原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

谷桃子バレエ団版 「眠れる森の美女」

2019年08月25日 | 芸術
 (写真は、昨日娘と二人で観賞に出かけた 谷桃子バレエ団版 「眠れる森の美女」の予告パンフレットより転載したもの。)


 我々母娘は、この「眠れる森の美女」の舞台を今まで何度観賞したことだろう。

 小さい頃より娘にクラシックバレエを習わせていた関係で、娘が小学生になった頃より親子でクラシックバレエ舞台鑑賞の趣味がある。
 毎年2.3本ずつ観賞しているため、おそらく今まで数十本のクラシックバレエ公演に足を運んだ計算となろう。

 古典もの以外の“現代もの”バレエ公演も幾度か観賞したことがあるが。

 何と言っても古典もの、特にチャイコフスキー三大作品である「白鳥の湖」「くるみ割り人形」「眠れる森の美女」はオーケストラ音楽がポピュラーでもあり、感情移入し易い。 
 それ故に、たとえクラシックバレエの素人であろうが、その音楽を聴くだけでも、クラシックバレエ公演へ出向く価値は大きいだろう。

 我が家の娘が過去に於いて古典全幕ものとしては、チャイコフスキー作「くるみ割り人形」及びドリーブ作「コッペリア」に舞台出演している。
 両者共に、当時現役で活躍中のプロバレエダンサーを複数出演者として招いての公演だったため、実に見応えがあったものだ。 (従って子役の娘の出演場所は少ないのだが、この貴重な経験はバレエを娘に習わせている親の立場としても、実に嬉しく感慨深いものだった。)


 さてここで、ちょうど1年程前の2018年8月に本エッセイ集にて公開した「キエフ版 眠れる森の美女」の一部を以下に要約引用させていただこう。

 今朝から私は、“ギックリ腰” 一歩手前程の重症の腰痛に苛まれている。 その原因は、既に分析済みだ。 半年ぶりにクラシックバレエ観賞をして、同じ姿勢で椅子に2時間余り腰かけたせいであろう。 
 我が腰痛の話題はともかく、クラシックバレエ界にて腰を痛める人材は多いと以前より見聞している。
 特に女性ソリストをリフトで何度も持ち上げねばならない男性ダンサーの“腰痛”の苦悩は深刻、との情報もある。
 そりゃそうだろう。 現在のクラシックバレエ公演はアクロバティックなリフト演技無くして成り立たないといって過言でない。 いくら女性ソリストが軽量とは言えども、あれ程高い位置までとめどなくリフトを繰り返さねばならない男性ソリスト氏のご苦労を思って余りある。

 今回のキエフ・バレエ「眠れる森の美女」の男性ソリストは、未だ若き日本のエース 二山治雄氏だった。 二山氏とはその存在感は物凄いのだが、とにかく小柄なエースであられる。
 その二山氏が主役オーロラ姫役の女性を舞台上で幾度もリフトする場面を見て、腰を痛めておられないか? なる要らぬ心配をした直後の我が腰痛発症だった…

 実は私は、数年前より日本公演を数々こなしているウクライナのキエフ・バレエ団に対し、その演技の“質が悪い” “下手だ” 等々のマイナス評価が存在する事実にネット上で接する機会がある。
 私の場合、昨夏に引き続き今夏がキエフ・バレエ未だ2度めの観賞のため、多くを語れない身だ。
 確かにキエフバレエ団は、日本国内で数々のレベルの異なる公演を数多く実施しているようだ。
 その中で特に大劇場にて一度に一万人近い観客を集めるような大興業の場合、特にSS席等特別席の観賞料は高額に及ぶであろう。 それに大枚叩いた人物からのクレームであるならば、その批判も許容可能なのかもしれない…。 
 片や私が昨日観賞したキエフ・バレエ「眠れる森の美女 全幕」など、クラシックバレエ公演にしてまさに“破格”に安価の観賞料金なのだ!
 しかもその破格安価にして、十分過ぎる程に舞台の完成度も高い!
 私が会場内を一覧する限り、観客の皆がバレエを習っているらしき子連れだったり、バレエ初心者らしき高齢者だったり、単に近くでバレエ公演があるから見てみようか?なる庶民の皆さん(私もその一人に過ぎないが…)で成り立っている公演だ。
 これで必要十分であろうし、ウクライナのキエフ・バレエ団が今後も我が家から一駅で行ける場所で入場料安価にしてこれ程までに素晴らしい公演を実行してくれるのならば、毎年私は娘と共に足を運びたいと志している。

 キエフバレエ「眠れる森の美女」公演に関する原左都子の“真面目な”印象を述べてエッセイを締めくくろう。
 実は昨日のキエフバレエ公演では、ラッキーにも会場前席のチケットゲットが叶っていた! これはバレエファンの我々母娘にとっても久々の事でもあった。 
 会場前席よりの鑑賞の特徴とは、出演者のお顔の表情までも読み取れるところにあろう。 更には我が意地悪観点(と言うより「興味深い」観点だが)出演者のある程度の“年齢”も判別可能なのだ!
 これが凄い。 準主役の“リラの精”を演じられた女性ソリスト氏が、私は高齢女性ではなかろうか?と判断した。 にもかかわらず、素晴らしい体力及び演技力であられたのだ!
 今回の公演に於ける絶対的な“立役者”だったのは、カラボス(悪魔の女性)役のクリスティーナ・バクリャーク氏だったと私は決定付けたい!
 この我が思いに同感するべく、公演終了後のアンコール場面に於いて、バクリャーク氏にこそ絶大な拍手が会場から届けられた事に大いに納得して、我々母娘は会場を去った。

 (以上、昨年観賞したキエフバレエ「眠れる森の美女」に関して綴り公開した本エッセイ集バックナンバーの一部を要約引用したもの。)



 それでは最後に、昨日観賞した谷桃子バレエ団版「眠れる森の美女」に話題を移そう。

 当該バレエ団の存在は我が娘にバレエを習わせていた関係で、過去から十分に認識していた。
 当時の印象としては、こんな大それたクラシックバレエ公演を実施可能なバレエ団のイメージは一切無かった。
 我が娘が2度目に所属したのが「小林紀子バレエアカデミー」だったが、そちらに関しては既にスターダンサーを抱え、年に幾度も外国から著名ダンサーを迎えて大規模クラシックバレ公演を実施しているバレエアカデミーだった。(それ故にこちらに娘のバレエ教室を鞍替えしたのだが…)

 谷桃子バレエ団の公演を観賞させて頂くのは今回が2度目だが、小規模ながらも実に充実した内容のステージを創り上げておられるものと賞賛申し上げたい。
 しかも、洗足学園ニューフィルハーモニック管弦楽団演奏のおまけ付き。 こちらの演奏も少人数ながらも完璧だ!

 今回はラッキーにも電話予約が早めに繋がり、我が理想とするところの“舞台の全体像が見渡せる”2階席最前列中央座席がゲット出来ていたのも幸いだった。

 
 それにしても、我が国に於けるクラシックバレエ界の“裾野の広がり様”進化の程に感動させていただける。
 こんな素晴らしい“クラシックバレエ(生オーケストラ付)傑作”がわずか¥5.000-足らずで観賞可能な時代となっている。

 チャイコフスキー等々バレエ音楽に少しでもご興味がおありならば、是非ともクラシックバレエ公演をご覧になる事を推奨したい。
 特に男性の方々にとってはオーケストラサウンドのみならず、研ぎ澄まされた美脚・美腕の美しい身体を誇るソリストの踊りを一目見たものならば、バレエファンになること間違いなしだ!
 

絵むすび(朝日新聞2019.08.24編)

2019年08月25日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2019.08.24付 パズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)




 今回の「絵むすび」は、簡単でしたね!


 昨日娘とクラシックバレエ舞台鑑賞に出かけ帰りが遅くなったため、本日初めて昨日の朝日新聞に目を通したのだが。


 いつも朝日新聞が「絵むすび」を掲載すると、早朝から我が「原左都子エッセイ集」“絵むすび”
バックナンバーにアクセスが殺到する現象が起きるのだが。

 本日はその現象が起きていなかった事自体が、今回の「絵むすび」が簡単だった事実を物語るものでしょう。

 解説は必要無し、と判断致します。



 午後(あるいは明日)、昨日観賞したクラシックバレエ「眠れる森の美女」に関するエッセイを綴り公開する予定でおります。





再掲載 「『藪医者の定義』-医師・福田先生の雑記帖よりー」

2019年08月23日 | 医学・医療・介護
 冒頭より、今からほぼ1年程前の2018.08.14公開エッセイ「『藪医者の定義』-医師・福田先生の雑記帖よりー」を以下に再掲載させていただこう。


 当該gooに2004年10月からブログを公開されている医師・福田先生著「福田の雑記帖」に、比較的最近読者登録をさせて頂いた。
 ご専門の医学に関する記述はもちろんの事、ご趣味のチェロ・バイオリン演奏やハーレーダビッドソン、あるいはお庭の手入れ等々幅広くテーマを設定され、大変興味深い内容のブログを発信されている。

 その雑記帖に少し前に「藪医者」を主題として論述されていたのを拝見し、私はご挨拶がてら、恐れ多くも持論コメントを記入させていただいた。
 そうしたところ驚くことに、福田先生がその我が拙いコメントを雑記帖本文記事として再度取り上げて下さっているではないか!

 そこで今回の我がエッセイ集でもその返礼の形で、今度は私が福田先生の記事を紹介させていただきたく志した。

 それでは、「最近『藪医者』という言葉が消えた(2) 原氏のコメントに感謝して」と題する福田先生の記事全文を、以下に転載させていただこう。

最近、「藪医者」という言葉が消えた(2) 原氏のコメントに感謝して
2018年08月07日 15時45分35秒 | 医療、医学

 去る7月26日「藪医者」という言葉が消えてきた事について私見を述べた。 それに対し「原左都子エッセイ集」の著者である原左都子様より貴重なコメントを頂いたので、お礼を込めながらちょっと加筆してみたい。
 原氏もパラメディカルのお一人として現役時代は免疫学の方面等に従事されていたとの事、かつ、私の雑記帳をときおり見てくださっているとの事で心から感謝申し上げる。 私も今回はじめて氏のブログを拝見させていただいた。 私のブログは自分で勉強したことや知り得たことの備忘録としての位置付けで統一性もなく中身は軽いが、氏のブログは構成もしっかりしていてメッセージ性も高い。 今後何かと参考にしたい。
 以下が原氏のご意見であった。
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 さて、「藪医者」に関する事案ですが。
 私は福田先生とは少し異なる観点から、「藪医者」の言葉が聞かれなくなった事態に関して考察しております。
 医療現場では今の時代「informed consent 」が一般的となりました。 その恩恵で、医師と患者の距離が縮まっているように私は感じます。
 私自身は普段より「予防医学」に徹し、基本的には“病院へ行かない主義”を貫いておりますが。 身内高齢者の付添い等でたまに病院を訪れますと、昔と比して医師と患者の関係が「対等」に近づいていることを実感します。 おそらく、医学部教育に於いても、患者とのかかわり方等の教育が進化しているのではないか、とも推測します。 患者側も、対等にかかわってくれる医師に対して「藪」と後ろ指をさす必然性が無くなっているのではないでしょうか?
 あるいは、現在は「医療訴訟」が一般的となりました。 そんな時代背景の下、医師もうかうか「藪」などしていられない厳しい環境下に置かれている、とも考察できそうですが…??
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 ごもっともで反論はありません。追記いたします。
 私はヤブ医者という言葉が消えつつあるのは、医師と患者の距離が対話のスキルの向上など、教育の効果で一見縮まっているように見えるものの、実際には患者と専門職としての医師の能力差が広くなって、遠くなって個々の医師の能力は患者は判断できなくなってきた。そのため、と私は考えています。
 確かに患者医師関係は変わりつつあります。上から目線で患者をみる、専門用語を並べて患者を煙に巻く様な医師はかなり少なくなっています。和顔愛語を駆使しています。

 元々はヤブ医者という言葉は、ダメ医師をそれほど強く誹謗するものではない、と思っています。その理由は、医療が発展していなかった時代には医師の能力を判断する材料が乏しかったことがあげられます。

 医療は国威向上のため軍隊ではそれなりに普及していましたが、一般人が誰でも利用できる様になったのは昭和30年代の国民皆保険制度以降と言って良いと思われます。

 一般人が名医だ、ヤブ医者だと言ってもその判断は病が治ったか否か、すなわち死んだか否か、くらいしか判断できなかったと思いますし、人の生死は長い間、神仏に祈り、願かけるより仕方がなく、ヤブ医者という言葉が記録された頃は感染症を中心に疫病で多数の人間が死の転機を取り、医師は無力に近いこともありました。

 それでも、他に方法が無い以上、医師はそれなりに当てにされていたのでしょう。

 立場の違うものに対する羨望、時には蔑みなどを含め、言葉の上でけなすような枕詞をつけることはよくあったと思います。「大根役者」、「ヘボ役者」などもそれですが、医師に関してはさらに「たけのこ医者」、「土手医者」などもあり、これはヤブ医者よりもちょっときついニュアンスがありますが、それでもさげすみより親しみの呼称だった様に思われます。

 昔の医療は医師の感覚的、直感的医療でした。だから正確性には欠けていましたが当時はそれが当たり前でした。

 近代医療は検査と科学的データの時代、エビデンスにもとずいて判断されます。さらに病院機能間で連携も行われ、結果として医師の能力はより画一化されました。患者にとっては良い時代になったのですが、個々の医師の能力は患者は読めなくなっているといえましょう。だから、私の感覚では「ヤブ医者」、「土手医者」、「たけのこ医者」、などと呼びたくなる医師は依然として存在します。かつて「お前が医者ならトンボも飛行機」とまで言ったものです。

 時が過ぎ、老齢化した私は能力的にも低下しました。だから、患者に読まれる前に自ら「ダメ医者」、「ボケ医者」、「トンボ医者」と名乗って責任回避しています。

 (以上、医師・福田先生著 「福田の雑記帖」より転載させて頂いたもの。)

 文末に原左都子の私見を述べさせていただこう。

 「藪医者」なる言葉が庶民間で発せられる事例としてよくあるのは、「あそこの医院は“藪”だから、行かない方がいいよ」 それを聞いたこれまた別の庶民がその言葉を鵜呑みにして、その医院を避ける。 そんな噂が重なり、近所の大方の庶民が「あそこは藪だ」と信じる。
 この悪循環事象に於いて一番置き去りにされているのは、患者側自身の「医学」に関する無知であろう。 
 同様の事象は、「名医名鑑本」に於いても顕著に現れている。 あれらの本の序列を読者である患者が単純に信じ、名鑑上位に君臨している病院が“ゲロ混み”状態を余儀なくされる。 そして医療の質が低下する…

 要するに上記に福田先生が記されている通り、たとえinformed consent が一般的に実施されようが、患者は医師の能力など何ら判断出来ていない状態に変わりはない。 その状態は昔から今に至るまで変化がないどころか、もしかしたら医師の“和顔愛語”のせいで、「あの医師は良い先生だ」なる単純な判断結果を導いてしまうマイナス面すらもたらしているのかもしれない。

 その意味で福田先生理論には説得力があり、この議論は原左都子ではなく福田先生に軍配が挙がろう。

 私自身は普段より「予防医学」に徹して基本的に病院に行かない主義であり、普段私自身が自分の病気で医師に接する機会はほぼ無いに等しい。
 ただ医師は確かに一般庶民から絶大に“当てにされている”のが実情であろう。 
 その重荷に耐え、患者に“和顔愛語”演技が出来る医師は、庶民から「藪」と後指をさされる事を回避できるのかもしれない。

 あっ、福田先生、今度どこかが悪くなったら福田先生に診て頂こうかしら。

 (以上、2018.08.14公開の本ブログバックナンバーを再掲載したもの。)



 上記のごとく、福田先生の雑記帖“藪医者”に関する記述にコメントを記載させて頂いてから、2019年8月現時点に於いて、未だ1年の年月しか流れていない事に改めて驚かされる。
 何だかもっとずっと以前より福田先生のブログを拝見していたような錯覚がある。(福田先生とは「医学」との共通項がある故かもしれないが。)
 
 福田先生の雑記帖は、ご自身のオピニオンを中心に述べられているその内容や、文字数がほぼ我が「原左都子エッセイ集」同様であるところにも共通項があると私は認識させて頂いている。 それが一番大きな理由とも推し量るがとにかく私に取って閲覧させて頂き易いのだ。 
 加えて日々更新されている事もあり、今現在に於いて私の方から訪問申し上げているブログ内で閲覧回数が最多の訪問先と言えよう。

 しかもコメントを入れさせて頂くと、如何なる拙いコメントであれ必ずやご丁寧な返信を頂戴出来る事実が嬉しく、それに甘えさせて頂いている次第だ。

 再掲載文面最後に記した“いつか福田先生に診ていただく”夢は、おそらく夢物語であろう。
 と言うのも、実際私は病院を受診しないためだ。 (自力救済不能の歯科と、過去に皮膚癌を患った関係で皮膚疾患には敏感で皮膚科へも行く。 5年程前に左鎖骨と右手首同時骨折した際にはやむを得ず整形外科へも通ったが、2週間で回復の兆しが見えた時点で自主的に診療を終えた。
 その他の診療科へは、ここ10年以上行っていない。 故に内科医師であられる福田先生には今後もしばらく診察にてお世話になることはないだろう。 遠距離でもあるし…

 診察はともかく、今後共に福田先生の雑記帳を拝見する事を楽しみにさせて頂きます。
 福田先生の医療を筆頭とする社会問題に対する力強いオピニオンを、引き続きお待ち申し上げております!

再掲載 「突然訪ねてきた男友達」

2019年08月22日 | 雑記
 本日紹介する再掲載ものは、公開後11年が経過した今尚スタンダードに人気のあるエッセイです。

 表題に「男友達」と記載した通り、決して“恋愛もの”ではありません。

 今思い出しても、実に“不思議な物語”です。 
 それでは、本文をお楽しみ下さい。


 私は長い独身時代を通じて基本的にずっと女の一人暮らしだったのだが、時々彼氏以外の男性が自宅に一人で訪ねてくることがあった。 特に20歳代前半の若かりし頃にそういう機会が何度かあった。
 
 例えば水道がポタポタ水漏れしたりする。そういう話を職場ですると、「じゃあ、今日の帰りに寄ってパッキンを替えてあげよう。」と親切な男性が助け舟を出してくれる。
 ある時はオーディオの接続に困惑している話になると、音楽関係の同趣味の友人男性がそれの接続に来てくれる。
 多少迷惑な話では、夜遅い時間に酔っ払って私の部屋のドアをたたく職場の先輩男性もいた。これは即刻お引き取り願ったが、次の日「酔っていたとは言え申し訳ない!」と平謝りだった。

 そんな中で、あの訪問の意図は一体何だったのだろうと未だに不可解で不思議に思う男友達の突然の訪問があった。20歳代前半の頃の話である。

 休日前の夜9時頃のことだった。 一人で部屋でくつろいでいると、職場の同年代の同僚男性が突然一人でやってきた。
 その男性は、普段から何人かのグループで飲みに行ったりカラオケに行ったりドライブに行ったりと、比較的仲良くしている友人の一人だ。 フィアンセのいる男性でこちらとしても恋愛感情は全くないのだが、人柄も人当たりも良く“癒し系”といった感じの好感を持てる人物である。
 その男性を「Aさん」と呼ぶことにする。

 誰かがドアをノックするので出てみると、Aさんだった。 Aさんとは上記のごとく普段よりある程度仲良しであるため、突然我が家を訪ねて来てもさほど違和感はないといった感覚である。 そして「近くで用があったから寄った。」と言って、別に酔っ払っている様子でもなくいつものAさんだ。 「じゃあ、どうぞ。」ということで部屋に入れた。
 おそらくお茶でも飲みながら、まったくいつものようにあれやこれやと結構楽しく話をした。 Aさんのフィアンセの話も出た。(昔は人と人とが実によく語り合ったものである。) 何分もう夜遅い時間であるため、そのうち帰るだろうと思っていたところ、Aさんの口から意表をつく言葉が発せられた。
 「泊まっていってもいい?」 
 
 “妙齢”の独身女性の私としては当然一瞬たじろぐ…。
 ただ、若い頃から“場”や“相手の心情”を読み取れる力のある私の直感ではAさんには“下心”はないと判断した。 どうも、純粋にもっと談話を続けたい様子だ。 多少躊躇はしたが、当時おそらくたまたま彼氏がいなかった私はAさんの宿泊を許可することにした。
 6畳一間とキッチンしかない部屋であるため、6畳の部屋で布団を並べて寝ることになる。 来客用の布団というのを特に用意していなかったので、夏布団から冬布団まですべて引っ張り出して適当に二つに分けて敷いた。(人が宿泊する時はいつもそうしていたのだが。)
 そして、二人で別々に布団に入ってまだ談話は続いた。 特にこれといった話の“テーマ”はないのだが、話はずっと途切れずに続き、そのうち二人共寝たのであろう。
 朝になって、私はサンドイッチを作りコーヒーを入れた。 そして、二人で朝食を食べた後、Aさんは“一夜”のお礼を言って帰っていった。

 未だにAさんの突然の夜の訪問の目的が何であったのか不可解なのだが。 ひとつ手探りで思うのは、あの時Aさんは何らかの理由で“寂しかった”のではないか、ということだ。 純粋に誰かと朝までの時間を共有したかったのではなかろうか。

 人間関係が希薄ではなかった、若かりし青春時代の“一夜”の出来事である。



 このエッセイには数多くのコメントを頂いているため、引き続き紹介しよう。
 


成熟した人格? (don-tracy)
2008-09-20 11:37:07
それは、相手を「人として」尊重できる度量の広い人物である証左ですね。
素晴らしい人だと思います。

逆に言えば男と同じ土俵で話のできる、知性を感じさせる女性はさほど多くありません。
そんな左都子さんの魅力をわかってくれた人だったんでしょうね。



充実感が想い出を甦らせる (ガイア)
2008-09-20 11:53:28
若かりし青春時代の出来事ですね。

映画のシーンを観ているようです。
これだけで十分、素晴らしい映画が撮れるとイメージを膨らませました。
一寸違いますけど、秋吉久美子さん主演の映画の数々を思い出しました。

私も若い頃は狭い下宿部屋で一緒に寝ました。
その頃は、女性か男性かを意識しませんでしたから、いや、一寸していたが、とに角、夜を徹して語るのがお互いに好きでした。話し込んでいる内にお互いに眠ってしまいました。
布団には女性の甘酸っぱい香りが残っていました。朝の太陽が眩し過ぎました。

若かりし頃の想い出は、あたかも列車の後部から風景を眺める如く遠近感を伴って遠ざかってゆきます。そして又、フラッシュバックスして近寄ってきます。

想い出は綺麗に浄化され、今も甦るわけですが、私のみならず、原さんの充実された生き方の結果の想い出である、と思います。

今の充実感が遠い想い出を甦らせます。



突然訪ねてきた男友達 (江古田のヨッシー)
2008-09-20 15:39:46
面白い出来事ですね
私は女性の部屋に行ったときは、最初から約束しているか、お酒やお茶の後で、話が終わらないときでしたね。でもうちあけ損ねたときもあるから、わかるような、全然、人種が違うような。いつか会ったら正解がわかるかも知れませんね。



don tracyさん、その頃の私はまだキャピキャピしていました… (原左都子)
2008-09-20 16:25:56
don tracyさん、Aさんは本当にいい人だったのです。でなければ、いくら若くてキャピづいていて判断能力が完璧でない私といえども絶対に部屋には入れません。
そして、二人で寛ぎの時間を共有できました。
Aさんは私を訪ねた理由を明かさないし、そんなAさんの心情も理解できた私は「何で来たの?」などと騒ぎ立てることもなく、時間が経過しました。

その頃の私はまだ若すぎて、don tracyさんがおっしゃって下さるような力量は何もなかった私ですが、確かに“場”を感じて相手に対応出来る力がその頃からあったように思います。



ガイアさん、男と女の違いはあるかと思います。 (原左都子)
2008-09-20 16:40:20
私の場合こう見えて一応女ですので、特に若かりし頃は男性に対する警戒心はいつも抱いていました。
ですので今回の記事内容は、男性でいらっしゃるガイアさんが青春時代を堪能されたのとは若干ニュアンスが異なるかもしれません。

恋愛中の彼氏以外は原則として部屋に入れる訳にはいきません。そういう女性としての護身的ともいえる背景の中、このAさんの訪問は本当に印象に残っているのです。(その内容に関しましては、上のdon tracyさんへの返答をご参照下さいますように。)

それにしましても、ガイアさんがおっしゃるように当時は本当に古き良き時代でした。
“会話”だけで、何も要らないのです。それだけで充実した時間が過ぎ去るのです。
そんな時代を堪能してきている私は今でも人との“会話”を尊重しつつ生きています。何よりも充実するひと時だと感じます。



ヨッシーさん、彼の深層心理が未だにわからないので印象的なのです。 (原左都子)
2008-09-20 16:55:06
ヨッシーさん、普通異性の部屋を訪ねる時はヨッシーさんのおっしゃるような背景がありますよね。私もそうでした。

男性の場合は、そういう時に“打ち明け損ね”ということもあるのですね。なるほど。

私が今回綴ったAさんはそうではなかったと思います。決して私に“打ち明けたかった”訳ではないと当初から感じました。そういった思いよりもむしろ、上のdon tracyさんがコメントに書いて下さったような、もう少し大きな何かを私から感じ取りたいために訪問してくれたような気もします。(ずい分、うぬぼれた話で大変失礼致しました。)



Unknown (ドカドン)
2008-09-21 04:37:48
おはようございます
私も婚約者がいた時、この婚約を破棄してもらいたい、と思った女性のところで中途半端なプロポーズをした覚えがありますね!
結婚は、ある種のギャンブルですから、ここで強く止めてくれれば、止めた女性とくっ付くかもと、期待していました。
でも、結局は、婚約者のところに戻りますね。
例え、結婚を止めてくれた女性と一夜を共にしても・・・。



ドカドンさん、Aさんもフィアンセと結婚しました。 (原左都子)
2008-09-21 06:44:05
私もその時Aさんに少し感じたのは、フィアンセとの結婚に対して何らかの迷いがあるのではないか、ということです。結婚は人生の一大事ですから迷いがあって当然なのですが。

ただAさんはフィアンセの話はしても、そういう事は一切口に出さないので、私も詮索することは控えました。

ドカドンさんの場合は一夜を共にした女性にプロポーズをしたのですね。Aさんに関してはそういった話も素振も一切なかったです。ただ穏やかな時間が過ぎました。Aさんが朝帰るときはさわやかな表情でしたので、一夜でおそらく自分なりの何らかの結論を出したのではないかと思います。



感想 (taka)
2008-09-22 00:03:56
好きな女の家に遊びに行きたい。
嫌いな女の家には絶対に行かない。

シンプルですよ、答えなんか。



takaさん、好きにも色々ですね。 (原左都子)
2008-09-22 09:25:20
端的に要約しますと、takaさんのおっしゃる通りなのです。
部屋に入れる側の女の立場からも、好きな男なら部屋に入れる、嫌いな男は門前払いですね。
ただし、宿泊まで許可する場合の“好き”は、私の場合は“恋愛感情”に基づいて“好き”な場合のみです。
そういう意味では、今回のAさんに対しては恋愛感情は抱いておりませんでしたので、この宿泊許可は例外中の例外でした。
そして、訪問した方のAさんも私に対して恋愛感情は抱いていなかった点で、少し不思議な経験だったのです。



そんな事もあるんですね・・ (まるにじこ)
2008-09-24 14:02:42
原左都子さんこんにちは*

私も読ませていただいていて
きっとAさんは何かに悩んでいて
フィアンセとは別の女性と話がしたかったんだろうなって思いました。

何があったかとは語らず、
その後フィアンセの方とご結婚されたのなら
その時、原左都子さんと一晩語り合えて
いろんな心のもやもや(が、あったのなら)
を整理出来た事に原さんの存在は大きなものだったと思いますよ~!

きっと原左都子さんだからこそ
だったんでしょうね。
きっぱりくっきり性別関係なくわりきって
、でも同性では駄目な時、
とっても頼りになる存在だったんだと思います。

その後はそのご夫婦とはおつきあいはないのですか?



まるにじこさんはこんなご経験はないですか? (原左都子)
2008-09-25 07:27:23
私本人にとりましても、恋愛感情が一切ない相手とこんなことってあるんだなあ、という感覚で印象に残っている出来事なのです。

そして、本文では触れていませんが、その後もまったく同様の友人関係が続きました。

フィアンセの女性とも何度か一緒にグループで飲みに行ったりカラオケに行ったりした記憶もあります。とても庶民的で可愛らしい雰囲気の女性だったように記憶しています。

確か在職中に子どもさんも産まれたように思いますが、残念ながら、私が職場を離れてからはご一家とはまったくお会いしておりません。



Unknown (まるにじこ)
2008-10-12 08:37:41
原左都子さま、おはようございます!
ご無沙汰をしてしまいました。

ご質問を頂戴していて失礼致しました*
私は、
原左都子さんの様な経験は。。という事で
読ませて頂いていた時にちょっと思い出したのですが
会社勤めをしていた20代まだ前半の頃に一人暮らしをしていました。
その時に同じ様に夜遅くに2つ歳上の会社の先輩から
携帯に電話があり(私はその頃では割と早くに携帯を持ちました)、「車で近所通りかかるからちょっと寄っていい?」と。当時は会社員の傍らまだデザイン学校時代の友人達と組んでオリジナルブランドを作りよくファッションショーやイベントに参加していた頃で一人暮らしの家は週末は友達でにぎわっている事も多かったのです。いつもワイワイやっている中でたまに会社の同僚や先輩後輩が混じって食事にいったりスノーボードに出かける事がありました。そのかかってきた携帯に「今日は誰も来てませんよ~!?」って返事したんですが「いいよ、君一人でも」と。っていうか本来、私の一人暮らしの家なんですけど?ですが夜分にやってきてひらすらしゃべり「ほんじゃ、遅いから帰るわ!」って1、2時間程帰って行きました。
「遅いからって・・最初からこんな時間ですやん!」って心の中で突っ込んだ記憶があります。
ふとこんな出来事を思い出しました。
原左都子さんのお話とは似てる様でなんだかちょっと違いますけどね・・・(笑)
またオジャマさせていただきます*☆・.*。



まるにじこさん、やっぱりこういう事ってありますよね。 (原左都子)
2008-10-14 15:59:08
まるにじこさん、ご自身の経験を語って下さってありがとうございます!

やっぱり、こういう事ってありますよね。
でも、普通はこの男性のように帰りますよね。
私も“帰る”ことと当然思っていたのに「泊まっていい?」には一瞬本当に仰天しました。

女性って比較的計画的で、実行までの時間を楽しむような部分もあると思うのですが、男の人って発想が急と言いますか、今やりたい事を今やる、ようなところがあるのかな、とも思います。



なるほど、 (まるにじこ)
2008-10-18 22:25:44
そうですよね、やはり女性と男性では思考回路的なものが違うんだと思います。

それが面白いのかもしれませんが。

夫婦の場合は理解し難くってケンカになる事も・・。

原左都子さんの場合はきっと性別も乗り越えて付き合えるご友人としてだったのでしょうか?
それはそれでステキな事ですよね* 

いいお話をありがとうございました♪


 (以上、2008.09.20公開バックナンバー及び頂戴下コメント群を再掲載したもの。)



 2019年8月時点での私見を述べよう。

 本文中にも記したが、この事件の詳細を現在尚よく覚えている。

 Aさんと私は同い年だったが、私が新卒入社だったのに対しAさんは中途入社で私の方が少しだけ職場の先輩だった記憶がある。
 とにかく“癒し系”というのか“おっとり系”の人物で、目元がクリっとした(失礼を承知で表現するならば)危険感の欠片も感じられない“可愛らしい系”の男性だった。
 
 この料理嫌いな私がAさんのために朝サンドイッチを作ってあげようと思わせてくれるような、そして“下手なサンドイッチ”を作って出しても喜んで素直に食べてくれることが想像できるがごとくの男性だった。

 今思うに、Aさんにとっては我が家への“突然の訪問”とは、コメンテイターの皆さんがお書き下さっているような“大袈裟”な意味や動機ある業ではなく、実際至って“素直で自然な”行動だったのではなかろうか?

 そうだとして、狭きアパートの我が家にて“一夜を共にする”とのサプライズを提供してくれたAさんに、再度感謝申し上げよう。


 それにしても、上京後初めて住んだ“6畳一室に台所付き”のあのアパート空間が懐かしいなあ。
 我が東京生活の原点であるあの狭き空間から、現在に至るまでの我が東京人生のすべてがスタートした。

 その後幾度もの引越を経験しつつ、あれから40年以上が経過した今尚、東京暮らしを堪能する私がここに確かに存在する。

再掲載 「自分の個性を表に出して勝ち取った娘の内定」

2019年08月21日 | 仕事・就職
 今時の大学生の「就活」とは、表向き“華やいでいる”との噂話を耳にする…

 これぞまさに、歪み切った安倍政権“アベノミクスバブル恩恵の歪みの連動”にしか他ならない現象なのであろう…

 そんな歪んだ安倍政権下で“はかない夢”を見させられ、一時はしゃぐ新卒就活生の現状を如何に捉えれば良いのだろうか…

 かく言う原左都子も、数年前に我が娘の就活に直面した身だ。
 ただし、我が子の就活はそもそも世間の皆様のそれとは大きく逸脱したものだった。


 そんな我が娘が経験した就活に関し、2015.10.10付バックナンバー「自分の個性を表に出して勝ち取った娘の内定」に於いて綴り公開しているため、それを以下に再掲載させていただこう。

 またもや我が娘が、人生の岐路に於ける快挙を成し遂げた! 
 一昨日の(2015年)10月8日、遅ればせながらも現在大学4年生 “就活落ちこぼれ”娘に「内定」が出た!

 私立中学受験合格、大学公募制推薦入試合格に引き続き、今度は就活内定ゲットだ。

 娘本人にとっては、今回の就活内定への道程が一番長く厳しい歩みだったかもしれない。
 と言うのも、中学受験及び大学受験に関しては娘のお抱え家庭教師である私との二人三脚での勝負だった。 私が敷いたレールを厳しいサリバン(私の事だが)の指導の下、素直に従順に努力すれば済んだとも言えよう。

 ところが就職ともなると、そうはいかない。 今度こそは親は決してしゃしゃり出ず、既に成人している娘に自力で頑張ってもらわねば将来がないと言ってよかろう。 一切のコネも使わず、就職に関するすべての活動を娘に任せ切った。

 まだ雪が降る寒さの3月上旬から季節が巡って一昨日の10月上旬まで、娘は一人で考え一人で選択し、一人で行動した。 就活先から落とされても、また振り落とされても弱音の一つも吐かず、電車に乗って足繁く求人先へ通い詰めた。

 猛暑が迫った7月頃、たった一度だけ娘の涙を見たことがある。
 某一部上場企業の一次筆記試験に合格し、二次の面接でも娘一人に40分もの時間をかけて面接して下さる就職先と巡り会えたのだ。 その日、自宅に帰りついた娘がすぐさま私に告げる。「今日は手応えがあった!」と。 「そう良かったね!」   そうして親子共々楽しみに結果を待ったのだが、届けられたのは不合格通知…。  一人自室で学習机の椅子に座り静かに泣いている娘の後ろ姿を見て“世の無情”を思い、台所へ去った私は娘の百倍泣きはらした。
 それでも娘はすぐさま心機一転し、翌日からまた日々元気に就活に出かけて行く。
  
 そして暑い夏が過ぎ去り10月が訪れ、大企業では早くも新卒者の「内定式」が執り行われた様子だ。 昼のテレビニュースでその映像を見た私の脳裏には、抑えても抑えても“敗北感”が込み上げて来て、そのマイナス感情が涙となって流れ出る…。 
 その日も娘は就活に出ていた。 一緒にテレビを見ていた亭主に「今日の内定式ニュースの話題は娘には隠しておこうね…。」と諭す私。   ところが娘の方が親の我々よりずっと人間が出来ていた。 帰宅した娘がシラっと言うには、「今日の街中は内定式帰りの学生でごった返していたよ。」 (娘よ、あんたはホントに偉いよ…)

 10月1日に内定式ニュースを見た翌日、私は亭主と話し合った。
 「もしもこのまま、あの子に内定が出ない状態が続いた場合、一度私が大学の就活課へ行って相談して来ようかと思う。 ちょうど12月上旬に大学で卒論最終発表会があるから、その時挨拶に行くよ。」 それに亭主も同意して…。

 夜就活から帰宅した娘に、早速その旨を伝えた。 そうしたところ娘曰く、「今日訪れた就活先で内定が出そうに思う。 だから(親の貴方が)大学の就活課へ行くのはそれを待ってからにして欲しい。」  (う~~ん。 そうだとよいが、7月に娘が同様の感覚を抱いた企業から不採用の通知が届いているし、これはまた娘の勘違いかもしれない…)との思いが強靭なのは、親として致し方無いだろう。
 そこで今回は、何故「内定」が出そうに思うのかを娘に単刀直入に質問した。
 
 そうしたところ、娘から返ってきた回答とは以下の通りだ。
 今回娘が訪れた就活先とは、比較的小さい規模の民間企業だ。 そのため新卒採用面接に当たり(おそらく50代位の会社役員と思しき)年配男性がその試験を担当してくれたとの事である。 新卒者の採用人員が少ない事も幸いして、その人物が個々の新卒就活生に快く声掛けをしてくれるのに加え、他の社員の皆さんも気軽に娘に声を掛けて下さったらしい。 
 そしていよいよ娘の面接の時に50代と思しき男性が娘に対して曰く、「貴方は口下手で人とのコミュニケーションが苦手なタイプですね。」 それに娘応えて 「はい」。 50代男性曰く「それならば貴方が我が社に入社したなら、まずは技術面の充実に努めましょう。」

 いやはや、少し個性が強い娘を持つ親の身としては、上記企業役員と思しき男性の力量に驚き感動するばかりだ。
 通常の就活面接に於いては、就活生の欠点部分になど決して触れる事無く、ただ単に自社が要求する新人を確保したいがために最初から切り落とす作戦に躍起になる事だろう。

 特に巨大企業に於いては、たかが新人採用の場に企業役員がわざわざ出てくるなど到底あり得ない。 私もテレビ報道等で散々接しているが、大企業とはまず新入社員と同年代の若手社員連中に集団面接をさせている映像を何度も見せられている。
 まあ要するに巨大企業組織に於いては、大学新卒者を何千人規模で採用しておいて、それを入社初期段階から振り落す魂胆であろうから、その採用実態で必要十分なのだろう。

 我が娘に視野を移した場合、何千人規模で新人が大量採用されるがごとく(武道館で入社式を執り行う程の)大企業の内定を取ったところで、入社後の実態とはマンモス大学にでも入ったと同様の“ゴミ扱い”だったのではなかろうか。
 それらの経験が一度も無い元々集団嫌いな親の私とて、大量新人入社式の風景などメディアで見せられたものなら、娘にはそんな環境には決して身を置かせたくないとの恐るべく感覚を抱かされると言うものだ。 

 元より、所属大学(理系単科女子大学だが)よりの“就職推薦”も嫌い敬遠し続けていた我が娘が、自力で最終的に内定ゲットしたのは上記某最新技術系の小規模企業だ。

 既に入社試験段階で、良き(将来の)上司に出会えたものと母である私は理解し安心している。
 娘よ、来年4月からは、とにかく自力で内定を勝ち取ったその企業で頑張りなさい!

 (以上、本エッセイ集2015年10月バックナンバーを再掲載したもの。)


 娘の就活より、4年半の年月が流れた2019年8月の今現在。

 娘は今尚、新卒で採用された企業での“正社員”を続行中だ。

 既に25歳を過ぎ、もしかしたら大企業への就活を果たした同期女子社員の皆さんの多くが既に“寿退社”を経験されているのかもしれない。

 少し前の本エッセイ集バックナンバーにて述べたが、我が娘には某金融機関の担当者がつくまでの“自己資金貯蓄力”が備わっている様子でもある。
 何分我が娘は中小企業勤務である故に、自己資金力無くして今後の身が立たない事実を既にサリバン(私の事だが)よりうるさい程に学習済みとも言えよう。

 それにしても…
 私自身が40歳近くにして晩婚に至った後も自己資金力を増大している事(独身時代に単独で購入したマンション物件を賃貸として独力で運営していた事実、等々)を、よくぞまあ我が娘が模倣しているものだ!(実際、娘は我が独身時代の資金力に匹敵する程度にまで自己資金力を増強している。) まさに子とは“近しい親(子にとって影響力がある親、との意味だが)の背中を見て育つ事実を実感させられるということだ。

 娘が大学卒業に至る過程の就活で泣きはらした我が当時の懸念など、当の昔に過ぎ去った歴史に他ならない。 

 我がサリバン教育力により育んだ娘の力強い“生きる力”こそを信じつつ、娘の今後を更に見守っていこう。