4年に一度開催されるオリンピックも、当然ながら人により競技の好みもあるだろうし。
さすがに開催中盤期ともなると、誰しも多少飽きが来るものではなかろうか??
という訳で。
本日は 話題を大幅に変えて、表題の通り「人付き合い」の有り様について考察してみよう。
昨日の「原左都子エッセイ集」トップ50内に、2014.11.15付「上面カスって満足するより自分の脳で思考し直そうよ」と題するバックナンバーがランクインしていた。
早速、その一部を以下に引用させていただこう。
他人の事などどうでもいいのが本音だが、12時間にも及びくだらぬ戯れ話を一方的に聞かされ続けたのでは、原左都子としては爆発して反撃に出たくもなる!
冒頭より私が何に憤慨しているのやら分からないであろうが、今回のエッセイは前回の「旅道中はおしゃべり止めて静かに車窓を眺めませんか」の続編の形となろうか。
とにもかくにも先週末のバス旅行は娘とスケジュール調整して事前に予約し、多忙な中参加したにもかかわらず。 後部座席のご婦人2名の「おしゃべり」大被害に遭いせっかくの休日を台無しにされたのだ。
バス団体旅行とは観光地を訪れる時間以外は、ほとんど移動のために窮屈なバス内で過ごさねばならない宿命にある。 その時間帯は車窓を眺めるか、疲れた体を癒すために睡眠をして過ごしたいものだ。
私など普段は滅多にこれだけの長時間睡眠時間を確保できる機会がないため、バス旅行とは“寝だめ”のチャンスでもある。 私にとってのバス旅行の一番の効用とは、運転手氏に命を任せて、まさに“グータラ寝て過ごせる”またとはない機会ということだ。
ところがどっこい先だってのバス旅行における後部座席ご婦人達の一番の目的は、バス内座席での“井戸端会議”にあったようだ。
その会話内容とは、自分らのご亭主や稼業、はたまた趣味等に徹していたのが特徴である。 その間ツアーコンダクターの話を聞くでもなく、同乗した他の客と交流するでもなく、12時間に及び“2人の閉ざされた空間”でひたすら個人的私話を“大きな声”で繰り返していたのが、私にとってはとてつもなく迷惑だったのだ!
我が記憶が新しいうちに、これら後部座席ご婦人達の会話内容をエッセイに綴って紹介しておこうとするのが、せっかくの“寝だめ”の機会を妨害された原左都子なりの彼女達に対するせめてもの“復讐行為”である!
お二人は7対3の比率で12時間中喋くりまくったのであるが、その主犯である7割喋った女性をAさん、3割喋った女性をBさんと名付けよう。
ご両人共に、50代前半の年齢であるようだ。 何処でご両人が知り合ったのかは不明なものの、知り合ってからさほどの時が流れていない様子である。 両人共に東京都内に居住地があるようだが、その場所が遠距離であるため、(私の推測によれば)今回のバスツアーを利用して合流し、バス内座席で“井戸端会議”をしようかとの事で意見が一致したと捉える。(と言うのも、現在の都内発バスツアーは地元出発便を数多く提供していて、自宅の近くからバスに乗車可能なのが“売り”なのだ。)
特にAさんの声が大きいのだが、とにかく直ぐ前の座席に座っている私としては、聞きたくもないのにすべての会話を暴力的に聞かされざるを得ない運命下だ。
とりあえず乗車直後の会話で判明したのは、ご両人共に個人自営業を営んでいるとの事である。 更にはご両人の共通項として、老後の年金及び自営業による収入に関する“不確実性”に話が及ぶ。
それでもご両人がバス内で一番主張したい論点とは、とにかく自分らは現在経営している自営業がある程度上手く機能しているお陰で、旅行を趣味と出来る程に恵まれているとの事のようだ。 既に数々の国内外旅行をこなしている事実を周囲に吹聴しまくっていた。 (原左都子のとりあえずの感想としては、確かに個人経営の自営業とは自分が好きな時に旅行に出かけられるメリットがあるとの意味では、多少羨ましくはある。)
お二人の共通点は、50歳前半にして既に子供さん達が社会人になっている事である。 それ故に当の昔に子育て期間を終了し、まさに50歳前半の若さで既に“老後”の心配に及んでいるのだ。
これに関しては現在まだ“現役母親”として大学生の娘の自立未来を模索している私にとっては、信じられない程早期の“老後対策”ではなかろうかとの印象しか抱けなかったのが事実だ。
ここで話が飛ぶがたまに同窓会に出席すると、周囲の女性達が後部座席のお二人同様に信じられない程に(外見・内面共々)老け込んでいる事実に愕然とさせられる。 これとはまさに上記お二人の会話内容のごとく、既に子育てを終えたご婦人達とは概して人生の目的を失い、老後の世界を如何に生きようかとの発想しか浮かばないのが実情とも捉えられそうだ。 (それ故に商業主義に踊らされ、“めくら滅法”既成の旅にでも出る事を実行しないと身が持たないのではあるまいか??)
私自身は高齢出産で産んだ娘を大学卒業後自立させた暁には、我が欲する人生をこれからこそ貫きたい野望に溢れている。 還暦間近い現在に於いてその種の夢を描けるのは高齢出産故のメリットかもしれないと、むしろ今後の夢をもらえた気分でもある。
後部座席のAさん、Bさん間の会話に於いて、二人の意見が交錯する場面があった。
主たる会話主であるAさんに対し、Bさんが異論を唱えたのが興味深かった。 Bさん曰く、「あなたは旦那さんの話をするのが好きなのね。私自身の普段の交流関係では旦那の話題が出る事は稀なのだけど。」
Aさんがこれに対して何と答えたかは記憶にないのだが、とにかくAさんとは自分のご亭主の事を「旦那さん」と呼んでいた事実に私も驚かされていた。 おそらくAさんとは自営業の「旦那さん」あっての人生を結婚後数十年に渡り歩み続けて来ているのであろう。
確かに自営業とは、堅苦しい世界である事が想像可能だ。 自営業を営む“旦那さん”に嫁いだ限り生涯に渡りその稼業に専念せざるを得ないのが嫁としての宿命と心得る。
そうした場合、Aさんのバス内での12時間に及ぶ自分本位の自慢話の根源が理解できる気にもなる。 特にAさんの場合“旦那さん”との二人の個人経営自営業事務所内で日々が明け暮れる中、私には図り知れないストレスを抱え込んでいるのであろう。
それが証拠にBさんが先にバスから降りる際、まさにAさんが放った言葉とは「今日は本当にありがとう。日頃のストレスが発散できた!」との言葉だったのだ。
これにBさんが如何なる返答をしたのかを聞かないまま、我々親子も最初にバスが停留した地元バス昇降場に降りた。
Bさんの後ろ姿を見ながら自宅への帰路についた我々母娘だが、Bさんの疲れ果てた姿がマイナス面で印象的だ…。
おそらくAさんとの会話に於いて3割しか話せなかったBさんにとって、12時間のバス旅行は苦痛だったのではあるまいか?
私論を述べよう。
上面カスった付きあいをしたい場合、それを自覚して実行するべきだ。 12時間にも及び面識が浅い相手と“上面カスる”付き合いを強行する事自体が破滅行為だ。
特にAさん、まだまだお若い事ですし今後は少し自分の脳を鍛え直して、実りある人間関係を主体的に築くべく努力し直そうではありませんか?
(以上、原左都子エッセイ集2014.11公開のバックナンバーの一部を再掲載させていただいたもの。)
このエッセイを執筆・公開して後、既に10年以上の年月が経過している。
そうか、その頃60代手前だった原左都子は、高齢出産でこの世に産んで未だ大学生だった一人娘を誘ってはバス旅に出ていたんだなあ。
ただ、この事件後はバス旅をした記憶が無い。
おそらくこの時に後部座席Aさん、Bさんの“くだらなさの極み”ともいえる会話の迷惑度にほとほと嫌気がさして、それをきっぱり卒業したのだろう。
いや、その後もおばさん連中の“くだらなさの極み”会話に付き合わされた経験はある。 例えば、自宅近くのスポーツジムに通っていた際には、私よりも年上の女性に掴まって、くだらな話の聞き役をさせられたりもした。 その際も、その時間の無駄さ加減がほとほと嫌になり、とっととジムを退所したものだ。
極めつけは、「コロナ禍」だった。
この「コロナ禍」こそが、我が周辺の女性集団における「くだらな話」や「上面カスる付き合い」をきっぱりと終焉に持ち込んでくれた源であったと結論づけらるであろう。
その後は今に至って尚、女性に限らず集団が集う場(同窓会は例外として)には全く縁が無くなっていて、自ずとその種の私が嫌う付き合いをせずに事が済んでいる。
それはラッキーである反面。
この私も、当然ながら今後益々年齢を重ねていくのは自明の理だ。
今後の(特に女性陣との)付き合いに関しても、表題に掲げた項目は私としては是が非でも回避したいものだが。
それを主張する程に、相手女性達が私から遠ざかっていくであろう現実を受け入れねばならないのだろうなあ。