(冒頭写真は、本日付朝日新聞朝刊広告欄より雑誌広告の一部を転載したもの。)
我が「原左都子エッセイ集」初期の頃のバックナンバーに、「プリンセス雅子さま論」と題するエッセイを公開している。
このエッセイは幾度も再公開しているため、既に読まれている読者の皆様もいらっしゃるであろうと心得つつ。
本日のテーマを語るに際し原左都子自身が大いに参考になるため、以下に一部を引用させていただこう。
実は私は雅子さまが皇太子とご結婚される以前より、雅子さま(当時は未だ“小和田雅子さん”でおられたが)に少なからぬ興味を抱いていた。
何分、一女性にして類稀な経歴をお持ちのスーパーレディであられる方だ。 (そのご経歴に関しては、ここでは省略させていただくが。)
小和田雅子さんが皇太子妃候補としてメディア上で話題となっていた頃、私は高校教員をしていた。
皇太子の弟君である秋篠宮殿下のご結婚にずい分と遅れをとっていた皇太子を心配してか、当時所属高校の女子高生が教員である私によく冗談を言って来たものだ。 「先生もまだ独身なんだから、皇太子の奥さんになってあげたらどう??」 (顰蹙は承知だが)この女子高生達の反応の程が何とも可愛らしく可笑しくて、「じゃあ、そうするよ♪」などと笑いながら返していたものだ。
その裏で私は、小和田雅子さんを皇太子妃候補に祭り上げる事に関して“国政の貴重な人材観点”から何とも“もったいない”感覚を当時抱き続けていた。
とにかく生育環境に恵まれ、(もしかしたら父親のコネかもしれないが)類稀な才能と特権を活かし世界規模で活躍し、今後国家を第一線で支えていく「官僚」として立派にその地位を築き上げていた小和田雅子氏である。
何故、この人物が皇太子妃であらねばならないの?? 私はそう思い続けたものだ。
女子高生じゃないが、何もそんな才能溢れる人材を皇太子妃になどする必要はないはずだ。(確かに皇太子妃とは“英語力及び語学力”及び“淑女力”は欠かせない要件だろうが…) 女子高生が言うように私が皇太子妃にでもなってあげた方が、小和田雅子さんとの類稀な能力を紡いで生きている女性の今後の人生が犠牲にならずに済むのではあるまいか???
それまでの皇室の歴史に於いても、皇室妃殿下候補の選定に当たってはそれに“相応しい”人物を選定して来たのではなかったのか。
美智子皇后に関しては、初めて民間から迎えられた(実に素晴らしい)妃殿下であられた。
秋篠宮妃である紀子さまに関しては、弟君の好みと紀子さま側ご家族の意向が合致して結婚が即決したと私は捉えている。
これらの事例と比較して、明らかに皇太子が小和田雅子さんと婚姻に至るまでの道程は多難を極めたと私は理解している。
それでも、どうやら皇太子の一番の「好み」が小和田雅子さんであったようだ。 周囲皇室要人が他の皇太子妃候補女性をいくら勧めても、どうしても皇太子は雅子さんにこだわり続けた印象を私は持っている。
そして、20年前の1993年6月にご両人はご成婚に至られた。
皇太子殿下ご成婚後20年が経過した現時点で、巷ではこの話題に関して“言いたい放題”のメディア情報が満ち溢れている。
例えば、平成16年5月10日、皇太子さまが訪欧前の記者会見で述べられた、「人格否定発言」である。
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」 当時皇太子さまは44歳、皇太子妃雅子さまは40歳。 雅子さまのキャリアや人格を否定する動きとは、何だったのか。“お世継ぎ”を求めるプレッシャーや、外国訪問をなかなかさせない宮内庁への批判だと受け取られたが、皇太子さまが具体的に説明されることはなかった。(以上、メディア情報より引用)
原左都子の私論だが、皇太子殿下のこの発言は私も今尚鮮明に記憶している。
私の解釈としては、皇太子殿下自身が「好んで」選択した妃殿下である雅子さまの経歴について外部のメディアが誹謗中傷する事態に耐えられず、思い余って発言された内容と理解している。
それ故、私としてはこの皇太子殿下の発言に、雅子さまへの愛情を感じさせていただけたものだ。
原左都子の私論に入ろう。
今から遡る事20年前に、小和田雅子さんとの一女性が皇太子妃となられる決断をした時点で、一生に渡るどれだけの損失を我が身に振りかぶる覚悟をされた事であろう。
そんな思いが庶民の皆さんに理解可能であろうか??
小和田雅子さんの人生に於ける一番の失敗は、皇室と交流できる程の家庭に生まれ育っている中で、その交流を阻止できなかった事であると原左都子は捉える。
そもそも皇太子と出会える“超特権パーティ”になど出向かなければ、小和田雅子氏はその後一生一民間人として国家の官僚を続行できたはずだ。
ところが、小和田雅子氏は若かりし時代にそれに出向いてしまった。 それがどうしてなのかに関しては、あくまで庶民でしかない私には計り知れない……
それでも私には、現在心身面での「適応障害」に悩まれつつご公務が限定されている「プリンセス雅子さま」をバッシング申し上げようの発想は一切ない。
雅子さまこそが時代の犠牲者との感覚を抱きながら、聡明な小和田雅子さんが何故そんな“過酷な運命”を回避できなかったのかに関して問い続けつつ、一生涯庶民を貫ける事を幸せと感じている原左都子である……
何分、一女性にして類稀な経歴をお持ちのスーパーレディであられる方だ。 (そのご経歴に関しては、ここでは省略させていただくが。)
小和田雅子さんが皇太子妃候補としてメディア上で話題となっていた頃、私は高校教員をしていた。
皇太子の弟君である秋篠宮殿下のご結婚にずい分と遅れをとっていた皇太子を心配してか、当時所属高校の女子高生が教員である私によく冗談を言って来たものだ。 「先生もまだ独身なんだから、皇太子の奥さんになってあげたらどう??」 (顰蹙は承知だが)この女子高生達の反応の程が何とも可愛らしく可笑しくて、「じゃあ、そうするよ♪」などと笑いながら返していたものだ。
その裏で私は、小和田雅子さんを皇太子妃候補に祭り上げる事に関して“国政の貴重な人材観点”から何とも“もったいない”感覚を当時抱き続けていた。
とにかく生育環境に恵まれ、(もしかしたら父親のコネかもしれないが)類稀な才能と特権を活かし世界規模で活躍し、今後国家を第一線で支えていく「官僚」として立派にその地位を築き上げていた小和田雅子氏である。
何故、この人物が皇太子妃であらねばならないの?? 私はそう思い続けたものだ。
女子高生じゃないが、何もそんな才能溢れる人材を皇太子妃になどする必要はないはずだ。(確かに皇太子妃とは“英語力及び語学力”及び“淑女力”は欠かせない要件だろうが…) 女子高生が言うように私が皇太子妃にでもなってあげた方が、小和田雅子さんとの類稀な能力を紡いで生きている女性の今後の人生が犠牲にならずに済むのではあるまいか???
それまでの皇室の歴史に於いても、皇室妃殿下候補の選定に当たってはそれに“相応しい”人物を選定して来たのではなかったのか。
美智子皇后に関しては、初めて民間から迎えられた(実に素晴らしい)妃殿下であられた。
秋篠宮妃である紀子さまに関しては、弟君の好みと紀子さま側ご家族の意向が合致して結婚が即決したと私は捉えている。
これらの事例と比較して、明らかに皇太子が小和田雅子さんと婚姻に至るまでの道程は多難を極めたと私は理解している。
それでも、どうやら皇太子の一番の「好み」が小和田雅子さんであったようだ。 周囲皇室要人が他の皇太子妃候補女性をいくら勧めても、どうしても皇太子は雅子さんにこだわり続けた印象を私は持っている。
そして、20年前の1993年6月にご両人はご成婚に至られた。
皇太子殿下ご成婚後20年が経過した現時点で、巷ではこの話題に関して“言いたい放題”のメディア情報が満ち溢れている。
例えば、平成16年5月10日、皇太子さまが訪欧前の記者会見で述べられた、「人格否定発言」である。
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」 当時皇太子さまは44歳、皇太子妃雅子さまは40歳。 雅子さまのキャリアや人格を否定する動きとは、何だったのか。“お世継ぎ”を求めるプレッシャーや、外国訪問をなかなかさせない宮内庁への批判だと受け取られたが、皇太子さまが具体的に説明されることはなかった。(以上、メディア情報より引用)
原左都子の私論だが、皇太子殿下のこの発言は私も今尚鮮明に記憶している。
私の解釈としては、皇太子殿下自身が「好んで」選択した妃殿下である雅子さまの経歴について外部のメディアが誹謗中傷する事態に耐えられず、思い余って発言された内容と理解している。
それ故、私としてはこの皇太子殿下の発言に、雅子さまへの愛情を感じさせていただけたものだ。
原左都子の私論に入ろう。
今から遡る事20年前に、小和田雅子さんとの一女性が皇太子妃となられる決断をした時点で、一生に渡るどれだけの損失を我が身に振りかぶる覚悟をされた事であろう。
そんな思いが庶民の皆さんに理解可能であろうか??
小和田雅子さんの人生に於ける一番の失敗は、皇室と交流できる程の家庭に生まれ育っている中で、その交流を阻止できなかった事であると原左都子は捉える。
そもそも皇太子と出会える“超特権パーティ”になど出向かなければ、小和田雅子氏はその後一生一民間人として国家の官僚を続行できたはずだ。
ところが、小和田雅子氏は若かりし時代にそれに出向いてしまった。 それがどうしてなのかに関しては、あくまで庶民でしかない私には計り知れない……
それでも私には、現在心身面での「適応障害」に悩まれつつご公務が限定されている「プリンセス雅子さま」をバッシング申し上げようの発想は一切ない。
雅子さまこそが時代の犠牲者との感覚を抱きながら、聡明な小和田雅子さんが何故そんな“過酷な運命”を回避できなかったのかに関して問い続けつつ、一生涯庶民を貫ける事を幸せと感じている原左都子である……
(以上、本エッセイ集開設初期頃に公開したバックナンバ-より一部を引用したもの。)
このエッセイを公開した当時に仲良くして下さっていた、東大卒某大学教授氏がこれを読んでおっしゃるには。
「雅子さまの現状を原さんは否定的に捉えているようだが、そうかなあ。 ボクはそう思わない。 将来皇后になられて天皇家を支えて行かれる方だ。 素晴らしく恵まれた生き様だと思うけど…」
それに対して私は、「一般人として自由奔放に生きる人生の方がよほど価値が大きい…」ナンタラカンタラと反論をさせて頂いたことを懐かしく思い出す。
まさに、人の“幸せ”とはそもそも個人的な感覚に基づいているものだ。
たとえ天皇家に嫁いで自由を奪われたとしたとて、それがご本人にとってプラスの側面もあるのならば、他者がとやかく言うべき事でも無いのであろう。
雅子さまは一昨年既に皇后となられているが、皇后になられて後の雅子さまを私は肯定的に捉えている。 特にコロナ前の雅子さまは、諸外国要人達とのパーティ等の会合をご自身が積まれてきたキャリアをふんだんに活かしつつ、積極的にこなされていた。 あの映像を見た時にこの私も、やっと雅子さまの本来のご活躍の時が来た! と安堵したものだ。
さて、話題を表題に戻そう。
冒頭写真は、本日付朝日新聞広告欄より転載したものだが。
某週刊誌の広告内に上記写真の文言があった。 「眞子さまは不幸になる権利もある」
このコピーを書いた記者が言わんとすることは、私なりに理解可能だ。
要するに、眞子さまが小室氏との婚姻を望んだこと自体を「不幸」と捉えているものと推測する。
そしてその現状を秋篠宮が認めた今に至り、眞子さまは今後「不幸」になるものと捉え、それでも良いのではないか、と結論付けている様に想像する。
(実際この週刊誌記事を読んでもおらず、その気も全くない立場での論評で恐縮ではあるが。)
原左都子とて、眞子さまと小室氏とのご成婚が成立したその後の眞子さまの有り様を思うに。
“幸薄き人生を歩まれるのか??”なる感覚しか抱けないでいる。
何せ“皇室育ち”との大いなる制限の下に、小室氏とまともに恋愛をした後に結婚を目指したとは到底考えられないカップルだ。(方や小室氏側は、少なくとも母親は“結婚支度金”等々、元々“金目当て”だった事実を否定できないのではなかろうか??)
“人を愛すること”の真の尊さを露知らずして、小室氏との婚姻を強行する眞子さまが実に気の毒ですらある… 😥
(上述のごとく)この週刊誌記事を読む意思がまったくない私だが。
それでも今後の眞子さまには、「私は結婚して幸せになる権利がある!」との内面から出る勢いで。
小室氏とのご成婚を、眞子さまご自身の意思で成就させて欲しいものだが…