原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「プロ」と「素人」をそれ程 “線引き・区別”せねばならないか?

2018年11月20日 | 時事論評
 当該「原左都子エッセイ集」2018.11.04 バックナンバー「怒れられて、嬉しいか?」の最終章に於いて、私は以下の記述をしている。

 内戦下のシリアで拘束されていたフリージャーナリストの安田純平氏が、帰国後の長~~い記者会見内で一応の「謝罪」を述べておられる。
 私見としてはそれを“当然の事”と捉えつつ、安田氏の行動を単に「怒る」との行為がどうなのかとの自問に苦しみつつもある。
 この議論に関しては、世の議論が深まった暁に今一度私論を述べたいと考慮中だが…。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより、一部を再掲載したもの。)


 今回のエッセイは、決して上記フリージャーナリスト安田氏の言動に関する議論を提示しようとするものではなく、あくまでも表題の通り「プロと素人間の線引き」に対する私論を述べる趣旨である。

 何故本日、その私論を述べようと志したのかと言うと。
 2,3日前に、某プロのジャーナリストによるフリージャーナリスト安田氏の行動に関して、「素人がつべこべいうのは間違っている、云々…」の趣旨文面を発見したからに他ならない。
 そのコピーを取り忘れた、と言うよりも。 その後日数が経過するにつれ、その文面を思い出しては何だか“腹立たしさ”が煽られるのだ。

 と言うのも当「原左都子エッセイ集」など、まさに一ド素人がド素人の立場で私論オピニオンを羅列した文集に過ぎない。(いえいえ、中には自分の専門に基づき念入りに内容を検証・監修した上で公開しているエッセイも少なくないのだが。)
 上記ネット文面は、あくまでも“ツイッター”等々ネット上のSNS類に記載されている“素人文面”をやり玉に挙げていたのではあるが。
 そうだとしても今のネット時代に於いては、米国のトランプ大統領とてツイッターで好き放題暴言を吐いている。 日本の国会議員とてFacebook登録したり、やはりツイッター等で安易な見解を述べたりしているじゃないか!?
 そんな現代の時代背景下に於いて、何故素人(要するに“一般人”という事なのだろう)がそれを真似ることを、プロの立場から全面否定されねばならないんだ!?!

 事のついでに、現在“フリージャーナリスト安田氏問題”が“素人間で”如何に議論されているかを紹介すると。 (以下に、本日朝ネット上でたまたま発見した文章の一部を引用する。

 安田純平氏開放を自己責任論で叩くのは賛否両論ありますが、ジャーナリストの評価は真実を如何に正確に報道しているか、虚偽の情報は含まれていないのかを常に疑われる訳であって、安田氏の取材は欧米のジャーナリストであれば当然の事だと、どんな評価されるべき作業であるそうです( ̄▽ ̄)b
 (以上、ネット上より一素人氏が公開したと思しき文面より引用したもの。)

 エッセイの本題からズレるが、ここで原左都子自身の安田氏に関する“感覚”(あくまでも“感覚”範疇であり、私見と言えるまでの意思を含有していないことを断っておく)を少しだけ述べさせて頂こう。
 安田氏が開放されて帰国した直後に安田氏の実父母がメディア会見に応じた現場での発言に、大いなる違和感を抱かされた。 未だ何らの開放背景も把握されていない状況下に於いて、私が安田氏の親ならばまずは「国民の皆さん、息子が迷惑をお掛けしたことをお詫びします。」と開口一番に謝罪したであろう。
 ところが、安田氏実父母氏達のインタビュー内容は大いに違った。 特に母親氏は「今まで本当に辛かった…」と言うなりメディア報道の目前で目頭を押さえたのだ。
 片や安田氏ご本人は、帰国直後の長~~い記者会見の中で明瞭に自己の責任論を述べた。 要するに、今回の事件は“自己責任範疇だ”と認めた、と私は解釈している。
 その後、安田氏がすっかりメディアに姿を見せなくなっている。 今現在安田氏ご本人が何を考え、プロのジャーナリストとして如何なる将来像を描いているのか、残念ながら測り知れない。
 などとド素人の立場で自分の“感覚”を無責任に述べたりしたものならば、上記のプロジャーナリスト氏より再び「素人は黙れ!」なるバッシングを受けるのかなあ。


 今回のエッセイ最終場面で、大きく話題を変えさせて頂こう。

 私事になるが、半年程前に私は昨年秋より実施していた「フルート個人レッスン」の担当講師を“斬り捨て”た。(要するに、レッスン契約を終了した。)

 当該我が行為の明確な理由を未だ公開していなかったが、もうそろそろ時効と判断しその一番の理由をここで述べよう。

 実はこの若き女性講師氏の一番の欠点とは、「プロと素人の線引き・区別」感が著しかった事である。
 いえいえ、ご自身のプロフルート奏者としての自我意識が高いことは素晴らしく、評価に値する事実であろう。 
 むしろそれが一切無い人物に指導いただいたとて、お先が見えている気もする…

 今回上記のプロジャーナリスト氏のネット文面に触れた時に、半年前に“斬り捨てた”このフルート奏者に共通点が存在したことが、我が脳裏にフラッシュバックしたのだ。

 我がフルートレッスン開始前より、当該個人レッスン講師の内面に「プロと素人の線引き」意識が内在している事実を私は嗅ぎ取っていた。 
 ただ不思議だったのは、“ずっと素人の立場でフルートを楽しんで来ている”とレッスン前より自己申告している私相手に、何故「プロと素人との線引き」意識をそれ程までに前面に出さねばならなかったのかとの事だ。
 こちらが「楽しくフルートを演奏したい♪」と願い出ているにもかかわらず、“駄目出し”(この言葉に嫌悪感がある私だが)中心の授業を展開して、何故あれ程までに「自分はプロだ!」と言いたげな態度を私に披露し続けたのだろう。
 確かに、フルート演奏力は素晴らしい若き奏者であられた。 
 それだからこそ、こと指導者としては「劣等感」に苛まれていたから故の、あの“駄目出し”連続だったのかとも振り返る。


 上記、プロのジャーナリスト氏にもお願いしたいが。
 ネット上のSNSで“ド素人”達が何をツイッターしたとて、少しは大目に見てくれないだろうか?
 いや貴方がプロを自覚しているならば、嫌ならSNSなど見ないとの選択肢もあろうし…。(実は私も見ない派だが。)


 私自身が拙い「オピニオンブログ」を11年にも渡り公開している身であるからこそ言いたいのだが。
 素人(一般人)とて自分の生き甲斐を追及する権利は必ずや保障されている現世なのだから、自己のオピニオンを公開する趣味など、本人の自由にさせてよ!

左都子コレクション - 手作りしおり編 -

2018年11月18日 | 雑記
 (写真は、15年程前より暇を見つけては“手作り”している「ガラクタしおり」。)


 原左都子の“コレクション”って、どうしてこうも「ガラクタ」ばかりなの??
 と、呆れ果てていらっしゃる読者の皆様も多いことであろう。

 その中でも今回のコレクションは、「ガラクタ」中の「ガラクタ」だ。
 “手作りしおり”などとイッパシに表現しようが、その実態は廃品利用かつ幼児でも作れるレベルのくだらなさで恐縮ですらある… 


 本日、この「ガラクタしおり群」を公開に踏みきった理由とは、最近ため込んでおいた洋服のタグがある程度の数集まったが故に、久々につい先程「ガラクタしおり」を制作したからに他ならない。

 
 上記「ガラクタしおり」を制作し始めたきっかけとは。

 我が娘が通った私立中学が、都内某私立大学の付属学校だった。
 将来的に最悪の場合(と表現しては大学に失礼である事をお詫びするが)、娘が内部進学にてこの大学へ通う事も視野に入れ、私は当該私立中学入学前の3月に早くも「大学卒業制作展」に娘を伴い出向いたのだ。
(参考だが、その後の結果としては、サリバン⦅私の事だが⦆の厳しい学習指導により娘は中高を通してある程度の学業成績を修める事が叶い、一応国内では名が通っている私立女子大学の「公募制推薦入試」に合格し入学・卒業した。)

 その際の制作展示物の中に、上記の「手作りしおり」類似の作品群を展示している学生がいたのだ。
 “安易な卒業制作”と言ってしまえばそれまでであろうが、我が感覚としては、「アイデアとしては優れているし、例えばこの学生が幼児指導者を目指しているような場合、将来実践面でも役立つだろう」とプラス評価したのだ。(繰り返し失礼な表現を重々お詫び申し上げます。)

 娘と帰宅後、「あの“しおり”を作ろうか!」と娘を誘い、早速作ったのが自宅にあった菓子箱や娘の本に付いていたしおりを改造して、新たなしおりを制作する事だった。
 (15年程前の当時制作した「しおり」も、上記写真内に撮影されているが。)


 その後は私に時間が取れる時の我が趣味(と言うよりも“息抜き”として、現在までの15年間に及び「ガラクタしおり」を制作し続けている。
 (参考だが、これらしおりには必ず裏面に「千代紙」等々を貼る付けるとの補強・美化措置を施している。)


 上記写真は、それらの一部をランダムに並べたものだが。
 簡単に、その“しおり群”のカテゴリーを紹介するならば。
 過去に於いて訪れた「美術館・博物館」あるいは「クラシックバレエ公演」等々のチケット半券を保存しておき、しおりに化したものも数多い。
 
 あるいは冒頭に述べたが、衣類を購入した際に付随して来る「タグ」類の芸術性が素晴らしいのだ。  それらを保存しておき、ある程度まとまった量になると「しおり」化する事も多い。
 
 特筆するべきは。  冒頭写真中央に位置する「ピンクの猫の絵」に注目していただきたいのだが…。
 この絵は娘が幼少の頃、発語もままならない時期に描いた「猫」である。
 これと同時に、もう一匹動物の絵(熊だっただろうか?)も描いたのだが、それに関しては親である我が記憶が薄いのだが…。
 (多少発達が遅れていた)その娘の行動が実に嬉しくて、これらの「猫」と「熊?」に名前を授けることとしたのだ。
 そうして名付けたのが。 猫は「おなちゃん」、クマは「おなくん」だった。
 その名付の由来をここで公開させて頂くならば。 幼少の頃の娘が一番安心する場所が、母である私のお腹(なか)だったらしい。 当時言葉少ない娘が「おなか、おなか」と言いつつ我がお腹にすり寄って甘えていた記憶が現在尚新鮮である。 
 「〇ちゃんは、お母さんのおなかが好きなんだね~」と言いつつ、毎朝登校前に抱っこをしてやる習慣が小学校6年生まで続いた。
 今となっては実に懐かしい思い出だが、そんな母娘関係を人よりも長い期間維持してくれた我が娘に感謝感激である…。
 それにしても、この「おなちゃん」の絵、親馬鹿ながら実に表情豊かでしょ!??


 我がくだらないコレクションの公開記事は、これで終了するとして。

 それでも、今後も私は衣類のタグや美術館見学時の半券を保存し続けて。
 当該「自作しおり」制作を、命ある限り続行するやもしれない。

 遠い過去に於ける某大学卒業制作展にて、当該「しおり制作」のきっかけを与えて下さった学生氏へ。
 何が、どんな実績が、後世に伝わるかなど分かったものじゃないですね。
 こうやって、貴方のアイデアを現在尚趣味に活かしている人間が存在する事実を、是非貴方に伝えたいものだ!

操縦士飲酒問題、飲兵衛の身としては他人事でないが…

2018年11月17日 | 時事論評
 ここのところ世間を騒がせている、航空機操縦士(副操縦士)の飲酒事件だが。

 おそらく今に始まった事ではなく、昔から水面下で同様の事件が発生し続けていたことであろう。


 早速ネット情報より、当該事件に関する情報を引用して紹介しよう。

 日本航空の副操縦士が10月末、酒気帯び状態でロンドン発羽田行きの便に乗務しようとして英国警察に逮捕された事件で、日航の赤坂祐二社長は昨日11月16日に東京都内で記者会見し「絶対にあってはならない事例を引き起こしたと強く責任を感じている」と謝罪した。 日航は会見で、検査をすり抜けるためにアルコール感知器の不正な使用が横行していた可能性に言及した。
 日航によると、逮捕された副操縦士が使った旧型感知器を調査したところ、息の吹きかけ方次第でアルコールを検知しないことが判明。 運航本部長は会見で「正直言って全員が正しい使い方をしていたのかと思う」と不正横行の可能性があることを認めた。 ロンドン・ヒースロー空港の日航事務所で乗務前、副操縦士が息を吹きかけた際、隣にいた同便の機長は「(副操縦士は)息を吹きかける時間が短かったかもしれない」と証言したことなどから日航は意図的に検査をすり抜けたと認定した。
 副操縦士の酒気帯びは、機体に移動するバスの運転手が酒の臭いに気付いて発覚したが、同乗予定だった機長2人を含め、副操縦士と至近距離で接した12人は「気付かなかった」と証言。機内に乗り込んだ後、バス運転手の通報で駆けつけた空港保安担当者に呼び出された副操縦士は「酒は飲んでいない。うがいをさせてほしい」と叫んだという。
 一方、10月末に機長の飲酒で国内線5便が遅延した全日空グループは16日、2013年以降、パイロット8人から社内基準(呼気1リットル中0.1ミリグラム)を超えるアルコールが検出されていたことを明らかにした。 いずれも羽田空港発の便で遅延はなかったという。
 日航と全日空は16日、国土交通省に再発防止策を報告した。アルコール濃度の数値が測定できる新型感知器の全空港への配備などを盛り込んでいる。
 鉄道について国交省令は「酒気を帯びた状態で乗務してはならない」と規定しているが、具体的基準は定めていない。 JR東海は乗務前点呼で飲酒の疑いが生じた時にだけ感知器検査をしていたが、新幹線は今年3月、在来線は同4月から全乗務員に実施している。
  再発防止策の骨子
   ※( )内は導入時期
■日本航空
・アルコール検査時に地上スタッフが立ち会う(11月)
・基準超えのアルコール検出に対する厳罰化を明文化(調整中)
・健康状態にアルコールの影響がある社員のケア(来年2月)
・客室乗務員や整備士らに対するアルコール検査(調整中)
■全日空
・適度なアルコール摂取量目安の内規への明文化(12月)
・パイロットらに携帯型アルコール感知器を貸与(12月)
・新型感知器を羽田空港以外の国内外全空港に配備(12月中)
・空港構内の車両運転者に対するアルコール検査(来年4月めど)
 (以上、ネット情報より要約引用したもの。)


 一旦、私事に入ろう。

 いやはや現役の職業人時代には、仕事仲間達(そのほとんどが男性)と毎夜のように飲み歩いていたものだ。
 一次会で終わる事は少なく、必ずや店舗を変えつつ二次会、三次会と酒宴は続き… 
 終電で帰宅する時など、まだしも優等生…。  自宅に帰ってからきちんとシャワーを浴び、その日着ていた衣類を必ずや手洗いで洗濯し(真夜中に洗濯機を回すのは近所迷惑行為のため)、普通に床に就いたものだ。
 朝起きてベランダに洗濯物が干されているのを見る都度、飲兵衛の自分の“頑張り”に感激したりもした。
 終電に間に合わず、と言うよりも最初からタクシーにて帰宅する予定で深酒する日も少なくなかった。
 午前3時頃帰宅して、朝7時起きで普通に職場に出勤したものだ。 ただ前夜飲んだ酒の量が尋常ではなかった次の日は、我が体内からアルコールが抜けていない感覚はあった。
 そんな日の午前中は、確かに仕事に取り掛かるのに多少の苦痛感があったが。 それでも私の場合、おそらくアルコールに対し強靭な身体に恵まれていたのだろう。 午前10時頃が過ぎると、自ずと普通の状態に身体が戻っていたものだ。 

 今思い起こすに私が現役社会人時代とは、「アルコール」に関して“寛容”な時代背景だったのであろう。 深夜の電車内では普通に酔っ払いが大手を振っていて、電車内が“アルコール臭かった”ような記憶がある。(私自身もその原因人物の一人だったことをここでお詫びします…

 時は移り行き、「アルハラ」「セクハラ」等々ハラスメント概念が大手を振り始めて以降、世間が「アルコール」に関して厳しくなった。(あくまでも飲兵衛観点からの表現しか出来ない私をお許し下さいますように。)

 ただ飲兵衛側としてもその社会風潮に迎合せねば、この世を渡っていける訳も無い。
 私の場合は自己の高齢化に伴い職場の飲み会から自ずと離れ、現在に於いてはマイペースで「酒」を楽しめる環境化に自然と移ろいでいる。 
 そのお陰で、現在の私は世間から「アルハラ」と後指を指されるごとくのご迷惑など、絶対に掛けていないと宣言できよう。


 一昔前には、「パイロット」「スチュワーデス」と言えば、子どもがあこがれる“花形職業”だったものだ。

 「スチュワーデス」など、今となっては“スッチー”などとの表現で蔑まれる職業と成り下がっているが…。 現在では「客室乗務員」なる日本語名称が一般的となり、既にその職業形態とは「契約制」等々の非常勤体制が敷かれている事だろう。

 片や、「パイロット」。
 こちらの方も昔とは大いに変貌し、“不人気”な職業との情報も見聞する。


 最後に、私論でまとめよう。

 実際問題、航空会社に於ける特に“国際線”など、操縦士にせよ客室乗務員にせよ過酷労働を余儀なくされる職業である事に間違いないだろう。

 過酷な労働であればある程に、「酒好き人種」にとってその労働を癒してくれるのは「酒」に行きつくのも、“飲兵衛”の立場として私は重々理解可能だが…

 う~~~~ん。
 もしもこのまま航空会社側が乗務員の「飲酒」のあり方を制限し続けた場合離職者が増える一方で、優秀な人材を失い続けるであろう懸念すらある。

 それでも、乗客の安全を死守せねばならない運輸会社の現在置かれている立場の程が、痛々しくもあるのだが……

 ここは、アルコールに強く必ずや飲酒後12時間(いや7時間も経過すると)後には絶対的に酒から覚めている我が身体的特徴を活かし、この原左都子こそがパイロット採用試験を受けようかなあ~~ 

今秋も伊那の “ブロッ娘” が到着しました!

2018年11月15日 | 旅行・グルメ
 (写真は、昨日長野県伊那市よりクール便にて到着した採れ立ての“ブロッ娘”。)


 「原左都子エッセイ集」に於いては、2本連続で “秋の風物詩” エッセイが続くが。


 上記“ブロッ娘”の贈り主である長野県伊那市のK氏と私とのお付き合いは、既に11年目に入っている。
 バックナンバーで幾度も記述済だが、二人の出会いは何と!、当該「原左都子エッセイ集」なのである。
 当エッセイ集開設当初より愛読者のお一人だったK氏は、伊那の大農場主であられるのだが。
 ある時、「もしもよかったら、農場で収穫した農産物を送るがどうか?」 なる趣旨の連絡を頂戴した。
 K氏のお人柄は我がエッセイ集へ頂けるコメント等より既に熟知していたこともあり、即座に「よろこんで!」なるちゃっかり返答を出した。

 そうしたところ、毎年初春には「うど」「わらび」や「アスパラガス」、初夏には「ブロッ娘」、そして秋にも秋採れの「ブロッ娘」、冬には「リンゴ」等々伊那からの“美味宅配定期便”に、我が家は恵まれ続けているのだ。

 その後年月が流れ我がエッセイ集開設10周年に伴い、K氏よりの農産物プレゼント歴も自ずと10年の長きに及んだ昨夏のことだが。  私はその10年来の御礼を申し上げる目的で、娘を伴って長野県伊那市までK氏の大農場見学に行かせていただいたのだ。
 その結果としては、こちらから御礼を申し上げるどころか…。 
 K氏より“伊那観光”への誘(いざな)いやら、帰京後にはお土産を盛沢山お届け下さる等々、至れり尽くせりの“おもてなし”を頂く事と相成った。 (いや~~、持つべき友は大農場主に限るなあ。)


 さて、そんな大農場主K氏にも、大いなる弱みがあるのは必然だろう。
 何分、「農業」(あるいは「林業」や「水産業」も含め)大自然の営みの下で行われる生業であるが故の予期不能大打撃に苛まれるのは悲しかな“宿命”でもあろう。

 今秋の“ブロッ娘”(参考だが、K氏農場で収穫されるブロッコリーのブランド名としてK氏自らが愛情込めて名付けた名称。“ブロッコ”と読みます。)の到着が遅れている事実に、当然ながら私も感づいていた…。

 そうしたところ、K氏より10月初旬に届けられたメールによると。
 (以下、K氏よりのメールより要約引用させていただくが。)

 自然の中での栽培は、その陽気の変化によって大きく左右されます。
 春は順調に育ち収穫量も昨年を500ケース程オーバーできましたが・・・
 7月、8月の類を見ない、高温猛暑の日々。9月に入ると、相次ぐ台風の襲来!
 野菜類は特に高温、多雨に影響を受け易いものでして、我がブロッ娘も大変な事になっています!
 昨年同時期(10月4日)の出荷累積箱数は・・・1320ケース
 ところが、今年今日現在で・・・たったの6ケースです。 しかも、殆どB等級!
 1~5番手までの作付けですが、1~4番手がほぼ全滅、壊滅の状況です。
 「花蕾腐敗病」「軟腐病」に犯されてしまい、売り物にならないのです。
 もう、後残す所は5番手しか残っていませんで、此の後の陽気が心配されます。また、台風25号が・・・
 天候には勝てませんから、諦めるしか有りませんが、ショックで・・・
 従来にもこうした収穫にならない状況(軟腐病、ねこぶ病等)はありましたが、少ない面積でのこと・・・ 此れだけ多くの面積に被害が出ることは有りませんでしたから、凄く落ち込んでいます。
 こんな状況故、良品の出来るのを期待して待っていましたら、もう後のない所まで来てしまっていました。
 どうか、この実情ですので、誠に申し訳ございませんがご容赦下さいませ。
 最悪、送れない事になるやも・・・
 (以上、伊那のK氏よりのメールより引用させて頂いたもの。)


 これ程までに弱気のK氏よりのメールに直面するのは、11年来今回が初めてだったかもしれない。
 ただそれ程までに今年の春夏秋の異常気象は、想像を絶するものだったとも振り返る。

 厳しい現状下に置かれ、それでも“ブロッ娘”の再起を願い農作業を続けるK氏宛にエールを送りつつ。 私は「今秋のブロッ娘受け取りを遠慮する」趣旨のメール返答をした。


 その後1ヶ月半が経過して。

 K氏より、「今秋最後の作付け“ブロッ娘”が収穫を終えた故にクール便にて送ります」なる趣旨のメールが届き。
 その翌日(昨日のことだが)、例年と何ら変わらぬ“美人”かつ“美味”の「ブロッ娘」が我が家に到着した!

2018.11 ねりま光が丘公園の秋 (フォトチャンネルより)

2018年11月13日 | 雑記
2018.11 ねりま光が丘公園の秋




 (上記フォトチャンネルは、2018.11.11にねりま光が丘公園にて開催されたロードレースに出場した際に公園内の樹木等を撮影したもの。  その上の冒頭写真は、当該フォトチャンネル内の一風景。)


 毎年秋に恒例行事として出場している「ねりま光が丘ロードレース」だが。

 以前(亭主が現役時代)は、日頃のランニング練習もこの光が丘公園にて頻繁に行っていた。
 「亭主元気で留守がいい」との名言通り、昼間の時間帯に余裕がとれた故に、電車に乗って光が丘まで出かける時間が確保出来たお陰だ。

 ところが亭主定年退職後は夕飯の時間が早まってしまい、光が丘までランニング練習に出向く事が叶わなくなった。
 近年ではやむなく我が家の近くの都立城北公園や、体育館内スポーツジム併設の室内トレーニング走路が我がランニング練習場と化している。

 故に自ずと私が光が丘まで足を運ぶのは、年に1度のロードレース大会時のみとなってしまった。


 例年11月上旬に開催されるロードレース大会だが、季節柄樹木が紅葉を迎える頃だ。

 毎年デジカメを持参して、その風景を撮影するのだが。
 今秋はどうやら夏の厳しい猛暑の影響か、紅葉が随分と遅れている様子だ。


 それでもロードレース大会当日は、素晴らしいまでの晴天に恵まれた! 
 むしろランナーとしては暑いくらいで、それ故か出場者皆のタイムが優れず、お陰で暑い夏場から練習に励んだ私としては、順位面では納得できる結果が得られた。


 片や、公園の樹木群の素晴らしい事!
 紅葉が遅れているとはいえ、風情ある秋の風景が公園内樹木群により十分に醸し出されていた。

 この光が丘公園は、バードサンクチュアリ施設も充実していて、そのファンらしきカメラマン氏達が当日大勢集っていた。

 
 我が家近くの“都立城北公園”は、都心部にしていつも市民が集い活気付いている公園だが。

 片やこの光が丘公園は少し都心から離れていることもあろうか、四季折々の自然が移ろい行く姿が観察出来る素晴らしい公園だ。