名が多くの人に知られる事になったのは、1989年に北京の天安門広場で起きた民主化運動だ。 米コロンビア大学にての研究活動を中断して北京に駆けつけ、学生らと一緒にハンガーストライキに加わった。 当時30代と若く、勇敢で論客として頭角を現していた劉氏はリーダーに適任だった。
 その劉氏が一貫してこだわったのは、非暴力の抵抗だった。 銃はおろか、棒を持つことさえ許さなかった。 劉氏は学生に向かって「恨みを捨てよう。恨みは私達の心をむしばむ。私達に敵はいない。理性的に対話しよう。」と訴え続けたという。
 1995年に、天安門事件の犠牲者の名誉回復を訴えて拘束され翌年されたものの、天安門事件に関する文章を発表したのが原因で、司法手続きがないまま労働教養所に3年間収容される。
 その後、「08憲法」を起草した事により国家政権転覆扇動容疑で2009年に逮捕され、翌年懲役11年の判決が確定。 
 2010年、服役中に「ノーベル平和賞」を受賞。 この際、劉氏は面会した妻に「賞は天安門事件の犠牲者に捧げられたものだ。 僕はその代表に過ぎない」と言ったらしい。 賞受賞にかかわらず、中国当局による言論締め付けは緩むことはなかった。 天安門事件の民主化リーダー達の多くが国外に逃れたが、劉氏が国内に残ったのは、中国の民主化と民衆の力を信じていたからだ。 劉氏の行動は常に監視され、国内旅行もままならなかった。 その代わり、作家や学者、記者ら多くの友人が劉氏の下に集ったらしい。
 劉氏は08年に拘束されるまで、国外のサイトに多くの文書を発表。 独立中国語ペンクラブの会長を務め、民主系ネットメディアも主宰した。 
 劉氏は、「私は、未来の自由な中国が訪れることに対して、楽観的な期待に満ちている」 「自分の国が自由に意見を言える国になることを待ち望んでいる」 「私は、中国で綿々と続いてきた文字の獄の最後の被害者となり、今後は言論を罪に問われる人が二度とないように望んでいる」 等々とも述べている。
 劉氏の知り合いは、「彼の肉体がなくなっても、その思想はこの土地に根を伸ばし、力強く育っていくだろう」と述べている。
 (以上、劉暁波氏に関する情報の一部を朝日新聞記事より引用したもの。)


 私事に入ろう。

 1989年に起きた天安門事件は、私も当然ながら記憶している。
 当時、(後で思えば)劉氏と同じく30代半ばだった私は、二度めの大学・大学院で学問に燃えていた時期だ。
 劉氏程の才能も無ければ、産まれ育った国家環境もまったく異なるものの、劉氏との学者が米国での研究を途中で“かなぐり捨てて”でも故郷に戻り、天安門事件で闘う学生達のリーダーとして共に民主化に向けて闘う事実を把握していた。  当時、劉氏の年齢にまで考察が及ばなかった私は、我が感覚として劉氏は人生に於けるずっと先輩かと認識していた。

 そんな劉氏が中国当局により投獄されたとのニュースも、ショッキングな出来事として我が記憶にある。
 その後、服役中の劉氏が2010年に「ノーベル平和賞」を受賞したとの報道も、世界的ニュースであったため当然ながら認識している。 ただ、一日本人の素人考えとして(この快挙によっても、中国が劉氏を解放する事はないのだろうなあ…)なる悲観的憶測を抱いたが、それが当たってしまったようだ……

 その後劉氏に関するメディア報道が途絶えた事もあり、私は劉暁波氏の存在をすっかり忘れ去っていた。
 その記憶を呼び起こしてくれたのが「劉暁波氏、末期の肝臓癌で中国出国を望んでいる」なるニュース報道だ。
 末期の肝臓癌。 これ程厳しい状態は無い。(過去に於いて私自身が癌罹患し手術入院した際、2人部屋の隣のベッドの女性が末期肝臓癌患者だったため、その最期の苦しみの程を我が事として実体験している。) そんな私は、是非とも人生の最期を劉氏が望む外国の医療機関にて闘病して欲しい、と願ったものの…
 それも叶わなかった。 もしかしたら劉氏の病状が深刻なため、中国側が外国医療機関に移送する事態を拒否したのかもしれないし、そう信じたい。 断固として劉氏を中国国外に出さない事が中国の策略だったとは思いたくもないが。


 昨夜見たNHKニュース報道によると。
 中国が何故「非暴力派」であり「ノーベル平和賞を受賞して世界的にも著名」な劉暁波氏を、これ程までに投獄し拘束し監視し続けたのかに関する推測的見解が伝えられた。
 それによると、劉暁波氏のその「理性的」と表現出来る態度こそが中国当局が気に食わなかったのではなかろうか? との論評だった。
 
 最後に、原左都子の私論だが。

 物凄く理解出来る気がする。
 もしも劉暁波氏が「破壊的・暴力的」な手段で中国当局に迫ったとすれば、すぐさま当局は「死刑」実行したことだろう。
 ところが、相手はいつも何時も変わらぬ「理性的」な言動を変えない。 これ程に “手こずり” “憎たらしさ” を煽られる相手とは、もしかしたら当局にとっては他に無い事態だったのではなかろうか!??

 別課題として、劉氏は投獄されなければ肝臓癌に罹患し末期に至らずに済んだのだろうか?  あるいは、それは劉氏生まれ持ってのDNA体質であり、投獄の有無に関わらず肝臓癌罹患の怖れがあったのだろうか??
 我が無念の思いは尽きぬが……

 何はともあれ、私と同い年の劉暁波氏61歳との若き年齢にしての死去に際し、ご冥福をお祈りしたい。

子の「親」ではなく「母」であらん事を強要された苦悩の時代

2017年07月13日 | 教育・学校
 5月の事だっただろうか。 我が家も電力自由化の流れに乗り、東京電力からガス会社への電力とガスの一本化を図った。
 (参考のため、その理由とは福島第一原発事故の後処理もままならまいまま、反省も無く責任逃れを続けている東電の企業姿勢・体質に対する反発以外の何物でもない。

 その契約の際に我が家にやって来たのは、私と年齢がさほど変わらない風の女性担当者だったのだが。
 女性担当者曰く、「電力を我が社に切り替えて頂くと、様々なメリットがあります。 (中略) 契約してweb会員に登録して頂くと、例えば、無料で料理レシピが閲覧できる等のメリットもあります。これが奥様方に人気で、どうのこうの……」

 すぐさまその会話を遮って私が曰く、「根っからの料理嫌いなもので、私の場合はそのサイトを見る事は一生ありません!」と少しイラつきつつ不機嫌に即答した。 (いやはや、女を掴まえると何で営業マンとはこういう風に料理の話題を出したがるのか?!? )と不快感を露わにしている私に気付いた女性担当者が応えて、「そんなもの見なくても、台所に立てば手と頭が直ぐに動く方もいらっしゃいますよね…」
 私が応えて、「いや私の場合はけっしてそうではなくて、元々我が生き甲斐の中の料理の優先順位が極めて低いということです。 料理をする時間がもったいなくてしょうがないというのが正直なところです。 料理をする時間があるのならば、その時間を自分が欲する有意義な事柄に裂きたい、との話です!!」

 こんなところでやたらに“熱弁”せずして気が済まない程の、「真正料理嫌い」の私だが。
 担当者氏は最初は驚いていたようだが、さすがに契約をまとめねば! との方針に切り替えた様子で、その後は料理の話題を一切出さずして契約締結に持ち込み、我が家を去って行かれた。


 ついつい前置きが長引いたが、今回のテーマを綴るきっかけを得たのは2、3日程前に見たNHKテレビ番組による。
 その番組内で、エッセイスト・小説家 山崎ナオコーラ氏著作の「母ではなくて、親になる」と題する今年6月に出版されたばかりのエッセイ集が話題に取り上げられていた。
 
 山崎ナオコーラ氏とえいば、朝日新聞コラムにエッセイを連載していた時期があったため、我が記憶にある。
 それを毎週読んでいた我が感想とは、「人間とはほんの少しでも名が売れると、このようにエッセイを新聞連載出来ていいよなあ。 無名人が如何にあがいてもそんなチャンスは皆無なのに…」

 そのエッセイのタイトルだけNHKテレビで聴いた私だが、まさに我が親としての時代も“母であれ!” と強制される事態に苦悩させられた出来事の記憶が蘇ったのだ。

 現在我が娘は社会人2年目に突入し、日々真面目に誠実に自らの仕事をまっとうしてくれているため、今となっては “親である前に母であれ!” と私に向かって意味不明に強要する人物も皆無となり、そんな馬鹿げた発言から解放されていると言えよう。
 それでも、「ウェブで料理のレシピを見よ!」と強制されるだけでも、我が五臓六腑からメラメラと反発心が湧き出すほどの抵抗感が内存している体質の私だ。

 自己弁護になるが、それも自然の成り行きと診断する。 何分、高齢にて我が子出産直前まで独身の立場で、自らの生き甲斐を追及し続けていた身だ。
 子どもを産んだからと言って突然周囲から「母」である事を強要されようと、私はそれまで通りの私でしかなかったという話だ。
 幸いな事に、娘誕生直後時期には周囲の誰からも私が「母」である事を強要された記憶が無い。
 と言うよりもっと厳しい課題に苛まれた我が家に於いて、私は「サリバン」業を全うするべく運命にあった。


 そんな私が「親であるよりも母であること」を強要され始めたのは、我が子を集団生活現場に入れた後からだ。
 今となっては “笑い話” の範疇かもしれないが。 
 我が娘を入園させた幼稚園で「餅つき大会」との行事があった。 その役割分担として「PTA役員の男どもが表舞台で餅をつくから、役員母親連中は皆、裏で餅を丸め、後片付けをせよ!」との指令だ。 
 過疎地出身の私だが、餅を丸めた経験が皆無なれば、餅をついた器具の洗浄経験も無い。 
 そんな中、娘と同級生の母親達が物凄い勢いで餅を丸めているではないか!! 初体験の私としてはそれに追随するしかない。 訳が分からないまま男がついた餅を必死で丸めつつ思ったのは、(もしかしたら、世の女性陣とはこういう作業に自分のやりがいや業績を見出しているのかもしれないのか!??)
 それが証拠に、その作業をすべて終えた後に母親達を統括していたPTA役員女性曰く、「本日は我々母親の業務を貫徹出来ました。 皆さんの働きのお陰で子ども達も父親たちも満足出来ました!」 との喝采の言葉だった記憶がある。


 「親であるよりも母であること」を強要される経験は、娘が小学校入学以降もずっと続く。

 「原左都子エッセイ集」に於いて、学校のPTA活動に於ける 「父親の会」 の存在をバッシングしたエッセイを何本か綴り公開している。
 その主旨とて、この表題の一課題だ。

 娘を私立中学へ通わせた後も、どういう訳か学校側は「父親の会」なる不透明な会合の酒の席で在校生の父親の意見を聞きたいのだと言う。 それに反発した私が、「母親とて意見がある故に同席させて欲しい」旨申し出たものの、返答はなしのつぶてだ…。
 おそらく学校側の論理とは、「母からなど何も得るものはない。 母親は学校のために下働きしてくれさえすれば十分。」に行きつくのだろう。
 

 私よりずっと若い世代のエッセイストであられる 山崎ナオコーラ氏も、子どもさんを生まれたのだろうか?
 その育児経験に基づき、「母であるよりも親であること」を欲しておられるのであろうか? 
 著名人となられている貴女の訴えは、既にNHK番組内でも放映されている。
 
 何はともあれ、現在還暦を過ぎている高齢出産母である私にも、「親であるよりも母であること」を強要された時代が長く辛い(と言うより違和感を抱かされる)事態だった感覚があるのだ。
 
 それでも子どもの成長と共に、そんな意味不明の苦悩から解放される事実を現在堪能しつつある。
 そんな今、「母」でも「親」でもなく、「私」であらん歴史を取り返せる未来が再来するのか!?! なる期待感すらある。
 その期待感を実現するもしないのも「私」次第であろう現実を、見つめねばならない時が迫っている感覚もある。