礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

豪華さが歌舞伎の命なんですから(東周一)

2023-06-19 04:28:49 | コラムと名言

◎豪華さが歌舞伎の命なんですから(東周一)

『テアトロ』第111号(1950年9月)から、「歌舞伎王国」の映画シナリオ(村山知義)を紹介している。本日は、その二回目で、シーン〔5〕を紹介する。

〔5〕 金右ヱ門の楽屋
 この劇場で最上等の、次の間附きの、部屋である。
 すぐに番頭が追つてきて、次の間で弟子に中日【なかび】の御祝儀をやつているお篠に
 鈴本「おかみさん、昨夜はどうも御馳走になりまして――おあずかりのもの、今朝、会社に行つて、確かに下瀬さんにお渡ししましたから――」
 お篠「そう――ご苦労さん――あの人のパクリ屋と来たら徹底してるからね――けど、うちのが杉田屋のよりも多いことは確かなんだね。」
 鈴本「へい、杉田屋のが片手だつてことは間違いないらしいんで――こつちの方が二本多いこたア確かでござんす。」
 お篠「たまらないよ、こうしぼられちやア――お金のねうちがどんどん下つちやうんだから貧乏になるばつかりさね。」
 お篠は次の間から金右の部屋に行き、ふんわりした座布団の上にあぐらをかいて、鏡台を眺めている金右ヱ門の横に膝をついて、
 お篠「大丈夫ですつてさ。」
 金右「何しろ杉田屋なんぞに五右ヱ門をやられたんじやあお客様が気の毒だアな。あのタガのゆるんだ芸じやなあ。」
 立つて浴衣に着換え、鏡に向つて顔をつくり始める。
 金右「でもなア、鈴本――戦争前からくらべると、おれたちも落ちぶれたもんだなア、あの頃はお前、自家用車を持つてる役者が東京だけで十人いたよ。持つていねえ奴でも、楽屋入りはハイヤーで乗りつけたよ。――それがどうだい、今じや、中日で、奥方御同伴てえのに、チンチンゴーゴーだ。――ええ、これから芝居を見物に行こうてえお客さんの隣りに、山下金右ヱ門が釣革にぶらさがつてヨロヨロしてたんじやア舞台のありがたさなんてもなア七里けつぱい〔七里結界〕だアな。」
 演劇批評家の東周一が入つてくる。
 東「お早う――」
 お篠「丹那、東さんですよ――さあ、どうぞ――」
 金右「やア、いらつしやい」
 東「何事です、いつたい? いきり立つて――」
 金右「へい、いきり立ちもしまさアね、先生。ねえ、そうじやねえかい。あつし等が舞台の上で、ゆつたりとした大な芝居ができるのは、何不自由のねえ暮しをするからですぜ。どんなに小手がきこうが、どん帳芝居や小芝居の役者が、大芝居の檜舞台に上つて板につかねえのは、毎日の暮しそのものがしみつたれてるからじやアありませんかね。」
 東「そうですとも。生活はすぐ芸術に反映するものでね、先代の杉田屋の弟子の翫三〈カンゾウ〉の話なんか、いい例じやアありませんか。」
 お篠「へえ、あの翫三がどうかしたんですか?」
 東「あの人はね、腕つこきで、稽古の時なんざア、先代の杉田屋はいつも翫三ここんとこお前やつてみてくんなというんで、丹那の役の大事なとこをやつて見せるんですが、そのうまいことといつたら大したものだつたそうですがね、それが、誰かの代役でちよつと大きな役――といつたところでセリフが十あるかなしつてえ役で舞台に出たところ「うつ」といいかけたつきり、とうとうあとのセリフが出なくなつたつていうじやないですか。位に呑まれるんですな。位とか大きさとかいうものはやつぱりゆつたりした毎日の暮しから生れるんですよ。金右ヱ門さんのような日本一の役者には日本一のぜいたくな暮しをしてもらいたいもんですよ。芸術のためにねえ。」
 お篠「いやですよ、先生、そんなに焚きちけちやア――もうぜいたくでしようがないんですから――何でもかんでも日本一でなくちや気に入らないんですから。」
 東「それですよ、それでいいんですよ。豪華さというものが歌舞伎の命なんですからねえ。――時に、吉弥さんの芸はあがりましたなア、メキメキと。いい役者になりましたよ。全くあの美しさは今までにない戦後派的美しさですなア。」
 金右「へえ。おれにやアわからねえなア、どこがその戦後派なんですかね?」

 演劇批評家の東周一が登場するが、年齢の設定は不明。「東」の読みも不明(アズマまたはヒガシであろう)。
 文中、「丹那」は原文のまま。これで、ダンナと読ませるのであろう。「どん帳芝居」(緞帳芝居)は、引き幕でなく垂れ幕を用いた下級の芝居のこと。「チンチンゴーゴー」は、電車(特に路面電車)のこと。「チンチン」は発車ベルの音、「ゴーゴー」は走っている時の音であろう。

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