◎戦時食おむすびを喫しつつ会議を続行
この間、共同通信社「近衛日記」編集委員会編『近衛日記』(共同通信社、一九六八年三月)の紹介をしている。本日は、一九四四年(昭和一九)七月一七日午後四時の日記の後半を紹介する。昨日、紹介した部分のあと、改行せずに次のように続く。
午後六時三十分に至り、皆打ち揃う。(これより先、会議においては若槻〔礼次郎〕男に劈頭の発言を依頼し、阿部〔信行〕大将に対しては、東條首相との関係上、必ず我々の意見に反対すべければ、木戸〔幸一〕内府に伝達することは秘密に付し置くベしと申合す)
すなわち若槻男爵まず、
東條内閣はいくら改造しても、すでに人心が去っているから、此の際、適当に善処せしめたらどうだろう。
と口を切る。
次で米内〔光政〕大将いわく
自分は今、政府から執拗【しつよう】に交渉を受けている。岡局長〔岡敬純軍務局長〕が二度も来て、その上、野村〔直邦〕新大臣も来るはずだ。新大臣で駄目なら東條が来る。東條で駄目なら優諚【ゆうじよう】を奏請するというのだ。自分はこんな事に優諚【ゆうじよう】を云々するのは、 実に大権をもてあそぶものだと思う。自分はたとえ優諚【ゆうじよう】があっても拝辞する決心だ。
と、すこぶる明快なる決意披瀝【ひれき】あり。
次に平沼〔騏一郎〕男いわく
人の和がなければ戦には勝てぬ。東條内閣があっては、かえって人の和を破壊する。
広田弘毅氏は「改造の経緯を知らぬ」とか何とか不得要領なる言辞をならべ全く問題に触れず。阿部大将(信行)は、
翼政会にも内閣更迭説盛んだけれども…。自分は、東條内閣を決して完全とは思わぬが、これよりよい内閣が出来るという目途がなく、ただ内閣を破壊するということは無責任と思っている。此の事を内閣倒壊論者に言っても、誰もこれ以上よい内閣が出来る成算があるという者はない。
という。
最後に予は「若槻、平沼、米内三氏と結論においてほとんど同一なり」と述べ、阿部氏はなお、
こういう話をして一体、これを政府に伝えるのか。
と質し、皆、
政府に伝えなくてもよいが、阿部さんからでも伝えてもらいましょうか。
と、お茶を濁す。
阿部氏は自己が何のために参集せるやを結局知らざる訳なり。米内、広田両氏も真相を知らざることは阿部氏と同様なるも、岡田大将は後刻両氏を自邸へ同伴して説明する由。かくて平沼邸心尽しの戦時食おむすびを喫しつつ会議を続行し、散会したるは午後八時過ぎ。
岡田大将は自邸にて米内、広田両氏に今日までの経過を説明したる後、午後九時三十分に至り報告のため木戸内府を訪問す。
予は重臣会議散会後、松平〔康昌〕侯爵邸において結果を待ちいたり。午後十一時過ぎに至り、岡田大将の使者として福田耕〈タガヤス〉(大将の女婿)来訪す。即ち、その報告によれば、大将と木戸内府との間に上奏の文言を左の如く決定したり。
此の重大なる時局を乗り切るには、人心を新にすることが必要であります。国民、皆相和し、相協力し、一路邁進【まいしん】する強力なる政府でなければならぬと思います。一部改造の如きは何もならぬと存じます。
(かく認め〈シタタメ〉たる時、即ち、十八日午後零時三十分、内田〔信也〕農相より電話あり。此の日午前十時、東條首相参内、内閣総辞職のため、閣僚の辞表を取りまとめ、闕下【けつか】に捧呈せることを内報し来る。なお、此の事は後継内閣成立まで発表せざる方針なりと)
注1 嶋田海相の後任問題 【略】
注2 広田広毅 【略】
注3 原嘉道 【略】
注4 福田耕 原文では岡田大将の女婿となっているが、これは誤り。同氏は昭和十一年〔一九三六〕岡田内閣での首相秘書官。岡田大将の女婿は迫水久常〈サコミズ・ヒサツネ〉氏で当時岡田首相の秘書官だった。
注5 内田農相 【略】
注6 優諚 特別の思召しによる天皇のお言葉。闕下は天皇の御前のこと。