原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

左都子の「自然科学概論」 小講座 Ⅶ

2021年07月26日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、原左都子2度目の大学にて受講したA先生による「自然科学概論」授業の我が講義ノートより転載したもの。)



 前回に引き続き、ギリシャの天文学者とその業績の紹介を続けよう。

          
 コペルニクスは自身の天文学に、前回に述べた離心円・周転円理論を大いに取り入れた。
 しかし、エカントの理論は嫌ったらしい。 数学的に考えられている点に過ぎず、それが重要な役割を果たす訳がないと考えた故だ。
 
 その離心円・周転円理論だが、一次元的な理論(平面モデル)であり、リアルな星の世界を写し取っているとは考えられない、としている。
 占星術との目的のために作られた理論であり、そのため一方的にのみ正確な理論となっている。


 異端的な思想として。
 地球自転説が、ポントスのヘラクレイデス(B.C.388~310)より大胆に主張された。
 しかしこの説はあまりにも当たり前過ぎて、力学的論議により否定される運命にあった。 大地がもしも動くとすれば、大地から離れている鳥・雲等々はその場に取り残されるはずだ。
 ただ現在は“慣性の原理”(近代力学の基本 ガリレオ、デカルト)によりこの考え方はしないが、古代の力学観は異なっていた。
 “運動には原因がある” “何ものかが動かしている”  これが大原則。
 
 これに関してコペルニクスは、大地から離れているものも大地と同じ類のもの、故に一緒に動く、とのオカルト的な説明しかできなかった。  
 

          
 ティコブラーエはコペルニクスの天文学は認めたが、地動説は否定した。

 サモスのアリスタルコス(B.C.310~230)は、太陽と地球、月と地球との距離の比を測定した。 
 半月になれば月から地球及び太陽との角度が直角になることから、それを証明した。(上記写真内図参照) 
 この理論はアルキメデスにより証言されているが、詳細は不明。
 ただこの太陽中心説のメリットとは逆光が説明できることにあり、オリジナリティがあり評価可能なアイデアであった。
 しかし、後世へは紹介されていない。

 本小講座は、きりがよいためここで終了しよう。


 
 原左都子の私見だが。

 哲学者であるA先生は実に博学な教授であられたが、随分と細かい部分にまで探求と考察が及んでおられる。
 おそらくご専門ではなかった古代天文学に関しても、これ程詳細に解き明かされているのに脱帽だ。
 
 最後に紹介したティコブラーエやアリスタルコスなど、私はこの授業で初めてその名を知ったのだが。
 いわば“地動説”を初めて否定し、“太陽中心説”の礎(いしずえ)を築いた古代の科学者達であったということだろう。
 
 そんな古き時代から科学に於いて仮説検証が確実に実行されていた事実に、元科学者の端くれとして感動するより他無い。
          

都内は医療逼迫状態、それでも五輪を続行するのか?!

2021年07月25日 | 時事論評
 今朝方見たネット情報を、以下に引用しよう。



 迫る東京の医療崩壊…都の在宅患者は1カ月で6233人増!それでも五輪継続か 7/24(土) 14:06配信
  第3波以上の逼迫も(C)共同通信社

 東京都の23日の新型コロナウイルス新規感染者数は1359人。4日連続で1000人を超えた。感染急拡大に伴い、患者(入院、宿泊療養、自宅療養、入院・療養等調整中)も急増している。6月23日は3552人だったが、23日は1万1957人。1カ月で3倍超、8405人も増えている。このうち、入院中は2558人に過ぎず、在宅患者が7641人(自宅療養5172人、調整中2469人)と、1カ月で6233人も増えている。 菅首相「最も心配したのは世論の分断」開会式前の米NBCインタビューで国民無視の持論  在宅患者が増えるのは、入院しづらくなっているからだ。政府の新型コロナ対策分科会の尾身茂会長は21日、「入院調整で困っている人、自宅で(療養して)いる人も増えている」と発言。世田谷区広報もきのう、〈病院やホテルの確保がもはや困難になっている〉とツイッターで区民に注意喚起した。  このままでは過去最悪の医療崩壊を招きかねない。  第3波に襲われた1月、新規感染者数は過去最多の2520人を記録。患者数は2万人に迫り、在宅患者数は1万5000人に上った。このため、必要な医療を受けられない事態に陥ってしまった。警察庁によると、1月の陽性者の自宅死は都内が14人で全国最多だった。自宅で倒れ、今月17日に病院で死亡した都内の40代男性は、死亡後検査で陽性だった。 ■夏休みや五輪で人の動きが活発に  足元では1日1000人ペースで患者が増えている。アッという間に第3波水準だ。都は第3波時と比べて病床を約2400床増やし、現在は6406床を確保している。23日時点の病床使用率は39.9%(2558人/6406床)とステージ3(感染急増)にとどまっているが、ステージ4(爆発的感染拡大)まで10ポイントほどしか余裕はない。西武学園医学技術専門学校東京校校長の中原英臣氏(感染症学)は言う。 「第3波では、1月後半以降は人流増加につながるイベントが少ないこともあって、感染者数は減少し、医療提供体制の逼迫も解消されました。今回は、夏休みや五輪が重なり、人の動きは活発になる。感染力が強いインド株(デルタ株)が流行の主流化している。第3波以上の深刻な事態も考えられます」  菅首相は「国民の命と健康を守れなければ、(東京五輪を)やらないのは当然だ」と明言していたが、医療崩壊が起きたら、「五輪中止」を本当に決断する覚悟があるのか。

 (以上、先ほど見たネット情報を転載したもの。)


 昨日私も少しだけ五輪競技をテレビ観戦したが。

 いつもの五輪と異なり、気分が乗らないのは私のみならず選手も同じ思いなのか…
 どうも選手の覇気も今一つのような感覚を抱いた。(単に私の思い違いかもしれないが。)

 ただ冒頭のネット情報通り、都内はまさに医療崩壊状態に追い込まれている。

 菅首相は「国民の命と健康を守れなければ、(東京五輪を)やらないのは当然だ」と明言しているらしいが、今こそその時なのではないのか!??

 菅氏にとっての医療崩壊とは一体何なのだろう??? 
 とにかく菅氏の思想の程がまったく理解しがたい、と言うよりも、何も考えていないと言った方が正解なのだろう。

 今日まではまだしも4連休だったため、多少は救われた。
 ところが、明日からまた世間は通常スケジュールに戻り、通勤人がわんさか都心の交通網を利用しての出勤体制に入ってしまう。
 我が娘とで同様だ。
 親の私は五輪期間中は自宅謹慎していれば済むが、娘はそうはいかない。
幸いにも娘の通勤ルートは、お台場等々の五輪会場を経由せずに行ける場所だが。 数万人にのぼると言われる大会関係者やボランティア達が、同じ交通網を利用して五輪会場へ日々通うであろう。

 それよりもまさに、この都内の医療逼迫状態を誰が救うと言うのか?
 それこそ、菅首相の決断に委ねられている。
  
 五輪が終わってふたを開けてみると、東京都内が“コロナ地獄”状態になっている様子が我が目には見える。

 菅首相はじめ五輪主催者には早期に目を覚ましてこの都内医療逼迫状態を直視し、五輪中止も視野に入れた決断を早期に下して欲しいものだ。 
 

再々掲載 「定年後働きたい人は周囲に迎合せねばならないのか?」

2021年07月24日 | 時事論評
 ここのところ「原左都子エッセイ集」“Popular entries top 10”内に2019.08.01付バックナンバーが、連日ランクインしている。



 早速、本文の一部を以下に引用させていただこう。

 安倍政権が参院選前に、「今後は年金減らすから、自分で老後資金を2000万円貯めておけよ!」とホザいた記憶は国民の間で未だ新しい事だろう。
 大企業などでは、60歳定年後も65歳まで延長雇用する制度が既に定着しつつある。 ただし仕事内容はレベルが下がり年俸も3分の1程度に抑えられるようだが、それでも妥協して仕事を続けたい人はそれに甘んじているとも聞く。
 そんな状況下で、表題のごとくの“歪み”が発生するのも必然と言えるだろう。

 それでは、2012.03.12公開の「定年後働きたい人材は周囲に迎合せねばならないのか?」と題する本エッセイ集バックナンバーを、以下に再度掲載させていただこう。
 
 我が亭主が(2012年)4月初旬に定年退職を迎える。
 その事務処理に当たり、職場の定年退職業務担当者より「失業保険」の申請を勧められたのだと亭主が言う。 その場合、定年後すぐ職業安定所(ハローワーク)に通い、今後の就業に関して面談や相談を定期的に実施する事になるようだ。
 亭主曰く 「この経済不況下の今時、年寄りには清掃か守衛の仕事位の紹介しかないだろうなあ」
 それに応えて私曰く 「もしも奇跡的に自分の適職を紹介された場合、働く気はあるの??」 
 さらに亭主が冗談半分で応えるに 「処遇待遇にもよるが条件が良ければ働いてもいいよ」 
 (参考だが我が亭主の現職は“物理学研究者”だったが、そんな都合のいい仕事が年寄りにある訳ないじゃんねえ~~。)
 少し前に政府は、65歳まで働きたい人全員を雇用するよう企業に義務付ける方針を示した。
 若者を始めとする現役世代とて超就職難のこの時代に、民間企業相手に“高齢者を雇用せよ”との政府の方針とは如何なものか、と呆れるのが原左都子の見解である。
 世界規模での経済危機のこの時代背景の下、現状打開策として今現在早急に着手するべき課題とは、若い現役世代の雇用こそを充実させる事であるはずだ。 こんな時に何故政府は高齢者の雇用の充実を打ち出したのであろうか?

 何年か前に“ワークシェアリング”が叫ばれた時代もあったが、その頃はまだしも“シェア”できる仕事が社会に存在していたからこそ、その議論が成り立った事と考察する。
 ところが今現在は、老いも若きもが“シェア”するべく労働市場が貧困を極めている実態であろう。 
 こんな厳しい世の中に生きている庶民の現状を知ってか知らずか、民主党政権が国民のどの世代にもいい顔をしようとの魂胆で安直な“八方美人”政策を示したとて、“ないものはない”社会背景の中、企業の定年退職者が「ハローワーク」へ通わされる虚しさも少しは理解して欲しいものだ。
 加えて忌々しき問題として、確かに高齢にして身を削ってでも働かねばこの世に生きていかれない貧困層が存在するのも事実であろう。
 ただ、今回政府が立ち上げた「65歳まで働きたい人の雇用を企業に義務付ける方針」とは、切羽詰った高齢者の存在を救う話とかけ離れ、ある種“恵まれた人種”をさらに保護せんとの議論であることに大いに反発したい私である。 
 まあ確かに、たとえ大手企業に定年まで勤めたとは言えども、定年後の暮らしがさほど豊かとは言えないのが今の時代のサラリーマンの現状であることも理解できる。
 我が家のごとく高齢出産で産んだ子どもの学費が定年後に至ってまだまだ発生するご家庭も、今時少なくない事であろう。 親の介護や老人施設への入居にも多大な出費が伴うこととも推察する。
 そうした場合政府の方針はさておき、定年後も働いて一家の生計を支えねばならないご亭主がこの世に少なからず存在することは想像がつく。

 そのように定年後も一家を支えるため仕事を欲するご亭主相手に、定年後働くに際するアドバイスを提示したと思しき記事を(2012年)1月31日付朝日新聞で発見した。
 朝日新聞1月31日付「耕論」ページの“65歳まで会社員ですか”との記事内から、原左都子が一番に異論を呈したい見識者氏の見解を以下に紹介しよう。
 「愛嬌が一番、自慢話ダメ」と題する見解を綴った62年生まれ(現在未だ40代との計算になるが)の人材コンサルタント専門家と名乗る人物のご意見を以下に要約する。
 大半の会社は高齢者に専門的な仕事を期待していない。 高齢者が持っているノウハウなど直ぐに役に立たなくなる。 高齢者に求められている資質とはひとえに「愛嬌」である。 逆に自慢話や愚痴は禁物だ。 今の高齢者は厚生年金をもらいながら働いているし「定年まで勤める」意識が強いので、再雇用されたら働く意欲が一気に下がってしまう故に定年を境にキャリアの断絶が起きている。 そのため高齢者は「愛嬌」だけでは済まなくなるが、能力を磨き続けるならば長い目で見れば日本の活力向上につながるはずだ。
 (以上、朝日新聞記事より 日本能率協会勤務の小林智明氏と名乗る一社員 の見解より引用)

 上記小林智明氏のご見解を、原左都子が今一度私なりにデフォルメしつつまとめ直して以下に再度紹介しよう。
 定年退職後再雇用された高齢者達に職場は専門力など誰一人として期待していないから、まずは「愛嬌」を若者達に振りまこうじゃないか! 決して自分がこれまでに培ってきた(既に形骸化している専門分野の)自慢話を一つたりとて後進の若者に披露してはならないぞ! お前らはなあ、過去の馬鹿げた政治に安穏とした時代の負の産物としてこの世に生き長らえているだけの存在なんだよ! 少しは恥を知れよ。 その恥を知ったならば、高齢者としてこの世で再び労働するに当たって「愛嬌」だけでは通用しないんだよ。高齢者なりにもっと能力を磨けよな。それこそが今後の日本の活性化に繋がるって事だよ!

 小林智明先生、よく理解申し上げました。
 未だ40代の小林先生の観点からみると、高齢者って社会の中で何の役にも立たない割には“自慢話”ばかりするろくでもない存在と言う結論なのですね。
 ところで小林先生。
 先生がおっしゃるところの「専門家」とは如何なる分野の専門家なのだろう。 この議論はそれに大いに左右されるものと私は心得るのだが、小林先生が現在人材コンサルタントであられるということは、そのバックグラウンド範囲内でものを言っておられると理解してよいのだろうか??
 そうした場合原左都子としては、貴方は未だその若さ故に単なる“世間知らず”と判断申し上げたい気もする。  高齢者と一言で表現しても、その経歴やバックグラウンドは千差万別であることだろう。 40代の貴方が今その高齢者を論評するのは、数十年時が早かったということではあるまいか?? 

 朝日新聞「耕論」のその他2つのオピニオンは、いずれも1940年代生まれで高齢者として今尚現役でご活躍中の方々よりご自身の経験を語られた充実したご意見であった。
 題名だけ紹介すると 「匠は還暦後も海外で通用」 「肩書より充実感を大切に」 
 それらのご意見には私も同意申し上げたい。 
 年齢を重ねたからと言って、すぐさま職場の周囲に迎合して愛嬌を振りまかねばならない義務などないはずであるし、例えば先端科学技術の分野であれば科学の歴史とはそもそも地球上で5000年来の重みがあるもの故に、それに挑む基本姿勢を後進に伝承することは高齢者とて重々可能であるはずだ。
 
 むしろ後進弱輩者から傲慢な態度で頭ごなしに高齢者の存在を否定してかかられるとならば、この世の進化など望めないのではなかろうか?
 このような馬鹿げた見解が“一応専門家と名乗る”若い世代の人物より“そらみたことか”のごとく新聞紙上で掲載公開されること自体、野田政権の官僚の言うなりの単純論理に過ぎない 「つけを後世に残さない」 との政治指針と重複している事を実感させられ愕然とする思いである……。

 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより再掲載したもの。) 



 以下は、2019.08.01時点での原左都子の考察だが。
 
 時が経つのは早いもので、亭主が定年退職して既に7年少しの年月が流れた。
 すっかり定年生活が板につき、もう今後まかり間違っても“再就職”との言葉が死語化している我が家だ。

 この私も50代後半期頃まで再就職を考慮し、それを実践に移した時期もあった。 今思い起こすに、医学臨床現場や公立学校の相談員等に応募した経験がある。
 前者に対してはありがたい事に採用されそうになったが、現役時代はずっと基礎医学分野で活躍した私に「臨床分野」の業務は今更無理と判断し、自ら辞退するとの結末となった。
 後者の「学校相談員」に関しては、教育委員会の面接担当者との間で“不登校児童生徒”に関する感覚の齟齬が生じ、(私は“不登校肯定論者”だが)我がポリシーをあくまで主張したところ、自ずと不採用になった。

 とにかく高齢域に達したとて、自分のポリシーを曲げるなどアンビリバボーだ。
 職場の歪んだ方針や好まぬ環境に迎合してまで、老体に鞭打って就業したいとの意思は無い!との我が結論には変わりない。

 (以上、本エッセイ集2019.08バックナンバーより一部を引用したもの。)



 そしてその後、更に2年程の年月が流れたが。

 その間ずっと人類はコロナ禍下に於かれていると言って過言でなく、高齢者の余裕の有無に関わらず、就業どころか如何に自己の命を持たせるかに日々神経も体力も消費せねばならない日常が続いている。 
 特に経済的余裕の無い高齢者の皆さんは、このコロナ禍に於いて実際如何に生活されているのか計り知れないのだが。
 
 この私なども、決して余裕シャクシャクと言える立場ではないのだろうが。
 とにかくこの身動きが取れないご時世に於いて、すっかり職業に関する関心が薄れてしまった、 と言うよりも。 
 まさに “コロナ禍を生き抜くこと自体をテーマとせねばならない" との、夢も希望も無い世に辟易とさせられる日々だ。


 最後に今一度、原左都子の私論を繰り返すが。

 年齢を重ねたからと言って、すぐさま職場の周囲に迎合して愛嬌を振りまかねばならない義務などないはずであるし、例えば先端科学技術の分野であれば科学の歴史とはそもそも地球上で5000年来の重みがあるもの故に、それに挑む基本姿勢を後進に伝承することは高齢者とて重々可能であるはずだ!

 再びこれを叫べる時代が到来する未来を待つしか身の振り方が無いのが、今は悲しい… 


左都子の「自然科学概論」 小講座 Ⅵ

2021年07月23日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、原左都子2度目の大学にてA先生より教授いただいた「自然科学概論」授業の我が講義ノートより転載したもの。)



 本日は、東京五輪の開会式が開催されるらしい。
 コロナ禍に関わりなく、元々2020東京五輪開催断固反対派であった原左都子にして。 
 このコロナ禍変異株急激拡大(東京都の昨日感染者数が2千人に達しようとしている!)この時期にそれを強引に開催せんとするIOC、政府、五輪委の人命無視究極非常識なやり口がとてつもなく腹立たしく、途方に暮れつつ自宅にて自粛中である。😱 



 さて、本日は我が原点ともいえる学問に戻り、「自然科学概論」小講座の続きを綴ることとしよう。

 本日紹介するのはA先生による「ギリシャの天文学」テーマの中の、各天文学者の思想や実績等々の紹介となる。

          
          
 アリストテレス(B.C.354~B.C.322 )は、(A先生曰く)数学者としての能力は無かったらしい。 そして自然の研究に数学とはそれほど必要な道具ではないと考えた人物だったようだ。 
 その上で、アリストテレスは具体的な宇宙論を唱えた。
 月より上が天の世界で、月より下は地の世界。
 月下界は、四元素(火、空気、水、土)より成り相互転換する。
 月上界は、第五元素(アイテール:エーテルの語源)より成り、安定して変化が生じない。
 運動の第一原因は、因果は外から伝わり、月下界へいく。
 不動の神(究極原因)は神、と考えた。

 ここで少しプラトンに移るが。
 プラトンは自書『法律』の中で、『国家』とは異なる意味の天文学を記している。
 プラトンは、自然(ピュシス)の立場をとり、人為(ノモス)の立場を嫌っている。 何故ならば、ノモスの立場をとると必ずしも法を守らなくてよくなる故だ。 そして、“神の存在証明”を必要として星を神的なものと捉えた。(これはメソポタミアに既にあった思想だが。)

 アリストテレスの天文学は、不動の動者、イコール神 との点にポイントがある。
 宇宙論的証明、“形而上学にちばん近い科学は天文学である” と唱える。
 ただこの理論には、●惑星の大きさの変化(見かけ上の)が説明できない。 ●金星・火星についての説明がうまくできない。逆行が作り出せない ●季節(天文学的な)長さの違いが説明できない。 との欠点がある。
 
 そこで、“離心円・周転円の理論” が生まれた。
 しかしこれでも逆光は説明できない。

 そこに、ペルカのアポロニオスとの“円錐論”を唱えた数学者が現れるが、この人物が周転円の発見者であるともいえない。


         
 次に登場したのは、ヒッパルコス(B.C.190~125 おおよそらしいが)
 この人物こそがギリシャナンバーワンの大天文学者であり、歳差precession(春分点の位置の観測により)の大きさを計算した人物として有名。
 メソポタミア天文学のデータを見て、自身の観察との違いで計算したらしい。
 このヒッパルコスの理論は、後に継承されていった。

 プトレマイオス(AD2世紀前半頃)は、そのヒッパルコスの理論を中世へ伝える役割を果たした。
 ただ、研究に独創性はなかったようで、単に過去の理論の整理をしてだけの人物のようだ。


 ここで原左都子の私見に入るが。
 いやはや過去も現在も科学研究のあり様とは(元医学基礎研究者でもある私として)同様であることを実感させられる。
 物事の原理を追求せんと独創的な能力を発揮する科学者が存在すれば、過去の理論の継承に明け暮れ、その整理をしたのみで自己の実績として褒めたたえられることを目指す人物も存在するのが科学界の常だろう。
 まあ、過去の賢人の論文検証をするのも科学者としての使命であることには間違いなく、それはそれで後々に業績を残せるであろうと言えよう。



          

 本日はコペルニクスも述べたかったのですが、少し疲労してきた故にこれはまた後日に回します。


還暦を迎えた頃、私はキラキラ輝いていた!

2021年07月22日 | 自己実現
 (冒頭写真は、還暦よりも少し後60代前半期に音楽スタジオにて自撮りした写真。 左プロフィール欄の写真として掲載していたため、ご記憶の読者の方もいらっしゃるだろう。)


 まさに私が還暦を迎えた今から遡ること5年程前に、私は大都会東京のターミナル駅前繁華街にて、“シニア女優”にスカウトされた経験がある。

 その時の様子を綴り公開した 2016.04.27付「大都会繁華街で『女優になりませんか?』とスカウトされたらどうする?」 と題するバックナンバーの一部を以下に引用させて頂こう。

 その日、義母財産管理関連の所用があり外出した。
 大都会ターミナル駅から程近い区役所へ行った帰り道、老若男女で大混雑する駅前のメインストリートを人混みをかき分けつつ足早に歩いていた。
 そんな私に、後ろから声を掛けながら付いて来る男性がいる。
 どうせろくでもないキャッチセールスだろうと思いつつ、無視を決め込もうとしたところ、
 「綺麗な方ですね。 少しお話よろしいでしょうか?」
 (ん?? 綺麗だと? 年寄り捕まえてよくぞそこまで言ったものだ)と呆れつつ、「とんでもございません。」と手短に返しつつ足早に歩き続けていると、
 男性も同じスピードで付いて来て、「綺麗な方なのでどうしてもお話させて頂きたいのですが、女優になる気はありませんか?」
 (こりゃまた、大それたキャッチセールスだな!)とびっくりポンを決め込む私に、自分の名刺とパンフレットを手渡す。
 「女優の適性はございませんので。」ときっぱりとお断りするのだが、相手もひるまない。 
 「我が社では40代50代の女性も活躍しています。 是非、ご家族とも相談されて女優のオーディション面談を受けて頂けませんでしょうか?」
 (要するに、私が40代か50代に見えたのね。 あまり嬉しくもないなあ~~。)  
 (いやはや、若き頃には原宿や新宿辺りで同様のスカウトを何度か経験しているが…  ただ、確かに端役の女優とはこうやって街ででも素人をスカウトした方が、芸能プロダクション側としてはお安く使えるのだろうし…  小遣い稼ぎ程度の軽ノリで、オーディションだけでも受けてみるのも悪くはないかも。)
 などと不謹慎にも考えつつ、「どうしても、苗字と電話番号だけを伺っておきたい」との営業担当男性の要求に沿って、苗字と家の固定電話番号を教えた。 後日私の意向を再確認するため連絡すると言う。

 家に帰りつき、上記のびっくりポン出来事を亭主に話すと。
 「ああ、今時端役のシニア女優がどこも品薄のようだとテレビでもやっていたよ。 面白半分でオーディションへ行ってみたら」とあっけらかんとしている。
 そうは言われても、と思いつつ、一点気になる事がある。
 つい先だっても街を歩いていて、社交ダンスクラブ入門をスカウトされた。 その時貰ったパンフレットを元に後にネットにて検索すると、随分と破格高額の授業料がかかるようだ。 やはり社交ダンスとは、上流社会の貴婦人でないと嗜めないよなあ、と諦めた。
 同様に、もしかしたら端役出演ギャラより、事前のレッスン料が高額かもしれないとも憶測した。
 と言うのも、我が娘を小さい頃に児童劇団に入れていた時期があるのだ。 その時の入所条件を思い出した。 必ず端役子役として何らかの番組に一度は出演させるもらえるが、そのためには劇団のレッスンを受ける事が必要条件だった。 娘の場合は「演技」「歌唱」「ダンス」指導を強制されたが、同時進行で習っていた「クラシックバレエ」に比し、「ダンス」指導が如何にも中途半端だ。 「演技」「歌唱」も同様だったが。 それでも、我が子をテレビ出演させたいとの意向が強靭だった家庭は、その劇団の条件に従ったようだ。
 我が家の場合は、あくまでもサリバンの立場で娘の教育指導対策の一環として劇団を経験させるのが目的だったため、結局1年間で児童劇団は退会させ、「クラシックバレエ」の続行を選択した。

 我が身に照らすと、今回の事例もやはり事務所より何らかの事前レッスンを要求され、そのレッスン料収入を当てにしている事も十分に考えられる。 まあ、下手なりに「ダンス」も「歌」も趣味の私だから、レッスン料が安価ならばそれを経験しても無駄にはならないかもしれないが…
 
 元々“遊び心”旺盛な原左都子としては、とにかく何事も経験だ。
 昨日貰ったパンフレットで早速当該事務所の情報収集作業も実施したところ、都心に実在している事には間違いないし、大物俳優等は所属していないものの、ある程度名の通った俳優や歌手等が活躍している事務所の様子だ。
 ただ、原左都子の感想としては、若き時代にこの種のキャッチセールスを受けるよりも、今の年代になってのサプライズの方がよほどインパクトがある事は歴然だ。

 まあ還暦過ぎた身にして、娘のサリバン業や義母や実母の介護保証人業にばかり明け暮れるより、たまには羽目を外して遊んでみるのもよかろうか??

 (以上、2016春バックナンバーより一部を引用したもの。)


 この話の後日談を、少しだけ語っておこう。

 スカウトのすぐ後にスカウト担当者より電話が入り、「とにかく芸能事務所まで来てください」とのことで、私は指定日に事務所へ出かけた。
 そうしたところ、すぐさま面談と写真撮影があり登録が完了した。 
 確かに仕事は山程あって、その連絡が携帯電話に日々何本も届くのだが… その内容が、サプリだの基礎化粧品だのCM撮影等がほとんど。 我が過去の経験に照らし、そんなことを還暦過ぎてやって何かのプラスになるのかと首を傾げつつも、一度だけそのオーディションに行ってみたら。 面接会場からして何だかヤクザもどきというのか雰囲気が悪く、「これ、私がわざわざやることじゃない」、とすぐさま悟り芸能事務所は退所に至った。 それにより特段の損失は何ら発生していない。

 まあ、世の中とはそんなものだろう。 (いや、そこで頑張っている高齢女性はもちろん存在する。ただ使い捨て状態であろうことは見て取れた。 それぞ、ご本人の自由意思で実行すればよいとの話であろう。)



 最後に我が還暦祝いに自分で作成したフォトブックより、少し写真を披露しておこう。
 これは私本人の意思と立案により、私自身が作成したものだ。 ちょうど還暦直前期に作成したため、まさに我が還暦頃の写真集である。

         

         

         

 私自身が見直してみても、皺の一つもなくミニスカにも耐えられる体型でもあるとの評価が可能だ。


 では何故、私は還暦期にこのような写真の記録が残せる程に充実してキラキラ輝けたのであろうか?

 それを振り返るに、ちょうど我が還暦と娘の大学卒業・社会進出期が重なった故と結論付ける。 
 発達障害を抱えてこの世に誕生せざるを得なかった娘のサリバンとして私は全力投球し、半生を捧げてきたとも表現可能だ。 
 その娘がこの年の春立派に大学を卒業し、正社員としての企業入社を娘自身が自力でゲットし無事に入社を遂げてくれた。

 そんな我が心の余裕が、私にキラキラ輝く還暦を迎えさせてくれたのであることに間違いない。