礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

雑誌『日の出』の戦後第一号

2023-06-10 01:36:28 | コラムと名言

◎雑誌『日の出』の戦後第一号

 先日、新潮社の月刊誌『日の出』の1945年(昭和20)11月号を入手した。「編輯後記」を見ると、この号は、戦後における第一号と思われる。
 本日は、その「編輯後記」を紹介してみよう。

   編 輯 後 記

◇本誌三月号発売以来、空襲、輸送事情等により、一部の読者には約半歳ぶりで、茲に我々は十一月号を以て再び全読者諸賢に相見ゆる〈アイマミユル〉ことゝなつた。この間、四月号以下、再三戦災に会ひ、或ひは情勢の変化に遭遇して、印刷製本を完了しながらも発行の運びに至らなかつたことは、読者諸賢にたゞたゞ衷心よりお詫び申上げる次第である。
◇宿命的ともいふべき国家機構の枠内にあつて、我らは相共に必勝を信じ、雑誌奉公の一念に邁進して来たのであつたが、遂に八月十五日、思ひきや敗戦てふ冷厳なる事実をもつて、そのひたぶるな努力に終止符をうたれた。
◇祖国の大いなる歴史的変換の関頭に立つて、軍閥、官僚への非難は囂々〈ゴウゴウ〉として全国を覆うてゐる。事実の真相を秘匿して勝算のない戦〈タタカイ〉をつゞけ、全国民を非運の深淵に馳り立てた罪は、正に万死に値しよう。殊に言論の圧迫、民意の抑制等にたいしては、我らも多くの意見をもつてゐる。しかし何れにせよ、真実の報道を伝へ得ざりしことは、我ら編輯者としてその罪余りも大、たゞ封建的屈従に馴致された己れの不明を痛く恥づるのみである。
◇勿論、敗戦は国家として大いなる不幸であるが、我らは茲に初めて世界の真姿を知らされ、真に自由人として道義国家の建設と世界恒久平和の大道へ邁進し得る希望を、しつかりと把握することができたのである。これからこそ我らは編輯者としての真の責任において、存分の活躍が出来るものと、大きな期待に満ちてゐる。
◇今後の『日の出』の方針は、我が国文芸の一源叢として過去半世紀活動し来たつた本社の伝統を新しき時代に生かして、常に清新なる小説を主体とし、健康、明朗な娯楽雑誌として、新生面を開拓し、平和日本建設の一翼として進む考へである。
◇本誌は専属であつた富士印刷工場並びに共同印刷の同時焼失により、ふりがな附活字を使用することが出来ず、一部読者に生硬な感じを与へると思ふが、各方面の協力を得て、鋭意、総ルビ附に復活すべく努力中である。
◇なほ毎年、五月号誌上に発表してゐた新潮社文芸賞は、今年の一般状況より選択不可能なるため延期し、これを来年度に持ち越すことゝなつた。当欄を借りて謹告する次第である。

 戦中、「雑誌奉公の一念に邁進して来た」同誌であったが、敗戦後は、「真実の報道を伝へ得ざりしことは、我ら編輯者としてその罪余りも大、たゞ封建的屈従に馴致された己れの不明を痛く恥づるのみ」と、謙虚な態度を示している。
 ウィキペディア「日の出(雑誌)」によれば、雑誌『日の出』は、1932年(昭和7)8月に創刊、1945年(昭和20)12月に廃刊となったという。つまり同誌は、戦後、1945年11月号と同年12月号の二号を出し、そこで廃刊になったことになる。

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