原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「『調弦理論』はパラドクスを超えて“神の数式”となるか?」

2024年08月24日 | 学問・研究
 本日も、少し古くなるが。
 「原左都子エッセイ集」2013.09.23公開バックナンバーより再掲載させていただこう。

 

 私は、物理学者アルベルト・アインシュタイン没後、ほぼ半年の後にこの世に生を受けている。

 30代にして再び学問の道に入り、当時自分が目指す専門ではない哲学の一分野である「量子力学的実在論」の世界に魅了された。 
 大学の授業「科学哲学」の恩師である非常勤講師先生に「量子力学」の入門書とも言える ゲーリー・ズーカフ著「踊る物理学者たち」の紹介を受け、早速購入して多忙な日々の中時間を見つけてはむさぼるように読んだものだ。
 そして、私はまるで子どもの様に考えた。 (私がこの世に生まれ出たのはアインシュタイン没後、ほぼ半年後。 実はこの私こそがアインシュタインの生まれ変わりであり、今後一生哲学や量子力学的実在論分野の研究に勤しめるならば、何とミラクル人生なのだろう。)
 
 ただ、世の中そんなに甘い訳がない。
 人類の歴史に於いて天才と言われた偉人は数多かれど、アインシュタインを超越する天才はこの世に存在しないと言って過言でないと私は思うのだが、どうだろう?
 結局ただの凡人の私にとってのアインシュタインの存在とは、今後も我が一趣味の範囲で人生の合間にインパクトを与えてもらい楽しむ存在という事だ。

 そんな私が「原左都子エッセイ集」開設後間もない2007年11月に、「量子力学的実在の特異性」と題する学問・研究バックナンバーを綴り公開している。
 6年前当時の私は、我が子の「お抱え家庭教師」として現役バリバリに娘の勉強に付き合っていた頃である。 おそらく娘の学習を通してアインシュタインに触れる機会があったのだろう。
 今現在このエッセイを再び記せと言われても少し荷が思い感覚だが、当時上記書籍「踊る物理学者たち」を参照しながら綴った我が量子力学的実在論に対する熱い思いを、以下に振り返らせていただこう。

 古典物理学の世界の中では、我々は世界を割り切って見ることに慣れてしまっている。何事であれ存在するか存在しないかのどちらかだと我々は思い込んでいる。ところが、量子力学の世界では物事の存在の解釈はそう単純ではない。
 「シュレーディンガーの猫」という有名な実験仮説がある。箱の中に毒ガス装置をつけておく。この装置から毒ガスが出るか出ないかはランダムな事態によって決まる。この装置の中に猫を入れる。毒ガスが出れば猫は死に、出なければ猫は生きているという状況が作られている。 
 古典力学によれば、箱を覗いたときに猫が死んでいるか生きているかのどちらかでしかなく、観測者がそれを確認すればよいだけの話である。
 一方、量子力学によると事はそう単純ではない。観測するまでに猫が死んでいる確率と生きている確率は共に50%であり、どっちつかずの状態であるはずだ。ところが観測者が観測したとたんに死んでいるか生きているかのどちらかになってしまう。これを“波束の収縮”と呼ぶ。
 量子力学では、何をもって「観測」というのかが問題となる。すなわち、どのプロセスで突然ジャンプしこの“波束の収縮”が起こるのかが議論の対象となる。 フォン・ノイマンは“波束の収縮”がどこで起ころうが結果は変わらず、何を観測とみてもよいことを数学的に証明した。 これに対し、観測は「意識」される時におかれると解釈する研究者は多い。この考え方には難点がある。それは「意識」が物理的に記述できないことである。 第一に、いったい誰の「意識」なのかが問題となる。予定調和、すなわち神が元々世界をつじつまが合うように組み立てているという思想を持ち出す手もあるが、科学的にはナンセンスである。 最初の観測者の意識とすることもできるが、特殊相対性理論の「同時相対性」の考えでは複数の観測者のどちらが先であるかは相対的であり、決定できない。 第二に「意識」を常に持っているのかについても疑わしい。“私”に「意識」があるとしても、これを“他人”に拡張できるのか、“動物”に拡張できるのかという問題点がある。 結果として観測に「意識」の概念を持ち出すことは問題が多いと言わざるを得ない。
 そもそもこの“波束の収縮”は起こらないと考えるのが「多世界説」である。この説では、観測とは“観測者の分岐”であるとする。すなわち、観測者が生きている猫を観測した状態と死んでいる猫を観測した状態に分岐する、と考える。経験的には観測者はひとりしかいないため常識からかけ離れた奇妙な説ではあるが、この説によると「意識」を持ち出す必要がないため量子力学内で解決可能である。 「多世界説」によれば存在するものすべてが量子力学で説明できるが、欠点は世界(分岐)が無数に増えてしまうことであり、シリアス性を欠いているという批判もある。
 「シュレーディンガーの猫」の実験仮説を元に、量子力学的実在についてほんの少しだけ考察してきた。ここで紹介しなかった他学説もまだまだたくさん存在する。 
 古典力学は、ただひとつの世界、あるがままの世界が存在していることを我々に教えてくれたが、量子力学はそれだけではない可能性を考慮する余地を我々に与えてくれる。 合理的思考の限界を超えている量子力学的実在の世界に私は昔から感情移入している。 今回はその一端を語らせていただいた。
 (以上、「原左都子エッセイ集」2007年11月バックナンバーより引用)

 さて、この辺でやっと表題に戻ろう。

 NHK総合テレビ「NHKスペシャル」に於いて、上記表題に掲げた「神の数式」に関する科学ドキュメンタリー番組が9月21日、22日両日に及んで夜9時から放送されたのをご見聞された方は多いであろう。
 
 これぞ「待ってました!」である。
 最近のNHK報道において、これ程に基礎科学の深層を追及する特集が組まれたのは久々の事ではあるまいか?
 普段はちょうどお風呂に入っている時間帯だが、少しお風呂を遅らせて私はこの番組を注視したのだ。
 
 21日放送分に関しては記憶が薄れているため、22日放送内容に関してあくまでも原左都子が記憶・記述している範囲で以下に紹介しよう。
 アインシュタインによれば、重力が小さく重い程空間に“歪み”が生じるが、巨大な重力がかかった場合、光すら曲がる。(これぞ、アインシュタインによる「一般性相対性理論」だが)  ところがこの理論では、宇宙の「ブラックホールの底」の説明が出来ない。 何故ならば計算式上、割り算の分母が∞(無限大)となってしまうのだ。
 そこで登場したのがロシアの天才マトベイ・ブロンスタイン氏であるが、氏は何故分母が無限大(∞)になるのかを追究し過ぎたために、それが当時の政権に「危険な思想」と受け止められ銃殺刑と相成った……
 それでも、世の科学者達は分母無限大の謎を解き明かすべく努力を重ねた結果、シャーク博士が「超弦理論」を打ち立てた。 ところがこの理論とは「10次元」世界を前提としてのみ成り立つのだ…。 現在我々が生きている世界とは「4次元」。
 そこに登場したのが、ケンブリッジ大学の二人の博士達。 「この世は本当に4次元なのか?」なる疑問と共に、「超弦理論」をバックアップするべく「n=496」の完全数を導き出すに至る。 この完全数こそがアインシュタインが発表した「相対性理論」と「素粒子理論」を矛盾無く証明する数値だった!
 これこそ大革命であり、現実世界すべてを表現可能なのだ。 ところが、まだまだ課題がある。 「一体、異次元がどこに存在する??」 そこで研究が進んだところ、より小さい世界(超ミクロの世界)に視点をおくと、異次元が見えてくるとの発見だ。
 この発見こそが「神の数式」か? と考えられたが、またもや難題となるのが「熱」の存在だ。  そこでポルチンスキー氏が一つのアイデアを発表した。 「弦は動き、熱を発するとの重要な性質を持つ」 この理論により宇宙のブラックホールの謎が明らかになった。 これを受けて、2004年にホーキング氏は自分の誤りを認めるに至った。
 さて、人類は宇宙誕生の謎を解くことが出来るのか? それは「ヒッグス粒子」の発見に加えて、宇宙とは実は「11次元」の存在でもあるとの研究によりますます神秘を増している。
 (最後は原左都子の私論も多少交えたが、以上はNHK総合テレビ番組「NHKスペシャル」22日版をあくまでも我が素人視点から要約したもの)
 
 科学の世界とは素晴らしい!
 くだらない現世の争いや闘いをアホらしく感じさせてくれる、天才科学者達の超越した天才的発想力こそがまさに人間としてこの世に生を受けた証明たるべきで、実に素晴らしい。 だからこそ、原左都子は一生に渡り学問を愛好し続けているのだ。

 それにしても、繰り返すがNHKスペシャル番組に於いてこのように正面切って「基礎科学」分野の話題を取り上げたのは、久々の事だったのではあるまいか?
 たとえ少数であるとしても、この種の番組放映を心待ちにしている視聴者が存在する事実を、国民放送局とも表現可能なNHKに訴えたい思いで綴った今回の我がエッセイである。

 (以上、「原左都子エッセイ集」2013年公開のバックナンバーを再掲載させていただいたもの。)



 まさに我が人生、30歳過ぎて今一度学問の道を志し、それを実現させたことにより。
 その後現在に至り今後に及ぶまでの我が人生の、幅や楽しみが数倍に膨らんだ事実を実に嬉しく思っている。

 科学・学問とは実に素晴らしい世界である!!

 今後も事ある毎にそれらに触れつつ、高齢期に達している我が人生を更に謳歌し続けたいものだ!!!
 

「子どもの脱毛」、必要か??

2024年08月23日 | 医学・医療・介護
 今朝見た朝日新聞記事によると、近年、エステサロンや医療機関にての子どもの脱毛が広がりつつあるそうだ。

 ムダ毛を気にする子どもが増え、「心のケア」として脱毛に取り組む小児科医院も出始めているらしい。



 原左都子の私事に入ろう。

 本エッセイ集バックナンバーにても幾度が公開済みだが。
 この私は、小さい頃から「ムダ毛」が多かった人種だ。
  (自己弁護のために付け加えておくならば、私自身は自身の体毛を「ムダ」と思ったことは一度も無い! 当時の周囲の反応も、さほど気にならなかったものだ。)

 その周囲の反応について、語ろう。(既に本エッセイ集にて語った内容であるため、ご記憶の方々も多いだろうが。)
 小学校入学直後の事だ。 体育館内で子供たち数人が車座になっていた時、私の周囲の男の子が我が腕を見て、「うわあ、凄く長い毛だ!!」と騒ぎ始めた。 それに引き寄せられた男の子数人がやって来て、我が腕を見て「凄い!毛が長い!!」と大騒ぎだ。
 私本人は、もっとずっと小さい頃より自身の腕の毛の長さを自覚していたし。 自分ではこれが普通で、特段そんなに大騒ぎする事かなあ?? 程度に冷静に受け入れていた。

 あの時 もしもこの私が、「やめてよ!!」等々と騒いだり、はたまた泣き始めたりしたものならば、更なる大騒動となった事だろう。
 それを全くしなかったことがおそらく功を奏して、この騒ぎはすぐに収まったし、この私も長い毛が生えた細腕を晒した状態でずっと暮らしてきた。

 この腕の長い毛の経過を語ると。
 いつ頃からだろうか、おそらく大人になった年齢頃から自然と色が薄くなってきて。 その後もずっと特段剃ったり脱毛等の措置をせずして、今となっては産毛よりも薄い存在として、よーく見れば毛があるなあ、程度に退化している。


 片や、脚のすね毛には失敗した派だ… 😵 😷 

 これも人よりもずっと濃いのが我がすね毛の特徴で、妙齢になっても相変わらずぼうぼうと生えていたため、自分で定期的に剃り落として始末していた。
 ところがこれも高齢化と共に自然とかなり薄くなってきてくれて、近年は何らの処置をせずとて特段目立つ存在では無くなっていた。

 それを、だ。

 約2年前の「左膝複雑骨折」手術の際に、医学関係者である自身の判断で、このすね毛が手術の際に邪魔になるかもしれない、なる要らぬ配慮心から自身で剃り落として手術に臨んだのだが。

 これが困ったことに。
 せっかく自然と薄くなりかけていたすね毛が、一旦剃り落としたがために、またもや命を取り戻したかの如くぼうぼうと黒々と生えてきてしまったのだ!!
 
 それでも、私はもう一度剃るとの失敗は繰り返してはいない。

 もう高齢域に入っているし、ミニスカートを着用する機会も無いだろうから、今後はこの脚で生きよう! との覚悟だ!!


 高齢者である私の話など、二の次で良いが。

 どうなんだろう?? 小さい子供の脱毛措置は。

 例えば、子ども本人が「周囲にからかわれるから脱毛したい」等の切なる希望を提示するならば、それを実行に移してもよいのだろうが。

 あえて大人である親たちが要らぬ余計な心配をして、未だ小さき我が子の身体を傷つける必要があるのやら、ないのやら…


 
 最後に上記朝日新聞記事より、専門医師による「事業者は玉石混交 見極め重要」と題する記載を以下に紹介しておこう。

 子どもへの脱毛で重篤なトラブルが起きたという報告は今のところ無い。 ただし、大人と同様に毛嚢炎ややけどなど、硬毛化のリスクはある。 あまり早くに脱毛すると中学生くらいまでまた生えることもある。 二次性徴が終る16歳くらいから脱毛するのが好ましいがと考えるが、周囲の目が気になるなど悩んでいるのであれば、低年齢での脱毛の選択肢の一つだろう。 脱毛は玉石混交で多様な事業者が参入している。 しっかり施術者を見極めることが重要だ。

 (以上、朝日新聞記事より引用したもの。)


久々に松山バレエ団「くるみ割り人形」全幕公演を予約しました!

2024年08月22日 | 芸術
 (冒頭写真は、松山バレエ団より届いた「バレエチケット購入」葉書より転載したもの。)



 冒頭より、我が娘が過去に出演したバレエ舞台の写真をランダムに披露させていただこう。

          
 「コッペリア」より「仕事の踊り」の一場面。 後方のお爺さん役は、著名なダンサー マシモ・アクリ氏。


             
 娘10歳頃に「デフィレ」に出演した時の舞台写真を、娘自身が後に写真を見ながらスケッチした自画像。 

          
 こちらは、2008年に娘と二人で鑑賞した舞台のパンフレットより転載したもの。

 もっと沢山あるはずなのだが探すと見つからないもので、これくらいにさせて頂こう。



 それでは、表題の松山バレエ団「くるみ割り人形」に話題を変えよう。

 一人娘に幼稚園年長時より中2の終わり頃までクラシックバレエを習わせていた関係で、毎年娘のバレエの舞台を見る機会が多かった我が家だ。

 その後、学校のスケジュール的にクラシックバレエを続けることが困難となった後も。 バレエの舞台を見るのが趣味となった娘と母の私は、引き続き年に何度かバレエ舞台公演を鑑賞しに出かけたものだ。


 コロナ禍以降は残念ながら、バレエのみならず様々な舞台芸術ものは中止の道程を辿り…

 その後、昨年あたりからそろそろ復活してきて。  今年ともなれば、過去の如く大手を振って各バレエ団体が舞台講演をこぞって復活させている。

 そんな世の動向の中、今年も松山バレエ団より年間のバレエ公演スケジュールが我が手元に届けられた。
 もうそろそろ 高齢域に達しているこの私も、その種の公演舞台を観に行って許されると判断した!


 そして本日、冒頭写真の松山バレエ団の「くるみ割り人形」チケットをネットにて予約した!
 娘も誘ったのだが、残念ながら当日は出勤との事。
 しかたなく、母親の私分のみチケットを購入した。

 近年のネット予約は簡単にできるし、 チケット受け取りは近くのコンビニ発券扱いでとても便利だ。
 (と言いつつ、そのネット予約の1度めは時間がかかり過ぎたのか、一度失敗してやり直しとなった、トホホ…  なんせ、年に何度もやらないネット操作は年寄りには時間を要するものだ… )



 予約時には、あらかじめ よ~~~く会場の座席表を検索しておいて。
 ネットの公演舞台の客席番号を見ながら、ここぞ!と思う席を予約しゲットした!!
 
 いやいや、楽しみだ!
 12月の公演につきまだ4か月先の話なのだが、久しぶりのクラシックバレエ公演鑑賞が待ち遠しい限りの原左都子です! 

 ちなみに、会場は上野の東京文化会館。
 演奏は、東京ニューフィルハーモニック管弦楽団。  です。
        

年金受取口座がある金融機関には、自ら定期的に足を運ぶべきです!

2024年08月21日 | お金
 本日のエッセイは、 数本前に公開したバックナンバー 「大手銀行普通預金の金利引き上げを受けて、私宛にも取引金融機関から電話があった」の続編の形となるが。


 当該バックナンバーの一部を、以下に引用しよう。

 つい最近、我が年金取扱い信用金庫より何度か電話が入った。
 その内容とは、「現在お預け頂いている定期預金(1年もの)の金利が上がります。この機会に、普通預金を定期預金に預け替えしませんか。」というものだった。
 その詳細を確認すると、「1年もの定期預金の金利が0.15%となります。例えば、100万円お預け入れ頂きますと、1年で1500円の利子がつきます。 8月いっぱいまでの特典ですので、どうか早めにご来店下さい。」


 この原左都子、決してその種の電話にすぐになびく人種ではないのだが。

 今現在、私は歯科にて治療中である。
 その歯科にて、今回我が歯の一部に「審美入歯」(要するに保険診療ではなく、自費診療にて入れる入歯)を採用することとした。
 何故ならば保険診療の場合はどうしても一部に金属が入り、それが口を開けると見えて いかにも“年寄り臭い”が故だ。
 
 こう見えて、今尚自身の外見的要件にかなりこだわりのある原左都子だ!!
 例えば、同窓会などに出席すると同年齢の人たちの外観的要素の程が観察可能である。
 私の場合、同窓会に出席する最大のメリットとは、男女を問わずそれら出席者の「外観」を観察してくることにあるように自己分析している。
 その実態を観察しては、特に「外観」に関しては、いつもかなり 優越感に浸れているかも?????😜 😷 


 その観察歴から言うと。
 やはり、男女共々「歯」は目立つ!
 特に女性は 綺麗にお化粧していても、銀歯がやたら目立つと興ざめだ…
 男性の場合、歯はさほど意識しないが。
 頭が剥げているのはこの年齢としては当然の事象であり、それ程のマイナスイメージはないものだ。
 
 とにかく結論を言うと。
 たかが同窓会会場での出席者の評価に関しては。
 外見的要素に加えて、立ち振る舞いや他者に対する配慮心等々が、私にとっては魅力的であるかどうかの一番の判断材料だなあ。


 話題が大きくずれたため、修正しよう。

 今回、原左都子が我が年金受給口座である金融機関に出向いた一番の理由とは。
 今現在治療中の、我が歯を是非とも「審美入歯」で統一する意思が強靭であるが故だ!!
 「審美入歯」は既にご利用中の方々はご存じの通り、外見から決して“針金(金属のことだが)が見えないように作られている。

 この「審美入歯」を歯科にて入れてもらうためには、それ相応の“資金”が必要だ。
 それを支払う資金が決して足りていない訳ではないのだが。

 とにかく、自己資金を出来得る限り増殖するに限る。
 そのためには、たかが年金口座の信用金庫であろうが「定期預金の金利を上げます」との情報を聞けば、金融機関まで出向きそれを実行するに限るであろう!!
 
 それを、本日成し遂げに私は我が年金取り扱い金融機関に出向いていたとの訳だ!
 結果として、おそらく数万円単位の成果があったと判断します。😜 😋 

 しかも特に都会の金融機関に於いては、何分人口超巨大数にして。
 やはり 自ら金融機関窓口まで出向いた顧客を優先して、有意な取引を採用してくれる実態の様子です!!
 

激しい運動はかえって体重を増やす!?!

2024年08月20日 | 医学・医療・介護
 冒頭の表題は、最近の朝日新聞記事より引用したものだが。


 この表題のフレーズ、 私め原左都子が 我が身をもってよく経験している事実だ。


 50代半ば頃よりランニング趣味のある身で、(一昨年の秋頃まで)はコンスタントに週2~3ペースで近くの大規模公園内ランニングコースを5㎞ランニングに励んでいたものだ。

 残念ながら 2022年秋に路上で激しく転倒し救急搬送の末、左膝を複雑骨折している事実が判明し 入院手術を受ける身となった。

 もっと若かりし時代に同様の大怪我をしていたならば、まだしも回復力があったのだろうが。
 既に高齢域に達している身にして、2024夏の今なお左膝に違和感があり、未だに膝が曲がり切らない状況だ。

 そんな身となり果てた今、5km完走は無理なものの。
 6月末頃、再びランニング中に転んで右膝をえぐる傷を負うまでは、当該大規模公園内ランニングコースを、ゆっくりペースで3,5km程を走り続けていた。
 今回ランニング中に転倒し右膝負傷後は ちょうど猛暑にさしかかったのを良きこととして、ランニング中止措置を採り自粛の身だ… 😰 


 そんな立場で、猛暑の中近くの店舗に短時間 買い物に行くのみで。 帰宅後体重測定をすると、十分に体重が減少しているのに嬉しい悲鳴だ!!😜 😁 

 いやむしろ、ランニング5キロを定期的に真面目に走っていた頃よりも、体重減少が激しい事実に感激の日々だ!

 

 私事が長引いたが。

 ここで表題のテーマに関する2024.08.19付 ぷらっとラボ より「激しい運動は体重増やす?」の一部を、以下に引用しよう。

 運動は、体重を減らすのに役立つと言うイメージが強い。 だが、激しい運動はかえって体重を増やす方向に作用することを、筑波大学教授(運動生化学)たちのグループがマウスでの実験で確かめ、論文として発表した。
 ジョギングを始めたら、体調が良くなって食欲も増し、体重がむしろ増加したといったケースはよくある。 ただ、食事量を変えなくても思った程減量しなかった報告もあり、身体に何が起きているのかはよく分かっていなかった。 (中略)
 マウス実験結果としては、「人間に換算すると中等度息がはずんで額に汗がにじむ程度、高強度は息が上がり、きつく感じる程度に、中郷土運動が相当するという。
 中強度と安静群では特に変化はなかった。 どの群も、食べた餌の量は変わらなかった。
 激しい運動をすると、身体はそれに反応して活動量や体温を下げ、エネルギー消費量をそれ以上増やさないようにしつつ、とった栄養分を身体の中にため込むように調整している可能性が考えられた。
 「摂取できる食糧が限られていた動物や人類の歴史の中で、それが生き残るために必要なしくみだったのでは」と研究者は推測している。
 ただし、人間は取り巻く環境の個人差が大きいため、運動後の身体に共通して起こる変化を調べるための条件設定が難しい。 このため、今回はマウスにて調べた。

 (以上、朝日新聞記事より引用したもの。)




 今回の朝日新聞記事の検証結果に関しては。

 原左都子は、既にその持論を我が脳内に持っていたような気もする。

 何と言うのか、どうも自己の運動量や食事の量と体重との整合性が、まるで取れていない現状を常に把握していたように感じる。

 切にナイスバディ(私の場合は、“長身スリム体型”こそが理想!!)を目指す我が身勝手な感情として。  「今日は一生懸命運動してきたのだから、体重計さま、どうか我が体重が少しでも減っていますように!」なる切実な女心を、体重計がよく裏切ってくる体験がままあるのだ!!
 (こいつめ、無常過ぎ!!!)と一人で怒っていたものだが。


 医学を経験している身としては、運動量と体重との関係性がそんな単純なものでは無い事実など 当の昔に把握しているにもかかわらず。

 やっぱり女心としては、体重計さんには嘘でもいいから少し少なめの㎏数を表示して欲しいものですね…