◎戦争に勝てば社会は今より堕落します(内村鑑三)
山本七平編『内村鑑三文明評論集(一)』(講談社学術文庫、1977)から、内村鑑三の文章を紹介している。本日は、その四回目。
本日は、日露戦争関係の文章をふたつ紹介したい。いずれも、1904年(明治37)に発表された文章である。巻号の表記はないが、内容からして、日露戦争(1904~1905)が始まったころの文章であろう。
出征軍を送りて感あり
ああ、われいかにして戦争を廃【や】むるを得んか。われはいかにしてこれら無辜【むこ】の良民を敵弾に曝【さら】すの惨事を止【や】むるを得んか。彼らを失うて孤独に泣く老媼【ろうおう】あるにあらずや。彼らに離れて饑寒【きかん】に叫ぶ寡婦と孤児とあるにあらずや、これを見て泣かざる者は人にして人にあらず。われは人が万歳を歓呼するを聞いてその声に和すること能【あた】わざりき。われにしてもし王者ならんか。われは無埋にも戦争を圧止せんものを。われにしてもし寵臣ならんか。われは戦争を諫止して止まざるべし。しかれども微弱なるわれ、われにただ、泣くに涙あり、祈るに言葉あるのみ。ああわれいかにして戦争を廃【や】むるを得んか。
福音【ふくいん】を説かんのみ。しかり、キリストの平和の福音を説かんのみ。しこうして一日も早く天国をこの世に来らせんのみ。これわれの為し得ることにして、また無効の業にあらず。今の時にあたりて不可能事を企ててすぐに戦争を廃せんとするもなんの益かある。人々その心に神の霊を宿【やど】すに至るまでは戦争の声は歇【や】まざるべし。キリストにありて一人を救うは戦争の危害を一人だけ減ずることなり。しこうして戦争は非戦論を唱えて止むべきものにあらずして、キリストの福音を伝えて廃すべきものなるべし。ああ、われは覚【さと】れり。われは千百年の将来を期して、わが目前に目撃する惨事を根絶せんためにわが世にあらん限りさらに熱心にキリストの福音の宣伝に従事せん。
戦時におけるわれら
われらキリス卜信者は戦時においてはほとんど用の無い者であります。しかし戦後においては多少役に立つ者であります。もし負ければ国民は非常に失望します。その時にわれらは彼らに多少の慰藉【いしや】を供することが出来ます。勝てば彼らは非常に高ぶります。そうしてその結果として社会は今よりも一層堕落します。その時にわれらはその腐敗を多少止めることが出来ます。われらは今は心を静かにして戦後の御用を待ちつつあります。