原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ISETAN DOOR より食材セットが到着しました!

2021年01月27日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、本日つい先程クール便にて到着した ISETAN DOORの食材セット。)


        


 

        




 早速、この食材セットの中から「聘珍樓」(先程は失礼しました。聘珍樓(へいちんろう)でした。) の生中華麺セットを用いて、これから昼食用にチャーシューラーメンを作ります。


 その写真と。

 何故“料理嫌い”で名を馳せているこの原左都子が、当該食材セットをなどをネット購入したのかに関する説明文を。


 後程掲載させて頂く予定です。


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 以上のごとく、後程「聘珍樓」のチャーシューラーメンの画像の公開と。

 私が何故、このような食材セットを買い求めたのかの説明責任を果たすべき時が来たようです。😫 



 ああ~~~~。😱 

 我がエッセイ集公開後13年半の年月が経過している身にして。
 自作の料理を公開するのは、これが初めてと心得ます。

 ただ約束しましたので、思い切って小さい画像を公開します。


 これが、本日私が制作した「聘珍樓のチャーシューラーメン」の画像です。
        
          

 チンゲンサイを加えると美味しいとの説明書記述に従い、素直にそうしました。
 亭主は我が手作りの“まず飯”を日々食べ慣れていますので、これも美味しそうに食してくれました。



 最後に今回購入した ISETAN DOOR  の総評を申し上げるならば。

 予想通り、“ブランドもの中心”の食材・食品選択だったと総括出来るのかも知れない。
 お菓子類に関してはそのまま食せるため、有効利用可能なものの…
 
 方や、“料理嫌い”の我がポリシーに叶う食材提供を叶えてくれているのかと言えば、決してそうではなさそうだ。

 例えばラーメンなどこの料理嫌いの私にして、日々昼食時に巷のスーパーで買い求めた商品を手作りしている。
 ブランド志向の亭主は今回の“聘珍樓のラーメン”が美味しかったと言うものの。
 我が食感では日々食しているラーメンと大差は無かった、と結論付けたい。


 と言う訳で。
 
 我が家の場合“お届け食材”に関しては、今後とも“COOPの宅配”に全面依存の運命を辿るのだろう、と結論付けたい?!?!


私が70歳すぎたら…

2021年01月26日 | 自己実現
 (冒頭写真は、昨日付新聞広告欄より週刊誌の広告を掲載したもの。)


 また、このシリーズか……
 と、読者の皆様より飽き飽きされそうだが。


 実際私の現況とは、“70歳に向けてカウントダウンに入っている年代”と表現出来きよう。

 この“コロナ禍”さえ無ければ。
 きっと私の70歳までのカウントダウンは、実に自由かつ充実していたことだろう。
 それを思うとやるせなくなるのだが、やむを得ない。 ここは“コロナ禍”が70歳まで続くものとの基盤の下で、今後の展望・行動をせざるを得ないのであろう。

 60歳を迎えた時と65歳を迎えた今とでは、(たとえ“コロナ禍”に遭遇せずとて)、先々の夢や希望がまったく異質であることに気づかされる。
 私にとっての60歳(還暦)頃とは、未だ“キャピ付くギャル”がごときだった。
 実際、街をミニスカで歩いていて“シニア女優”のスカウトを受け、そのオーディションに六本木のタレント事務所まで出かけたりもした。
 フルート練習のため近くの音楽スタジオまで定期的に出かけ、スタジオスタッフの若きミュージシャン達と相まみえては、楽しい時間を過したりもしたものだ。
 とにかく私の場合、高齢域に近づきつつあるなどとの悲観的な発想は全くない時代だった。



 さて、それでは冒頭写真の某週刊誌記事を考察して行こう。

 「70過ぎたら “やめること”  “捨てること” “離れること”」との見出しだが。

 私の場合、既に20代で郷里を捨て親を捨て上京し自由の身となっている立場にして、今更それを実行せねばならない立場ではない。

 結婚・出産が遅かったこともあり、自由奔放に生きた時代が長い感覚だ。

 そのまま現在にまで至った挙げ句に、義母・実母に依存される身だが。
 ただ、両人共に施設暮らしを選択してくれている関係で、トラブルすら無ければ特段我が生活が乱されることもない。(このトラブルが一旦発生すると、心痛を抱え込む事となるのだが。)

 “きょうだいの縁”ねえ。
 これも我が40代に、思い切って米国の姉との縁を私側から切った。

 “友人との縁”。
 これに関しても私の場合、嫌な奴らとの縁は既に自然に切れていると判断できよう。

 “子どもとの縁”。
 これに関しては、私にとっては世の中で一番に可愛い娘と同居中だが、これぞ我が人生を最大に充実させてくれている源とも言えよう。
 (おそらく結婚を望まないであろう??)娘との縁が今後も長く続きそうな事態が、私にとって今後の一番の生き甲斐となろう。

 えっ、なになに??
 “嫌いな嫁” に、“知らない甥” に財産を渡さないと決める???
 私の場合、“嫁”には一生涯縁がなさそうなのはラッキーだが。

 実は “知らない甥”との財産分与は、既に経験・解決済みだ。
 詳述は避けるが、義理姉が膵臓癌で63歳の若さにて亡くなった後に、今まで一度たりとてお会いしたこともなかった義理姉の3度目のご亭主の“甥”と名乗る方より、自身も遺産の取り分がある!との主張が我が亭主の下に届けられた、との事件に遭遇している。
 この際の我が亭主の采配ぶりに私は感動した。 きちんと法制度に従った計算を施し、それを実行に持ち込み一件落着させた。 あの事件の時ほど、我が亭主の力量に感激した事件は未だかつて無かったため、いつもその案件を思い出しては亭主を褒めてやっている。😁 


 この私が「老人ホーム」に入る気が無い事に関しては、再三再四表明している。
 何分、徹底的に“集団嫌い”の私だ!
 義母と実母の高齢者施設を訪れる機会があるが、たとえ普段は個室暮らしとしても、食事は皆で一緒等々の風景を見る都度、私には絶対的に無理感を抱かされるばかりだ。

 「人間ドック」に「サプリ」???
 そんなもの原左都子でなくとも、正式な医学教育を受けた人材がそれに依存するすべもなし!

 それと「運動」とを一緒くたにする過ちを犯してはならない。
 要するに、他力本願の「運動」との意味かな? それならば納得だ。


 最後に、「見栄」ねえ。

 興味深い課題だが。
 高齢者が“見栄を張る”場面とは如何なる場面なのだろう。 無い能力をあるがごとくに見せようとする高齢者が多いとの事実だろうか??
 そう言えば、我が郷里実母が施設内でそれを常にやってしまっている電話を受けるなあ。 例えば、娘自慢とかねえ。(特に米国暮らしの姉の自慢をよくやらかしているようだ。 かの過疎地に於いてはそれのみで自慢になり得る!と未だ信じている実母こそが哀れですらあるのだが…)


 等々と自由感覚で記述してきたら、既に3000字オーバーのようだ。
 

地元自治体の伝統工芸

2021年01月25日 | 芸術
 (冒頭写真は、区報内で地元自治体の伝統工芸を紹介した写真を転載したもの。)


 更に詳細を紹介すると。

          



          



          



          



 これら伝統工芸品は、区内の観光案内所などで購入可能。
 
 作品は「ふるさと文化館」で常設展示されてるいる、とのことだ。




 先週末の東京は雪予報だったが、幸い予報に反して気温が高かったらしく、降雪はなかった。 
 冷たい雨の週末が通り過ぎ、本日は暖かい晴天が戻ってきている。


 こんな日には、地元の伝統工芸品の鑑賞にでも行きたいものだが…

 ああ……、コロナ禍ねえ…… 😭  

 緊急事態再宣言にもかかわらず、外は人で賑わっているとも聞く。

 高齢にして、都内の電車に乗るのは“身の程知らず”だろうか??

 コロナ収束を待ったって、いつのことやら途方に暮れるし…


 思い切って自己責任で行ってみようか…

 やめておこうか…  

 悩ましいなあ…


 おっとっと、月曜は休館日か。  とりあえず、迷わずに済んだなあ…
 
 

菅首相は、“誰が首相でもコロナ禍の現状は変わらない”と思っているようだが…

2021年01月24日 | 時事論評
 いつ見ても抑揚に欠ける言論、覇気の無いあの態度…
 何処で演説しても、必ずやメモ丸読み…

 年齢故に仕方が無い部分もあるかと少し甘く評価しようとて、取り付く島もない程にそれらの言動をひたすら変えようともせず…

 この“コロナ禍”最悪事態に於いて尚、首相として何らの有意義な提案も新たな発表も無いばかりか、せめて国家を背負って立つリーダーの立場から国民に呼びかけをせんとのパフォーマンス能力すらなさそうで…

 元々リーダーシップ力に欠けているのを何とか演技力でカバーする等の努力を少しはすればよいものを、国民の面前で平然とあの抑揚の無さを繰替えす図太さ…

 以上、日常感じている原左都子の菅首相に対する感覚を述べさせていただいたが。

 
 冒頭表題に戻るが、要するに菅首相の本音とはそういうことなのであろう。
 “誰が首相でもコロナ禍の現状は変わらない”と本気で思っているのだろう。

 それは違う! と私は反論したい!!
 リーダーの力量や勇気とは必ずや組織を変革するものだ。


 私事になるが、この私も過去に医学民間企業でのリーダー経験がある。 一番多い時で十数名の部下を統率した。
 その際に私がモットーとしたこととは、“決断力”、“意思決定力”、要するに“揺るぎの無いリーダーシップ力” だったと振り返る。
 何分若き女性上司の立場だった。 年上男性の部下も抱える中、若気の至りもあった事は認めるが、とにかく“弱さ”を表面化したくなかった。 
 そのためには、たとえ演技でも私はリーダーであるべきと志したのだ。 さすがに年上男性達はその我が幼稚な思考を尊重してくれたものだ。 実に有り難かったし、すっかり助けて頂いた。
 一方、一人の年下女性社員より反発を食らった事もある。 「貴方のやり方は独裁だ。」と直言して来られた事件があった。 それに対し私は「企業組織とは学校等とは異なり営利団体であり、営業実績を上げねばならない使命を背負っている。 学校のごとく“仲良しグループ”では上手くいかないことも理解して欲しい。」との持論で対抗したものだ。

  

 話題を変えよう。

 朝日新聞本日2020.01.24付”社説”のテーマの一つは、「コロナ対策 衆知結集 首相が先頭に」だった。
 以下に、要約引用しよう。

 従来の説明を繰り返す素っ気ない答弁からは、国民のいのちと暮らしを守る覚悟も熱意も伝わってこない。 菅首相は野党の意見や提案にも耳を傾け、党派を超えてコロナ禍に立ち向かう政治の先頭に立つべきだ。
 首相の施政方針演説に対する代表質問が終わった。 
 立憲民主党党首枝野幸男氏はまず、「Go to トラベル」の停止や緊急事態の再宣言が後手に回ったとして、「判断の遅れを認め、反省することから始めるべきだ」と迫った。
 首相は淡々と「感染状況を注視しつつ、専門家の意見も伺いながら判断を行ってきた」と応じた。 政府の対応に国民の厳しい視線が注がれているというのに、何ら問題はなかったと言わんばかりだ。 感染の急拡大を招いた分析も反省もなしに、これから打ち出す対策や言葉に説得力が生まれようか。 (中略)
 「Go To」は止めない、緊急事態宣言は避ける…。 一度決めた方針に固執する菅政権の姿勢が、臨機応変な対応を拒んできたのではないか。 安倍政権から続く国民感覚とのズレも、強権的な政治に傾き、多様な民意を丁寧にすくい取る柔軟さを失った結果に違いない。 (中略)
 政府が閣議決定した特措法や感染症法などの改正案には、罰則の導入をはじめ疑問点が尽きない。 
 
 (以下略すが、本日朝日新聞「社説」より一部を要約引用したもの。)



 私見に入ろう。

 まったく朝日新聞「社説」のおっしゃるとおりだ。 
 特に私が驚き果てたのは、最後の部分の医療機関に対する「罰則の導入」の部分だ。
 先だってこれに関するニュース報道を耳にした時にも、医療機関がコロナ患者の受入れを拒否した際にも菅政権の意向とはこの「罰則」を適用するとのことだった。
 感染者急拡大で逼迫して尚最大限の努力を課せられている医療機関に対して、今この時に「罰則」とは何事か!と我が耳を疑ったものだ。 
 菅首相は「感染状況を注視しつつ、専門家の意見も伺いながら判断を行ってきた」と平然と言うが、その専門家とは政府の御用機関や御用人ばかりであるのが実態ではないのか!? 自らの努力で専門家筋開拓・選択を成すでも無く、いつまでも二階氏に頭が上がらず、いつもいつもお抱え医学御用人にばかり判断を仰ぐしか能が無いように私は観察しているのだが、間違っているだろうか。


 まさにコロナ禍が急拡大中の今こそ、菅首相がその打破に向けて国家・国民の先頭に立つべきだ!

 せめてパフォーマンス面だけでも少しはその勇気を出してはどうなのか、とこの私ですら言いたくもなる。😠  
 

「私はロボットではありません」 ー 続報 ー

2021年01月23日 | 時事論評
 本日先程、表題に関して“被害者感覚”のエッセイを公開させていただいた。



 その後、私なりにネットにてこの件を検索してみると。


 一例として、次なる説明サイトがあった。
 以下に引用する。

 
 「私はロボットではありません」というチェックボックスが表示されますが、これは何ですか?

 ログインに何度か失敗すると「私はロボットではありません」というチェックボックスが表示されます。

 これは悪意のある第三者の不正ログインを防止するための機能です。
 このチェックボックスが表示された場合はチェックを入れて、再度ログインボタンを押し、安全なアクセスであることを証明してください。

 また、チェックを入れた際に画像認証が入る場合がございます。
 その場合は画面に表示される説明に従って、適切な画像を選択してください。
 
 ※本機能はGoogle社が提供しているセキュリティシステムのため、どのようなロジックで不正なアクセスとみなしているかは外部に公開されておりません。

 正しいメールアドレスとパスワードでログインが成功してきますと「私はロボットではありません」は出なくなりますので、ご安心ください。

 毎回、パスワードを再設定してもログインできない場合に、メールアドレスとパスワードがすでに入力されている状態でログイン画面が出てきましたら、再度正しいパスワードをご入力し直した上で、ログインをお試しください。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 
 相変わらず、既に高齢域に達している原左都子にして一読して分かりにくい解説だが。

 要するに、これは“悪意のある第三者の不正ログインを防止するための機能”との我が認識に間違いなし、と理解してよいとの結論に達するようだ。

 
 “悪意のある第三者”ねえ。

 そうなんだ…

 私の解釈では、おそらくブログのコメンテイターとして自身が「読者登録」をしている相手は“悪意なき第三者”の範疇であり。

 方や、自身が「読者登録」をしていない相手は“悪意ある第三者” の範疇に分類されてしまう、との結論であろう。

 
 原左都子として摩訶不思議に感じるのは。

 それ程までにブログの「読者登録制度」とは、自身の“身を守れる手段”であり得るのだろうか??

 逆に言えば、「読者登録」をしていない相手とは、“まずは疑ってかかるべき”存在なのだろうか???


 そうだとすれば、やはり既に13年半に及びブログを公開し続けている原左都子としては実に切ないなあ…😰  

 私の場合、ブログ公開初期の頃など「読者登録制度」すら無かった時代背景だったが、それでも多数のブログファンに恵まれていた。
 その方々がオピニオンブログである我が「原左都子エッセイ集」宛に、どれ程の学際色・専門色溢れる素晴らしいコメントを押し寄せて下さった事か!!

 その裏で、オピニオンブログの宿命として“誹謗中傷コメント”も頂いた故に。 結果として2011年冬にコメント欄閉鎖措置を執るに至ったのだが。


 
 現在公開されている諸ブログを拝見するに、“誹謗中傷コメント”が押し寄せそうなブログが激減し、無難な路線のブログが増殖している感を抱く。

 にもかかわらず、何故あえて“セキュリティシステム”を動員せねばならないのであろう?

 要するに、それは決して「誹謗中傷コメント」拒否目的ではなく。
 ご自身がお付き合いしたい相手と“のみ”ブログ上で仲良くしたい、との結論なのではなかろうか?


 以上は、あくまでも原左都子の推測だが。

 ただ、今の時代のブログ付き合いとは、その辺をわきまえておかない事には。

 この先も、「私はロボットではありません」被害に直面する事態となる事実を、悲しいかな十分に把握申し上げた次第だ。😨 😭