◎今度の発見だけでは偽書説を否定できない(大和岩雄)
1979年1月24日の『毎日新聞』は、1面のほか、3面、18面、19面にも、太安万侶関係の記事がある。以下に紹介するのは、3面にあったと思われる記事の見出し及びリードである。
茶畑から「古事記」に光
「ウソだ」「ホントだ」――江戸時代明和年間、賀茂真淵の指摘から、いまもなお延々と続く古事記の偽書正書論争。古事記の序文は太安萬侶(麻呂とも書く)が書いたか、後世の別人が書いたのか、そして本文は、と繰り返される論争のまっただ中に、二十三日もたらされた「太安萬侶の墓誌銘発見」の報は強い衝撃波となって全国の国文学、考古学、歴史学者ら「記紀」に関係するすべての人の間をかけめぐった。「これで偽書説は否定された」「発見はホンモノの証明にはならない」とそれぞれの立場から感想とコメン卜を語ったが、いずれも今回の発見には一様に驚き、稲荷山古墳の鉄剣文字発見につづきまた新たな照明が当たった古代史の行方に、ロマンに満ちた関心が寄せられている。
このあとさらに、〝「正書」「偽書」論争に拍車〟「太安萬侶の墓発見」という見出しがあって、今回の発見に対する識者のコメントがある。
偽書説は否定される
「古事記全注釈」(三省堂)に取り組む古事記の権威、倉野憲司元福岡女子大学長 事実とすれば、安萬侶がまぎれもない実在の人物であることの物証であり、古事記偽書説はこれで否定される。偽書でない正書説の私としては、百万の味方を得た思いだ。安萬侶が養老七年(七二三)に死亡したことが立証されると古事記と日本書紀が完成した時に安萬侶が生存していたこともはっきりする。これまでも文献では証明されていたが、証拠が文献ゆえに論争を呼んでいた。しかし、今回の発見は文献ではなく、物証になるわけで、これで文献の正しさが証明されることになる。
編者説の証明でない
古事記の序文が安萬侶の作でないとする古代史研究家、大和(おおわ)岩雄さん 文献的にも、実在の人物とわかっており、墓誌銘が出て当然。しかし、今度の発見だけでは偽書説を否定できない。ただ、古事記のナゾを解くためにも、これを機会に安萬侶が族長をしていた多(おお)氏一族を徹底的に調べるべきだ。統日本紀には安萬侶の没年が養老七年(七二三)と記され、〝民部卿だった〟ともある。ところが、続日本紀以前の古事記編さんについては一行も書かれていない。しかも古事記の存在が文献的に明らかになるのは、安萬侶の子孫の多人長〈オオノヒトナガ〉が記した弘仁私記序からで、これには〝安萬侶は日本書紀の編者〟と書かれているのが、安萬侶日本書紀編者説の根拠だが、私は人長が平安初期になってから序文を記し、その際、族長で最も有名な人物として安萬侶の名前を編者に使ったとする方が妥当と思う。
このあと、井上光貞(東大名誉教授)、鳥越健三郎(大阪教育大教授)、松本清張(作家)、神田秀夫(武蔵大教授)のコメントが続くが、割愛する。
それにしても、毎日新聞社の取材力・執筆力には舌を巻く。橿原考古学研究所から「太安萬侶の墓発見」の発表があったのは、1979年1月23日の午後だという。ところが、その翌日の朝刊を見ると、橿原考古学研究所による発表が詳しく紹介されている。今回の発見の意味するところがわかりやすく解説されている。さらに、国文学、考古学、歴史学関係の識者に求めたコメントの内容が、簡潔にまとめられている。これは、容易にできることではない。