◎ほんとの御親裁、御聖断が降ってよい時だ(平沼騏一郎)
再び、共同通信社「近衛日記」編集委員会編『近衛日記』(共同通信社、一九六八年三月)の紹介に戻る。今月五日に、一九四四年(昭和一九)六月二九日の日記を紹介した。本日は、同年七月二日の日記を紹介する。
七月二日午後五時よリ同七時頃まで
目白別邸において岡田啓介大将と会見
大将はまず今日までの経過を語る。いわく
最初、軍令部長〔軍令部総長〕を兼ねた時、嶋田〔繁太郎〕の信望がたりないところへ大臣と両方兼ねるのでは部内が納まらない。そこで米内〔光政〕を現役にして嶋田の相談相手にしてはどうかと考え、伏見元帥宮殿下〔伏見宮博恭王〕の御同意を得て嶋田に話したところ、嶋田は 「米内の後輩永野〔修身〕が元帥になっているのだから、今さら、米内を現役にすることは出来ない」という理由で断った。その後、益々嶋田に対する物論ごうごうたるものがあるので、部長だけは残し、大臣の方は更迭したらよかろうと考え、此の時は伏見宮だけでなく、高松宮〔宣仁親王〕の御同意も得、それから反対派をまとめる必要上、末次〔信正〕にも話しちょうどサイパンの戦争最中であったが、私が此の事を嶋田に言ったら嶋田は「目下重要作戦計画中だから、しばらく待ってくれ」と断った。それからサイパンが一段落して伏見宮が親しく海軍大臣官邸に嶋田を訪問せられ、私と同様のことを言われたところ、嶋田は、
自分がやめると東條〔英機〕がやめる。東條がやめるとなると政冶上の重大事件となる。殿下もそういうことにお動きになると政争の渦中にお入りになることになる。
とお答えしたそうだ。そこで私は殿下をもってしても駄目だから二十六日(六月)、自身東條を訪問したところ、東條はイキチリ、
貴方の行動は情報で皆知っている。これは倒閣の陰謀だ。
と言い、
海軍で下の者が騒いだら長老がこれを抑えるべきだ。かつて海軍は二・二六を目して下克上【げこくじよう】といって嘲笑したが、今の海軍はちょうどそれだ。
とくってかかった。私はこれに対して、
若い者が何と言っているか知らぬ。私は若い者に頼まれて来たのじゃない。ただ嶋田が両方兼ねているのはいけないと思い、又それは結局東條内閣のためにも取らぬところであると思ってやってきただけだ。
と説いたが、東條は、
今の体制が最善だと考える。意見の相違なれば致し方がない。
の一点張りだ。これではいかぬと、昨日(七月一日)、平沼〔騏一郎〕を訪問して以上の顛末【てんまつ】を話したところ、平沼は、
こうなったら何ともしようがない。自分は陛下をお守りして死ぬんだ。
という話。私は、
イヤ、それは最後はそうだが、それまでにはまだ何とか打つ手 があるだろう。
といろいろ話したところ、平沼は、
東條は国民の信頼がないというより、国民の怨〈ウラミ〉を買っている。此の際、ほんとの御親裁、御聖断が降ってよい時だ。それで、それが下るように重臣が上奏したらどうか。
というので、さらに話し合った結果、重臣が上奏する前にまず、
貴方(予〔近衛文麿〕)から木戸〔幸一〕内府によく話をしてもらったらどうか。
ということに一決してきた。
と委細報告したる上、予に斡旋【あつせん】方を依頼せり。次で大将はなお語を継ぎ、海軍の損害がどれ位か自分にも判らぬが、いろいろ総合して考えると、最後の決戦はもういっぺんやれるんじゃないかと思う。たとえば、飛行機の教官とか練習機などを総動員すれば、一通りの戦力になると思う。それをやれば国民も諦める。今直ぐ和平をやることはどうか。
という意見を述べて辞去せり。