礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

近衛文麿と昭和19年7月2日付文書

2019-09-09 00:25:54 | コラムと名言

◎近衛文麿と昭和19年7月2日付文書

 共同通信社「近衛日記」編集委員会編『近衛日記』(共同通信社、一九六八年三月)の紹介をしている。本日は、一九四四年(昭和一九)七月二日「午後七時」の日記を紹介する。

同日(七月二日)午後七時
  代々木へ松平〔康昌〕秘書官長の来訪を求め会見
 
 まず予より岡田〔啓介〕大将の話を伝達したる上、木戸〔幸一〕内府の参考として今日までの予の考えをまとめたる左の文書を手交す。
    文書全文
 サイパン戦以来、海軍当局は連合艦隊はすでに無力化せりといい、陸軍当局もまた戦局全体として好転の見込絶対になしというに一致せるものの如し。即ち、敗戦必至なりとは陸海軍当局の斉【ひと】しく到達せる結論にして、只【ただ】今日はこれを公言する勇気なしという現状なり。
【一行アキ】
 此の際、陸海軍統帥首脳をして率直に右の事実を確認せしむる事急務なり。その方法としては、事統帥に関するをもって 陛下より厳然たる書面の形式に て御下問あらせらるること至当とす。
【一行アキ】
 右の御下問に関し、次の場合考えらる。
一、直ちに辞表捧呈。
二、恐懼【きようく】聖断を仰ぐ
三、敗戦の責任を恐れ、明確なる奉答を避く。
以上の中、三の場合には有耶無耶【うやむや】に終らず、あくまで御追究を必要とす。
 現内閣辞職の場合には直ちに皇族(高松宮〔宣仁親王〕を最適任とす)に組閣の大命を降され、新内閣の輔弼により時を移さず停戦の詔勅を下し拾う。
【一行アキ】
 現内閣辞職したる後、一時、戦争継続を標榜【ひようぼう】する中間的内閣を組織せしむる案は、左の理由により不得策。
一、敵側は東條をもってヒットラーと相並び戦争の元兇【げんきよう】なりしとし、攻撃を彼一身に集中しつつあり。他の責任者出で戦争を継続する時は、責任の帰趨【きすう】不明となり、その決果は累【るい】を皇室に及ぼすベし。
二、東條は昨今、倒閣陰謀を口にしつつあり。中間的内閣出づれば、此陰謀説は必ず喧伝【けんでん】せられ、一層混乱を起すべし。
三、戦争を継続せば、戦局は益々不利となること明白なるにより、国民は東條去りしため敗戦となれりとし、新内閣に信望を繋【つな】ぐ事極めて困難ならん。
 なお、以上二及び三の理由により東條辞職の場合は辞職理由(敗戦の責任)を明確にする必要あり。もし此点明瞭ならず(たとえば病気等の理由)且【かつ】、御慰労の勅語等賜わるとせば、次の内閣は皇族内閣たると中間内閣たるとを問わず、極めてやり難くなるべし。東條万一不慮の災禍に仆【たお】れたる時も、その辺の手心慎重を要す(たとえば、国葬、誄【るい】詞等の問題)。
【一行アキ】
 停戦の詔勅に付ては三案あり。
一、世界各国に向い、人道の立場より戦争終結を御提唱になる事。
二、宣戦詔勅に示されたる戦争目的(英米等の経済的包囲を撃破)を達成したるにより、停戦すと仰せらるる事。
三、戦局の推移に鑑【かんが】み、これ以上国民に犠牲を強【し】いる事は歴代君臣の情義に照し忍びざる旨を宣【のたま】わせらるる事
 以上一及び二は却【かえつ】て世界の嘲笑を招くおそれあり。三を最善と考う。これにより皇室と臣民との関係を良好にし、思想悪化、革命勃発による国体の危機を多少にても緩和し得べきか。
【一行アキ】
 停戦は速やかなるを要す。但、速やかに停戦することにより和平条件を多少にても緩和し得べしと期待するは誤なり。停戦即無条件降伏と覚悟せざるべからず。人往々余力ある間に速やかに和平すべしという。彼【か】の艦隊を無疵【むきず】のまま残し置くべしとの説は、かかる考えより出発せるものならん。然れども、これは英米の戦争目的を十分認識せざるものなり。彼等の目的は日独の戦争力を剰【あま】す所なく撃破して再び第一欧洲戦争の轍【てつ】を踏まざらんとするにあり。故に余力あるを頼みて条件の緩和を図らんとするは甘き考えなり。
【一行アキ】
 速やかに停戦すべしというのは只々【ただただ】国体護持のためなり。サイパンにおける敵基地完成せば、今月中にも我国六十余州はことごとく空爆圏内に入るベく、さらに連合艦隊無力化の結果は何時本土上陸作戦の開展を見るやも図られず。その場合における人的、物的損害はけだし支那事変以来の消耗の幾十倍、幾百倍に上るべし。かかる事態ともならば最憂慮せらるるは国体の問題なり。現に当局の言明によれば皇室に対する不敬事件は年々加速度的に増加しおり、又、第三インターは解散し、我国共産党も未だ結成せられざるも、左翼分子はあらゆる方面に潜在し、何れも近く来るべき敗戦を機会に革命を煽動【せんどう】せんとしつつあり。これに加うるにいわゆる右翼にして最強硬に戦争完遂、英米撃滅を唱う者は大部分左翼よりの転向者にして、その真意測り知るべからず。かかる輩が大混乱に乗じて如何なる策動に出づるや想像に難【かた】からず。故に敗戰必至と見らるる場合、見込なき戦争を継続することは国体護持の上より見て最危険といわざるべからず。即時停戦は此意味において緊要事なり。
【一行アキ】
 もし即時停戦が真相を知らざる軍人及び国民に異常の衝動を与え、動揺のおそれ濃厚にして皇族内閣をもってするも、これが統制困難なりと認めらるる場合には、やむを得ず中間的内閣を組織せしむべし。但、その内閣は、従来主戦論を唱え来れる強硬分子をもって組織すべし。既述、中間内閣反対理由の中に二及び三は強硬分子内閣ならば幾分その要を除かるべし、もし、これと反対にいわゆる穏健分子をもって組織せば、パドリオ政権として排撃せられ、ほとんど問題とならざるベし。
【一行アキ】
 かかる強硬分子より成る中間的内閣が対内政策上、即時停戦不可能と認むる時は連合艦隊を出動せしめて、最後の決戦を行わしむべし。此決戦の結果、敗北明瞭とならば、その時停戦するも遅からず。此場合には、皇族内閣の出現を またずして万事解決す。是もまた一案か。

  昭和十九年七月二日     以上

 近衛文麿といえば、いわゆる「近衛上奏文」が有名だが、ここに示されている「文書」は、それに匹敵する史料と言えるだろう。特に、下線の部分に注意していただきたい。その後の歴史を見ると、近衛がこの文書で述べている今後の展開についての予想は、かなり当たっている。あるいは、近衛がこの文書でおこなっている国策上の提言は、実際に、政府中枢によって採用されているかに見える。
 なお、冒頭の「代々木へ松平秘書官長の来訪を求め会見」の意味がとりにくいが、代々木の松平秘書官長宅に迎えの車を出して、目白別邸まで来訪を求めたということだろう。松平康昌秘書官長は、前客の岡田啓介と入れ替わるようにして来訪しているので、迎えの車を出した時刻は、岡田啓介との会談の途中だったと推測される。

今日の名言 2019・9・9

◎東條万一不慮の災禍に仆れたる時も、その辺の手心慎重を要す

 近衛文麿の言葉。「昭和一九年七月二日付近衛文書」(この文書名は仮)にある言葉。敗戦までの間に、万一、東條英機が死去することがあっても、「国葬」などにすべきではない。敗戦の責任は、あくまでも東條に負わせなければならないから。――という趣旨であると解釈する。畏るべし、近衛文麿。

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