礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

真崎大将には磯部に対する負い目があった(原秀男)

2023-10-29 00:36:14 | コラムと名言

◎真崎大将には磯部に対する負い目があった(原秀男)

 原秀男『二・二六事件軍法会議』(文藝春秋、1995)の「八 対決」の章を紹介している。本日は、同章の「異様な姿で磯部は現れた」の節の後半を紹介する。

 予審官は磯部証人に、「一月二十八日に真崎邸を訪れたのは何の用件で行ったのか」と尋ね、 録事が筆記する。以下、予審調書を引用する。
【一行アキ】
〈答 私共は昨年末頃から決行の意向を有したるを以て、軍首脳部の方の意向を打診する為行ったのであります。其の理由として、私共が決行するに付ては今度の如く兵を連れて行くことを軍首脳部の方はお知りになって居たと思いますが、兵を使うことに付ては私個人の問題でないから、軍首脳部の方の判然とした態度を知り度く思った為訪問したのであります。
 問 夫れで、真崎大将に如何なることを話したか。
 答 統帥権干犯に付て決死的な努力をしたい、相沢公判も本日から開かれることになったのであるから、閣下に於かれても御努力願い度いと云うことを申上げますと、閣下は初め私が訪ねたとき「云って呉れるな」と云われましたので之は私が非常な決心で行ったのを見て……其の様に云われたと思いました。私が前の様に申上げますと閣下は「俺もやるんだ」と云われました。それから、私は金が欲しいと云いますと、何程入る〔要る〕かと云われたので千円位欲しいと答えました処、夫れ位ならば何とかなるであろうと云われましたが、私は如何なる考えか千円出来ねば五百円でもよいと云いました。すると閣下は君は森伝を知って居るかと云われましたので、私は、余りよくは知らぬが知っては居ります、将軍は森氏を御信用の様ですが、私は考えが違いますと云いますと、俺は貧乏して居るので金がないから物でも売って作ってやろうと云われました。夫れから、森の方へ電話を懸けて見様〈ミヨウ〉と云われた様に思いますが、此の点は確かでありませんが、きっと作ってやると云われました。 〉
【一行アキ】
 たった今真崎大将が「『天地神明に誓ってない』『俺も決死的努力をする』と言った事実はない」、「家のものを売っても金を準備すると言ったことはない」、「森伝の名をこちらから言い出したことはない」と陳述したことを、磯部は「全部あった」と真崎大将の面前で明確に証言したのである。
 終わったところで、予審官は今度は真崎大将のほうを向いて、「磯部の陳述したことに対して如何に考えて居るか」と質問した。真崎大将は、
「私の記憶と相違しております。前に申上げた通りであります」
 と答えた。
 続いて予審官は、調書に被告人と証人に署名捺印をさせるために、録事がその場で筆記した予審廷の冒頭からのやりとりの記録(調書)を読み聞かせた。磯部はこの時、自分の証言を真っ向から否定する真崎大将の陳述内容を読んで聞かせられたわけである。その心中は、煮えくり返ったに違いない。しかも、磯部は対決の五日前に死刑の利決言い渡しを受けたばかりである。死んでも死に切れぬという思いが磯部を貫いたに違いない。
 予審廷は、わずか六畳ほどの狭い部屋である。真崎大将は、磯部が手を伸ばせば届くような近くに座っている。おそらく磯部はこの時、真崎に向かってつかみかからんばかりに叫んだであろう。
「閣下は大臣告示で私どもの行動を認めたではありませんか。あれをしっかり言うて貰えばいいんです」
 とでも。
 これに対して真崎大将は、「徐々に磯部を落ち着けた」と書いている。「落ち着け、落ち着け」といった発言があったのかもしれない。しかしこれは不自然である。一方は陸軍大将であり、磯部は免官となった大尉にすぎない。もし、自らの証言が真実であれば、磯部に向かって「嘘を言うな」と一喝すればよい。なぜ真崎大将は臆したような態度をとったのだろうか。大将の心中には、磯部に対する負い目があったと疑われてもやむをえない。
 後に真崎大将は、第六回公判でこの予審での「対決」について尋問され、
「私は怒鳴りつければよかったのだが、相沢中佐(あるいは磯部の言い誤りか)に同情していたので、怒鳴らなかった」
 と陳述している(この対決の七日前の七月三日は、相沢〔三郎〕中佐の死刑執行の日であり、対決のわずか五日前の七月五日は磯部に死刑の言い渡しがあり、刑務所では死刑囚のために面会を許可し始めていた)。
 加藤録事が筆記した調書を朗読したあと、予審官から「今読んだ調書に相違がなければ署名押印しなさい」と言われ、二人が署名する。
 藤井予審官は「本日の取調べはこれで終わる。帰ってよろしい」と言う。
 磯部を連れ出すのは看守の任務である。予審官であれ検察官であれ、法務官が囚人を連れ出すことは絶対にない。藤井法務官は大佐相当の高官、看守は下士官最下位の伍長待遇である。真崎大将が書いているように、藤井法務官が壇の上から降りてきて、真崎大将に喰ってかかる磯部を引きはなし、「君は国士だからそんなに昂奮しないように」と室外に連れ出したとすれば、藤并予審官は伍長待遇の看守がやるべきことをやり、看守は任務を放棄してこれを見ていたことになる。
 むしろ、
「真崎の言葉を聞いたか。お前たちが担いでいたのは、こういう人だったのだ」
 という思いで、元一等主計の磯部の肩を叩いて部屋を出ていった、と考えるのが自然ではないだろうか。
 調書には、真崎の答につづいて「被告真崎甚三郎」と「証人磯部浅一」がならんで自署、拇印をしている。つづいて、「右読聞けたるところ相違なき旨申立て署名拇印したり」と記載して、「陸軍録事 加藤七兵衛」と「予審官 藤井喜一」が自署押印している。調書の枚数は十四枚である。

 原秀男『二・二六事件軍法会議』の紹介は、ここまでとする。明日は、話題を変える。

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