原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

キエフ・バレエ 「眠れる森の美女」全幕

2018年08月12日 | 芸術
 (写真は、昨日2018.08.11 我が家から電車で一駅で行ける場所にある文化センター大ホールにて公演された キエフ・クラシックバレエ 全幕 のチラシより転載したもの。)


 今朝から私は、“ギックリ腰” 一歩手前程の重症の腰痛に苛まれている。
 その原因は、既に分析済みだ。
 昨日久しぶり(半年ぶりか??)にクラシックバレエ観賞をして、同じ姿勢で椅子に2時間余り腰かけたせいであろう。 
 元々“側彎症”を抱えているため、腰痛の持病持ちではある。 私の場合腰から上の身体が左に傾いている(現在のところはごく少しの傾き範疇だが…)ため、いつもは右腰のみが痛むのだが。
 今日の腰痛はその様相がまるで違っている。 背中の腰部全体が痛み、午前中は特に大変で、無理して背筋を伸ばそうとすると“ギクッ!!”っと来そうな激しい痛みに襲われるのだ。 その“ギクッ!”が左足にまで電波して、まるで全身が感電したかのような感覚だ。
 少し布団に寝直してみたりしたが、どうしてもルーチンワークをこなさねばならない義務感が優先して、腰曲げスタイルでそれをこなした。
 昼飯の支度をしているとやっと娘が起きて来たため我が腰痛を伝えると、娘も「右足の外側付け根あたりが痛む」とサリバンに訴えて来る。 そうなると娘優先に相場は決まっている! 我が腰痛をさておき娘の問診をしてやって、まあ大したことは無さそうだと安堵した。
 その後、我が腰痛の話は昼過ぎに起きて来た亭主にも伏せ、一人で対処している。 午後になって少しは背筋を伸ばせるようになったため、まあ大丈夫だろう。

 我が腰痛の話が長引いてしまったが。
 クラシックバレエ界にて腰を痛める人材は多いと以前より見聞している。
 特に女性ソリストをリフトで何度も持ち上げねばならない男性ダンサーの“腰痛”の苦悩は深刻、との情報もある。
 そりゃそうだろう。 現在のクラシックバレエ公演はアクロバティックなリフト演技無くして成り立たないといって過言でない。 いくら女性ソリストが軽量とは言えども、あれ程高い位置までとめどなくリフトを繰り返さねばならない男性ソリスト氏のご苦労を思って余りある。

 今回のキエフ・バレエ「眠れる森の美女」の男性ソリストは、未だ若き日本のエース 二山治雄氏だった。 二山氏とはその存在感は物凄いのだが、とにかく小柄なエースであられる。
 その二山氏が主役オーロラ姫役の女性を舞台上で幾度もリフトする場面を見て、腰を痛めておられないか? なる要らぬ心配をした直後の我が腰痛発症だった…

 キエフバレエ「眠れる森の美女」を語ろうと志し今回のエッセイを公開しているにもかかわらず、我が腰痛関連の記述が長引いたことをお詫びする。


 実は私は、数年前より日本公演を数々こなしているウクライナのキエフ・バレエ団に対し、その演技の“質が悪い” “下手だ” 等々のマイナス評価が存在する事実にネット上で接する機会がある。

 私の場合、昨夏に引き続き今夏がキエフ・バレエ未だ2度めの観賞のため、多くを語れない身だ。
 確かにキエフバレエ団は、日本国内で数々のレベルの異なる公演を数多く実施しているようだ。
 その中で特に大劇場にて一度に一万人近い観客を集めるような大興業の場合、特にSS席等特別席の観賞料は高額に及ぶであろう。 それに大枚叩いた人物からのクレームであるならば、その批判も許容可能なのかもしれない…。
 
 片や私が昨日観賞したキエフ・バレエ「眠れる森の美女 全幕」など、クラシックバレエ公演にしてまさに“破格”に安価の観賞料金なのだ!
 しかもその破格安価にして、十分過ぎる程に舞台の完成度も高い!
 私が会場内を一覧する限り、観客の皆がバレエを習っているらしき子連れだったり、バレエ初心者らしき高齢者だったり、単に近くでバレエ公演があるから見てみようか?なる庶民の皆さん(私もその一人に過ぎないが…)で成り立っている公演だ。

 これで必要十分であろうし、ウクライナのキエフ・バレエ団が今後も我が家から一駅で行ける場所で入場料安価にしてこれ程までに素晴らしい公演を実行してくれるのならば、毎年私は娘と共に足を運びたいと志している。


 何だか邪道な戯言を述べただけの今回の我がバレエ観賞エッセイの様相だが…。

 最後に、昨日のキエフバレエ「眠れる森の美女」公演に関する原左都子の“真面目な”印象を述べてエッセイを締めくくろう。

 実は昨日のキエフバレエ公演では、ラッキーにも会場前席のチケットゲットが叶っていた!
 これはバレエファンの我々母娘にとっても久々の事でもあった。
 
 会場前席よりの鑑賞の特徴とは、出演者のお顔の表情までも読み取れるところにあろう。 更には我が意地悪観点(と言うより「興味深い」観点だが)出演者のある程度の“年齢”も判別可能なのだ!

 これが凄い。 準主役の“リラの精”を演じられた女性ソリスト氏が、私は高齢女性ではなかろうか?と判断した。 にもかかわらず、素晴らしい体力及び演技力であられたのだ!

 今回の公演に於ける絶対的な“立役者”だったのは、カラボス(悪魔の女性)役のクリスティーナ・バクリャーク氏だったと私は決定付けたい!
 この我が思いに同感するべく、公演終了後のアンコール場面に於いて、バクリャーク氏にこそ絶大な拍手が会場から届けられた事に大いに納得して、我々母娘は会場を去った。

 ブラボー!!   

眞子さま小室さん問題、交際初期に身元調査出来なかったものか?

2018年08月10日 | 時事論評
 そもそも私は、秋篠宮家の眞子さま、小室圭さんご両名の婚約発表直後より、小室さんの“胡散臭さ”を嗅ぎ取っていた。

 何ですって?
 眞子さまのご婚約お相手男性が、過去に「海の王子」とやらに選ばれたのだって?? 
 今の時代、女子がミスコンに出場することですらマイナスイメージが強い。 そんな中、一体何の目的で小室さんは敢えてそんなイベントに出場したのだろう?? 将来はタレントにでもなりたかったのか???

 小室さんの親は何を考えているのか? 子供が女子ならばまだしも、男子である小室さんがそれに出場するのを阻止しなかったのだろうか?  そんな事で一時名声を得ようとする事実を応援したのであろうか?
 あるいは賞金目当てだったのか??


 ここで私事を述べるのも恥ずかしいのだが…。

 我が実姉が大学1年生の時(今から40数年前の話だが)に、世界規模で毎年開催される某ミスコンの日本国内地方大会にエントリーした。 どうせ県大会予選で落選すると思いきや、何と県代表に選出されてしまったのだ。 
 (参考だが、何故その年に姉が代表に選出されたのかに関しては、その年特有の事情があった故だ。 皆さんもご承知だろうが、ミスコンなど裏ではコネが渦巻いているのが常識であり、選考会とはいえども最初から代表者は地元名士の娘と相場が決まっている。 ところがその年に限り会場投票がなされたのだ。 後で思えば確かに、未だ18歳だった姉は出場女性中群を抜いて“可愛いかった”かもしれない。 会場内は夏休み中の小中高校生だらけ。 誰がどう見ても美しいお姉さま達より、アイドルっぽく見えた姉に多数票が入ることだっただろう。)

 とにかく過疎県だ。 それが新聞報道されるなり、瞬く間に姉は県内有名人扱い…。
 これが実際恥ずかしくて……。 何処へ行っても「〇ちゃん(私の事)のお姉さんがミスコン県代表だね!」の反応のシャワーだ。

 その事態を、我が両親も恥ずかしがっているものと思いきや!?!
 驚かされたのは、日本代表選出全国大会に姉が出場する際に、両親が2名揃って東京まで「見に行く」と私に告げたのだ。  親とは実際、“よう分からん人種”なのかもしれない。 真に姉の行動を「恥」と判断したのならば、姉を嗜めこそしても、まさか全国大会にのこのこついて行かないだろう。
 そして両親は仕事を休んで、未だ高校2年生の私を一人自宅に残し、姉のミスコン全国大会のため東京見物も兼ねて数日間出かけて行った。
  
 ただやはり私は当時から、この我が両親の行動を“愚か”だと判断している。 そもそも子供の教育に関して根源的な“愚かさ”を内在していた両親でもあるのだが…。 
 わずか18歳との未成年時の姉のミスコン出場など、何が何でも親こそが阻止するべきだったはずだ。 
 というのも元々心理面で多くの問題(自己顕示欲が異様に強い、等々)を抱えていた姉は、その後の学生時代を通して案の定一時タレント活動などに精を出し、更に自己の心理を歪めるに至ったものと判断するからだ。 (私はそんな姉と20年程前に縁を切った事に関しては、バックナンバー内で記述済みだ。)


 我が姉に関する私事が長引いたが、ここで小室さんに話題を戻そう。

 やはり学生時代に「海の王子」に選出されたとの小室さんだが…。
 その後のニュース報道に於いて、幾多の小室家内の金銭トラブル問題等々が報道されるに至っている。
 どうやら小室さんが抱える家庭内事情の複雑さは、たとえ本人が包み隠そうが、既にどうしようもない程に国民の信頼を失墜するに至っている。

 更に私に言わせてもらうならば、何故小室さんは国内できちんと努力して「弁護士資格」を取得しないのだろうか?? (まさに多方面で“邪道野郎”だ!)
 「国際弁護士」を目指して米国に3年留学するというが、一体その費用は何処が負担するのだろう?? まさか宮内庁が国民の血税を投資しているとは思いたくもないが。

 唯一の救いは、秋篠宮家ご夫妻が小室さんに「納采の儀は現状では行えない」と伝えたとの事実だ。
 このニュース報道によると、「納采の儀」を延期するとの事実は確かなようだが、果たして眞子さまと小室さんのお二人の関係を今後如何に扱うかが、一切読み取れない。

 朝日新聞昨日の報道によれば、皇族の女性は結婚後皇籍を離れるがその際皇室経済法により「品位を保つため」に国から一時金が支給される、とのことだ。
 眞子さまの場合、その金額が一億円を超えるとみられる、との事だ!!


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 こんな血税の無駄遣いが許される訳もないだろう。
 
 何?「品位を保つために一時金支給」だと??  小室さんは既にこの「品位」の文言に於いて、ドロップアウトしていやしないだろうか??

 いやただ眞子さまが5年の年月にも及び、その小室さんを“お慕い申し上げて”おられる事実こそが辛くもある。
 どうして秋篠宮家のご両親は、眞子さまのお気持ちをもっと以前の小室さんとの交際直後期に察してあげられなかったのだろう。
 その頃にとっとと“邪道野郎”小室さんの身上調査を宮内庁の職員に申し出ていれば、交際から5年以上も経過したこの後に及んで、「納采の儀」延期なる眞子さまにとって実に辛い事態を招かなかったのかもしれないのに……
 時既に遅し、の感も抱く。 

 皇室に物申すなど大変失礼は重々承知の上だが。
 これぞ大事な娘の人生の究極選択場面に於いて、秋篠宮家ご夫妻は大いなる失敗をしでかした、としか庶民の私には捉えられないのだが…… 

沖縄県知事 翁長氏の死を心から追悼申し上げます…

2018年08月08日 | 時事論評
 沖縄県知事の翁長雄志氏が8日午後7時までに、膵臓(すいぞう)がんのため入院中の浦添総合病院で死去したことが分かった。 67歳だった。
 米軍普天間飛行場の返還に伴う名護市辺野古への新基地建設への反対を訴え、2014年の県知事選で初当選。新基地建設反対を最後まで貫いた。
 翁長知事は1950年生まれ、那覇市出身。 85年に那覇市議に初当選し2期、その後県議を2期、2000年から那覇市長を4期14年務めた。

以上、ネット情報より先ほど引用したもの……


 私は、翁長知事が沖縄県知事に初当選した直後より、翁長知事の政策を支持させて頂いている。

 その一端である 2014.11.17 公開「イデオロギーよりアイデンティティで沖縄辺野古を守ろう!」と題する「原左都子エッセイ集」バックナンバーの一部を、以下に再び繰り返させて頂こう。

 昨夜私は一筋の明るい光をみた。
 昨日(11月16日)投開票された沖縄県知事選挙で、日本共産党・社会民主党・生活の党・沖縄社会大衆党・県民ネット・那覇市議会新風会の支援を受けた翁長雄志氏が初当選を果たした。
 翁長雄志氏の略歴をウィキペディアより引用して紹介すると、1950年、沖縄県真和志村(現那覇市)生まれ。法政大学法学部法律学科卒業。那覇市議会議員、沖縄県議会議員を経て、2000年、那覇市長選に出馬し当選。以後4回連続当選。 との事である。

 沖縄知事選結果の詳細、及び翁長雄志氏が沖縄県知事選挙戦前にメディアを通して述べた知事候補として立候補するに際する信条の程等々を、以下にネット情報を参照しつつその一部を紹介しよう。

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設が最大の争点となった沖縄県知事選は16日投開票された。 移設に反対する無所属新人の前那覇市長翁長雄志氏が、移設推進を訴えた無所属現職の仲井真弘多氏ら3氏を破り、初当選した。次点の仲井真氏に約10万票の大差をつけた。 政府方針を支持する仲井真氏の敗北は、衆院選を前に政権に打撃となる。 政府は移設を予定通り進める方針だが、移設反対の民意が明確に示されたことで、計画への影響は避けられない。

 初当選を決めた翁長氏は「私が当選したことで基地を造らせないという県民の民意がはっきり出た。それを日米両政府に伝え、辺野古の埋め立て承認の撤回に向けて県民の心に寄り添ってやっていく」と述べた。
 翁長氏は戦後69年たっても変わらない基地負担の中での辺野古移設を「沖縄への構造的差別」と位置付け、「基地は経済発展の最大の阻害要因」と主張。 前回知事選で「県外移設」を訴えながら、昨年末に辺野古移設に向けた政府の埋め立て申請を承認した仲井真氏に対する県民の反発を追い風に保革を問わず支持を得た。
 
 今度の選挙は仲井真知事の埋め立て承認に対し、民意を問うものになると思っています。 工事を強行している安倍政権に対して、沖縄の民意をぶつけるということです。 私たちは、仲井真さんの普天間県外移設の公約破棄を容認していません。 今度の知事選は、公約破棄である埋め立て承認に対する県民の初めての判断になります。だからこそ結果をしっかりと出す必要があるのです。 私たちは「オール沖縄」とよく言っていますが、「イデオロギーよりもアイデンティティーが大切」ということです。「心を結集して闘っていこう」と呼びかけています。
 ただし、日本政府、アメリカ政府の権力は大変強大でありますから、私たちがこういう集会を20万人規模で開いても、いまの状況で進めていくと思います。 ただ時代背景が変わってきた。アジアのダイナミズムを沖縄で体現することができるようになりました。 別の言い方をすると、日本という国が疲弊してきている。アジアを見つめてみると、沖縄がこの地域のゲートウエー(玄関口)になり、フロントランナーにならないといけない。そういう中で、辺野古基地反対の大きなうねりが沸き起こります。「新基地建設を中止して日本国民全体で安全保障を考え直す」ということにつながっていくのではないか。沖縄県知事選によって日本の安全保障政策を変えていくのです。
 私からすれば、日本全体で0・6%しかない沖縄に米軍基地を押し付けておいて、抑止力も何もないと思いますよ。 日本国民全体で守って初めて抑止力が働くのであって、「日本国全体で守る」という素地をつくっておかないと、抑止力にならないと思いますし、日本国の決意は見えません。このままでは沖縄戦の70年前と同じです。
 (以上、ネット情報より翁長雄志氏のポリシーの程を紹介したもの。)

 原左都子の私論でまとめよう。
 これ程までに沖縄が過去に於いて国内外から虐げられてきた歴史を勘案した上で、沖縄県民の未来を示唆する力量を備えられている翁長雄志氏に、私とて一票を投じたい思いだ。

 最後になるが、学問好きな原左都子より「イデオロギー」と「アイデンティティ」の言葉の説明をしておこう。
 翁長雄志氏がおっしゃるところの「イデオロギー」とはおそらく、思想傾向、政治や社会に対する考え方の意味合いであろう。  「アイデンティティ」に関してもこの場合は、他者や共同体から認められる自己の存在証明との意味合いでよいだろう。 
 まさにその意味合いで、今回の沖縄県民知事選に於ける闘いとは「アイデンティティ」の確立であったと私も捉える。
 国家(及び米国)の歪んだイデオロギーに長年翻弄され続けて来た沖縄県民皆さんが、今回選んだ知事の下、県民としてのアイデンティティを取り戻せる事に私も期待し応援し続けたい思いだ!!

 (以上、翁長氏に関する我がエッセイ集バックナンバーの一つの一部を紹介させていただいたもの。)



 沖縄の未来を背負い大いなるポリシーを抱き国や米国と闘われて来た翁長氏が、膵臓癌を患い67歳との若さで命を閉じられた事実が実に無念だ。

 今はとにかく、翁長氏のご冥福をお祈りするしか手立てが打てないのが悔しくもある……

私も絶対的に 「鉛筆」 派!!

2018年08月08日 | 自己実現
 (写真は、今現在私が現役で使用している鉛筆 及び新品で保管している鉛筆・色鉛筆の数々。)


 毎週水曜日の午後は、音楽スタジオでフルートを吹くスケジュールとなっているのだが…
 あいにく台風13号が関東上陸を狙い撃ちしているとの情報だったため、昨夜スタジオ予約を見送った。
 ところがこの台風13号、時速15kmとノロノロぶり。 未だ上陸せず、雨も降ったりやんだり…
 これならば本日午後スタジオへ行けたのに! と悔しいところだ。
 
 まあ、しょうがない。
 気を取り直して、お気軽に綴れるエッセイでも記してお茶を濁す事としよう。


 ずっと前のNHKBSテレビ番組「美の壺」のテーマが“鉛筆”だったのだが、それを視聴した時からこのエッセイテーマを温存していた。

 
 表題には「私も絶対的に鉛筆派!」と銘打ったが。

 より正確に言えば、普段の筆記は絶対的に「パソコンキーボード派」だ。
 20代後半頃より仕事上、業務用ワープロ(富士通oasisの立派な業務用ワープロだったが)に馴染み、それ以降しばらくワープロ派だった。

 28歳時に英文タイピング技能検定2級を取得した。
 これに関しては、本エッセイ集バックナンバーにても複数回既述しているが。 
 当時医学関係の仕事に携わっていた私だが、時代の波に先駆けて業務のシステム化が施され、そのワークシート出力のプログラミング担当を私が率先して申し出た。
 FORTRANはキーボード入力字数が少なめのため、さほどの苦痛はないのだが。 これがCOBOLとなると、物凄い字数のプログラムを入力せねばならない。 これにほとほと嫌気がさした私は、すぐさま英文タイプにてブラインドタッチをマスターする事を目指したのだ。 そしてしばらくして英文タイプ2級を取得したとのいきさつだ。

 この技能は、後々までも私に恩恵を与え続けてくれている。
 高校教諭時代、商業科の授業の中に「ワープロ」があった(当時は未だワープロ時代だったのだが)。 我が専攻は経営法学であり「商業法規」や「商業経済」が主たる受持ち科目だったが、英文タイプ2級を取得している関係で「ワープロ」の授業も「私にやらせて下さい!」と自主的に申し出た。
 これがワープロ初心者の生徒に受けること、この上ない!  教員である私がブラインドタッチでキーボードを高速打ちするパフォーマンスを披露すると、皆がまるで“曲芸”でも見たかのように「私(ボク)も早くそうなりたい!!」と授業への意欲を示してくれるのだ!
 その後すぐに「パソコン時代」へと移ろいだ。 おそらくワープロ検定に合格した生徒達もそのブライドタッチ技能を活かし、社会で活躍していることだろう。


 この我が“キーボード高速打ち能力”が、その後私自身の直筆力に暗いシワ寄せを招いてもいる。
 20代後半期より既に30数年の年月、キーボードにて筆記を依存してしまっている私の手が、「直筆」に馴染まなくなってしまっているようなのだ。

 どうやらキーボード高速打ち速度に対応して、直筆の場合も我が手が高速に動こうとする感覚があるのだ。
 これを誰に相談しても、“そんなの気のせいだ”等々の不毛な回答しか返って来ない。
 もう嫌気がさして、誰にも相談などするもんか! との域に達しているのだが……


 そんな「直筆」苦手の我が一番の応援者が、鉛筆だ!

 鉛筆こそは、私を裏切らない。
 我が高速直筆に対応してくれるキャパが鉛筆にこそあることに感激の日々だ。 
 要するに高速直筆をしようとしても、それ程に書面上をスムーズに移動しないのが鉛筆の特徴ではなかろうか?  特にB以上の柔らかい材質の鉛筆がそれを、私に日々叶えてくれている。
 片やボールペンなど悲惨だ。 紙面を滑り過ぎて、ミミズが這った字しか書けない…… 

 元々“左利き”との事情もあるだろうか?? 一旦右手が「直筆」から遠ざかった後のブランクが30数年と長いため、今更ながら右手での直筆が苦手なのかもしれない… 
 あるいは4年前に右手首を骨折した後遺症かもしれない、と少し考えたりもする。?? 
 それ程に我が右手での「直筆」は悲惨であり、深刻でもある。


 最後に、冒頭写真の鉛筆群の説明をしよう。

 下中央が現在私が使用中の鉛筆群。
 パソコンキーボード筆記中心の私にして、何故これ程の量の鉛筆が必要かを解説するならば。
 おそらく、原左都子は皆様の想像を超越して世の事象を筆記(メモ)する習性があるものと結論付けられよう。 これらの鉛筆(色鉛筆も含め)とメモ用紙を家中の至る場所に配置し、いつ何時も筆記(メモ)体制に入れるように常備している。

 写真下両横は、色鉛筆。 
 これに関しては、娘が一時美術方面を目指していた時期に娘に買い与えたもの。

 写真上段は、新品の鉛筆群だが。
 一時フランチャイズ学習教室を開業した事実を、過去のエッセイにて公開している。 その時に我が教室に訪れるであろう生徒用に購入した備品の一部だが。 当時50本購入して、既に私一人で半分以上消費している。

 上段右は、過去に娘に買い与えて残った鉛筆を保存したものに過ぎない。 
 小中学生とは、何故かシャープペンシルが好きだねえ。
 あんな書きにくいものが筆記具として存在している事こそが、摩訶不思議な私だが…… 


 と言う訳で原左都子自身は、絶対的に「パソコンキーボード派」を一生賭けて貫きたい…。
 
 今尚重要案件で相手がボールペンを私に手渡し、これでここにサインして下さい、と言われると!
 実際ミミズしか書けない身にして、本気で困惑するのが実情なのだが……  

Let's speak English!

2018年08月07日 | 自己実現
Hello! How are you? I'm fine,thank you.

I have a plan to travel to West Corst of the U.S.A. on late August with my daughter.
And I have to blush up ability of my English conversation.

English was my strong field of subjects on every schools, at junior and senior high school and Universities.
Especially, fields of reading and writing in English, I got excellent points on schools and Universities.

My ages of English education in Japan, they didn't extend listening and speaking on school. So I was originally poor in English listening and speaking.
Afterwards of school age, I tried to blush up my English listening and speaking ability by traveling or studying abroad.


But time went by.
I'm old enough to study English conversation now.

And I bought an English conversation book for beginners!

This book is very easy to me.
I practice English conversation by this book and try to blush up my English conversation's ability.


Today, by this book I introduce pages of "On the Plane".


"Where"s my seat?" "It's down this aisle to your right."

"Can I move there?" "Yes, you can."

"Excuse me. Let me out,please." "Sure."

"Can I recline my seat?" "Please wait a moment."

"Any Japanese papers?" "Yes, we have these"

"Arrive on time?" " It's a little ahead of schedule."

   and so on ……




 Thank you so much for your reading today's my easy English essay.


I'm sure to continue blushing up my English conversation's ability till the U.S.A. travel!