◎宗教団体法は宗教行政の簡易化である(松尾長造)
松尾長造述『宗教団体法解説』(仏教連合会、一九三九)を紹介している。本日は、その二回目で、五ページから八ページまでを紹介する。本文中の傍点は、太字で代用した。
二、制定の理由
以上のやうな訳でありまして、随分多難な過去を持つて居りますが、真に七転び八起き、今日から云へば勿論八起きでありますが、随分長い苦労を先輩諸君が嘗めて居られます。斯様に、転びながらも、潰されながらも起上らんとし、一度は必らず成立させなければならぬと云ふ熱意を当局も示し、仏教各宗派、神道、基督教に於ても本案成立に付て多大の関心を持ち熱誠を示されたに付ては其処に相当理由がなくてはならぬことは固〈モト〉よりであります。今更諸君にさう云ふ事を申上げるのは釈迦に説法でありますが、之等に付て一通り眺めて行くと云ふことは、本法を読み、本法を理解して行く上に相当関係があり、参考になると私は存じますので、本法制定の必要性と申しますか、或は端的に宗教団体法の重要性と申しますか、それ等の点に付て御話すると云ふことは何等か御参考に相成るだらうと思ひます。固より私共事務当局から申せば、此の外に斯う云ふ事もある、あゝ云ふ事もある、斯う云ふ訳だから必要だ、あゝ云ふ訳だから必要だと云ふこともあります。それを一々細かく申上げますと、数限りのないことでありますから、それ等の点は時間の関係もあるし、甚だ煩瑣に亘りますから省きますが、少くとも之から申上げる五六箇条の点に付ては、本法を御諒解下さる上に於て他山の石ともならうかと思ひます。
宗教団体法と云ふ根本法規をどうしても作らなければならぬと云ふ第一の理由は、何と申しましても、現行の法規が余りに乱雑であり而も多数あつて統制がなく連絡が欠けて居ると云ふ点であります。宗派当局の方は常に御経験になつて居られますが、現在の宗教関係法規は無数と云つて宜からう〈ヨカロウ〉と思ひます。一概に三百余の根本法規を基礎にして居るなどゝ申しますが、其の頁数の如き、厚い点に於ては一寸五分位にも及んで居ります。昔太政官時代に於ける達〈タッシ〉であるとか告示であるとか、教部省時代の布達とか、内務時代に入つては省令・訓令・達・通牒・依命通牒、それから大正二年〔一九一三〕文部省の所管になつてからも省令・通牒・依命通牒等々実に驚くべき程であります。而もそれが不統一的で、恰も庭の飛石〈トビイシ〉見たやうに、間に橋が架つて居ないから連絡がない、統一がない。だから時に依りますと、連絡統一を図る為に仕方なく大審院の判例の如きものを持つて来る。随分大審院判例が役に立つて居ります。斯う云ふ様な訳であるから、私共事務当局に於ても中々容易でない。宗教局長、宗務課長と云へば如何にも分つて居るやうでありますが其の実は分つて居ない。明治三十二年に斯う云ふ達があり、明治四十二年に斯様な通牒が出て居り、大正の御代に至つて斯う云ふ判例があるから、之と之とを見合せて置いて斯う判断すべきだらうか――などと云ふ有様で、頭痛鉢巻で研究して漸く結論に達するのであります。京都などに居られる本山の和尚様方は嘸かし〈サゾカシ〉御困りだらうと思ひます。例へば比叡山で斯う云ふ事をやらうと云ふ場合待て待てウツカリすると県庁や文部省から取消を命ぜられるといかぬから、其の前に文部省へ行つて聞いて来ようと云ふ訳で、比叡山から汽車に乗つて東京へ来て、文部省へ出頭して恐る恐る伺ひを立てると、文部省では研究して見ろから二三日待てと云はれる。それから暫くして本省でヤツトコサ結論が付いて宜いとなる、さうするとそれを持つて帰つて漸く着手すると云ふ有様で、能率の上らぬこと夥しい〈オビタダシイ〉。私共実にお気の毒だとは思ひますが已むを得ずさうして居る。要するに一口に云へば此の宗教団体法は宗教行政の簡易化である。何れ〈イズレ〉勅令其の他の法規も出ますが、根本法規は此の三十七箇条に網羅されて居るのであります。【以下、次回】