◎これでひとつのクーデターであるから……(木戸幸一)
共同通信社「近衛日記」編集委員会編『近衛日記』(共同通信社、一九六八年三月)の紹介をしている。本日は、一九四四年(昭和一九)七月八日「午前十時三十分」の日記を紹介する。この日時の日記は、やや長いので、二回に分けて紹介する。
同日午前十時三十分
内大臣官邸に木戸〔幸一〕内府を往訪
右の話を伝えたるところ、内府の意見として
艦隊決戦という手が一つ残されているが、戦局全体としてはほとんど絶望だ。敗戦の責任の塗り合いが陸海軍その他の間に起るだろう。そこで、
陛下御自ら〈オンミズカラ〉すベての責任を背負いかぶられて、国内のこういう争を押さえられることが必要と思う。それから対外的にも、 陛下御自らの責任において海外における我駐屯軍の引揚を此方の手でやるようにしたい。此の事に就て交渉の余地があるかどうかを重光〔葵〕外相にたずねたら「到底むずかしい。落ち着くところは、無条件降伏より外あるまい。和平は早いほどよいが、今日直ちにやることは国内の事情が到底許さない。早くも艦隊決戦に敗れた時だろう」という話だった。なお、
松平〔恒雄〕宮相も重光外相と同様の意見だった。
と述べ、内府はさらに、
東條に詰め腹を切らせることは陸軍が反撃するおそれがあるから……。これで一〈ヒトツ〉のクーデターであるから余程情勢を見極めた上でなければならない。中途半端で手をつけたらかえって逆に反噬【はんぜい】されるであろう。此の点で岡田〔啓介〕大将は事態を少し軽く見ているのではないか。
(付記、予は内府はやや陸軍を恐れ過ぎるにあらずやと思えど、彼の地位として慎重の上にも慎重を期するはやむを得ざる次第と思惟し、同情的立場よりあえて深く追及せず。)
但し内府は自ら手を下すことはかく慎重なるも、外部に上述せる如き空気の醸成せらるることに就ては大いに歓迎するところたるは疑をいれず(註、翼政会の強硬決議の如きも事前において代議士が伺を立てしに、内府は「やれやれ」と煽動せる事実あり)。又、内府は皇族が動かるることに就ても、必ずしも反対しおらず。現に内府自ら「朝香宮〔鳩彦王〕殿下の旨を受けしと覚しき本庄〔繁〕大将が来訪し、高松、東久邇、朝香三殿下が陛下に拝謁【はいえつ】して統帥権の確立(註、東條首相の参謀総長兼任を罷免する事)に就て上奏せられることとなるかも知れぬがどうだろう、という話であったから、賛成して置いたが、未だ実現しないようだ。君〔近衛文麿〕も、どの殿下でもよいから 促進して置いてもらいたい」と、予に依頼したる程なり。【以下、次回】