礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

拷問・断獄に近き糺問等、致すまじき事

2017-04-30 03:55:15 | コラムと名言

◎拷問・断獄に近き糺問等、致すまじき事

 昨日の続きである。昨日は、一八七四年(明治七)の新潟県「捕亡吏心得書」を、ほぼ原文に近い形で紹介した。
 本日は、これに句読点、送り仮名、濁点を補い、振り仮名、注釈などを付し、もう少し読みやすい形にして紹介する。

捕亡吏〈ほぼうり〉心得書
   第一條
各大區捕亡吏ハ、其ノ區内犯罪ノ者ヲ搜捕〈そうほ〉スルヲ職トシ、都テ〈すべて〉縣廳ノ趣意ヲ旨トシ、取締所ノ差図〈さしず〉ヲ奉ジ、區内ノ諸役人、勤惰正邪アル顕然タルニ於テハ、封書ノ儘〈まま〉、本縣及ビ取締所へ報告スベキ事。
   第二條
捕亡吏二人ニテ一大區宛〈ずつ〉受ケ持チ、右二人ノ内一人宛、間断ナク持チ區ヲ巡邏シ、半月ヲ以テ交代スベキ事。
   第三條
持區〈もちく〉巡邏〈じゅんら〉ノ節、一小區又ハ二小區毎ニ〈ごとに〉宿所一ケ所宛、相定メ、其ノ取締所へ届ケ置キ、戸長・用掛〈ようがかり〉へモ通達致シ置クベキ事。
   第四條
持チ區巡邏中、予メ〈あらかじめ〉各小區宿所〈しゅくしょ〉へ到着ノ日ヲ定メ置キ、余義〔余儀〕ナキ事故アルニ非レバ〈あらざれば〉、右到着ノ日ニ違フ〈たがう〉間敷〈まじき〉事。
   第五條
持區巡廻中、強盗・窃盗・人命・放火・貨幣擬造〔偽造〕行使及徒党ヲ謀ル重犯ノ者アル時ハ、自身召捕〈めしとり〉可申〈もうすべく〉、若シ〈もし〉手余シ〈てあまし〉候ノ強賊〈きょうぞく〉ニ候ハバ、臨時、人ヲ雇フテ捕縛〈ほばく〉シ、本縣或ハ取締所へ差シ出シ、尤モ其ノ次第、戸長へ申シ入レ置クベキ事。
   第六條
局騙〔かたり〕・掏摸〈すり〉・博徒・浮浪等、都テ惡業ヲナス風体〈ふうてい〉ノ者アルトキハ、問ヒ糺シ、罪跡顕ハルル者ハ、縛シテ〈ばくして〉縣或ハ取締所ヘ護送シ、罪跡ナクシテ応答明白ナルモノハ、放遣シ、都テ區内ノ者ニ非ズシテ胡乱〈うろん〉ナル者ハ、持區中ニ徘徊為致間敷〈いたさせまじき〉事。
 但シ、乞食ハ戸長ト謀リ、無籍ハ縛シテ縣廳へ差シ送リ、他管轄ノ者ハ、都テ縣廳或ハ取締所へ差シ送ルベキ事。
   第七條
闘争・乱暴等ノ所業見聞ニ及ブ時ハ捕押ヘ〈とりおさえ〉、其ノ區戸長ト謀リ、時宜ニヨリ縛シテ、縣廳或ハ取締所へ差シ送ルベキ事。
 但シ、戸長不在ノ節ハ、其ノ地用掛ニ謀ルベシ。
   第八條
第五條ニ記スル所ノ犯人、他ノ區内ニ在ルヲ聞知〈ぶんち〉シ、他區捕亡吏ヘ報告シテ機会ヲ失ヒ犯人逃走ノ憂〈うれい〉アル時ハ格別、其ノ他ハ其ノ區捕亡吏ヘ報告シテ捕縛セシメ、都テ持區外へ出テ捜捕致ス間敷事。
   第九條
第五條ニ記スル所ノ犯人、其ノ持區内ニ在リ、他區捕亡吏ヨリ報告ヲ得ル時ハ、直ニ〈ただちに〉捕縛、縣廳或ハ取締所ヘ護送シ、都テ非常ニアラザレバ、他區捕亡吏及ビ雇人〈やといにん〉等ノ力ヲ借ルベカラザル事。
   第十條
都テ犯人ヲ護送スルハ、戸長若クハ〈もしくは〉其ノ用掛ト謀リ、例規ニ照準シ、雇人ヲ以テ護送スベキ事
   第十一條
都テ犯人ヲ搜捕スルハ、其ノ持區中ニ限ルト雖モ〈いえども〉、若シ〈もし〉臨時、縣廳及ビ取締所詰等、内官ノ命アル時ハ、區外へ出テ搜索捕縛スルモ妨〈さまたげ〉ナキ事。
   第十二條
犯人ヲ搜捕スルヲ職トナスト雖モ、拷問・断獄ニ近キ糺問〈きゅうもん〉等、致ス間敷事。
   第十三條
持區内巡邏ノ旅費ハ、等級ノ高卑ニ拘ハラズ、一日金二十五銭ヅツ支給スベキ事。
   第十四條
持區内人民ハ不及申〈もうすにおよばず〉、都テ懇切実直ニ接待シ、毫モ〈ごうも〉威権ケ間敷〈いけんがましき〉儀、致ス間敷〈まじく〉、且、訴訟其ノ他、一切分外ノ事ニ關係スベカラザル事。
右、明治六年定ムル所ニヨリ、更正増補候條〈そうろうじょう〉、遵守可致〈いたすべき〉者也。
 明治七年第十二月   新潟縣令楠本正隆〈くすもとまさたか〉

 以上の「読み」は、あくまでも、礫川案であって、読み間違えている箇所、ヨリ適切な読み方がある箇所などがあろう。お気づきの点を、ご指摘いただければ幸いである。
 さて、上記「捕亡吏心得書」については、当時の警察制度の研究を踏まえた上で、さらに解説を加えるべきところだが、時間的にも能力的にも、それが許されない。あくまでも今回は、「資料提供」にとどめさせていただきたい。

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