礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

太安万侶の墓、奈良市の茶畑で発見(1979年1月)

2023-10-07 00:24:40 | コラムと名言

◎太安万侶の墓、奈良市の茶畑で発見(1979年1月)

 倉野憲司他著『論集 古事記の成立』(大和書房)が刊行されたのは、1977年6月10日のことであった。このころ、古事記に対して、人々の関心が高まっていたようだ。
 折も折、古事記の序文を書いたとされる太朝臣安万侶の墓が発見された。1979年1月のことであった(発表は同月23日午後)。これは、大きなニュースになった。
 今ここに、1979年1月24日付『毎日新聞』1面の切り抜きがある。見出しとリードを引用してみよう。

太安萬侶の墓発見
「古事記」編者 木櫃に銅製墓誌と骨片
名前、位階、没年記す
奈良市の茶畑 続日本紀の記述と一致

 古事記、日本書紀の編者、太朝臣安萬侶(おおのあそんやすまろ=「安麻呂」とも書く)の名が記された墓誌が奈良市東部の茶畑から見つかった。奈良県橿原考古学研究所(末永雅雄所長)が二十三日午後発表したもので、銅板製の墓誌に「太朝臣安萬侶」の文字をはじめ、四十一の漢字が刻まれていた。墓誌とともに遺骨も発見されており、納骨用の木櫃(もくひつ)に入れられていたと見られる。墓誌にきざまれている死亡年月日と続日本紀(しょくにほんぎ)に書かれている安萬侶の死亡年月日が、一日しか違わないことなどから、この木櫃が安萬侶を埋葬したものに間違いないと断定した。今度の墓誌発見で、安萬侶が実在の人物であったことが、物証によって裏付けられ、また、続日本紀の記述が正確であったことが立証された意味は大きい。長い間論争になっている古事記の序文を安萬侶が書いたかどうかをめぐる古事記の正書・偽書論争にも重大な「物証」が加わったことは、論争をさらに発展させることになろう。

 リードの左側には、墓が発見された茶畑の航空写真、現場付近の略図、銅板製の墓誌の写真の三点が並んでいる。
 墓誌については、復元した文字と、その読み方も記されている。以下に、復元された文字と、その読み方を引用しておこう。文字、読み方、ともに、同記事に従った。

 左京四條四坊從四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥
 年七月六日卒之   養老七年十二月十五日乙巳

 さきょうよんじょうよんぼう じゅうしいのげ くんごとう おおのあそんやすまろ みずのといのとし しちがつむいかをもって しゅっす ようろうしちねん じゅうにがつじゅうごにち きのとみ

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