◎岩波新書『ナンセン伝』第二刷に、二種類あり
昨日のコラムには、「岩波新書『ナンセン伝』第二刷(1946)の謎」という、思わせぶりなタイトルをつけてしまった。
どこが「謎」なのかという説明が十分でなかったので、まず、これについて補足する。天下の岩波書店が、敗戦後の岩波新書に、「皇軍が今日武威を四海に輝かす」といった文言を含む発刊の辞を載せようとしたことが、第一の謎である。そうした発刊の辞が載った岩波新書(重版)が、GHQの事前検閲に引っ掛からず、実際に世に出たということが、第二の謎である。
第一の謎について私は、次のように考えている。岩波新書発刊の辞「岩波新書を刊行するに際して」(一九三八年一〇月)には、たしかに「皇軍が今日武威を四海に輝かす」といった時局迎合的な文言も含まれているが、その一方で、「頼みとする武人に高邁なる卓見と一糸乱れざる統制ありや」などの軍部批判も含まれている。これがゆえに岩波書店は、軍部の圧力を受け、一九四〇年(昭和一五)九月三〇日に発行された、大谷東平著『暴風雨』(旧赤版74)以降は、新書の巻末から、発刊の辞を削除せざるを得なかった。しかし、戦後は、そうした軍部の圧力が消滅したので、岩波書店としては、久しぶりにこの発刊の辞を復活させたかったのではないだろうか。
ちなみに、岩波文庫の発刊の辞「読書子に寄す―岩波文庫発刊に際して―」(一九二七年七月)は、戦前・戦中・戦後を通して、一貫して掲載され続けて、今日にいたっている。
第二の謎については、単純に、GHQの検閲担当者が、岩波新書発刊の辞に問題な文言があることを見落としたと解釈したい。なお、同発刊の辞は、その初めのほうに、「世界は白人の跳梁に委すべく神によつて造られたるものにあらざると共に、……」という文言がある。これを見逃した検閲担当者は、責任を問われたことであろう。
いずれにしても、発刊の辞「岩波新書を刊行するに際して」を復活させた『ナンセン伝』第二刷が世に出てしまったことは事実である。その後、発刊の辞に含まれる問題な文言に気づいたGHQは、すぐに『ナンセン伝』第二刷の発売停止を命じたはずである。店頭にあるものが回収された可能性もあろう。
こうした措置に対し、岩波書店は、どう対応したか。『ナンセン伝』第二刷の最終の二ページは、奥付と発刊の辞である。その二ページを破り取り、新たに奥付を付けて、再び流通に乗せたのである。これは、臆測で言うのではない。現に、『ナンセン伝』の第二刷には、裏表紙見返しに、「貼り奥付」が付いているものがある。よく見ると、最終の二ページが破り去られた形跡もある。ということで、岩波新書『ナンセン伝』第二刷には、発刊の辞があるものとないものとの二種類が存在するようなのである。【この話、さらに続く】
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