原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「共謀罪」法本日施行、あなたも今日から国家に監視される

2017年07月11日 | 時事論評
 随分と以前の事と記憶しているが、現在私が住む集合住宅物件に「監視カメラ」を取り付けるか否かが管理組合に於いて話し合われた時があった。
 結局、住民皆の多数決によりその可否が決定される事となり……。

 その際、私(と言うより私が操る我が家)は「監視カメラ設置 反対」 に一票を投じた。
 投票結果 「賛成多数」との結論が出て、私が住む集合住宅に「監視カメラ」が何台か設置された。 その設置場所とは、正面玄関口、裏玄関口、エレベーター内、ゴミ回収施設前、その他もう一カ所あっただろうか?

 何故、「賛成多数」との結論が出たのか? 
 そして、何故、私が「設置反対」の立場を貫いたのか??
 まさにこの課題、本日 2017.7.11 施行された「共謀罪」法に賛成か反対か、の国民意思の縮図であったような気がするのだ。


 何故、我が集合住宅に住む多数の人々は、「監視カメラ設置」に賛成したのか? から私論を展開しよう。
 彼らの論理とは、「犯罪行為」全般に対し “自らは被害者”意識が強いものと推測する。
 悪い奴らは掴まえねばならない。 そのためには「監視カメラ」が役に立つに決まっている。 これさえ付けておけば、我々“善人”は安心して暮らせる。 そんな単純思想に基づくものだったと私は判断している。
 そしてこの日本という国は、そんな自称“善人”国民により成り立っていると表現して大袈裟でないような気もする。
 ここに来てやっと安倍政権支持率が大幅に落ちたが、少し前まで安倍政権を支持する国民は過半数を超過していた。 そんな国民心理も我が分析によれば、 “自分は善人。善人だからこそ多数派支持の安倍政権を支持する”、 との単純思想に基づく行為だったものと理解可能な気さえする。

 片や、何故私(我が家)は自分が住む集合住宅への監視カメラ取付けに「反対」の一票を投じたのか?

 その論理とは、まさに「共謀罪」法成立 “反対” 論理と同一だ。
 自分達が取付けた監視カメラに自分達も監視される! との事態に、何故住民は気付かないのか? どうしてそれ程に自身やご家族が善人であると無意味に信じられるのか??  との、まさにアンビリーバブルな感覚が私には当初より内在していた。 
 いえいえ、決して私は悪行ははたらきませんよ。 私とて、我が住居で平穏無事に日々過ごす事を願っている。 ただ「監視」との言葉の響きに計り知れぬ恐怖を漠然と抱くこの感覚を、何故他の住民が抱かないのか?? 不思議かつ怖い思いさえ抱かされた…。

 監視カメラを取り付けたその直後、集合住宅内で子どものいたずらが多発した。
 その時に、この監視カメラ解析を実施したようだ。  そうしたところ、特定の子供達がいたずらする場面が発見された様子だ。 さて、その子供さんのご家庭の皆さんは如何なる感想を持たれたのだろう? 

 あるいは最近の事だが、1階玄関の集合ポストのオートロック内部の鍵が壊されるとの事件も発生した。 その際にも監視カメラ解析と相成り、犯人が特定されたようだ。 内部犯行だったと推測するのだが、その犯行者のご家族の心境や反応や如何に……
 

 とにもかくにも本日2017.7.11 、犯罪の計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法が施行されてしまった。 
 これまでは、犯罪を実行に移した段階で罪に問う事を原則としてきたが、今後は対象となる277の罪で、犯罪を計画し準備を始めた段階で処罰される事となる。 (本日の朝日新聞一面より引用。)

 
 安倍政権により強引に法施行に持ち込まれた「共謀罪」に関し、我がエッセイ集2017.6.15 バックナンバーでも取り上げている。

 その結論部分の一部を、以下に再度引用しよう。
 少し前の 2017.5.28 朝日新聞記事 「今はまだ岸辺漂う笹舟か」と題するコラム記事より、朝日新聞編集委員氏が綴った当該「共謀罪」に関する記述の一部を紹介しよう。   戦前の治安維持法は、成立すると可能な限り拡大解釈された。 解釈が限界を超すと改悪が図られた。  そうして生まれた悪法がおそるべき怪物と化していく中で、おびただしい理不尽と悲劇が起き、戦争で国は破滅した。
 今の「共謀罪」をただちに治安維持法の再来とは言えないだろうし、当時とは司法や社会のありようも違う。 とは言え、相似形は疑いようがない。 犯罪者を捕らえるというより、捕らえたい者を犯罪者にする道具になりかねない。 「テロ」「五輪」と反論を封じやすい語に包まれて、危うい卵は参院選へ送られ産み落とされようとしている。   (以上、5月28日付朝日新聞記事より一部を引用したもの。)
 その“危うい卵”が、本日まさに安倍政権による乱暴かつ強引な手法により、再度我が国に産み落とされてしまった…… 
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーよりごく一部を再掲載したもの。)


 更には、朝日新聞本日2017.7.11 朝刊に掲載されていた 作家 高村薫氏による「共謀罪」に関するメッセージの一部を紹介しよう。

 改正組織犯処罰法は、日本の刑事司法の大原則を変える大きな改革にも関わらず、内閣総理大臣も法務大臣も与党議員も正しく法律を理解している形跡がない。 
 それを採決強行で成立させてしまう立法府のやり方に我々有権者は愕然とするべきだ。 
 法律が成立して得をするのは捜査機関のみだ。 テロに限らず、あらゆる捜査で国民の日常生活を監視できるようになるのが「共謀罪」の成立だ。 これにより、捜査機関の恣意的な監視が広がる。 有権者は監視されているとの事を忘れない事が大切だ。 
 それにしても異様なのは、誰のためにこの法案成立を欲したのかが不明瞭な点だ。 結局、安倍政権を支える勢力への異論を排除する社会への復帰を目指す空気感が、こんな法律を産んだのだろう。
 言葉にならないものが政治を動かし、国民が恣意的に監視され、自由を失っていく事になる。 力のある日本語が残っていれば、空気感で動く危うい世の中や、原則を重視する事を失った社会の暴走は起きない。
 (以上、朝日新聞に掲載されていた作家 高村薫氏による記事の一部を紹介したもの。)

 
 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 我が集合住宅に共に暮らす「監視カメラ」取付け賛成派だった大多数の皆さんの意思は、その後も変わりはないのだろうか?
 本日施行された「共謀罪」法に心底安堵して、今後も日々安穏と暮らして行かれるのであろうか??
 結局は、その種の弱者の皆様と同様にこの世に生を営んで行く運命にある我が家なのだろう。

 「マイナンバー制度」も施行された現在だ。
 我々は、深い思想も無く国家に個人情報を提供せざるを得ない時代背景と移ろいでしまっている。

 せめても本日「共謀罪」法が施行された事実だけでも、今一度全国民が我が事として捉えるべきだろう。

留学前鬱症候群、私も経験あるなあ

2017年07月10日 | 旅行・グルメ
 (写真は、今から42年前の1975年夏に米国UCバークレー本校へ短期留学した際、留学仲間達と一緒にUCバークレーキャンパス内で撮影した写真。 中央が当時19歳だった私。)


7月に入り、学生達の夏季休暇が近づいている頃だ。

 折しも、朝日新聞7月8日“悩みのるつぼ”相談内容は、女子高校生による「留学するのにやる気出ません」だった。
 この相談者の場合、1年間との長期留学を予定しているようだが、留学が迫るにつれ何もかもが面倒臭くなり、生活がダレてお菓子を食べまくり体重が5㎏も増える有様、との相談内容だ。

 早速原左都子の私見だが、これ、明らかに「留学前鬱症候群」と結論付けた。

 と言うのも、私の場合たかが1ヶ月間の短期留学だったが、出発が迫るにつれ同様の「留学前鬱症候群」に苛まれ始めた。 体重こそは増えなかったものの、「何もかもが心配になって来て、行きたくなくなった。」「もう、いっそキャンセルしようか。」等々と母に告げたものだ。 私以上に心配していた母が即答して曰く、「今すぐ、キャンセルしなさい。」

 何分、19歳と未成年者。 海外へ行くのが初めてならば、飛行機に乗ることすら初体験。
 東京羽田空港にて留学生達が集合し、そこからは団体行動となるのだが… 

 春頃計画して郷里の友を誘ったものの、皆が皆「親が反対するからやめとく。」との返答だった。
 そりゃそうだろう。 何分、42年前頃とは未だ海外旅行自体が珍しい時代背景だったのに加えて、妙齢の娘を1ヶ月間も外国で暮らさせるなど、特に過疎地の田舎に於いてはあり得ない話だったのではなかろうか??

 この時の短期留学は、当時外大に通っていた姉の提案だった。 既に米国とイギリス2カ所の短期留学をこなしていた姉が、「学生のうちに必ずや海外へ短期留学をしなさい。 外国語専攻学生でなくとも、何にも増して良き体験となる事間違いなし!」と背中を押してくれていた。 

 そして、私は最終決断を自分で下した。 「やっぱり行く!」

 今回の“悩みのるつぼ”回答者は、社会学者の上野千鶴子氏なのだが、やはり私と同じ回答をしておられる。
 留学って、そりゃストレスがかかります。 まったく見知らぬ土地に飛び込んで、言葉は出来ないし、上手くやっていけるかどうかも分からない。 留学を決めた時は大決断だったでしょう。 その高揚感で「キラキラ」過ごしていたのでしょうが、予定が近づくにつれ気が重くなる… そんなものです。 (途中大幅略) オトナが海外の異文化から大して学ばない事に比べれば、何者でもない貴女が異文化にさらされて学ぶことは無尽蔵です。 後になって、あの時外国へ行っておいてよかった、と心から納得するでしょう。 さあ、行ってらっしゃい。
 (以上、上野千鶴子氏の回答のごく一部を紹介したもの。)


 話題を、我が42年前の米国UC(州立カリフォルニア大学)バークレー本校 Univercity summer extension1ヶ月間短期留学に戻させて頂こう。

 そうこうして、19歳の私は重いトランクを引きずって単身で過疎地郷里を出発し(いや、空港までは親が送ってくれたか?)、まずは羽田空港を目指した。 これすら初体験の私にとっては、とてつもなく大仕事だった。
 上京するのも初めて(修学旅行で東京観光をした事はあるが)ならば、大混雑の羽田空港で留学ツアー軍団の集合場所を探すのも一仕事だ。
 ごった返している羽田空港内ロビーでその集合場所を見つけた時に、ひとまず命が繋がったと安堵した。 学生達の貧乏短期留学ツアーは、ノースウエスト航空でシアトル空港まで行った後、米国内線のウエスタン航空に乗り換えサンフランシスコ空港に到着するフライトスケジュールだった。
 そのノースウェスト機内で横に座った同じく留学生の慶応ボーイと、まずは会話をする事になった。 何でも、彼は幼稚舎からストレートで慶応一直線とのことだ。 学年もあちらが一つ下との事で、ド田舎にて国公立一直線の私とは、どうも会話がちぐはぐな感を抱いた記憶がある。
 その後シアトルにての数時間の待ち時間内に、話が弾む留学生達と巡り合えた。 これぞラッキー!  私以外は全員男子だったが、意気投合した数名のグループでその後、留学生活を迎える事となった。(冒頭の写真は、そのグループ内の男子と一緒に撮影したもの。)

 ただ大学到着後直ぐに、英語力ランクによるクラス分けの試験(何故かすべて筆記試験)が実施され、会話力は無いものの読み書き力に長けていた私は高得点を上げ、上位クラスへの配置となった。 この措置により、“シアトルグループ”と疎遠となってしまったものの、クラス内で友人が出来るのは早かった。
 これまた男子ばかりなのだが(というのも、元々男子学生の参加者が圧倒的に多かった故だが。)楽しい留学生活が送れた。

 この短期留学ツアーがUCバークレーの寮に寝泊まりするツアーだったことが、私にとって楽しさ倍増だったと言えよう。
 食事は寮にて3度用意してくれるし、夜な夜な寮内ホールで“ディスコダンスパーティ”が開催されるのだ!!  元々ダンス好きの私にとってはこれ以上望めない程の恵まれた環境下で、その寮生活を堪能したものだ。 ホール内でバリバリにダンスを楽しむ私がモテない訳もない!?? (ただし、ダンスパーティ参加者は留学生に限定されていたが。) 
 寮の近くには本物の「ディスコ」もあり、寮内ダンスパーティ参加仲間に誘われてそこにも数回行ったりした。 そんなこんなで日々就寝時間が遅い私は、翌朝1時間目の授業出席のため早起きするのがとてつもなく辛かった思い出がある。

 それでも月から金までは毎日、大学のエクステンション授業に真面目に出席した。  何故ならば、短期留学とは言えども「留学ビザ」で米国に渡っている以上、規定の出席率をクリアしない事には帰国が叶わない故だ。 
 授業は予想以上に厳しかった。 午前中3コマ、午後1コマすべての授業にネイティブの担当教員が付いていて留学生全員の記録を付けていた。  午後の授業はヘッドホンにてのリスニング・スピーキング授業だったが、夜遊びがたたってついつい眠ってしまう私は、担当教員に幾度もお叱りを受けたものだ。

 まだまだ、短期留学逸話は盛沢山だ。
 
 留学生と言えども、土日は休日自由行動と相成った。
 その日は寮の食事提供もお休みならば、毎晩施される“ディスコダンスパーティ”も無い。
 それが一番の楽しみの私にとって、土日こそが自分の力量を試される時と相成った。
 最初の土日は、そうであることを予想して日本出発前より「ヨセミテオプショナルツアー」を申し込んでいた。 それに参加して初めて気づいたのだが、参加者が見知らぬ米国人ばかりだったのだ!
 いやはや、参ったなあ…  と困り果てていた私に親切に声を掛けてくれた日本人女性がいるではないか! この女性のお陰で、私はヨセミテでの2日間を堪能出来た。 ラッキーとは続くものだ…

 などと言っていても、土日は無情にもまたやって来る。
 19歳にしての単独行動とは、本音を言えば実に心細いものだ……
 それでも、なるべく私は果敢にも自分で計画を立てて単身で行動した。 一度は地下鉄に乗ってサンフランシスコまで出向いた。 その時に知り合いお世話になった日本人男性とは、後にも日本で再開する機会があった。
 あるいは、当時流行っていたロックバンド Tower of Power のコンサートが大学の近くであると聞き、そのチケットを購入し寮の仲間と一緒に比較的前席で観賞した。(と言うよりも、座席を立って踊りまくった記憶があるが…)

 
 我が19歳時の短期留学の思い出を辿っていると、“芋づる式”にいくらでも脳内から記憶が呼び起こされそうだ。
 と言う訳で、上野千鶴子先生もおっしゃる通り、若き時代に実行される留学なる経験とは、その未熟さ故に学ぶことが無尽蔵だ。

 出発前の不安感とはそれはまるで鬱病にでも罹患したがごとくの苦悩だが、それを乗り越えていざ出発してみると、そこにはミラクル世界が広がっているのではなかろうか。
 ただし、それには条件もあろう。 何かの得意分野(あるいは嗜好分野)が若き頃よりある事が身を助けるとの事のような気もする。 (私が低レベルで下手なりにもダンス好きで、ミュージックが流れればいつでも踊り出せるがごとくの。)
 
 とにもかくにも、これから1年間留学するとの“悩みのるつぼ”相談者の女子高校生さん。
 貴女は恵まれていますよ。  どうか、その1年間を楽しみつつ堪能されますように。 

左都子も昔は左利き♪  - vol.2 「左利きは天才か?」編 -

2017年07月08日 | 自己実現
 私は幼稚園児の頃、どういう訳かはさみ使いが大の苦手だった。
 今思うに、それは生まれつき左利きだったらしき私が、右効き用のはさみを使用させられていたからに他ならない。
 当時ははさみと言えばすべてが右利き用に作られていて、「左利き用のはさみ」など(特に我が郷里の過疎地で)販売されているはずもなかった。


 私が生まれつき「左利き」だったらしき事実に関しては、本エッセイ集2011.2.7バックナンバー「左都子も昔は左利き♪」に於いて公開している。

 以下に、その一部を再度披露させて頂こう。

 私のペンネーム 「原左都子」 (はら さとこ) の“左”の字は決して“左利き”から取った訳ではないのだが、私は幼い頃どうやら“左利き”だったようだ。 (参考のため、原左都子の“左”の漢字は「右に倣え」「右向け右」などと他者から指示・強制された場合、“左”を向きたくなる我が“天邪鬼”気質等々を表現したものであります。)
 幼き頃の私は、親が私の自由にさせると何をするにも必ずや左手を使っていたらしい。
 “箸”に関しては、親がそれを最初から右手に持つよう矯正したとのことだ。 (その矯正によほどの無理があったのか、未だに“箸”を上手に持てず人前で恥を晒している私である。)
 クレヨンに関しては、苦い思い出がある。
 私自身にはその思い出に関して一部分を覗き明瞭な記憶がなく、後に母より伝達されたエピソードの範囲内なのだが、以下に我が幼き日の失敗談を紹介しよう。
 未だ幼稚園へも入園していない幼児(おそらく3歳頃)であった私は、親の知り合いの新築家屋落成記念会合に一家で招待された。 1階で飲み食いしつつ盛り上がる大人達が子供は2階で遊ぶように指示し、私もその子供の一人として2階で遊んでいたようだ。 会合も終焉に近づいた頃、子供達の様子を見ようと2階に上がった新築家屋の奥方が真っ青になって1階に戻り我が母に訴えたそうなのだ!
 「お宅の〇〇ちゃん(私のこと)が、クレヨンで部屋一杯に落書きした!!」と。
 それを聞いた母は「うちの〇〇はおとなしい子で、そんな事をするはずはないのだけど…」と弁解しつつ2階に上がって仰天したのだと言う。  なぜならば、新築2階の部屋の壁や床一面に私の氏名がひらがなで多数書き込まれ、左手にクレヨンを持った私がそこに存在したからである。 
 当時の我が母としては用意した紙に“お絵かき”でもさせるつもりだったのが、幼き私は2階の部屋全体を“キャンバス”と履き違えたようだ。 新しい畳そして白くてまっさらで綺麗な壁に私が書きたかったのは絵ではなく文字であったということである。(当時まっさらな新築家屋の“キャンバス”に感激した記憶は、私にも僅かながら残っている。)
 その落書きを見て別の意味で一番驚いたのは我が母であったようだ。 新築家屋の主に平謝りしながら床や壁を拭きつつ、親が知らない間に我が子が既に自分の氏名をひらがなで書けるまでに成長していて、しかもわずが3歳にして左手で書いたその字は実に正確で美しかったのだと言う。
 その“事件”をきっかけに今後私が幼稚園へ入園するに先立って、クレヨンを右手に持たせる矯正に乗り出した我が母であるようだ。
 今に至って尚顕著なのが“雑巾しぼり”である。 さすがにそこまで矯正の面倒が見切れなかった母であろうが、私の雑巾しぼりは“逆回転”で特異的だ。
  その他の事例として私の記憶にあるのは、小学生低学年の頃“かぎ針編み”という編み物に挑戦したことに関してである。  自然体で取り組んだ私は、やはり左手にかぎ針を持っていた。 そして器用に私が編む姿を見た母から「よくまあ左手でそんなに上手に編めるね!」と指摘されて初めて、私は左手で編んでいたことに気付いたものだ。(これもその後右手に直したのだが…)
 それにしても、私は今となっては左手はまったく利き手ではない。 握力も高校生の頃から右手が勝っていて左手の握力など実に乏しい。 
 「左利き」の人の中には両手が器用に使えるという話も耳にすると、どうして我が親は両手共に器用な人間に育ててくれなかったのかと不満をぶつけたくもなると言うものだ。
 今の時代「左利き」とは矯正するべきなのかについては学者達の間でも論議される課題だ。  某大学教授も以下のような論評をしている。 「無理に変えない方がいいが、幼児期に子供が強い嫌悪を示す場合を除いて右利きへの変更を試行してもいいのでは」
 この論評は、今の時代の右利き社会に適合するべく子供を育てる観点からはごもっともな指摘と同感する。
 ただ私論としては、子供個々が持って生まれた特質に任せて欲しい思いが強い。
 なぜならば幼き子供とは言えども個々が千差万別であるからだ。 周囲の指導により“子供が右手への強い嫌悪感を示す”かどうかに関してさえ、大いに子供の個性による。  私など、幼き頃から周囲への客観性の配慮にばかり焦点を置いていた記憶があるが、この種の子供とは我が意に反して親や教育者の指導に従順とならざるを得ないのだ。 すなわち、親や指導者が「右手を使え」と指示したならば、自分の不快感を押し殺してでもそれに素直に従う道を自ずと選択して、後々内面にストレスを溜め込んでしまうのである。
 朝日新聞記事によると、何を基準として“左利き”を判断するかも困難とのことだ。 これに関しては、医学経験のある原左都子にも十分理解可能である。
 そしてそれを踏まえた上での単純な判断によると、世の“左利き”とは1割の確率であるそうだ。
 各人の器用な手が右であっても左であってもよいのはもちろんの事、本来ならば両者が共存し得る社会が築かれるべきだが…  とは言え、どうしても近代社会のシステムや論理とは多数派が尊重されてしまうのが辛いところだが。
 (以上「原左都子エッセイ集」バックナンバーより要約引用したもの。)


 今回、私が「左利き」をテーマとして再度エッセイを綴ろうとしたきっかけは、ネット上で「左利きは天才肌」と題する、一見して信憑性が疑われそうな記述を発見したことによる。

 そのネット記述の一部を要約して以下に紹介しよう。

 「左利きは天才肌」。 このような噂を、誰しも一度は耳にしたことがあるものではないだろうか。 やや信憑性の薄いデータのようだが、ロシアの生物学者アレクサンダー・デュボフ博士によると、左利きの人は、右利きの人よりIQが高い傾向にあるのだそうだ。
 現在、人類のうち10人に1人は左利きなのだそうで、その計算でいくと世界には左利きの人が約6億人いる事になる。 博士によると、“超能力者”と呼ばれる人はほとんど左利きだそうで、また左利きの人は芸術的な能力にも恵まれるのだとか。
 また、「左利きの人口が増えることによって、人類は進化を遂げる」とのこと。
 そしてアメリカの大学研究者達により行われた、「人生において、左利きのほうが成功をつかみやすいのではないか」という研究もある。 全米経済研究所に発表された博士たちの論文によると、大卒の男性は、左利きのほうが右利きより約26パーセントも高い給料を稼いでいることがわかった。 ちなみに、右利きか左利きかで収入に差が出たのは男性だけで、女性にはこの差はみられなかったそうだ。
 日本では、はさみにはじまり自動改札機など、さまざまな道具が右利き用にデザインされていることが多いため、左利きに生まれるとその不便さから右利きに矯正されてしまうことがよくあるようだ。 しかし、左利きの個性を生かすべく、無理に矯正しなくてもよい、という声も多いようだ。
 ちなみに、左利きの有名人はというと、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ピカソ、ニュートン、アインシュタイン、ビルゲイツ、坂本龍一、松本人志、野口聡一 などなど……。 たしかに天才が多い気がする。
 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)


 最後に、原左都子の私見でまとめよう。

 おいおい、ネット情報さん、ちょっと待ってくれよ。

 我が尊敬申し上げるアインシュタイン氏は別格としても……
 特に日本人の天才として挙げられている人物達を、安易に「天才」に分類してしまっているその“”いい加減さ”の程はどうしたものか!?? (野口聡一氏とは一体誰だ?? はい、今ウィキペディア情報を調査してガッテンしました。 未だ若き世代の宇宙飛行士氏ね。) 確かに野口氏は天才域の人物かもしれないが、後の日本人を「天才」に分類するのは無謀と私は判断するのだが!??

 更に反論したいのは、当該ネット情報では「左利き」に生まれて天才に位置付けられるのは「男性」のみみと結論付けている点だ。
 ただこの点を原左都子が考察してみるに、要するに“女性の左利き”著明人に関してはデータが少なく分析不能との事だろう。

 「左利き」  =(イコール) 「天才」。?? 
 この議論自体が、信憑性が問われて然るべきであるのが歴然だとしても。

 とにかく、少数派の「左利き」人種がこの世に生きる不便さを少しずつ是正しつつ、その個性を認め皆が共存出来る世界を築く事こそが先決問題、という事だろう。

都道路計画、知事や本部は本気で実行意思があるのか!?!

2017年07月05日 | 時事論評
 (写真は、東京都が現在実行過程にある「補助第81号線道路計画のあらまし」と、最近我が家に送付されて来た当該道路計画に対する「アンケート調査票」を撮影したもの。)


 去る2017.7.2に実施された東京都議会選挙に大勝し、第一党となった「都民ファーストの会」を立ち上げた都知事の小池百合子氏だが。

 選挙当日の夜、小池氏は「都民ファーストの会」代表を辞任すると発表したのに加え、テレビニュース報道のインタビューに応えて、「今後は知事としての公約を果たす事に尽力せねばならない」等々とも表明した。
 その都知事としての表明の中に「木密地域の道路計画を迅速に進めたい」との項目があった事実を、私は聞き逃していない。


 上記写真のうち道路計画に対する「アンケート調査票」が我が家に郵送されてきたのは、ちょうど都議会選挙の頃だ。
 参考だが、当該道路計画に引っかかっているのは義母所有物件だ。 何分、義母が5年程前より高齢者介護施設へ入居の身のため、我々保証人がこの道路計画に関する折衝や諸手続き等々を代行している立場である。

 我がエッセイ集バックナンバーに於いて、この道路計画折衝代行作業に我々義母の保証人が難儀させられている実態を何本か綴り公開している。
 そのバックナンバーを探したのだが、比較的古めの2013.12.1に公開した 「道路計画に翻弄される立退き対象市民の嘆きの声」 と題する時事論評エッセイを発見したため、以下に一部を要約して再掲載させて頂こう。

 東京JR山手線沿線に位置する義母所有の不動産物件が、東京都道路計画地に該当している事に関しては、当エッセイ集バックナンバーに於いて既に述べている。
 当該都道路計画は、平成24年1月に策定された「木密地域不燃化10年プロジェクト」と称する計画により実行に移されるようだ。   先月末より既に現況測量が開始されており、早ければ来年3月には測量が終了するとの段階に入っている。 このまま道路計画事業が順調に進めば、2年後の2015年には都との立退き補償交渉に入る段取りとなる。 
 我が家の場合、既に義母が有料高齢者介護施設に入居している。 そのため住民登録こそ当該道路計画地に保留状態であるものの、現在アパート物件を残し主たる家屋は空き家現状のため、道路計画により都からこの地の立退きを迫られてもさほどの被害はないと言える。  ところが恐らく我が家の事例の場合“例外中の例外”であろう。 ほぼ99%の住民の皆さんはその地で日々生を営んでいる訳で、この度の道路計画に大いなる迷惑を被り混乱を来たしておられる事態を察して余りある。
 現在までに個別面談及び全体会と、2度に渡り東京都による道路計画に関する説明会が実施された。
 その1回目の個別面談において、我が家は都の担当者相手に「この度の道路計画は“決定”であるのか否か?」に関して念入りに確認した。 それに対する都からの回答とは、「決定事項です。 必ずや計画通り道路建設を実施します。 立退き交渉が成立した住民から順に用地取得及び補償を実行します。」との事だった。
 にもかかわらず2度目の全体説明会に足を運んだ我が家は、会場における都の対応に驚かされるはめとなった。
 2度目の全体会とは都からの説明会と言うよりも、要するに道路計画反対派市民の“嘆き”と“苦情”を受付ける質疑応答で多くの時間が費やされたのだ。   道路計画「容認派」である我々一家にとっては、(都が呈示した“決定”の言葉は何だったのだろう? 今更反対派の意見を聞き入れる都の態度とは、反対派が多ければ道路計画を断念するとも解釈可能だ。)  それが証拠に、当該道路計画反対派市民の間では、“どうせ都はいつものように腰折れでこんな道路計画を実施するはずはない。” との憶測が大方の見方となっている様子だ。 
 一旦事業として“決定”したなら都はその方針を貫き通すべきであるし、もしも住民感情重視で計画の変更が今後あるのならば、“決定”の言葉は見送るべきだったはずだ。
 それにしても、2度目の都道路計画全体会に出席した“道路計画容認派”の私としても、“反対派”市民の皆さんの嘆きの声また声の切実さが、我が身にずしりと響いてきた。
 以下にそれら“反対派”市民の皆さんの切実な声を要約して紹介しよう。 (あくまでも原左都子の説明会現地でのメモに頼る内容のため、聞き違いや誤りがある場合はお詫びする。 市民の皆様よりの質問をQ、それに対する都からの回答をAと表現する。)

 Q1. この道路計画とはそもそも(60年以上前の)昭和21年に立ち上げられたものだ。 平成25年に至っている現在に於ける都の道路計画は、その間都が勝手に目標置換しつつ計画のみをそのまま残している現状ではないのか?
 A. 都としては昭和21年以降ずっと道路必要性の検証はしてきている。 決してそのままの状態で放置してきたわけではない。

 Q2. 今回の道路計画により児童遊園等の公的施設も潰されるが、これを如何に捉えているか?
 A. 児童遊園に関しては代替場所を確保する。

 Q3. 木密不燃化の道路計画と言うが、都は震災害を本気で捉えているのか? 都としては他にも課題が盛り沢山のはずなのに、何故この地の道路整備のみを急ぐのか?
 A. 津波・地殻変動による被害対応も、街作りの一角と考えている。

 Q4. 今ある人やものを活かした対応が都は出来ないものなのか? 人間関係、地域のつながり、静かな環境、すべてが破壊されている現状に於いて、それでも都は防災観点のみを優先した道路を造るのか? 街全体を見直す視野で他の政策と同時進行で一体改善を目指すべきではないのか?
 A. 都としては計画通り道路整備を進める。 

 Q5. 市民不在の街づくりなどあり得ない。 一体どれ程の市民同意により得られた道路計画実施なのか? 今後どうしても道路計画に同意しない市民の対応をどうするつもりか?
 A. 粘り強い交渉を進める。 最終的には法的措置を適用する場面もあり得る。

 Q6. 原点に戻って、税金の使い方の視野から議論がなされていいはずだ。 都計画道路の場合、車道がコンクリート案だが、ここをグリーンベルトにしてはどうか? 当該道路計画の目的が「燃え広がらない街」にするプロジェクトとの事であれば、車を通さず緑化地域に出来たならば市民の賛同も得られるかもしれない。
 A. ネットワーク機能を発揮してこその都道路と考えているため、コンクリート道路を造る。

 全体会会場より提案された“反対派”市民の皆さんよりの質疑はまだまだ数多く存在するのだが、以下は割愛させていただこう。

 上記都道路計画反対派市民の皆さんのご意見の程をご覧になって、如何なる感想を持たれるであろうか? 私など今回の都道路計画“容認派”であるにもかかわらず、反対派市民の皆さんが理路整然と都に質疑応答を投げ掛ける姿に大いなる感動をいただいたものだ。
 原左都子の勝手な感想を述べるならば、今回の全体説明会場での質疑応答の「勝負」勝者の軍配は明らかに“反対派”市民に上がるであろう! いやはや東京都側のアンサー内容は、何ら理論武装できていない。
 東京都たる者が説明会会場でそんな軟弱な実態を晒したところで、過去の個別説明会において“容認派”相手に「絶対に“決定”です!」と言い切った確約が今取れるのだろうか?!?   真実決定ならば、是が非でも決定との対応を反対派に対しても断固として欲しかったものだ!
  実際問題、道路建設“容認派”とて困惑させられている現実である。  都の対応の優柔不断さ故に、今後の身の振り方が不安定極まりない有様を“容認”“反対”にかかわらず立退き対象市民皆が突きつけられている厳しい現状だ…。

 (以上長くなったが、2017.7.5の本日今読み返してみても、都の対応の軟弱さ・いい加減さが腹立たしいため、あえて長文にて我がエッセイ集バックナンバーを再掲載させて頂いた。)


 さて、話を現在に移そう。

 上記バックナンバー内に記述があるが、「2015年には都が立退き交渉に入る」なる都の言及など大嘘もいいところ、嘘八百も甚だしい実態だ!

 ただ好意に解釈すると、その頃からやっと都道路計画が少しばかり動き始めた記憶がある。
 義母財産管理の代行を務めている保証人の我が家に、都から電話が入ったのを記憶している。 そして現地の測量をするため立ち会って欲しいとの事で、私が現地に出向き土地測量に立ち会った。
 その後、その立ち合いを現場で実行した都の下請民間企業担当者が我が家にやって来て、今後のスケジュールを告げてくれたものだ。 それに何某かの質問をしたのだが結局は「下請けのため、詳細は応えられない」なる回答だったように思う。

 更には今年2月にも、これまた都の下請け民間企業の担当者と名乗る人物が我が家にやって来た。
 今度は、義母が現地で経営している不動産賃貸物件の賃貸家屋内の建物調査をしたいが居住者と連絡が取れなくて困っているとの事だった。 その連絡先を我々が分かる範囲で応えたが、担当者が言うには「都との契約が2月一杯で切れる故に、その後の調査はどうなるか不明」。
 “何とも生ぬるくていい加減な都と下請け企業との契約”と呆れ果てつつ、結局東京都とは、肝心な処では民間任せで自分らは“左うちわ”なのだろうと再認識させられた次第だ。

 その後、春になった頃だっただろうか。
 東京都の道路計画担当者と名乗る女性から、我が家に電話が掛かって来た。
 それによれば、「現在家屋調査中だが、おそらく6月頃には家屋調査が終わるだろうから、その頃またお電話します。」との内容だった。

 どうせ電話は無いだろうと高をくくっていると、まさにその通りで愕然とさせられているうちに都議会選挙に突入したとの現況だ。

 
 そうこうして、我が家に送付されて来たのが冒頭写真の「都道路計画に対するアンケート調査」の文面だ。
 この「アンケート調査」が送付されたのは2度目。 前回はいつだったかの記憶も無い程に過去のことなのだが、この私が回答書を記述して返送した。
 私なりに当時、都政の道路計画のずさんさに反発したコメントを記述したのだが、その返答がなしのつぶてのままに、再度届けられた「アンケート調査」に何を今一度応えよ、と都は言いたいのか?!
 (もちろん、またこの原左都子が書いて提出しますよ~~。

 幾度も同様のアンケート用紙を、道路計画に長年苦しめられている対象都民に安直に送り付けてくるその都職員達の“能天気ぶり”と“非常識ぶり”に嫌気がさす以前の問題として…
 
 小池知事率いる「都民ファーストの会」の今回の大勝を受け、今後は小池知事も都政を充実したいと発言している事だし…。 
 それに従って都職員達も都の業務を我が事と再認識して “都民ファースト” 観点で業務を迅速にこなしてはどうなのか?!!

都議会選挙、自民大敗に持ち込めたのは快挙だが…

2017年07月03日 | 時事論評
 昨日(2017.7.2)投開票された東京都議会選挙は、安倍政権が始まって以来続いた“安倍1強”の歪みを制圧するがごとくの「自民党の歴史的大敗」の結果に終わった。


 本日ネット上で見つけた昨日の都議会選挙に関する情報より、一部を要約して以下に紹介しよう。

 東京都議選(定数127)は2日投開票され、小池百合子知事が代表の「都民ファーストの会」は49人が当選、追加公認を合わせて55議席を獲得し、都議会第1党に躍進した。 選挙協力した公明党などの支持勢力と合わせて79議席となり、過半数(64議席以上)を大きく上回った。 自民党は、現有57議席から半分以上減らし23議席となる歴史的惨敗。 公明党と同議席数となり、政権に大きな打撃を与えるのは必至となった。 投票率は前回(43.50%)を上回る51.27%だった。
 「都民ファーストの会」は告示日時点の公認候補50人のうち49人が当選し、追加公認した都民ファースト推薦の無所属候補6人と合わせ計55人の大勢力となった。
 自民は60人を擁立したが、加計学園問題や「共謀罪」法の採決強行などで内閣支持率が急落。 さらに選挙戦で稲田防衛相が「自衛隊、防衛大臣としてもお願いしたい」と、自衛隊の政治利用とも取れる発言をした影響で、都議会議長ポストを巡る贈収賄事件で10人超の自民都議が訴追された1965年、旧民主党が躍進した2009年の38議席を下回る史上最低の議席数となった。  下村博文都連会長は3日未明、党本部で報道陣に対し「大惨敗だ。責任を取って都連会長を辞任する」と語った。
 前回は無党派層を取り込み、議席を倍以上の17に伸ばした共産は19議席に増やした。
 前回旧民主が15議席を獲得した民進は23人を公認したものの、離党者が相次ぐなど党内の足並みが乱れ、議席を5に減らして都議会第5党に転落した。
 (以上、ネット情報より一部を紹介したもの。)


 ここから一旦、原左都子の私事及び私見に入ろう。

 今回の東京都議会選挙に際し、この私も「どこまで自民都議会を潰せるか!」を自身の主たる論点として掲げた。
 と言うのも、最近の本エッセイ集バックナンバーに於いて複数回公開しているがごとく、小池氏率いる「都民ファーストの会」の人員募集の仕方や都議会立候補者選出公認に至る手法に、マイナスイメージを強く抱かされた故だ。 

 とにもかくにも我がポリシーとして今回の都議会選挙に於いては、「自民党を潰す!」ことを主眼と掲げようとの意思で、投票対象とするべき立候補者を絞り込む作業をした。

 その作業の最終章に於いて、朝日新聞記事に応えた我が目を疑う「都民ファースト」立候補者の回答を発見した。
 それは選挙公示後に、朝日新聞が選挙区毎に各候補者の公約内容を手短にまとめた資料だった。
 私が住む選挙区からも、「都民ファーストの会」より2名の若い世代の候補者が立候補し結果として1位、2位当選を果たしている有様だが…。 
 ここで実名を挙ておくと、1位当選者が 村松一希氏(36歳)。 2位当選者が 尾島紘平氏(28歳)。 
 朝日新聞からの、 〇安倍政権の政権運営を評価しますか  〇安倍首相が示した2020年までの改憲に賛成ですか  〇今後の国政選挙では、どの政党を支持しますか  なる3問の質問に対し「都民ファーストの会」ご両人が何と回答していたのかをここで公表すると……
 な、な、何と、ご両人共々、 すべてに「無回答」と応えているのだ。 
 当然ながら、小池氏から「そうせよ!」の指示であった事実など明白だ。 それに従う事も小池氏が操っている「都民ファーストの会」よりの公認立候補者と成れる必須条件だった事も、当に想像が付いているものの…。

 それにしても……
 所詮都議会との地方自治体レベル議会選挙立候補者達とは、たとえ一新聞社への掲載とはいえ自分自身のポリシーすら語らず、「無回答」と返答する事が選挙民に認められると本気で考えているのか!?と嫌気がさす。
 もしも本気で「都議会議員の一人」となって都民に尽くしたいとの誇りがあるのならば、ボスである小池氏に逆らってでも、「自分のポリシーを公に語らせて欲しい!!」 と嘆願するべきでなかったか!?
 一新聞社のせっかくの問いかけに「無回答」との回答を深い考えも無く実行する立候補者になど、何処の選挙民が貴重な一票を投じてくれると、貴方達は空虚に信じるのか??!!  貴方達若き世代は今までの人生一体全体何を信じ、何をポリシーとして生きて来たのだ!?!  

 我が都議会選挙区に於いて、既に当選を果たして“しまった” 未だ若き世代の村松さんと尾島さんに言っておきたい事がある。
 貴方達が応えた「無回答」との回答に心底落胆している選挙民も存在する事実をとくと再確認しつつ、当選した以上は都政に邁進して欲しいものだ。

 小池さんの気持ちも分かるけどね…。
 結局小池さんて自民離党したとは言えども、将来的に自民との連立でも目指し、自分こそが国家政権を握れるとの大いなる勘違いに浸っているのだろうし…。
 そうは問屋がおろさないぞ! これ程までに得体の知れない「都民ファーストの会」新人公認者を数多く当選に追い込んだ責任は、小池さん、貴女自身が取るべきだよ。 その責任を全うするためには、都知事を最低2期務め上げる程の期間を要する事だろう。 


 最後に朝日新聞本日の社説の一部を引用し、私論のまとめとしよう。

 今回の都議会選挙に際し、都政運営の基盤を盤石にした小池知事も力量が問われる。「都民ファーストの会」を立ち上げた手腕は見事だったが、自民党都連を「敵」に見たて、政治的なエネルギーを高めていく手法はここまでだ。
 小池氏が、「挑戦者」として振る舞える期間は名実共に終わった。 首都を預かるトップとして山積みする課題を今後着実に解決して行かなければならない。
 都議選告示後の都民を対象とした朝日新聞世論調査では、知事を支持する理由として「政策」を挙げる人はわずか4%だった。 小池氏は今後実績を積み、これを増やしていかなければ、いずれ行き詰まるのは明らかだ。
 (以上、朝日新聞本日7月3日の「社説」より一部を引用したもの。)

 本日のニュース報道によれば、小池知事は「都民ファーストの会」大量当選を受け本日その党首を退任したようだ。 今後は新たな党首に変わり、大量当選「都民ファーストの会」の都議会活動が開始するのであろう。
 今回当選した「都民ファーストの会」個々のメンバーには、任期の4年間その責任を果たすべく、まさに常に“都民ファースト”を肝に命じて都政に臨んで欲しいものだ。