原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

デカルト曰く、「数学における主な障害は心理的な拒絶反応である」

2023年05月15日 | 教育・学校
 (冒頭表題は、2023.05.13付朝日新聞「書評」ページより、ダヴィッド・ベシス著「心を旅する数学 直感と好奇心がひらく秘密の世界」に対する、千葉大学・粒子天文学教授 石原安野氏による書評より引用したもの。


 早速、上記書評を以下に要約引用しよう。

 人間は赤ん坊のころから多くのブレークスルーを起こしながら能力を向上させる。 ハイハイができ、歩けるようになることは、身体の運動であると同時に、世界の見方が大きく変わる脳の再構成も伴う。 数学的直観も、失敗を繰り返したのち辿り着く、ものの見方の転換であり、脳の再構成である。 (中略)
 自分にはできないという恐れは忘れ、できるかできないかわからないけれど何となく試したり、思い浮かんだくだらない質問を遠慮せず投げかけたりしてみる。 効率など考えない。 「転倒を恐れることと歩行を恐れることは同一」なのだ。
 数学好きに必要なのは、わからないことを楽しむ心だ。 例えば「無限」について。 何となく考えているとそのうちに何かを感じる。 そのイメージを文章化するのは、たとえ数学者であっても難しいのであるが、まずは直観の世界へ。 本書を片手に一歩踏み出してみるのは如何だろうか。
 
 (以上、朝日新聞「書評」ページより一部を引用したもの。)



 余談だが。
 上記引用文中に書かれている「転倒を恐れることと歩行を恐れることは同一」との文章だが。

 これ、去年の秋に転倒して左膝複雑骨折の重傷を負った直後期に、我が身が体験した心境そのものだ。
 まさに特に退院直後期には、“再転倒”の恐ろしさに囚われてしまい、立って歩くこと自体に恐怖心を煽られた。 この感覚を私は今後一生背負って生きねばならないのか、なる切羽詰まった心理状態に陥ったものだ。😱 
 あれから半年が経過した今尚、未だ通常の歩行が叶ってはいないものの。 その恐怖心は月日と共に薄れゆく感覚に、現在の私は生きた心地がしている。



 さて、本題の数学に話題を戻そう。

 私め原左都子が生粋の「数学好き」であることに関しては、本エッセイ集バックナンバーにて再三述べてきている。
 私の大学の専攻として迷いなく理系を専攻した理由とは、決して「理科」好きでは無く「数学」好きであったからに他ならない。
 中学卒業時点で我が卒業中学校では、各教科の上位5名に「教科賞」が授与されたのだが、この私も「数学」「英語」「音楽」「家庭科」にて「教科賞」を受賞している。 その中でも我が一番の自慢は「数学」での受賞だったものだ。

 我が数学好きの理由に関しても、バックナンバーにて何度も述べているが。
 「原左都子エッセイ集」初期頃のバックナンバー「1か0かの世界」において、その一端を述べているので、それを以下に反復しよう。

 私が算数・数学が本質的に好きだった理由は、数学とは哲学と表裏一体である点である。(このような数学の学問的バックグラウンドを把握したのは、ずっと後のことであるのだが。)紀元前の古代から数学は哲学と共に研究され論じ継がれてきているが、数学の概念的理解を要する部分が当時の私には大いにインパクトがあった。
 一例を挙げると、中学校の数学の時間に「点」と「線」の概念について数学担当教員から(おそらく余談で)話を聞いたことがある。 「点」や「線」を生徒が皆鉛筆でノートに書いているが、これらはあくまで“概念”であり形も質量もないものであって、本来はノートなどに形にして書けないものである。数学の学習のために便宜上、鉛筆で形造って書いているだけのことである…。 おそらく、このような内容の話を聞いたと記憶している。
 この話が当時の私にとっては衝撃的だった。「点」や「線」とはこの世に実在しない“概念”の世界の産物なのだ! (当時は言葉ではなく、五感に訴えるあくまでも感覚的な存在として“概念”という抽象的な思考の世界に私としては初めて触れた経験だったように思う。)
 お陰で数学に対する興味が一段と増したものだ。
 同様に、“2進法”を中学生の時に(?)学んだ記憶があるが、これも大いにインパクトがあった。
 「1」と「0」のみの世界! 要するに「存在」と「非存在(無)」の哲学の世界なのだが、世の中のすべての基本はこの2進法にあるのではなかろうか、(と考えたのはやはりずっと後のことだが…)。 

 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)



 てな具合なのだが。

 そんな私は、「数学」に対してデカルトおっしゃるところの “心理的拒絶反応”など一切感じることなく学習に励めてこれたのは、実にラッキーだったと言えよう。

 これもひとえに中学生時代に「点と線は“概念”である」等々と語ってくれた優れた数学担当教師に出会えたお陰と、今更ながら再度感謝申し上げたい。