◎東條は弱気になって時々、辞意を漏らす(赤松貞雄)
この間、共同通信社「近衛日記」編集委員会編『近衛日記』(共同通信社、一九六八年三月)の紹介をしている。本日は、一九四四年(昭和一九)七月一二日午後八時の日記を紹介する。
同日午後八時
代々木にて松平〔康昌〕秘書官長と会見
秘書官長いわく
今日午後一時に東條首相は参内し、内府〔木戸幸一〕と会見して内閣を改造してやって行くことの了解を求めた。これに対して内府は、
此の際に及んで改造など無意味だ。誰しも不安に思うのは統帥の問題だ。
陛下も此の点を極めて御不安にお思召されている。
と言ったところ、首相は頭を垂れて、そのまま辞去したそうだ。そこで自分(秘書官長)の観測では、
これは東條の統帥に関し、陛下の御信任如何を露骨に証明した訳であるから、東條は辞表を出すかも知れない。あるいは又、参謀総長の分だけ出して内閣の方は居据わるかも知れない。赤松〔貞雄〕(首相秘書官)の話では、最近、東條は弱気になって時々、辞意を漏らすが富永〔恭次〕次官以下、陸軍の首脳部及び側近者が絶対にやめてはいけない、と激励しているらしい。とにかく、弱気になっていることは事実のようだから、此の点から観て、急転直下、政変となるかも知れない。なお、東條は改造と共に詔勅を奏請する意向があるようだ。恐らくサイパン敗戦の発表に伴い、人心作興の御詔勅渙発【かんぱつ】を考えているのであろうが、然し、これは敗戦の責任を詔勅によつて糊塗【こと】せんとするもので内大臣〔木戸幸一〕はこれには絶対反対だ。もしかようの御詔勅を奏請するようなことがあれば職を賭して争うと言っているから、此の問題からも内閣の危機が到来している云々。
注 富永次官は陸軍次官、富永恭次中将。次官辞任後、比島方面陸軍航空隊司令官。