原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“看板”に守られ続ける生き方に明るい未来はあるか?

2018年09月13日 | 自己実現
 米国西海岸旅行を挟んで、ここ1ヶ月間程まともなエッセイを公開していない気がする。


 大幅に文章力が低下し、本日は久しぶりに「エッセイ」と言える代物が書けるか否か不安感もあるがとにかくチャレンジしてみよう。

 ところで帰国後、私は腰痛を主たる要因とした体調不良と怪我に苛まれている。

 このうち怪我の方だが、 先週左足の小指を骨折した。
 原因は何てことはない。 涼しい日が続く東京だが、比較的暑い夜にリビングの扇風機を付けた。 この扇風機とぶら下がり健康器具の間を通ろうとして、左足先を力いっぱい健康器具にぶつけたのだ。
 まさに自己責任。 家族の誰にも言えず、一人で耐えつつ回復を待っている。 いや、足の指骨折は我が人生に於いて、おそらく数回経験している。 自分で患部を固定し、1ヶ月痛いのを耐えて大きめの靴を履けば何とかなるものだ。 そりゃ、痛いよ。 ただ、腰痛と比べるとたかが足の小指一本の痛さなど大したことはない。 

 それから昨日のことだが、昼飯準備中に包丁で右手中指を切った。 布巾を取ろうとしてその下にあった包丁に気付かず、思い切り刃を握ってしまったのだ。
 かなり深い傷のようで、血がタラタラ流れ出た。  これも自分でバンドエイド5枚でテーピングして止血し、普通に暮らしている。
 今現在が一番大変!  何故ならば、キーボードブラインドタッチが不自由だからだ。
 こんちくしょう! このテーピング中指、どうにかならないものか!? とイラ付きながらの執筆だ。 (今、テーピングをもぎ取って、バンドエイド1枚にした。)


 さて、本題に入ろう。

 表題に関してだが、この文言は現在NHKにて放映中の連ドラ「半分、青い」の主人公すずめのドラマ内の発言より引用したものである。

 このドラマ、一体どうしたんだ!?と呆れる程に“駄作”感がある。 特に豊川悦治氏演ずる漫画家あきかぜはおりが出演しなくなってから、私的には見るに忍びなくなった。

 いつものごとく、大した努力もせずして主人公が成功を収める、とのありきたりの昼ドラストーリーにもウンザリさせられ続けて来たが…。
 今回のこのドラマどうしたんだ!?? と繰り返したい程に主人公の生きざまの描き方に一貫性が無い。 すずめは何をしても失敗ばかり。 ついでに、いつまでも律との関係にこだわり続けるそのシナリオ、どうにかならないものか!?と腹立たしくすらなる。

 そんな中、主人公すずめが律に対して指摘したのが、表題の通り「律は“看板”に守られた生き方しか出来ない人間だ!」の捨て台詞だった。
 確かに、律の生き様とはすずめが言う通り「看板に守られて」来ている。 西北大学(早稲田の事だろうが)の卒業。
 (ここで一旦私論だが、早稲田に“看板として我が身を一生守ってくれる”ほどのブランド力があるのかどうか、私は判断不能の立場だが。  参考だが、我が亭主がまさにその早稲田で早稲田高等学院から大学院博士課程、その後ポスドク期までお世話になったようだ。 その後ずっと年月が経過して後、亭主は私の世話になる人生だ……
 ドラマの律はその後京大大学院へ進学し、一流企業(これもすずめ曰く“看板”らしいが)にてロボット開発に携わったとのドラマ展開だ。

 この“決めゼリフ”を幼馴染のすずめから言われてしまった律は、当然ながら怒り心頭だ!
 ただ、結果としてはロボット研究現場から遠ざかり、今となっては管理職としてつまらない仕事をまかされている律は退職を決意してフリーの身となるとの、現在のドラマストーリーだ。


 ここで私事に入ったとて、大したことはないのだが…

 私の場合そもそも過疎県の出身であるし、“看板”と言える程の価値あるものを背負った試しも無い。  (ただ我が高校の出身者など、卒業後数十年が経過した今だに、その“ブランド力”を誇っている人々が多いのに驚かされる。)
 二度経験している大学及び大学院とて、特段“看板”にする程の誉れもなく。 職業経験に於いても、同様だし…。 
 と言う訳で、私の場合はどう転んでも“看板を背負って生きて来ていない人種”に分類してもらえるであろう。


 それをラッキーとして発言させてもらえるならば。

 自分の“看板”とは自分自身が作り上げてこそ真の価値が伴うものではなかろうか?

 その意味でドラマの律の場合も、幼馴染のすずめに「貴方は看板に守られてしか生きられない人種だ!」とけちょんけちょんに暴言吐かれたとて、何も仕事を退職する必然性は無かったはずだ! 
 えっ、何だって。
 すずめと共に、二人で新たな起業をしたかったのだって?
 
 このドラマ、後2週間少しで終焉を迎えるのだが、まさかその二人の起業が成功を遂げるなどとのヘボい結末を用意していないよねえ!??
 そうだとしたら、まさにウンザリだよ。

 
 私の希望としては、すずめと律は是非とも別々の人生を歩むとのシナリオでドラマを終焉して欲しいものだ。
 それぞれの鞘に戻り、二人が実直に生きる姿を、私は見たい。

フォトチャンネル 西海岸旅行ー 観光編 -写真アップが終了しました!

2018年09月11日 | 旅行・グルメ
  米国西海岸旅行 ー 観光編 -





 フォトチャンネル概要

 (このブログページのフォトチャンネル画面が小さく見辛いのに加え、写真の縦が横のままの状態でもありますし、出来ましたら左欄フォトチャンネルをクリックしていただき、より大きな画面にてご覧下さいましたなら幸いです。)


 2018年8月の米国西海岸旅行に於ける、「U.C.バークレー編」以外の観光をまとめたフォトチャンネルです。

 成田からユナイテッド航空にてサンフランシスコ空港へ到着し、ホテルに向かいました。 

 そのホテル概要と、近隣のマーケットストリートの様子を撮影しています。
 ホテル近くにオペラハウスがあり、どうやら「レ・ミゼラブル」上映中のようでしたが、残念ながら閉館していました。

 夜はホテルのレストランにて食事をしました。 これが米国物価高により予想以上に高額だった件に関しては、既にブログ本文内に述べています。

 次の日は、現地バスツアーにてモントレー・カーメルを目指します。
 
 その道中、広大な野菜・果物農場が延々と続く地域があり、その中に野菜・果物市場が存在していました。
 この市場が実にダイナミックと表現するべきか、とにかく私にとって予期せぬサプライズであり印象深い観光地だった事に関しては、バックナンバー旅行記内でも記述しています。
 娘も放ったらかして、バス旅行者の誰よりも時間をかけて見学し沢山の写真を撮影したのですが、その中から15枚をフォトチャンネルにアップしました。
 市場写真の最後の一枚はお菓子売り場ですが。 何とも可愛い坊やがママにお菓子をおねだりしているショットです。 何処の国も同じ光景ですが、この場でも坊やからの「ママ、ボクこれが欲しいよ」との嘆願に対し、ママは「No! 昨日も買ったでしょ。 今日は買ってあげないよ!」と断じて拒否していました。 (坊や、残念だったね…)

 モントレーでは、バックナンバーで記載した通り、何故かモータショーの最中でレースカーが爆音をがなり立てていたのですが、その様子も撮影しています。

 カーメルでは、期待していたよりも大して見るべき場も無く…。 カーメルブランドの帽子(キャップ)のみ購入して。 これは雨天のランニング時や、我が国でも現在多発中のまさかの非常事態の緊急避難時にウィッグ替わりに使用する予定です。 
 (大変遅ればせながら、こんな場で台風21号及び北海道震度7地震激甚災害のお見舞いを申し上げる失礼を何卒お許し下されば幸甚です……。)


 そして終盤の写真は、サンフランシスコの坂道です。 
 この坂の傾斜の現実は、写真に映っているよりはるかに急角度です。
 よくぞまあこんな所に人が住んでいるし、車を駐車しているものと、サンフランシスコを訪れる都度、驚かされるばかりです。
 お年寄り達は、一体ここをどうやって歩くのだろう?!?  高級住宅街にして、おそらく多くの難題を抱えている事でしょう。

 娘の希望で急きょ訪れたゴールデンゲートブリッジ周辺の写真のあと…


 米国西海岸旅行 -観光編ー  最後の最後の写真は。

 成田へ向かうユナイテッド航空、帰国便内で観賞した映画から転写したものだ。
 言わずとしれたディズニーアニメ巨大ヒット作「アナと雪の女王」より、雪の女王であるアナの姉が熱唱する場面だが。
 何だか、この映像に勇気付けられた思いだった。

 多難かつ厳しい米国西海岸旅行だったが…
 私自身も雪の女王のごとく、米国物価高も旅程の不十分さも乗り越え、たとえ腰が痛くとも、今後も、「私は、大丈夫! ありのままに、私なりに、あの国(日本のことだが)で生き続けよう!」 との再確認が叶った旅の最終場面だった。 


 “旅を三度楽しむ” との我がポリシーでしたが。

 旅の途中で “もう嫌気がさしたぞ!” “この国、二度と来るものか!!” と思う程のマイナーな旅ほど、後で“愛おしさ”を実感させられ未練タラタラなものなのでしょう。
 
 明日からでも、もう一度米国西海岸へ行きたい!! 思いに焦がれる今現在であります…… 


  < フォトチャンネル 写真枚数 100枚 >


フォトチャンネル ー U.C.バークレー編 ー 写真アップが終了しました!

2018年09月09日 | 旅行・グルメ
米国西海岸旅行記- U.C.バークレー編 ー




 米国西海岸旅行記 U.C.バークレー編 の写真アップが終了しました!


 サンフランシスコの地下鉄バート・シビックセンター駅からバートに乗ってダウンタウンバークレー駅に到着。

 徒歩でU.C.バークレー西門を通過しバークレーの森を通り過ぎ、ライフサイエンス棟の近くで地図をチェックした後、やっとセイザータワーが見えてきました!

その後、U.C.バークレー正門であるセイザーゲート付近へ移動し、映画「卒業」の舞台となった建物付近をうろついた後…
 
 大学ブランドショップでマグカップを買い。 バークレーの街でピザを食べ。

 再び大学構内へ戻り1974年の短期留学時の宿舎だった歴史的建造物Bowles Hallを探したのですが、広大な大学敷地内で迷いに迷った挙句見つからずじまい…。


 フォトチャンネル最後に掲載したBowles Hallの写真はネットより転写したため、至って不明瞭で恐縮です。
 ただこれは私が宿泊した部屋がある建物左側1階部分が映っている貴重な写真でもあります。
 この1階の部屋の前に小道があり、そこから部屋の窓を叩いて外へ誘い出してくれる留学生仲間がいました。
 写真右側がBowles Hall の正面玄関。
 その左側が食堂。
 正面玄関の右側に、毎夜ディスコダンスパーティを楽しんだ学生ホールが存在しています。

 今回は娘のストライキによりBowles Hall訪問を断念し実に残念でしたが、何時か必ずこの建物をこの目で三度(みたび)見たいものです。


 左欄の米国西海岸旅行記 ーU.C.バークレー編ー の表紙と、過去に公開したイタリア旅行記のピサの斜塔表紙の映像が一見ダブってしまっていたため、U.C.バークレー編の表紙を映画「卒業」で著名な建物写真に変更しました。


 今後時間を見つけつつ、フォトチャンネル ーU.C.バークレー編ー 内の写真一枚一枚に注釈を追加する予定でおります。



 (参考だが、フォトチャンネルが記事本文内で簡単に公開出来る事実を私は今回初めて知った。 この機能を有効活用すれば、複数写真をブログ内で公開出来るとの事だね? ただ、公開写真の一枚一枚が小さいし、表紙が無いし、欠点も多いなあ。)
 

この職種にそのイケメン度、必要ありか!?

2018年09月08日 | 医学・医療・介護
 いやはや…。 いつ何時“イケメン”に出会ったとて決して損した感覚は無いものだが…

 表題のごとく、“この職種にそのイケメン度、必要ありか?” とすら驚かされる“場違いイケメン”に遭遇する機会があるものだ。 


 真面目な話題に戻そう。

 一昨日、少し久しぶりに義母の病院受診付添いを実行した。
 今回の義母からの電話は、補聴器に関する訴えだった。

 耳の聞こえにくさが悪化する義母は、5年程前より補聴器に依存している。
 ところが、この補聴器に関して苦労が絶えない義母でありその保証人の私と亭主だ。

 まず補聴器を購入した当初より、「落とした」「また、落とした」の連続訴えだ。
 無くしてしまっては仕方がない。 再度、再再度補聴器を作り直した。 (参考だが、補聴器とは医療保険適用外であり、実費の自己負担となる。 補聴器を利用されている方々はご存知だろうが、かなりの高額だ。 数十万円の損失計上也。

 その後チェーン利用により、「落とす」事は無くなったものの…。
 そもそも、補聴器とは義母に限らず誰しも聞き取りにくい代物らしい。 耳に取り付けにくいし、すぐに外れてしまう特質もあり、特に認知症者にとっては付けたつもりが付いていなかったり、歪んでいたりとトラブル多発のようだ。
 しかも特に電話の音声が聞き取りにくいらしく、義母からの電話の都度、「聞こえない」の繰り返しで会話になりやしない。 近頃は義母からの電話がめっきり減って楽だったのだが…


 さて、昨日の耳鼻科ではまず医師による診察と耳垢除去措置から実施された。
 この医院では付添い人も診察室入室OKとの事で、私も義母に同行した。
 「荷物をそちらに置いて下さい」との医師の指示だが、案の定義母は聞き取れていない。 いつもこうなのだろうと想像しつつ、私がサポートして荷物を置いた。
 (臨床医先生方にお願いしたいのだが、高齢者は耳の聞こえが悪かったり認知症状があったりして、医師先生の指示を聞き取れないのが通常と認識していただけないものだろうか? 従って、患者がすぐ指示に従えなくともいきなり怒ったり、付添い人や看護師に対して「アンタがちゃんと言え!」等と指導し始める事態は最低限避けていただきたいものだ。)
 私が一緒だったのに義母が安堵していたのか、診察と措置は難なく無事終了した。

 今回の耳鼻科受診は、「どうしても今使用中の補聴器が聞こえない」との義母の訴えを尊重して、またもや新しい補聴器に作り変えそれを装着するのが第一の目的だった。
 その担当は耳鼻科に出入りしている補聴器会社からの出向者が受け持っているとのことで、その順番待ちをした。

 そして、その担当者に名前を呼ばれたのだが。
 これが、ビックリ仰天!
 これ以上のイケメンは世に存在しないだろうと表現するべくイケメンだったのだ!!
 お顔はまるでギリシャ彫刻のごとくホリが深く、しかも小顔。  身長は180㎝を超えていて、均整の取れた体格。 しかも、ハゲ始めているとか、白髪がちらほらとか、猫背が痛いとか、実は短足とか、そういう各部所の欠陥も一切無いのだ! (私もよくぞまあ、ほんの短時間ですべてのイケメン度チェックを成したものだが)  更にはその体型にして当然のごとく、背広スーツの上着を脱いだ姿がばっちり決まっている。

 へえ。 義母って、いつもこのイケメン氏に補聴器を作ってもらっていたんだ。と妙に感動しつつ…
 さてさて真面目に付き添い役を果たさねば、と気持ちを切り替えて。

 補聴器調整室へ義母と二人で入ると、さっそくイケメン氏が名刺を手渡してくれた。
 ここから早速、義母の認知症状披露が始まる。
 「あのね、先生。 補聴器が聞こえなくて困っているの。 つけ方が悪いのかしら。それから電話も困っているのよ。 電池はいつ入れ替えればいいのかしら…」
 いつもながら矢継ぎ早、かつ繰り返しの義母の訴えを一通り聞いた後、イケメン氏が応えて、「ご質問に一つ一つお応えしますので、まず質問内容を整理しましょう。」 私が内心で(よく出来たイケメンだなあ。)と思っていると。
 それにもかかわらず、義母の口からは繰り返し発言がとめどなく湧き出てくる。
 そこでイケメン氏が、義母の話を遮ってメモしていた質疑に関して応え始める。
 
 この時のイケメン氏の丁寧な回答により、私は補聴器に対する義母の認識及び取り扱い方の過ちを初めて論理的に理解出来た思いだった。
 その事実を今度は私からイケメン氏に伝えた。「もしかしたら、義母は補聴器の付け方も電話時の受話器の位置も、更には電池交換の仕方も誤っているかもしれません。 ただもはや、義母はそれらを単独で成すに値する能力を失墜している恐れもあります。」
 この我が訴えに関してイケメン氏が、「本日、今一度お義母さまに私の方からそれらを実践していただきつつお教えします。」
 それを実践して下さりつつ、義母も再度補聴器の扱い方を自分自身で学び直したようだ。

 ただ、大きく不安が残る私は再度イケメン氏に訴えた。 「今は懇切丁寧に補聴器使用方法を再度ご伝授頂きましたので、義母もそれが出来ましたが…。 施設へ戻って一人になると、またすべてを忘れ去って何も出来なくなるとの懸念点が大きいのも事実です。」
 まあそうだとした場合も、10月の1カ月点検時に今一度イケメン氏が立ち会って下さるし、その後も2年間の保証期間があるため、もし付き添いの私からの要望があるようなら「いつでも名刺に記載してある連絡先に連絡をいただければ対処する」、とのイケメン氏よりの回答だった。


 このイケメン氏の対応で必要十分だろう。

 と思っていた矢先、昨日義母から電話があった。
 「あのね、補聴器を作り変えたのにちっとも聞こえないのよ。 この電話の〇子さん(私の事)の声も聞こえない。 おかしいわねえ。」
 
 (昨日補聴器の扱い方を練習したばかりなのに、おかしいのは貴女の頭!!)と言いたい思いを封印して「10月にまた補聴器1ヶ月点検に私が付き添いますから、その時に再度担当者に相談しましょうね。」と話を濁さない事には、義母の“補聴器聞こえない地獄”から私は開放され得ない。

 いくら補聴器担当者氏がイケメンであろうが説明力があろうが、認知症高齢者には誰も勝てない事実を実感させられた、一昨日の義母耳鼻科付き添いの虚しい生業(なりわい)だった…。

現在「米国西海岸旅行記」フォトチャンネル編集中です。

2018年09月08日 | 旅行・グルメ
 (写真は、表題のフォトチャンネルより一枚を転写したもの。)


 
 現在、「米国西海岸旅行記 U.C.バークレー編」を編集作業中です。

 バート・シビックセンター駅からバートに乗りダウンタウンバークレー駅に到着後、徒歩でU.C.バークレー西門を入り大学構内のバークレーの森を通り過ぎ、ライフサイエンス棟の近くで地図をチェックした後、やっとセイザータワーが見えてきました!


 午前中は、ここまでのフォトチャンネル作成編集段階です。

 後程(後日?)、まだまだ写真を追加します。