◎本当の歌舞伎役者は俺でおしまいだ(山下金右ヱ門)
『テアトロ』第111号(1950年9月)から、「歌舞伎王国」の映画シナリオ(村山知義)を紹介している。本日は、その三回目で、シーン〔19〕〔20〕を紹介する。
〔19〕 舞台袖
そこに腰かけて、金右ヱ門が茶をのみ弟子にうちわであおがせながら出を待つている。そばに東が立つている。舞台では吉弥が演じている。
金右「ふん――だらしねえもんだ。」
東「そうですかね、僕にやアそう見えないがなア」
金右「芝居に打ち込む気迫がねえからだめだよ。まだ、本当に芝居がやりてえという気になつていねえんだよ。」
東「そりやあんたまだ若いもの、三升屋の御曹司に生れて何不自由なく生きたんだから。」
金右「何いつていやがんでえ。兵隊にとられて、大陸までいつてよ、生きるか死ぬかの目にあつて来たんだ。君なんぞよりやずつと苦労してるぜ。」
東「そりやア仕方なくぶつかつた苦労で、いい芸がしたいとか、いい役者になりたいとかいう目的を持つての苦労じやないもの。」
金右「生きるか死ぬかの目にあつて帰つてくりやあ、今の命をありがてえと思う筈じやねえか。もつたいねえから、いい役者にならなくちやすまねえという気になるのが本当じやねえか。」
東「ところが逆なんですよ、バカらしい目にあつた。この世の中なんて下らないもんだ。生きるも死ぬも同じこつたつて元気になるんですよ、今の若い者は皆そうなんですよ。」
金右「へげたれめが! あいつにやアおれの血がつぎこんであるんだ。本当にその気になつて修業すりやア、いい役者になれるように生みつけてあるんだ。小さい時からやるだけの修業はみつちりつぎこんであるんだ。そういう運を持つてながら、いい役者になろうてえ気が起らねえたアどうしたわけなんだい。――おらア、なア――そりやア、時世は変つた。歌舞伎もいつまでも今のままではいめえ、悪い時世じやア、いい役者は生まれても育たねえ、もう本当の歌舞伎役者はおれでおしまいだなたア思う、そう思うよ――だがなア東さん、あいつだけは、おらア、何とかして、たとえ、後世に残る名優にやなれなくても、さすがは山下金右ヱ門の伜だ、といえるような役者にしてえんだよ――なつて貰えてえんだよ。」
東「――うむ――あんたの気持はよくわかる――わかる――」
出のキツカケで、金右エ門は舞台へ出てゆく。
〔20〕 揚幕
留と額之助〈ガクノスケ〉が幕の隙間から舞台をのぞいている。
額之助「――ふむむ――うめえ――」
留「いいねえ、額さん――おらア、涙が出てくるよ――どうでえ、あそこの意気込の凄えこと――」
額之助「今日はまたべらぼうにいい意気だなア――本当の歌舞伎役者は大丹那〔金右エ門〕でおしまいかと思うと、おらア毎日でも見ていたいよ――あの芸の一つ一つを目のなかにしまいこんでおきたいよ。」
山下金右ヱ門は、「本当の歌舞伎役者はおれでおしまいだ」という。相当な自信だが、その自信を支えていたのは、意気と実力、座頭(ざがしら)としての自覚などだったのだろう。
揚幕(あげまく)のところで、老俳優の松島額之助(63歳)と「揚幕の爺」荒井留吉(60歳)のふたりが、金右ヱ門の芝居を観ている。そろって、金右ヱ門の芸に感嘆し、称賛している。この場面、実際の映画で観たかった。