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原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

大手銀行普通預金の金利引き上げを受けて、私宛にも取引金融機関から電話があった

2024年08月18日 | お金
 冒頭表題に関する一ネット情報を、以下に引用しよう。

  
 大手銀行 普通預金の金利 今の5倍に引き上げへ 追加利上げ受け
  2024年7月31日 20時38分 
 日銀が追加利上げを決めたことを受けて、大手銀行は、普通預金の金利を今の5倍に引き上げると相次いで発表しました。 各行とも、普通預金の金利の引き上げは、ことし3月のマイナス金利解除以来です。
 このうち「三菱UFJ銀行」は、ことし9月2日から、普通預金の金利を今の年0.02%の5倍の年0.10%に引き上げます。これは2008年11月以来およそ16年ぶりの水準となります。

 このほか、三井住友銀行は8月6日から、みずほ銀行はことし9月2日からそれぞれ普通預金の金利を今の年0.02%の5倍の年0.10%に引き上げます。

各行とも、普通預金の金利の引き上げは、ことし3月のマイナス金利解除以来で、大手銀行の引き上げは、今後、ほかの金融機関に影響を及ぼしそうです。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 つい最近、我が年金取扱い信用金庫より何度か電話が入った。

 その内容とは、「現在お預け頂いている定期預金(1年もの)の金利が上がります。この機会に、普通預金を定期預金に預け替えしませんか。」というものだった。

 その詳細を確認すると、「1年もの定期預金の金利が0.15%となります。例えば、100万円お預け入れ頂きますと、1年で1500円の利子がつきます。 8月いっぱいまでの特典ですので、どうか早めにご来店下さい。」


 私と当該信金との付き合いは、我が年金預入時直前の64歳時に営業マンが我が家を訪れたことに遡る。 (この営業マンに関しては、本エッセイ集バックナンバーに幾度が登場しています。)

 営業マンのH氏(当時40歳ぐらい)が我が家を訪れるなり嬉しそうに曰く、
 「〇〇子さんでいらっしゃいますね!! 私ども昔から大女優の〇〇子さんの大ファンで、ファンクラブに入り月一以上のペースで〇〇子さんご出演の映画上映会を見に行っています。 あれ程素晴らしい女優さんは世紀を超えて存在し得ません! 我が信金の近くに、同姓同名の〇〇子さんが存在しておられる事実を知り、どうしても年金担当をさせて頂きたく思い本日参上しました!!」😱 😃 

 その後もこのH氏は月一ペースで我が家を訪れては、当該大女優〇〇子氏の最新情報等々を私に伝えて下さる。
 こちらとしても、我が婚姻後の本名が昭和の大女優〇〇子氏と同姓同名である事実を“これ以上無い幸運”😜 と捉えていたこともあり、H氏との会合は毎回盛り上がった。
 ついでにH氏と自己紹介し合っていると、偶然にも我が2度目の大学にて「金融論」を担当頂いた教授が、現在ではH氏ご出身私立大学の学長となられているとの共通話題もあったりで。 
 とにかくH氏が別支店へ転勤されるまでの2.3年間、 月一ペースで今は亡き我が国の大女優〇〇子氏の話題に花が咲いたものだ。

 そのH氏が別支店へ転勤された後に、当該昭和の大女優〇〇子氏は残念ながらお亡くなりになられた。
  (ん? 大女優〇〇子氏が亡くなられたのはもっと以前か?? 我が記憶があやふやだが、 とにかく当該ブログを立ち上げた2007年時点では未だ大女優〇〇子氏が生存されていたのは確かだ。 大女優氏との混乱を避けるために、あえてこの私はエッセイ集のペンネームに栄光の本名を使用するのを避けて、「原左都子」とのペンネーム使用を決定したものだ!)

 参考だが、今となっては当該大女優を知る人が世に極減していて。
 私が何処で本名をフルネームで高らかにも告げても何らの反応も無くなっているのが、ちと寂しい… 😰 


 最後に話題を、信金からの電話に戻そう。

 女性担当者の説明を元に、計算してみると。
 例えば100万円を預けて、金利0,15%で利子が1500円。
 500万円だと、その利子は7500円。
 確かに、何らかの腹の足しにはなりそうだが。

 これが 上記の女優〇〇子氏の大ファンのH氏からのお誘いだと、すぐに乗るのだが。
 今回電話を頂いた女性担当者は、我が名前に関して何らの反応も無かったなあ…

 参考だが、上記大女優ファンのH氏は いつもわざわざ我が家まで足を運んで下さって取引していた。 今となっては時代も変遷しているのだろう。

 わずか何千円程度のカネのために、こちらから信金窓口まで出向く価値の程はどうだろう?????
  いや、セーターの1枚くらい買えるか??

 まあ悪い話ではないので、今は亡き昭和の大女優〇〇子氏と同姓同名の私が窓口まで出向いて手続きして来るかな? どうしようかな??? 
 

親とは、教育費等々の経済的投資をほとんどしていない子どもに老後を依存したいものなのか??

2024年08月16日 | 人間関係
 本日のエッセイは、昨日公開の「郷里の実母からの“両脚が動かなくなった”との電話」の続編の形となるが。


 我が家の場合 実母は自身が地方公務員を定年まで勤めた関係で、老後資金を次世代の娘等々に依存するとのことは無い。(これに関しては、よく出来た母親であることを娘として認めている。)

  ただ、ここで言っておきたいことがある。
 我が家の場合、実母の夫であった父親が69歳時点で急死したのに伴い、実家(この私はその家には住んだことはないが)を売却した際の相続金の全てを実母が“独り占め”したとの経歴がある。 
 これに関しては、経営法学修士を取得している次女の私は、当然ながら姉と共にその相続権があることを熟知していた。
 ところが、実母が執った行動とは。
 その家屋の売却金の全てを、娘たちには何の相談も承諾も無く“自分のもの”としたのだ!! (参考だが、米国暮らしの長女である姉はそういう事象にはまるで無頓着と言うのか、早い話が無能のため、何らの反論も届かなかったようだ。)

 これが判明したのは、実母が家屋売却に当たり利用した不動産会社経理担当者より、「相続放棄に関する手続き書」が我が手元に届けられた故だ。
 その書面を見ながら、(実母も一言、娘にその旨言ってくれていたら良かったのになあ…)と感じつつ、黙ってそれに署名捺印した。
 その後も実母に直接会う機会が何度かあれども、何らの一言も無い!

 これに関して、以前から仲良くしている実母の妹である私の叔母のさっちゃんと、電話で話したものだ。
 さっちゃんが私からその話を聞いて、驚き果てて曰く、「えーー。〇ちゃん(私の事)お父さんの一銭の相続金も受け取って無いの!!!」😱 😵 

 ただ、この件に関しては、私も「それでいい」と妥協した事実をさっちゃんに話した。
 それを聞いたさっちゃん曰く、「我が家など、全ての相続を長男・次男に平等に実施して法律の定め通りの相続金を手渡したのよ。」

 さっちゃんは、そもそも頭が良いし勉強家だし、その手の業務を完璧にやり遂げる能力を備えた人材だ。
 それに比し…
 我が家の実母。  食っちゃ寝て体重ばかり増やしている割には、何らの努力もせず、事ある毎に「私は公務員じゃ!」とえばり腐るばかりで…  
 そもそも さっちゃんと比して、姉妹と言えども元々備わっている頭の良さ、性格、人格の程がかけ離れている存在だ…

 まあこの私だって、よく言えばさっちゃんタイプだし。😷  
 とにかく自身の稼ぎが多い人生を歩んで来て、食いっぱぐれることも無いし。
 という訳で、実母の“しうち”を知らぬふりして受け入れる決断を下したものだ。


 それにしても。

 実母は、そうやって父親の遺産を独り占めした事実が、次女である私にバレているとは思ってもいないのか??
 あるいは、あの子だって自身でいい稼ぎしつつ生きてるし、更には良家に嫁いで良き暮らしをしているのだから、実母の金銭的面倒をみて当然!!、との思考なのか???

 未だに、一言も自宅売却益を独り占めした話題を決して持ち出さない実母である…

 しかもだ。 
 米国の姉が人格的に扱いにくい人間であることを一番熟知している実母は、決して(金銭面も含め)姉の世話になろうとはかけらも考えていない様子だ。


 最後に、次女の私に言わせてもらうならば。

 米国暮らしの姉の“人間性の欠如”を十分に把握している実母は、上述の如く決して今後 長女である姉の世話になろうとはしていない。

 そのため、昨日のように自分の身体が持たない(昨日の電話によると両脚共々瑕疵が発生して歩行困難事態)となると、依存してくるのは次女の私だ!
 さすがにこの私も実母の魂胆をわきまえていて、前回の如く「腰椎骨折したから今直ぐ来い!」なる手には絶対に乗らなかったのだが。

 とにかく実母は施設入居の身にして、まずは施設の専門家に相談するべき、なる我がアドバイスを聴き入れたのか。

 本日は何らの連絡も無い事実に、安堵し清々している次女の私だ。
 

郷里の実母よりの「両脚が動かなくなった」との電話

2024年08月15日 | 医学・医療・介護
 本日午前中の事だ。

 もうそろそろ昼飯づくりをせねばとのタイミングで。

 郷里の高齢者自立支援施設にて暮らしている実母より、冒頭表題の電話が入った。

 この実母、御年91歳。 
 数年前より自身が選んだ郷里地元の高齢者施設へ入居して、そこで暮らしている。
 何分、我が父親が亡くなったのが69歳の事だった。
 その後、実母は20年間程自宅にて一人暮らしをしただろうか??

 80半ば頃の年齢になった際に次女の私宛に、「高齢者施設にて老後の人生を送りたい」等々の電話があった。
 それに同意した私は母親の意向に従って、当該高齢者施設への転居の際にその手伝いをした。

 母親が自ら選んだ郷里の施設とは、地元では名の知れた大病院付属施設であり。 高齢に達した入居者の身体状況に応じて、段階的に施設を「自立支援施設」「介護付き施設」「寝たきり(というのかどうか不明だが)施設」と変更できるメリットがあるという。

 そうすると、今回「両脚が動かなくなった」実母の場合は、「自立支援施設」から「介護付き施設」への転居かな??
 と私が推測したところ。
 そうでもないらしい。
 
 どうやら、とりあえず実母は「車椅子」の練習に入り、それをマスターして。
 それがうまく行って、その状態で“自立”状態で現在の施設にて暮らせる能力を維持できているのならば、今まで通りにそこで暮らせるという。

 そう言いつつ、実母が嘆くには。
 「もう既に、誰も私の部屋へ遊びに来てくれる仲間がいない… これが寂しくて…」
 (私が思うに、それって足が不自由になったことが直接の原因ではなく、実母特有の“歪み性格”が施設内で徐々にバレて、誰も寄り付かなくなっている可能性が強いのでは!?!)😷 

 もちろん、そんなことは一言も口には出さなかったのだが…

 
 昨年11月に、その実母の「永代供養墓」の挨拶に行き 久々に実母に会った際に、私は既に年老いて益々“歪み切っている”実母の現実を見た思いだった… 
 元々性格面では優れているとは言い難い我が実母だが。
 我が感覚では、実母は現在入居中の施設にてさほど楽しい暮らしが叶っていないと判断した。
 それは、もちろんのこと実母に責任があるのに決まっているが。 それにしても今後益々高齢域に入るに当たって、こんな“歪んだ性格”で施設内で良き人間関係が築けるはずも無いなあ、と正直感じた私だった。😵 


 そうしたところ。 
  
 あれから9か月が経過した後の、本日の実母からの電話だった。

 ついに、両脚不自由の身となったか…

 今後の判断は、施設や自治体の介護段階判断に委ねられるであろうが。


 次女である私の現在の考えは。
 あの母親、あれだけ我がままに年老いてしまっている現実下において。
 自立支援施設での暮らしは、おそらくその身に合わないことだろう。

 定年まで公務員を全うした身(これと米国暮らしの姉が、恥ずかしながら入居以来一貫して 実母の施設内での自慢ネタです…😭 )で、カネに困っていないならば。
 
 いっそ施設のグレードをアップして、介護度が高い施設にて そのスタッフの皆さんと日々仲よくして頂いたらどうか???

 と考える、(母に言わせれば「米国暮らしの長女」と比較して施設内では“何の自慢にもならないらしき“ ) しがない“東京暮らし”の次女の意見です…… 
 

生徒に夏休み中に旅行したかと聞くな!って???

2024年08月14日 | 教育・学校
 つい先程、中学校教員による「(生徒に)夏休みに旅行したかと聞かないで」と題する、原左都子の感覚では大いに偏りがある内容の新聞投稿を、発見した。


 早速、2024.08.10付朝日新聞「声」欄への 58歳女性中学校教員による投稿を、以下に要約引用しよう。

 公立中学に勤務している58歳の教員だが。 
 コロナ禍前のこと。 2学期初めての授業である先生が、夏休みに旅行した人に挙手させていた。 私は、挙手しない生徒の中で涙ぐんでいた男子に気が付いた。 休み時間、私は彼と話をした。 私自身、十数年以上旅行をしていない。 旅行をしなくても日常を過ごす話を共有し合い、彼は笑顔になった。
 この夏休み、旅行をする教師はとても多い。 旅行好きな人にも、事情があり旅行しない人がいることを知って欲しい。様々な理由で旅行に行かない生徒に思いを馳せて欲しい。
 英語教師の私は、課題で「想像海外旅行」などを書かせてきた。 妄想なら世界を無料で旅行できる。
 夏休み真っただ中。暑い暑い夏を、様々な気持ちで過ごしている人がいることに思いを巡らせてほしい。
 私は20年前は乳がんで闘病していた。 それを思えば、今は何をしても幸せだ。

 (以上、朝日新聞「声」らんより一投稿を引用したもの。)



 原左都子の私見に入ろう。

 なんともまあ、心が閉鎖的な女性教員であろう。

 ご自身が20年前に「乳がん」を患い闘病した事実は、投稿内容から把握した。
 それでも、女性教員さん? その「乳がん」は既に完治しているからこそ、今尚中学校にて教員を続行できているのでしょう?!?
 それならばもうそろそろ、乳がんを患った事実からご自身こそを開放してあげてはいかがだろう??


 ここで、原左都子の私事を語らせて頂こう。

 この私も、40歳時(今から既に30年近く前の話になるが)に「頭部皮膚癌」を発症している。
 これ、医学関係者の私自身の推測だが。
 医学現場に於いて無菌操作を要する期間が何年かあり、その際に一般人よりも桁違いの大量の紫外線を頭部に日々浴びる運命にあった。
 その時の紫外線の蓄積が年月を経過した我が頭頂部に「皮膚癌」をもたらしたものと、私は推測・断定している。
 ただ、とにかくその摘出手術を受けた私は、この通り現在に至って尚無事に生命をつなげている。
 とは言えども、一度手術にて摘出した我が頭頂部の癌部位を含めた皮膚が、蘇る訳もなく…  (癌部位を摘出した後は、我が左脚から自分の皮膚を移植している。)
 一生を通して、私は頭部手術跡を抱えて生きる運命にある。

 ところが、現在はウィッグなるものが世に目覚ましく発展進化している時代であり。  この私もそのウィッグのお陰で、なんら不自由無き人生を歩めている! 
 (と言いつつ、ここでウィッグの弱点を上げると。 夏場は被ると暑い! 温泉地などでは、ウィッグを被ったまま入浴とならざるを得ず寛げないし、ホテルの自室に帰ってバスルームにての洗髪となり、二度手間だ! 等々の弱点はもちろんある!! それでも、この私も温泉地でやむを得ずその手術頭を披露したことがある。 認知症義母を引き連れての温泉旅行地で、義母の世話が厳しく自身の頭の傷跡などに構っていられず… そんな時、温泉客からの「頭どうされましたか?」との質問に応えて「過去に頭部皮膚癌を患った残骸です」等々と応えたものだ。 旅行客さんのご回答は「お義母さんの付き添いご苦労様です」と優しかったものだ…)

 それでも、全般的な感想としては。
 このウィッグの存在のお陰で、私は旅行もランニングも頭部皮膚癌手術直後から、何不自由なく皆と一緒に楽しんできている身であり。

 上に紹介した乳がんを経験しているとの中学女性教員氏のような、「(生徒に)旅行をしたかと聞かないで」なる、歪み切った心情は全く無い!!😵 😭 


 
 ここはどうか、中学女性教員さん。
 乳がん闘病から既に20年の年月が経過して、今はお幸せであられるのならば。
 ご自身の過去の「不幸」を、現在指導されている生徒に転嫁するとの勘違いは、もう卒業するべきではないだろうか??
 
 そんなことで、可愛い生徒の皆さんの夏休みの最大の楽しみでだったであろう「旅行」等の話を封印する権利など教員には無いはずだし。

 とにかく 今後は心を開かれて、旅行を始めとする生徒達の夏休中の旅行等々の体験話に快く耳を傾けてあげては如何でしょうか??!! 


今夏も郷里・観音寺のマチ子さんより「梨(豊水)」をお届けいただきました!!

2024年08月13日 | 人間関係
 (冒頭写真は、本日郷里・観音寺のマチ子さんよりお届けいただいた梨(豊水))


 我が郷里・徳島では、今現在真夏の祭典「阿波踊り」期間の真っ最中の様子だが。

 そんな折に 本日午前中、郷里観音寺・マチ子さんより冒頭の「梨(豊水)」を我が家にお届け頂いた。


 このマチ子さんの話題でエッセイ執筆するのは久しぶりのため、その人物像を少しだけ再紹介しておこう。

 我が郷里の国立大学医学部出身の原左都子だが、マチ子さんは当時医学部にてご指導いただいた医師・大学教授のN先生の奥様でいらっしゃる。
 そんなマチ子さんと私が仲良しになったきっかけとは、N先生が80代前半にお亡くなりになった際に、マチ子さんがN先生の医学業績論文をまとめられた冊子を作成されてお届け頂いた事に遡る。
 その「業績集」の内容が素晴らしかったのに感激させていただき、私は早速便箋数枚にその感想等々と共に御礼をしたためた手紙を送らせて頂いたところ。
 奥様でいらっしゃるマチ子さんより、これまた直筆にての素晴らしいご返答を頂戴したのだ!

 そんなこんなが重なり、数年前の郷里帰省時に我が一人娘も引き連れて、マチ子さんが暮らされている郷里の「観音寺」を図々しくも訪問させていただいた。
 そうしたところ予想以上にマチ子さんと意気投合させて頂くことが叶い。😃  その後も引き続き、郷里帰省時には必ずや観音寺に立ち寄らせて頂き、マチ子さんにお会いできることが叶っている。


 何度伺ってもマチ子さんが喜んで歓待して下さることに甘え、もう既に数年の年月が経過した。

 直近では、昨年の11月に郷里医学部同窓会出席のため帰省した際に観音寺まで伺い、再会させていただいていた。



 あれから11か月が経過した本日、マチ子さんより冒頭の「梨・豊水」をお届け頂いた。
 
 その御礼を申し上げようと、久々に電話をかけさせていただいたところ。
 マチ子さんが喜んで下さって、会話が弾んだものだ。

 その電話での内容で、気になったのは。
 マチ子さんが、「南海トラフ地震」を予想以上にご心配されていた事実だ!
 確かに、まさか起こるとは思ってもいなかった「南海トラフ地震」が九州地方にて勃発してしまっている! 四国は直ぐ近くだ。 
 マチ子さんの困惑をお聞きしつつ、何らの力にもなれない我が身としか言いようが無い…
 
 話題が変わって。
 今現在、わが郷里では夏恒例の「阿波踊り」開催中である。 それはおいておいて…
 このお盆の時期、世の中で一番多忙なのはもしかしたら「お寺」ではあるまいか!?!
 マチ子さん曰く、「観音寺の住職を継がれているご次男が、このお盆は檀家を訪問せねばならず猛暑の中日々檀家に伺っているが、とにかくこの猛暑にて疲労を重ねているのが心配…」
 実は このご長男が小学生頃に、私は郷里医学部内にてお会いしたことがある!  あれは土曜日の実習中だったと記憶しているが、我々学生が医学研究発表に備えて写真暗室にて写真現像の実習現場に、N先生の息子さんが現れたた! 当時未だ小学3年生頃の息子氏が興味深そうに我々の実習を見学していた思い出がある。
 (その後、医学者になったかな?? と思っていたら、ご長男にして観音寺住職を継がれたとのこと。 ⦅参考だが、このご長男「薬剤師」免許を取得されている》 そして医師を継承されたのはご次男だった、とのいきさつだ。)



 久々のマチ子さんとの電話にての会話だったが。

 やはりマチ子さんとお話しすることとは、イコール、必ずや我が医学部時代の記憶が鮮明に蘇る貴重な機会である。

 マチ子さん、今夏も郷里の「梨(豊水)」をお送りいただきまして 誠にありがとうございました!
  
 どうか今後も長生きされて、いつまでも我が医学部恩師の思い出等々を語って下さいますように!!