◎宗教団体法は朝鮮・台湾には実施致しませぬ(松尾長造)
松尾長造述『宗教団体法解説』(仏教連合会、一九三九)から、「四、実施後の影響」を紹介している。本日は、その後半。ページ数でいうと、四一ページから四三ページまで。
第四は、宗教活動に対する監督規定の明示に依り、後顧の憂〈コウコノウレイ〉なき活動の敏活化が期待される事であります。即ち第十六条・第十七条・第十八条に依つて監督規定が極めて明瞭に示された事に関係いたします。従来は一般監督権の範囲に於きまして、色々な監督を受けてゐたが、本法の様に明記してないので極く神経質な宗教家の方になると、非常に心配して、ウツカリした事をするとどんなに叱られるかも知れないから、成べくならば消極的に引込んで居るに限る、出た釘は打たれると云ふから、詰らぬ事をして県庁から御小言を食つても詰らぬ、文部省から叱られては尚更詰らぬから成べく引込んで居らう、斯う云ふ気持になる。一面無理もない。所が今回第十六条で教義の宣布、儀式の執行又は宗教上の行事が安寧秩序を妨げ又は臣民たる義務に背いた時は斯う云ふ制裁を受け、又第十七条に於て宗教団体或はその機関の職に在る者や教師等が法令に違反したり公益を侵害する様なことをした時は斯う云ふ取締を受ける、と極めて明瞭に規定が置かれた。従つて茲に規定せられた以外の事は心配は要らぬから善い事はドンドンやれと云ふことになるので、宗教団体・宗教家の活動は大いに敏活化を期待し得ると云ふ訳であります。
第五には、今更申上げる迄もなく、現代の思想界は正に世界的転換期に直面して居る。従つて全人類悉く不安に襲はれて居ると云つても差支ない。殊に我国は空前の非常時局に直面してゐるので一層それに拍車が加へられてゐる訳であります。此の人心の不安に乗じて簇出〈ソウシュツ〉するものに宗教結社があります。此の宗教結社を現在の様に此の侭放任して置いて、仮す〈カス〉に十年の歳月を以てしたならば、十年後に於ける宗教界の状況は憂慮に余りあるものがあります。故に若しも本法第十六条・第十七条等の監督規定が正しく適用せられて、それ等の悪を双葉の内に摘取つて行つたならば、従来私共が聞かされた宗教界の不祥事を未然に防ぐことが出来るのぢやないか、此の十六条・十七条の規定は宗教結社等に対して彼等の誤りを未然に防止する効力を充分持つて居ると確信すろものであります。さう云ふ点に於て宗教結社に関しては二十三条・二十四条・二十五条が相当有効に働き得る規定であると、斯う考へる次第でありまず。
第六に、こんな事を云ふ必要はないかと思ひますが、モウ一つ附加へるならば、朝鮮・台湾では宗教事情を異にして居りますので本法は朝鮮・台湾には実施致しませぬ。併し此の際内地に於て斯う云ふ風な宗教立法が行はれたとなると、それは、必ずや之等の外地に於ける宗教立法乃至は宗教政に対て手鏡となる役割を相当演じて呉れると確信致します。更に国外へ一歩踏出して満洲国の事を考へると、満洲国当局は屡々私共に向つて、日本は兄国である、先輩国である、その先輩国たる大日本帝国に未だ確たる宗教立法なき事は甚だ遺憾である、自分の方でも色々研究して居るが、最近暫定的に斯う云ふ法規を作りました、と云つて昨年〔一九三八〕の秋持つて来ましたので、私読んで見ましたが、暫定的に作つたと云ふだけに、暫定的な性質を多分に含むものであります。要するに我日本に宗教立法がなかつたのであるが、今度は我国にそれが出来たから、満洲国政府では非常に眼を瞠つて〈ミハッテ〉之を読んで居ると思ひます。更に一歩進んで、支那大陛に於ては、今や種々の文化工作を行ひつゝあるのでありますが、新支那の建設、東亜の新建設の為には色々の方面から工作を加へなければならぬ。其の中重要な役割を演ずるものは宗教的の文化工作、之は忘れてはならない大事業であります。其の際に当つて我帝国に斯う云ふ宗教立法が出来たことは、支那に於ける宗教的活動乃至宗教行政に対して多大の示唆を与へ、相当の寄与を為すものではないか、余り行き過ぎた観測かも知れぬが、さう云ふ感じが致します。