◎全く今度は東條に肩透かしをくった(岡田啓介)
この間、共同通信社「近衛日記」編集委員会編『近衛日記』(共同通信社、一九六八年三月)の紹介をしている。本日は、一九四四年(昭和一九)七月一六日の日記を紹介する。
十六日午後二時
岡田啓介大将来訪
大将いわく
全く今度は東條に肩透【す】かしをくった。然し、此のままではいかぬから重臣が会合して、そこへ内大臣〔木戸幸一〕にも来てもらって、政局問題につき話し合ったらどうかと思って平沼〔騏一郎〕に意中を話したところ、男〔平沼〕もそういう希望だ、という。
予〔近衛文麿〕も直ちに、此の提議に賛成し、大将に内大臣との連絡を依頼す。なお、伏見宮〔博恭王〕殿下の陸海総統帥案は如何と問いしに大将は、
此の事はチラと耳にしたが、陸軍の策謀と思う。伏見宮殿下と嶋田〔繁太郎〕との、従来の関係を利用して、海軍を抑えようとするものだ。海軍としては困る。
という話。
この日の記事は、東條英機内閣に対する倒閣運動のリーダーが岡田啓介海軍大将(元首相)であったことをよく示している。また、伏見宮博恭王陸海総統帥案が、岡田が捉えた通り、「陸軍の策謀」であったとすれば、倒閣運動に対する陸軍の抵抗も、そうとう手が込んでいたということである。