◎松尾長造述『宗教団体法解説』(1939年6月)
本日からしばらく、松尾長造述『宗教団体法解説』(仏教連合会、一九三九年六月)を紹介してみたい。本文六八ページ、「定価金十二銭」。この本の版元である仏教連合会は、今月三日以降に紹介した『宗教団体法・勅令・省令』の版元でもある。
本日は、一ページから五ページまでを紹介する。本文中の傍点は、太字で代用した。
宗 教 団 体 法 解 説
文部省宗教局長 松 尾 長 造 氏 述
一、成立までの経過
今回第七十回帝国議会〔一九三六年一二月二六日~一九三七年三月三一日〕に於きまして宗教団体法案が通過致しましたことは、洵に〈マコトニ〉御同慶に堪へない所であります。各位の御援助御協力に対しまして此の際厚く御礼申し上げる次第であります。今日私に法案の大体に付て御説明申上げるやうにと云ふ御要求でありましたから、与へられた時間に於て一通り御説明申上げようと存じます。
今更申上げるまでもなく、此の法律は中々多難なる歴史を持つて居るのであります。皆様先刻御承知のことゝ思ひますが、抑々〈ソモソモ〉の初めは明治三十二年〔一八九九〕、山県〔有朋〕内閣当時の事でありまして、其の時は二十票の差を以て貴族院に於て否決されたのであります。政府に於ては、中々重大な問題でウツカリ手を着けても仕様がないぢやないかと考へたのではないかと思ひますが、宗教家側からも立法に付て随分請願があつたにも拘らず、多年に亘つて政府当局は之に手を触れることを寧ろ恐れて居たと云ふ状態で経過して参りました。斯様〈カヨウ〉にして明治を経て大正に入り、漸く大正十三年〔一九二四〕頃から政府当局自身真剣に之が研究を始めました。そして大正十五年〔一九二六〕に至つて宗教制度調査会の官制が設けられ、朝野の識者を集めて宗教制度調査会を開催して、之に諮問せられたのが第二回目の宗教法案であつて、それが帝国議会への歩みを進めましたのが昭和二年〔一九二七〕の正月であつたのであります。併し時利あらず、再び否決の運命にこそ遭ひませんでしたが、それと殆ど同じやうな審議未了と云ふ状態で遂に握潰し〈ニギリツブシ〉の運命に立至つたのであります。併し之に懲りず、一年置いて昭和四年〔一九二九〕に再び提案になって居ります。此の時から、今まで「宗教宗敎法案」と云つたのを「宗教団体法案」と改められたのであります。昭和二年の宗教法案は政府の方から云へば心外であつたでせうが、議員側の質問は、一体宗教と云ふものは法律で取締るべきものではない、宗教は法律とは縁の無いものであつてそれを取締らうと云ふのは不都合極まると云ふ非難攻撃であつたのであります。之に対し、政府当局は断じてさう云ふ積りではないのだと云ふことを陳弁之れ努めて居りますが、何分「宗教法案」と銘打つて出して居りますから、宗教に関する取締の法律と云ふことが議員間に先入主となつて居りますので、政府当局はさう云ふけれども腹の底は宗教を取締るのであるから不都合だ――と云ふ議論が随分と出た様であります。そこで、そんな誤解を受ける位ならば明治三十二年以来の「宗教法案」と云ふ名称をいつそのこと「宗教団体法案」とした方が宜からうと云ふので、時の政府は昭和四年提出の際には「宗教団体法案」と改称したのであります。其の時は色々の事情があつて、遅れて二月に入つて漸く議会へ提出されるに至つたのであります。其の時提案のものは九十九箇条もある大法案だつたのでありますが、それが二月に入つて貴族院に提出せられ、其処で密議を終つて更に衆議院へ廻らうと云ふのでありますから容易なことではありませぬ。それで此の昭和四年の時も、私は事実日が足りなかったのだと思ひますが、又復〈マタマタ〉遂に密議末了の運命に陥つてしまつたのであります。けれども政府当局は昔と違つてガツカリはしない、七転び八起きと申しますが、今度こそはと云ふ悲壮な考へで、引続き昭和五年〔一九三〇〕、六年〔一九三一〕、七年〔一九三二〕、八年〔一九三三〕と研究に研究を重ねて来たのであります。併し昭和四年〔一九二九〕の失敗以来、とんと議会提出にまで漕ぎ着き得ない。尤も其の間世上の問題となつたことは一回あります。それは昭和十年〔一九三五〕に松田〔源治〕文部大臣が一つの案を具して、之を宗教制度調査会に諮問したのであります。それが当時の新聞に載つたので、政府は愈々又宗教団体法案を作るナ、斯う云ふ噂が拡まり各方面に論議の種を播いたのであります。之が昭和十年の十二月でありましたが、十一年〔一九三六〕、十二年〔一九三七〕と宗教制度調査会も長期間に亘り慎重審議をしたのであります。ところが、政府と宗教制度調査会とが協議の結果一応撤回して政府当局へ取戻さう、さうして委員各位の意見中採るべきものがあれば採り、どうしても採れないものは仕方がないから出来るだけ委員の意見を尊重しようと云ふことになりまして、昭和十二年十一月に撤回してしまつたのであります。斯うして一旦文部省の手に戻して、直ちに再調査に着手しまして、グングンと取運んだのであります。所が之は非常に難しい問題でありますから可なりの時日を費して、昨年〔一九三八〕の夏に至り漸く成案を得ましたので、再び宗教制度調査会に諮問したのであります。さうすると宗教制度調査会では非常に喜んで、今度こそは作り上げなければならぬと云ふ意気込で、全く夜を日に継いで審議を進められ、遂に結論を得るに至りましたので、昨年の暮に最後の立案をし、本年〔一九三九〕の一月に法律案として帝国議会へ提出する運びとなり、議会再会劈頭〈ヘキトウ〉に貴族院に上程されることに相成つたのであります。而して審議は初日から続けられて、愈々三月二十三日、会期余すところ僅かに二日と云ふ時に至つて漸く衆議院を通過し、茲に法律案として成立するを得た次第であります。大略〈タイリャク〉斯様な経過を取つて居りまして、今回宗教団体法案成立の為には、明治三十二年山県内閣当時以来幾多朝野の識者が心血を注ぎ、研究に研究を重ね、熱意に熱意を籠めた其の結晶が漸く茲に現はれたと云ふ訳でありまして、其の点先輩各位に対し深く敬意と謝意を表する次第であります。