原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

現在の我が「凶」運命の発端を “度重なる不運” が到来する今自己分析してみよう

2023年05月23日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、4月に自宅近くの氷川神社を訪れた際に引いた「凶」のおみくじ。)



 結論から書くが、その「凶」運命の発端とは やはり昨年10月末頃遭った “道路にての激しい転倒” 及びそれに伴い “左膝手術にて体内に残された針金” であろう。

 順序を現在の我が激しい腰痛に戻そう。

 この激しい腰痛は、今週の日曜日から始まった。
 この腰痛の原因を究明するに、日曜日に久々に我が最愛の娘が自宅にやって来るのに際し。 娘が自宅を出て独り暮らしを始めて以降、ずっと苦手な料理を手抜きしていた私にして。 この日ばかりは娘のために一肌脱ごう!なる大いなる無理をしたのだ!! (無理したとて情けないことにロクな料理も作れないのに、である…)😖 
 そんな愚かな母親であれ、娘にとってはやはり母親の手作りとは嬉しいものなのだろう。 いつもたまにやって来ると私が用意したものを残らずたいらげてくれる娘だが。 日曜日もそうだった。 そしてその後は、娘のベッドルームで夜遅くまで語り合い、その後手土産を沢山持たせて娘は自分の住処へ帰宅した。

 次の日(昨日だが)の朝目覚める前から、私は腰痛を自覚していた。
 それもその痛みが尋常では無かった。
 とにかく、日曜日は娘のためにいつもとは全く異なるスケジュールで私は過ごすはめとなった。 いつもなら台所になどほどんどいないに等しい😝 のに、あの日は何時間も台所に立った。
 そのため、外出が叶わず屋外でのウォーキング等が出来なかったのに加えて。 夜の日課であるダンスエクササイズ(毎夜40分程激しい振りの自主ダンスをしています)をする時間も取れなかった。

 
 上に記載したが。

 元々昨年11月に手術を受けた左膝複雑骨折が完治していない身だ。 (左膝に挿入している針金を抜く手術は、おそらく今年の秋以降になることだろう。)
 この針金が膝に挿入されている限り、(特に私の場合は)まともな歩行は不能だ。
 何故ならば、今見ても左膝に挿入した針金部分が膝から皮膚間際まで突出して常に圧迫感がある。 何分 真面目な話、おそらく平均的他者よりずっとスリムな脚だ。 挿入する針金のサイズの程を認識していないのだが、その中の一番細いサイズを挿入してくれたにせよ、おそらく我が膝には大きいのではないか??と思われる程に、未だに左膝が突出している。
 これぞ、我が身に“歩きにくさ”をもたらしている原因と、私は推測している。 そして、これじゃあいつまで経っても“左右平衡歩き”は困難だろうなあ… とも感じている。

 そんな身で、退院後せっせと日々ウォーキング練習やダンスエクササイズに主体的に積極的に励んだ。 もちろんのこと、早く全快して一時も早く膝の針金を抜く手術を受けたいからに他ならない。

 それがもしかしたら、“行き過ぎ”だったのかもしれない。
 それが証拠に、ウォーキングやエクササイズの後、左膝の違和感と腰の痛みをよく感じていた。
 それでも病院医師先生よりの指導もあったし、元々頑張り屋で前向きな(?)私としては、一日も早い回復を目指して日々切磋琢磨してきた。


 それが、裏目に出た場所が「腰」だったのではあるまいか??

 と言うのも、私は元々“側弯症”持ちでもある。
 それを最初に指摘されたのは、40代の職場の定期健診レントゲン撮影に於いてだった。 医師先生曰く、「画像を見ると、あなたは背骨が左側に傾いていますね。」 私も画像を覗くと、確かにその通りだった。

 その後も、この“側弯症”は別の複数の場で指摘されてきている。 と言うのも、“側弯症”とは努力して治る性質の病気では無く、生まれ持った特質面が大きい故だ。

 この“側弯症”も、我が現在の激しい腰痛に追い打ちをかけたものと推測可能だ。

 という訳で 現在の我が激しい腰痛は、「左膝複雑骨折」と「側弯症」が元々の大きな要因で発症したものと考え得るだろう。
 その意味で、冒頭写真の「凶」おみくじに書かれている「病気おもし、ながびく…」も当たらずして遠からずだろう… 😭 

 とにかく明日は、近くの整形外科医院へ“徒歩で”診察等を受けに行くつもりでおります。


エアコン室外機の完全復活と、原左都子の腰痛激化…

2023年05月22日 | 医学・医療・介護
 本日のエッセイは、昨日公開したエッセイの続編となるが。


 いやはや、近年の家電修理力に感服させていただいた本日朝のエアコン修理劇だった。

 表題の通り 我が腰痛は激化の一途を辿っている様相を呈している反面、エアコンの方は“見事に”蘇った!! 
 そのように表現するのは、その作業を見守るはずだった私の腰痛が激化してそれどころではなくなったからに他ならない。(この件に関しては、後半に述べます。)


 そんな私に変って、亭主がエアコン修理を見守ってくれたのだが。

 まず修理担当者が持参した小型パソコンにて、我が家のエアコン診断がすぐさま下されたらしい。  
 それによると、私の指摘通り先だっての猛暑日に「室外機の〇〇部品異常出現」なるメッセージが出たらしい。
 そういう事態も想定して、その部品をあらかじめ持参して下さっていて、修理はあっという間に終了したとのことだ。

 そして修理作業担当者がおっしゃるには、「室内機には何らの異常が無いので、このエアコンはまだまだ現役で頑張るでしょう!」と言い残してくれたとのこと。

 やっぱりそうだよなあ。 と私など思う。 
 と言うのも、昨日も記したが。 我が家の場合冬場は床暖房に依存していて、エアコンは全く使用していないのだ。 単純計算で、両者共々使用している家庭よりも倍は寿命があるはずだ。!??

 実にありがたい、本日のエアコン修理結果だった。




 片や、我が腰痛は明らかに悪化している。😨 
 今朝起きた時には何とか持ってるなあ、なる感覚だったのだが。
 朝食づくり等々の作業を始めると同時に、腰に激痛が走るのだ。

 亭主が、「近くの整形外科でいいから、早めに病院へ行った方がいい。」 と、無責任に言うが。
 どうやって行け! と言いたいのか!?!
 タクシー利用にせよ、タクシー乗降がまず無理だ。
 私が応えて、「徒歩にて行けるようになったら自ら一人で歩いて行くよ」と言いつつも。 本日の我が病状では、10歩歩いたらダウンだ…

 そうすると今度は亭主が、「それならば、やっぱり救急車を呼ぼうか?」
 私応えて、「それだけは、もう一生涯勘弁して欲しい!! 膝骨折時に2日連続で救急車のお世話になったが、あの時の“地獄絵図悪夢”を私は一生忘れることは無い。 今回は私の判断で、とりあえずこの腰痛悪化状態が続くならば自ら歩いて近くの整形外科へ行くから、それを認めて欲しい。」



 いやはや この我が腰の劇痛に関しては、医学関係者のこの私も未だ自己診断が下せずにいる。
 亭主は、「坐骨神経痛」ではないか?と言うのだが。 そうだとすると、脚にも痛みが発生しているはずだ。 その症状は今のところ無い。
 私の診断としては「ぎっくり腰」なのだが、この「ぎっくり腰」とは病名では無く一般的な腰痛症状を総括した名称のようだ。
 最悪の場合 「腰椎圧迫骨折」も考え得るが、それだと家で呑気にしていられる訳もないだろう。(いえ、呑気どころか、激痛に耐えていますよ!)

 それにしても、一旦痛みが襲ってくると筆舌に絶するほどの“劇痛”であることには間違いない!!


 東京の明日は雨で寒くなるらしいが。
 それが通り過ぎる明後日頃に、近くの整形外科へ一人で行ってみるか…


先だって5月の猛暑日のエアコン室外機故障 と ただならぬ腰痛

2023年05月21日 | 雑記
 (冒頭写真は、今から9年前に発行された “ヤマダ電機”の「無料長期保証書」。)


 どうやら、私め原左都子の「凶」はまだ続行しているようだ。😫 😨 

 本日は、昼頃から腰の激痛に苛まれている。
 少し前から「腰痛」を意識していたが。
 昨日我が最愛の一人娘が我が家へやって来た際に、その歓待を頑張り過ぎたようだ。
 今日は朝から、まさに“ただならぬ”腰痛に苛まれている。 寝たり座ったりした状態から立ち上がる際に、腰に激痛が走る。
 (これ、“ぎっくり腰”だろうか?)と思いつつ、今パソコンに向かっている。

 明日は、冒頭写真の“ヤマダ電機”発行の保証書を利用して、エアコン修理を依頼しているのだが。
 その対応が明日可能かどうか不安感を煽られている。



 その“エアコン故障”の話題から語ろう。

 先だって私が住む東京にも、5月にしては早過ぎる感のある「猛暑日」が到来した。

 午前中はクーラー無しで過ごしたが、午後になってもはや暑さに耐えきれず久々にエアコンのスイッチを入れた。
 参考だが、我が家のリビングルーム(及び台所と6畳和室が完全個室ではないため、それら3室合計26畳をいっぺんに冷やす)大型エアコンを購入し設置している。 さらに参考だが、冬場はリビングルームは床暖房を設置しているため このエアコンを使用するのは夏場のみである。

 スイッチを入れるといつもならばすぐに室内が冷えるのに。
 その日は、どうも冷え方が鈍い。 
 何だか変だと感じつつベランダ設置の室外機を見てみると、その羽が回っていないではないか!
 一旦スイッチを切って、再度つけると室外機も回り始めた! それに安堵してエッセイ執筆を開始し、それに集中しているうちは気付かなかったが。 エッセイを書き上げた時に、再び室内の暑さに気付いた。 
 室外機を確認すると、やはり羽が回転していない状態だ!😵 

 これは早めに修理(買い替えてもいいが、庶民としてはとりあえず修理だよね?!??😝 )せねば、すぐに本格的な暑さが来るぞ!
 
 と思いつつエアコンの保証書を探すと、冒頭写真の“ヤマダ電機”のエアコン保証書が出て来た!
 これはラッキー!!と思いつつすぐさま電話を掛けると、親切そうな女性が対応して下さる。 結果として明日(5月22日)の修理が決定した!

 
 
 話題を、我が腰痛に戻すが。

 いま現在は、エッセイ執筆中につき椅子に座っているが。
 一旦立とうとすると、やはり腰に激痛が走って生きた心地がしない。
 だましだまし椅子から立ち上がっても、腰を曲げて何かに掴まらないと歩行が困難状態だ。
 その状態でしばらく頑張れば、何とか歩けるのだが。
 また椅子に座ったら、同じことの繰り返し状態…

 
 明日、ヤマダ電機から依頼されたエアコンメーカーの修理担当者が我が家にエアコン修理に訪れるのだが。

 この腰激痛状態で、明日その対応がこなせるのだろうか??!?

 とにかく、今夜一晩は安静に寝ることにしよう…
 

我が一人娘も「いじめ」が一つの理由で小学校途中で転校させている…

2023年05月18日 | 教育・学校
   冒頭から、本日朝見たネット情報を以下に引用しよう。


 小学男児がいじめで転校、対応怠った大磯町…保護者から開示請求受け一転  「重大事態」に
  2023/05/18 07:49  読売新聞 

 神奈川県大磯町の町立小学校に通っていた高学年男児が同級生からいじめを受け、昨年末に転校を余儀なくされたにもかかわらず、町教育委員会がいじめ防止対策推進法に基づく対応を怠っていたことがわかった。 転校から4か月たった今年4月、保護者が町に一連の対応について情報開示請求したところ、町教委は一転して、同法の「重大事態」に認定した。 町教委は読売新聞の取材に対し、「いじめが原因の転校とは思わなかったが、対応が不適切だったかもしれない」としている。
 同法は、いじめで児童らの心身などに大きな被害が生じた疑いがある場合、「重大事態」として教育委員会や学校に調査組織の設置を義務づけている。
 保護者によると、男児は小学校入学以降、複数の男児から体形などをからかわれ、持ち物を壊されたり、靴箱から靴を投げ捨てられたりされたという。保護者が学校に相談し一時的に改善することもあったが、教師の目の届かない通学路などでいじめは続き、男児は昨年、医師から「ストレスによる胃痛」と診断された。
 2学期からは学校を休みがちになり、「ぼくはいじめられるために生きているんじゃない」と訴えたため、保護者は昨年12月に町外の学校に転校させた。 この間、いじめをやめさせるよう求め続けたものの、学校や町教委から加害児童への指導など必要な措置を講じた報告はなかったという。
 学校の対応に不信感を抱いた保護者は今年4月14日、町にいじめの対応について情報開示請求をした。すると、町教委は同日付で「重大事態」と認定したという。5月中にも学校や男児の保護者から調査を始める方針。
 保護者は「町や学校は転校で問題を終わらせるのではなく、再発防止に向けての対応策を示してほしい」と訴えている。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 原左都子のひとり娘に話題を変えよう。

 我が娘も2歳時に“発達の遅れ”を指摘され、その後幼稚園に入園した3歳時点で専門研究機関にての専門指導を開始している。

 本エッセイ集バックナンバーにても再三公開して来ているが。
 我が娘の特徴としては、とにかく寡黙過ぎて放置しておくといつまでもボーっとする、との現象が幼い頃より見られた。
 当時は未だ「発達障害」なる用語が無い時代背景だったが、専門研究機関にての指導開始後、小2の夏頃までその指導を続行した。

 一体如何なる指導を成すかを説明するならば、個人指導と集団指導の2本立てで本人個々の特徴を踏まえつつ。 我が娘の場合は寡黙状態に陥らせず楽しい事をさせたりして活性化を図ることが中心だった。

 我が娘の場合は、その“寡黙さ”が幸して周囲に迷惑を及ぼすことは皆無だ。
 その代わり、その“寡黙さ”がいじめ対象の焦点となるのは火を見るよりも明らかだった。

 幼稚園年少組にて、暴力資質のある女児より殴る蹴るの暴行を継続的に受けていることが判明したにもかかわらず。 幼稚園側から何らの報告も指導も無かったため、親の私の判断で転園に踏み切った。 時が幼稚園時代の話であり、それで何とか事が済んだものだ。

 小学生になった後も、同じ様なもので。 
 必ずや娘の寡黙さが“いじめっ子”の標的となったものだ。 ただ、小学1,2年時の担任先生の配慮のお陰で、娘の心にトラウマが残る程の被害には遭わなかったと母親の私は判断している。

 小3になって担任が変わると、状況が一変した。
 やはり寡黙な娘に近づいてくるのは、“いじめっ子”だ。
 2学期の終わりまで、母親の私も我慢したが。

 3学期を迎えるまでに転校するとの方策を打ち立てた。
 これは“いじめ対策”のみならず、母親としての我が子の将来に向けた展望も働いた。
 とにかく、我が娘は公立小学校現場ではどうしても“いじめ“に遭う身だ。 来る中学校以降は、公立では無く私立学校へ入学させよう。 その方が、娘を取り巻く環境が少しはマシなのではなかろうか??  
 と言う訳で、私立中学受験を視野に入れたのだ。
 そして、それまでより我が子の(将来通う中高大学への通学の便の良い)都内の住居地に我が家を買い替え、転居した。

 娘自身も娘なりに学年と共に成長を遂げていたし、この“転校政策”は大成功だったと後で振り返る。

 それでも私立女子中学・高校時代にも、やはり若干のいじめ(上履きの中に画びょうを入れられたり、等々)を受けた、と我が娘が後日談で語ってくれたことがある。 とにかく我慢強い子で それが功を奏した様子で、いじめが悪質化しなかったのは幸いだった。

 娘が大学生になって以降は、さすがに周囲の面々も大人に成長しているだろうし特段のいじめは無かった様子だった。 娘は立派に学業に励み優秀な成績で卒業、そして就職を果たしている。



 冒頭の引用文中で示した男児は、どうやら未だ小学生のようだが。

 我が娘の場合、母親の私が元教員経験者だったり等の事実が大いに活きたことであろう。 とにかく母親の私がいつも学校の対応よりも先回りして、娘をずっと守って来れた自負がある。


 何と言っても、我が子を一番に守れるのは親でしかあり得ない!
 地元の教委や学校が何を言おうが言うまいが、“この子は私が守り通すぞ!!”なる勢いと確固たる専門力で、娘を現在まで指導し守り通してきた身だ。

 母親である私自身のそんな強い決意と行動が現在の娘の成功に繋がっている、と思わせてくれる程の娘の成長ぶりが何とも嬉しい。😃 


子どもを産んだ後で母親自らが「要らなかった」と公言するのは明らかにルール違反だ!!

2023年05月17日 | 人間関係
 「原左都子エッセイ集」ほぼ1年前の2022.05.04付バックナンバー 「『産まない自由』はもちろん認められるべきと思うが…」 の一部を、以下に再掲載させていただこう。



 朝日新聞2022.03.05付「ひととき」欄に、気になる投稿を見つけた。
 「産まない自由」と題する33歳匿名希望 主婦による投稿を、以下に要約引用する。

 最近、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)という言葉を目にする。 子どもを産むか産まないかは自分自身が決めるということだ。 この言葉を見る度にうれしくも苦しい気持ちになる。
 子どもが欲しいと思ったことは無い。 大学生の時に母に話すと、ひどい剣幕で「自分勝手だ。孫に会えないのは寂しい」と否定された。 夫は、私の権利と自由を約束したが、子どもだけは譲らなかった。 「欲しいのが普通。異常だ」。 議論は4年に及んだ。 「育児は夫」との約束で出産した。 
 しかし、出産の数時間後には、とんでもない間違いをしたと気づいた。夫の育児には限界があり、毎日が地獄のようだった。 「子どもが可愛いと思えない」と苦しい思いを明かしても、産後うつだと一蹴された。
 ある日ささいなけんかから、夫は「離婚した方がいい。親権は諦める」と言い放った。 私はパニックをおこしたが、そんな私と1歳の子を置き、いつも通り出勤していく。 その背後に「バイバイ」と手を振る子を見て、涙があふれた。 この子が大きくなる頃には、産まない自由が当たり前であることを祈った。
 (以上、朝日新聞「ひととき」欄への投稿を引用したもの。)

 私事に入ろう。

 この私も若い頃には特段「子どもが欲しい」と思うことなく、仕事に学業に恋愛にと充実した楽しい日々を過ごした人間だ。
 職場の周囲の女性たちが20代半ばが近づくと、皆が皆結婚を焦りだすのだが、それが不思議で仕方がない程に私はマイペースだった。
 その根底にある思想の中の一つに、やはり「特段子供が欲しいと思わない」との思想があったことと振り返る。

 そんな私も30代後半期になり、見合い結婚にて現在の伴侶と巡り合っている。
 その見合いの席にて亭主と話し合った重要項目として、やはり「子供を設けるか否か」があった。
 これに対する両者の考えがピタリと一致したのが、我々が成婚に至った一番の決め手であったことだろう。
 その考えとは、「出来たら産む、出来なかったらそれでいい」だったのだが。
 何と!、(後で思えば)超ラッキーなことに、我々カップルは成婚前より子どもに恵まれたようだった。 
 どうも新婚にして我が体調が悪い。 この症状に対する元医学関係者である私の診断は早かった。「妊娠したかもしれない」。
 早速亭主が薬局にて「妊娠検査キット」を買ってきてくれて、それで調べると「陽性反応」が出た。
 直ぐに近くの産院にて正式な診断を受けたところ、まさに「妊娠」の診断が出た。 その超音波映像を見せてもらったところ、明らかに我が腹部に新たな生命が宿っていた。
 その後も当時就業していた高校教諭を続行した後に、出産直前期に生徒や教職員の皆さんから祝福されつつ私は“出産退職”と相成った。

 その後の我が子育て歴に関しては、本エッセイ集にて執筆・公開し続けているのでそれを参照して頂けると嬉しい。
 大まかにまとめるならば、我が子育ては順調だったと判断可能だし、とにかく我が子が予想以上に立派に育ってくれたことを一番嬉しく思っている。
 
 さて、朝日新聞投稿者に話題を戻そう。

 この投稿女性の産んだ子どもさんが、未だ1歳だという。 
 その身にして、ご亭主に離婚宣言をされて実行に移されたばかりの厳しい現状だろう。
 この投稿内容からは細かい部分を察することは無理だとしても、どうもご亭主との離婚理由が分かりにくにのが正直なところだ。
 もしかしたら未だ1歳の息子さんの存在が、離婚の主たる理由では無かったのかもしれない。
 私としては、この相談女性から感じ取る「独りよがり」部分が大いに気になる。 自己主張があるのは認めるとして、相手とのコミュニケーション力に欠けているのかとの懸念材料が大きい。

 相談女性が書かれている、「この子が大きくなる頃には、産まない自由が当たり前であることを祈った。」 の文言に関してだが。
 それを祈る前に、この相談女性が真っ先に取り組むべき課題とは。 
 産んだ我が子を、とにかく育てましょうよ! 貴方の御母上は孫が欲しかったらしいので、その助力を大いに利用しましょう。
 それに取り組んでいるうちに年月が経過すると、我が子が母親である貴女の一番の味方の存在になるものですよ!
 そうなったら母親の独り勝ちと言うのか、とにかく親子での楽しい日々が訪れるでしょう。
 息子さんは、未だ1歳。
 今後の息子さんの未来は輝いているでしょうし、大きな希望を母親の貴女に与えてくれることでしょう。

 最後に、原左都子のひとり娘に話題を移して恐縮だが。 
 我が最愛の娘が、明日我が家から引っ越して「ひとり立ち」します。
 28年5か月もの長い期間、親と同居してくれて本当に、本当に、ありがとう!!!
 今後は一人で自分の人生の価値を再発見しつつ、楽しく朗らかに更なる希望溢れる人生を歩んでね!

 (以上、「原左都子エッセイ集」1年程前のバックナンバーより引用したもの。)




 近頃 新聞の投稿欄等々で、上記投稿類似の「産んだ我が子が要らなかった…」なる趣旨の女性からの投稿が平然と公開されているのを見かけるようになった。

 最近では、62歳無職女性によるその趣旨の投稿を見たこともある。
 62歳と言えば、既に孫もおられる年齢層では無かろうか? その年齢にして、ご自身の子育て人生を今尚後悔しておられるらしき文面に、私など愕然とさせられる…


 引用バックナンバーの表題として掲げた通り、この原左都子の根本的思想も、「子供を産むか産まないかは本人の自由」と掲げたい立場だ。
 
 ただし、既に産んでいる身にしては、産んだ我が子の幸せを一番に願うのが母としての本能では無かろうか!?!!

 その我が子が見るかもしれない新聞紙上に、「子供を産んだことを後悔している」趣旨の投稿を母親の立場で実行するなど、アンビリバボーな世界だ。


 確かに、我が子育て過程にも“厳しく多難な時期”があるにはあった。
 そんな娘が、現在では立派に一人立ちしてくれている。
 母親としては、今となっては何の不服も無い!!

 今週末に、その一人娘が久々に我が家を訪問してくれるらしい。
 ご馳走づくりなど、めっぽう苦手な私だが。😵 
 何を用意して、娘を待っていようかな。♪♪ 今から楽しみだ!😃