◎芝居国のようないやなところはないね(元役者・笑三郎)
「歌舞伎王国」の映画シナリオ(村山知義)の紹介に戻る。本日は、その四回目で、シーン〔21〕〔23〕を紹介する(〔22〕は欠番らしい)。
役者をやめて警官になった笑太郎が、制服姿で大部屋を訪れるという場面である。この笑太郎も、シナリオ冒頭の「人物」には入っていない。
〔21〕 大部屋
吉太郎が舞台から引つ込んで来て楽屋へはいろうとすると、警官がいるので「わつ」と叫んで逃げようとする。警官は追う。
警官「こらッ、逃げるかッ。」
吉太郎「助けてッ!」
警官に首をつかまえられる。
警官「神妙にしろ!」
門八「何を逃げるんだい、吉ちやん――笑三郎君だよ。」
吉太郎「へえ、(警官の顔を見て)何だ、笑さんか――」
笑三郎「はははは、さてはやつぱり、すねに傷だつたんだな。」
吉太郎「な、何をいうんだ。警察は全く誤解して引つぱつたんだ。」
〔23〕 大部屋
二人は大部屋へ戻つてくる。みんなゲラゲラ笑つている。
笑三郎「そんなら、何であわくつて逃げたんだ?」
吉太郎「また誤解されるといけないからね。何しろ苦手だよ、君たちにやア権力があるからね、さからえばすぐに公務執行妨害と来るからね。先にそつとから手を出して、さんざん人をこずきまわしておいてさ。」
笑三郎「そんなのが多いね、こんな服を着ると、急にえらい人になつたような気になつてね。フアツシヨ化してくると公僕精神なんてえ附焼刃〈ツケヤキバ〉はたちまち消えて飛んじまうしね。」
門八「どうだい、警官生活は――いいかね?」
笑三郎「よかあないさ、軍隊の代用品だものね。戦争がやつとすんでまた兵隊になつたような気がするよ。かといつて役者にもどるのもいやだしね――警官になつてから、ずいぶんいろんな社会の暗黒面にも首を突つこんだが、芝居国のようないやなところはないね。こんなに下の者を人間扱いにしないところはないね」
吉太郎「それでもやつぱり楽屋はなつかしいか?」
笑三郎「うむ、そりや芝居は好きだからね――三味線の音や拍子木の音を聞くと、こたえられないからね――」
門八「そりやそうだろうね、やつぱり子供の頃から聞きなれた音だからなア。」
吉太郎が警官の姿を見て逃げ出したのは、あらぬ疑いをかけられ、警察に引っ張られたばかりだったからである(シーン〔8〕)。
警官に転職した笑三郎は、「芝居国のようないやなところはないね。こんなに下の者を人間扱いにしないところはないね。」と言っている。1950年(昭和25)の話である。下の者を人間扱いにしない「芝居国」の暗黒面は、それから七十年以上たった今日、すでに解消されているのだろうか。