◎陸軍はどうしても飛行機を貸すといわない(松平秘書官長)
共同通信社「近衛日記」編集委員会編『近衛日記』(共同通信社、一九六八年三月)の『近衛日記』の紹介に戻る。先月一九日、二〇日に、一九四四年(昭和一九)六月二八日の日記を紹介した。本日は、同月二九日の日記を紹介する。
二十九日午後三時
代々木において松平〔康昌〕侯爵(内大臣秘書官長)と会見
右参謀本部の意向を話し、何等かの方法をもって御下問方取計【とりはからい】然【しか】るべしと侯に〔松平侯爵に〕御下問箇条を書き取らしめ、内大臣との協議を依嘱したり。なお、秘書官長の話によれば、
大本営会議において「結局サイパンは死守しない。もとより出来るだけの抵抗はするが終局は本土防衛に死力を尽す」ということに決定した。これに対し海軍は、陸軍の飛行機を借りて最後の反撃をやり、サイパンを奪還する。サイパンを失えば本土の防衛は不可能だ、と主張したが、陸軍はどうしても飛行機を貸すといわない。海軍には焦眉【しようび】の急のためには、支那やビルマの作戦は一時どうだってよいじゃないかという空気が強いのだが、嶋田〔嶋田繁太郎海軍大臣〕は東條〔東條英機内閣総理大臣〕に圧倒されて、遂に海軍部内の切なる希望を陸軍の蹂躪【じゆうりん】にまかせたというので、部内の嶋田に対する批難は一層ごうごうたる有様だという。