礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

軍法会議の審理は基本的に刑事裁判と同様

2023-10-18 00:21:37 | コラムと名言

◎軍法会議の審理は基本的に刑事裁判と同様

 原秀男『二・二六事件軍法会議』(文藝春秋、1995)の「五 軍法会議とは何か」の章を紹介している。「戦争とは、軍隊とは何か」の節に続くのは、「法律に従わない軍人」の節だが、これは割愛し、本日は、そのあとの「軍法会議は暗黒裁判か」の節を紹介する。

軍法会議は暗黒裁判か
 このように特殊な地位にある軍人軍属に対しては、国民に対するよりもさらに重い責任を問う軍法が適用された。そして軍人の刑事裁判には、軍人を裁判官とし、法律家である法務官を加えて構成した特殊な裁判所があたることにした。これが軍法会議である。
 軍法会議というと、密室の中で、法律を無視して行われる暗黒裁判といった恐ろしいイメージがあるかもしれないが、それには誤解がある。
 軍法会議の組織と審理の手続きは、陸軍軍法会議法、海軍軍法会議法で規定されていた。軍法会議法は、裁判所構成法と刑事訴訟法をあわせた法律であって、刑事事件の捜査から裁判と刑の執行までを厳格に規定している。軍法会議もこの法律に従って、証拠によって事実を正しく認定し、法律を正しく適用しなくてはならないのはもちろんである。通常の裁判所と同様、軍法会議も公開で行われ、弁護人をつけ、判決に不服があれば高等軍法会議に上告することもできた。
 実際、五・一五事件や相沢事件の公判では、新聞記者らが傍聴し、被告人と弁護人の激しい公判闘争の模様が新聞紙上をにぎわせたのである。
【一行アキ】
 では、軍法会議の審理は、実際にはどう進められたのだろうか。
 戦前の通常の刑事裁判所では旧刑事訴訟法に則【のつと】って裁判が行われた。軍法会議の審理も、基本的にこの旧刑事訴訟法と同様に進められたが、戦前の刑事裁判は現在の刑事裁判とは、かなり様子が異なっている。まずこのことを説明しよう。
 まず現行刑事訴訟法では、裁判官の予断を避けるため、起訴と同時に裁判所に提出されるのは起訴状だけにしている。起訴状一本主義である。したがって、裁判官はまったく白紙の状態で公判に臨むことになる。検察官が関係者の供述調書を裁判所に提出しても、弁護人の同意がなければこれを撤回して、供述した人を証人として申請し、法廷で証言させなければならない。
 こうして出廷した証人に対しては、まず検察側が主尋問を行い、次に弁護側が反対尋問を行う。裁判官はその間、法廷内でのやりとりをずっと聞いている。
 なぜこのようなことをするかといえば、裁判官が警察官や検察官の調書によらず、直接証人の言を聞き、反対尋問により証言の信用度を確認するためである。
 ところが、戦前の刑事裁判の審理は、戦後のやり方と大きく異なっている。警察、検察段階に作成された調書をはじめ、各種証拠書類は、起訴状とともにすべて裁判官の手元に提出される。予審を経たケースでは、予審記録も提出される。裁判官がこれを精読してから公判が始められる。だから裁判官は、事件の捜査以降の経過をよく承知して、審理にあたることになる。
 公判では、裁判長が被告人に対し、「誰々の調書にはこうあるが」と、あらかじめ読んでおいた記録に基づき質問する。その上で「何か意見があるか」と尋ね、被告人の反論、弁解を聞くというスタイルを取る。
 公判廷で、被告人と証人の尋問をするのは原則として裁判長であった。裁判長以外の裁判官にも尋問権はあるが、検事、弁護人は、裁判長の許可を受けなければ尋問できない。尋問の主役は裁判官だから、検察官、弁護人の反対尋問権は確保されていない。このことは、通常裁判所でも軍法会議でも変わりはない。
 さて、戦前の刑事裁判には、検察から独立した予審制度があった。予審判事(予審官)は、何人〈ナンピト〉からも干渉を受けない、独立の地位を与えられた司法官である。
 普通の裁判所での予審は起訴後の手続きだが、軍法会議の予審は起訴前に予審官が行う強制捜査であった。予審官は起訴・不起訴を決定するための資料を集め、関係者の取調べにあたるが、起訴・不起訴を決定しない。起訴・不起訴は、検察官の意見に基づいて、軍法会議長官が決定する。予審官は意見すらも述べない。証拠を整え検察官に送るだけである。

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