◎教団の法上の地位が確立していない(松尾長造)
松尾長造述『宗教団体法解説』(仏教連合会、一九三九)を紹介している。本日は、その三回目で、「二、制定の理由」の続きを紹介する。ページでいうと、八ページから一〇ページまで。
第二の理由は、仏教には五十六の宗派と云ふものがあります。神道には十三の教派があります。仏教では宗派、神道では教派と云ふ。それから寺院があり教会がある。之等〈コレラ〉は成程根本法規を持つて居る。一概に云へば三百有余の根本法規があつて更に通牒、判例等がありますが、能く見ると法上の地位が甚だ明確を欠く、就中〈ナカンズク〉明治十七年〔一八八四〕太政官第十九号布達といふのがあつて教派・宗派等の根本法規と考へられては居るが、それをよく御覧になるとまことに漠然として居る。それで、本法第三条を御覧になると分りますが、若し〈モシ〉教派・宗派を設立しようとするときは斯うしろと云ふことが規定してある、即ちさう云ふ場合には教規・宗制を具して文部大臣の認可を受けよとある。今度の宗教団体法の第三条に於て之等の事がハツキリ規定されて居るのであります。又寺院なるものが社会通念として法人格を持つて居るとすれば、明確なる根本法規が無くてはならぬ。即ち本法第二条の如き規定が必要であります。第二条の第二項に「寺院ハ之ヲ法人トス」としてあります。之ならば根本法規として寺院は成程〈ナルホド〉法人格を持つて居るナと云ふことが分ります。現行法規に於ては何故寺院が法人格を持つて居るか、漠然として分らぬ。御承知の通り、民法施行法第二十八条に「民法中法人ニ関スル規定ハ当分ノ内神社、寺院・祠宇〈シウ〉及仏堂ニハ之ヲ適用セス」とあります。此の条文があろが故に、民法の法人に関する規定は寺院に適用がない。だから若しも民法施行法第二十八条がなかつたならば当然民法の適用がある訳である、適用があるから元々寺院は法人ぢやないか、それで以て法人格があるのだ、斯う云ふ風な理詰めで結論を出して居るのであります。要するに宗派・教派・教団・寺院・教会と云ふものが法上根拠はあるけれども其の法上の明確なる地位がハツキリしない、斯う云ふ事が云はれて居る。宗派にしても教派にしても寺院にしても教会にしても、我国に於ける宗教活動の足溜り〈アシダマリ〉であり、本拠であります。斯〈カク〉の如き大切なものが我国に於て法上の地位が甚だ不明確であると云ふことは、法律上も遺憾に堪へないが、宗教団体の活動の基礎を危くするものではないか――之が第二に叫ばれる点であります。
第三の理由は、教団と云ふものゝ法上の地位が確立してゐないことである。宗派・教派の方は前述の通り明治十七年太政官第十九号布達に依って薄弱ながらも根拠、足場がある。所が此の宗派・教派に当るもので他に何があるかと云ふと、基督教の教団がある。例へば日本メソヂスト教会とか天主公教会とか日本聖公会とか云ふが如きものである。之は仏教で云へば天台宗・浄土宗・真言宗の智山派〈チサンハ〉・豊山派〈ブザンハ〉と云ふものと同じく全国的の連合体である。例へば日本メソデスト教会は日本メソヂスト教会神楽坂教会或は日本メソヂスト教会銀座教会と云ふが如き個々の教会とは違ふ。さう云ふ個々の教会は地方長官の許可を得て設立することになつて居りますが、斯様にして設立された個々の教会が日本メソヂスト教会としては全国に約三百ばかり存在して居るのであります。之等三百もの教会を包括する日本メソヂスト教会、此の様なものが教団で、斯う云つたものは本法に於ては第一条に謂ふ所の「教団」なのであります。所が現行法規に於ては仏教の宗派、神道の教派に就ては明治十七年太政官の布達があるけれども教団の方には斯の如き根本法規が全然ない。即ち片一方の宗派・教派の方にはそれがあるのに、それと同じ種類の教団に対しては我国内に於て之を自由に放任して置くと云ふことは、法上から云っても甚だ不手際なるのみならず、教団自身の活動の上から云つても頗る〈スコブル〉不都合であると云ふ謗り〈ソシリ〉を免れないのであります。【以下、次回】