礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

戦犯裁判も戦争の続きだ(原秀男)

2023-10-09 00:06:29 | コラムと名言

◎戦犯裁判も戦争の続きだ(原秀男)

 一か月ほど前、原秀男(1917~2000)の『二・二六事件軍法会議』(文藝春秋、1995)という本を入手し、一読した。非常に興味深い一冊だった。
 紹介したいところは、もちろん、二・二六事件軍法会議に関する記述である。しかし、著者が終戦時に、セレベス島(現・スラウェシ島)で体験した事件について回想しているところを、まず、紹介してみたい。「十二 濠北の戦場で」の章のうち、「厳しい戦犯追及」という節だが、これを二回に分けて紹介する。
 なお、著者の原秀男は、終戦時、第二方面軍司令部(濠北方面)の法務官として、南部セレベスに滞在していた。

厳しい戦犯追及
 昭和二十年八月十五日、日本政府はポツダム宜言を受諾した。これによって、戦争犯罪人は 連合軍によって処罰されることになった。
 だが、戦勝国が戦勝国の論理で敗戦国の軍人などを処罰することははたして正しいことなのか、私は重大な疑問を持っていた。
 日本本土はマッカーサーの米国陸軍に軍事占領されている。天皇をはじめ、国会も政府も国民も、占領軍司令官の完全な支配下にある。平和条約が締結され占領が終わるまで、連合軍と日本との法的な戦争関係は終了しない。戦犯裁判は、このように戦争状態が継続し、連合軍が日本の国と日本国民を武力で支配していることを法的根拠に、占領軍司令官の軍権の行使として行われるものである。裁判だから公正だろうとか、裁かれる者の人権を保障してくれるだろうなどと考えたら甘過ぎる。戦犯裁判の名のもとに、勝者の敗者に対する復讐が行われる可能性が強い。
「これも戦争の続きだ」
 私は、連合軍がこれから行おうとする戦犯裁判の本質をこのように考えていた。
 現にドイツでは、「連合軍の戦争は正義の戦争、ナチス・ヒットラーがやった戦争は邪悪」という論理で、官僚だけでなく、国防軍の少佐以上、ナチス党全員、秘密警察員らが、組織の一員であったとの理由で有無をいわせず片っ端から逮捕されているとラジオは放送していた。
 私どもがいた濠北の島々でも、かつての捕虜が戦勝とともに連合軍の検察官になり、逮捕された日本軍人は殴られたり拷問を受けはじめていた。
 法治国の共通の原理である「罪刑法定主義」、「犯罪容疑者の人権の保障」は、彼らには通用しない。彼らの論理は、
「日本軍は捕虜を虐待した。我々は理由なしに殴打され、最低限度の食料も与えられず飢えた。お前たちは我々の正義に屈して降伏したのだから、文句を言うな。ポツダム宣言を読みなおせ」
 というわけである。
 たとえ戦時国際法に反する行為があったとしても、苦労を共にした戦友である。なんとかして、戦犯追及の手から逃れさせたいという思いを持つのは人情だろう。私は戦犯による被害をなんとか少なくする努力をしようと思った。問題にされた事件が、日本の軍法会議ですでに審理されたものであれば、再び裁判にかけられることがないように訴えもした。また、ある時は、事件そのものを隠蔽する手伝いもした。
 だが、どうしても庇いきれなかったのが、憲兵隊のパイロット斬殺事件である。
 終戦になった時、憲兵隊長が、私どもの法務部に相談にやってきた。
「軍律会議で死刑の裁判をしたことにできないか」
 というのである。【以下、次回】

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