パリオリンピックも本日最終日を迎え。
今現在、私が座っているパソコンの後ろのテレビが、最終種目である女子マラソンを放映している。
(個人的な意見で恐縮だが)、その女子マラソンの解説者が著名な日本の某元マラソンランナーなのだが。
あの人、どうしてこれほど喋り倒したいのだろうか!?!
ランナーに対する「調査力」を誇りたいのだろうが、この原左都子など、「ちょっと黙れよ!! アンタのくだらない喋りを聞きたくてマラソンレースを見てるんじゃないよ!! レースに集中させてくれよ!!!」と、ついに今さっきテレビのスイッチをブチ切った!! 😠 😡
という事で、それでは本日のエッセイ執筆に入ろう。
冒頭表題の通り、本日のエッセイテーマは 2020.01.06に公開した「日常と非日常の狭間で」と題するバックナンバーの再掲載である。
それでは、以下に当該バックナンバーの一部を再掲載させていただこう。
私は、今朝方“しんどい”夢を見た。
(“しんどい”には、関西弁で「くたびれる」「難儀だ」等々の意味合いがある。)
この“しんどい”夢は今に始まったことではなく、長期連休明けに決まって見る夢である。
今年の年末年始休暇は娘が9連休だったこともあるが、それに合わせた生活パターンを年末の小旅行後7日間続けたせいもあり、この夢が久々に再現したのであろう。
それでは、その夢の再現に入ろう。
私はどうやら、2度目に入学した大学生のようだ。
本日は長期休み明けで、大学へ行かねばならない。 ところが一体私が何処の大学生だったかを忘却している。 それよりも困惑するのは、長期休暇中の課題を何らこなしていない。 原点に戻って、今年の学費すら支払っていないのでは!?? あれ、私って既に出席不足で退学になっていやしないか??
それよりも、大学の学生鞄を無くしてしまっている! やむを得ない、いつも使用しているハンドバックでいいだろう。 いや、これじゃテキスト類が一切入らない。
ちょっと待ってくれよ。 今日は何曜日だ?? 時間割も分からなければ、私が本日行かねばならない教室はどの建物の何階だっただろう? いや、たとえ行ったとて、何の課題の予習もしていないし、皆より遅れをとっている。 授業中に恥を晒すだけだ…
今一度原点に戻って、大学が一体何処に存在するんだ…
この妄想が、とめどなく夢内で暴走する…… 途中少し目を覚ました気もするが、また夢に戻り… これの繰り返しだ。
実際朝目を覚ました直後トイレに行く途中も、脳内の何%かは “本日大学へ行かねば…” の感覚が残ってしまっている…
やっとこの夢から解放されるのは、着替えを終えて娘の朝食準備に入る頃だ。
ここからこの夢の分析に入るが。
この夢、私に特異的に発生する現象ではなかろうか?
何分、我が人生に於いて実際2度も大学(大学院も含め)生活経験をこなして来ている身だ。
特に2度目の大学(大学院)は、受験準備期より卒業・修了まで、学業はもちろんのこと授業料負担と生活のための労働等のすべてを自己責任下に於いて実現させた、超過酷な“ミッション”だったと言えよう。
このミッションをポッシブル化する日常とは、それはそれは大変な日々だった。
あれを30代前半期より後半期にかけて単独でこなした我が人生経験があるからこそ、強靱かつ確固とした自己を築けて現在に至っている自負がある。
これが現在の我が身にとって“誉れ”であるはずなのに…
何故、夢内では悪い部分ばかりが増強されて“悪夢”となってしまうのか?
その理由は自分でも分析出来ているつもりだ。
結果としては、私にとって“サクセスストーリー”であるけれど、その道程とは実際過酷そのものだった故であろう。
一応弁解しておくが、私は至って優秀な学生であり出席不足などとは無縁の学生であり順当に進学し卒業(修了)が叶っている。 加えて、決して学費の不払いなど一切無く、当時それを支払った上で自分の生活を満足に過ごせる生活資金も十分に稼いでいた。
それなのに何故、今に至ってこの種の(悪夢)にうなされねばならないのだろう??
2度目の学業を全う出来た「達成感」よりも、当時の生活の「超多忙感」の方こそが我が脳裏に潜在意識として鮮明に刻み込まれている故であろうか??
どちらであるにせよ、現実の私の脳裏には「達成感」が勝っていればそれで良いと結論付けられそうだ。
そう考えて、何年かに一度見る“悪夢”の事など忘れ去ろう!!
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーの一部を再掲載したもの。)
上記エッセイを執筆・公開したのが2020.01の事のようだが。
そうすると、それから未だ4年半程の年月しか経過していない計算となる。
この私は当時既に60代半ば頃のことだ。
2024年の今現在とその頃との間に、家庭内環境に於いて大きく変化した事象があることに気付いた。
それは我が一人娘が、2年少し前に “家を出て独り立ちした” との事実だ。
やはり、この要因が一番大きかったのかもしれない。
娘が同居していた時代には、この私は日々全力で(本気でホントです! とにかく娘受験時代以降は、教育者でもあった母親の私が全力にてそのバックアップを施したものだ! その後娘が就職した後も、どうしても娘の職場での頑張り様が気になって仕方が無かった。 時には娘の帰りが真夜中の12時以降になることもあったが、夕食を温めた後は食卓の娘の横に座って、「何で今日は遅かったの? 何か失敗でもした??」等々と尋ねねば、私自身が寝られない程のストレスを母として抱えていたことを思い起す。
そんなことを繰り返したからこそ、娘は親元(特に“母”)から離れて一人立ちせんと決意したのだろうと。
今になっては気付くことができる愚かな母である私だが…😱 😭
そんなことを思い起している今。
上に記した「パリ五輪女子マラソン」中継にてしゃべくりまくっている某元マラソン選手である女性の“要らぬしゃべり” と。
我が過去に娘に対して施した“要らぬ気遣い”に、共通項がある事実を嫌でも認識させられる…
更には、 娘が独り立ちしてくれた後2年余りが経過した今、初めて。
我が心的状態において、自分自身の(超多忙を乗り越えて努力・精進した)学生時代の切羽詰まった夢を見なくなっている事実に気づかされる。
このままの心理状態で、今後年老いていけることに期待しよう。