◎株式会社第一銀行券には渋沢栄一の肖像がある
数日前、五反田の古書展で、『日本貨幣カタログ 1997年版』(日本貨幣商協同組合、一九九六)を入手した。定価一三〇〇円、古書価三〇〇円。
その二四七ページ以下に「朝鮮紙幣」の紹介があり、その冒頭に次のようにあった。
(C) 朝鮮紙幣
明治11年(1878年)6月第一国立銀行釜山支店開設以来、我が国は韓国財政に関与し勢力を伸しました。明治33年〔一九〇〇〕頃には、各国各地発行の手形・銭票・官鋳私鋳白銅貨などが入り乱れて流通し、韓国経済を混乱させるようになっていました。
そこで日本政府と韓国総税務司海関は、明治35年(1902年)に株式会社第一銀行券規則を制定して、株式会社第一銀行券を発行することとしました。その後、明治43年(1910)に日韓併合条約が結ばれ、韓国が朝鮮とされ、朝鮮銀行が設立されました。
それから昭和20年〔一九四五〕終戦にいたるまで、朝鮮総督府(韓国)と内閣印刷局(日本)とによって、多くの種類の紙幣が発行されました。大正4年〔一九一五〕の朝鮮銀行券に登場して以来、多くの紙幣に印刷されている肖像寿老人は、旧韓国時代の大学者金允植をモデルにしたとわれています。
このあと、二四七ページから次ページにかけて、株式会社第一銀行券「拾円」、同「五円」、同「一円」の図版がある。いずれも、オモテ面のみ。肖像は渋沢栄一である。
同書のデータのよれば、これら三種の銀行券は、いずれも、一九〇二年(明治三五)および一九〇四年(明治三七)に発行されている。
銀行券のオモテ面の下部には、タテ書きで、次のようにある。
券面の/金額は/在韓国/各支店/に於て/日本通/貨と引/替可申/候也
日本は、一八九七年(明治三〇)から金本位制を採用していた。これらの銀行券は、日本の金貨(二〇円、一〇円、五円)との交換が保証されている「金券」であった。