礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

デング熱は敵兵を苦しめる武器になる(佐藤通次)

2015-01-30 05:40:11 | コラムと名言

◎デング熱は敵兵を苦しめる武器になる(佐藤通次)

 書棚を整理していたら、古い雑誌が出てきた。大日本雄弁会講談社が発行していた月刊誌『富士』の一九四四年(昭和一九)一月号(第二〇巻第一号)である。
 その中に、「戦ふ科学者」というエッセイがある。執筆しているのは、佐藤通次〈ツウジ〉(一九〇一~一九九〇)。佐藤通次はドイツ語学者で、『岩波独和辞典』(一九五三年初版、一九七一年増補版)の共著者のひとりである。一方で彼は、「皇道哲学」を説いた右派の思想家としても知られている。特に戦中においては、オピニオンリーダーのひとりとして、少なからぬ影響力を発揮していたようだ。
 本日は、そのエッセイ「戦ふ科学者」の前半を紹介してみたい。

☆★☆ 戦ふ科学者 ☆★☆   佐藤通次
 敵を圧倒する業績
 大東亜戦争は今や科学戦正に酣〈タケナワ〉です。敵米英は科学者を総動員して、特にアメリカの如きは研究室を兵器の母胎として、挙げて戦争に必要な発明研究にふり向け、やつきになつてをるやうです。わが国でも、各方面の学者なり、技術者なりが、渾身の努力を傾けて研究に従事し、敵を圧倒する輝かしい業績を着々現はしてゐることは、洵に〈マコトニ〉心強い次第であります。私が現に見聞した所によつても、例へば、医学の方面ではデング熱研究の素晴しい業績があります。
 デング熱治療に成功
 南方作戦が始まつてから、皇軍の中にもデング熱にやられるものが続出しました。日本の医学界、特に伝染病研究所では、一時〈イットキ〉も早くデング熱を征服したいものと考へたのですが、今まで国内には患者が居なかつたので、手のつけやうがありませんでした。
 ところが程なく、幸か不幸か、大阪に一人の罹病者が発生したといふ知らせがあつたので、伝研〔伝染病研究所〕の或る若い学士が、矢追博士の命で早速大阪にかけつけました。そして、矢追博士の薫陶を生かして、文字通り不眠不休で病原菌の検索、治療法、予防法の研究にとりかゝりました。彼は忽ち病原菌をつきとめ、治療、予防に必要な血清療法の端緒をつかむことに成功したのです。研究にかゝつてからそれが成功するまでの間が約半ケ年、これは世界の学界にも例のない超短期間の記録的のものだつたさうです。
 敵恐怖の武器
 デング熱は、マラリヤと並び称される熱帯病で、この病気にかゝると四十度内外の高熱が出て、頭通がし、一旦途中で少し熱が下つて、また上がるといふ経過をとり、二、三日して熱が下がると、体に紅いぶつぶつが現れます。また手足や腰の関節がひどく痛むのが特徴で、熱が下つても体がだるいことは相変らず続くのです。『デング』といふのは、西班牙〈スペイン〉語の伊達者〈ダテモノ〉といふ言葉から出たものださうで、いつまでもふらふたして一人前になれないといふ所から来てゐるのださうです。
 外国の学者が研究しても成功しなかつた一つの理由は、この病原は、人間以外には本当に罹る実験動物がないといふ厄介な病気であることも挙げられませう。ところが昭和十八年〔一九四三〕再び阪神地方にデング熱が流行したので、この学士は師矢追博士と共に逸早く大阪に赴き、わが国初めての血清療法の人体実験を試みました。そして自らも病気に罹つて、貴重な試験台ともなつたのです。その結果、この療法が高熱、苦痛、食慾不振を解消する著しい効果があることが証明され、先頃学会に発表せられたのです。
 これによつて南方戦線に活躍する皇軍兵士を、デング熱といふ目に見えぬ敵から護ることが出来るわけです。のみならず、若し細菌兵器を用ひてよいといふことなら、ソロモン、ニユーギニア方面に蠢動してゐる何十万といふ敵兵を、全部デング熱で苦しめることさへも出来る恐ろしい武器となり得るわけです。
 頭の下るこの心構へ
 この研究を完成した学士は、荒川清二君といふ三十歳を出るか出ないくらゐの医学士で、この人の生活をみると、まつたく戦ふ日本の学徒の典型といふ感じがします。【以下、次回】

 当時の学者の文章としては、平明で読みやすい部類に入ると思う。文中、「矢追博士」とあるのは、細菌学者の矢追秀武〈ヤオイ・ヒデタケ〉(一八九四~一九七〇)のことである。「戦ふ科学者」荒川清二学士については、次回、述べる。

 筆者の佐藤通次は、「デング」の語源にも言及しているが、ウィキペディアにも、語源についての説明はない。
 この文章を読んで最も驚いたのは、デング熱の病原菌は、細菌兵器に使えるという発想を披露していることである。素人の発想として、一笑に付すことは断じてできない。なぜか。もし軍部が、ひそかにそういう細菌兵器を構想していたとすれば、これは重大な秘密漏洩になる。もし、考えていなかった場合でも、この文章が米英の目に触れた場合、軍部は国際法に違反する細菌兵器に関心を持っているらしいという疑念を抱かせることになりかねない。いずれにしても、『富士』のような、誰でもが手にとれる雑誌で、口にすべき内容ではない。

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