礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

不燃都市なくして国防なし(田辺平学)

2016-06-20 01:58:20 | コラムと名言

◎不燃都市なくして国防なし(田辺平学)

 昨日の続きである。田辺平学著『不燃都市』(河出書房、一九四五)から、本日は、Ⅶ「都市改造」の6「結論」を紹介してみたい(五六七~五六九ページ)。

 6.結 論
 帝都を始め我国重要都市に対する防空的改造計画として、著者が抱懐する具体案は大略以上の如きものである。盟邦ドイツが夙に〈ツトニ〉15世紀の昔に「木造厳禁」を断行して都市の不燃化を実現せしめ、最近更に民族復興の記念事業として、又空襲被害地区の復興事業として、首都その他重要諸都市の徹底的改造乃至再建計画を樹立実行し、特に今次大戦の勃発と共に、耐火且耐弾の完全防空都市建設を目指して、8000mの大高度より投下さるゝ500kg以上の大型爆弾の直撃に耐へる「耐弾防護室」の建設に向つて一路邁進しつゝある遠大にして而も徹底的なる計画に比すれば、上記の未熟なる著者の改造計画の如きは、未だ現状に囚はるゝ〈トラワルル〉所多く、従来の島国的見地に基く姑息〈コソク〉・消極・不徹底の案を多く脱却せざるものとして、或は笑を後世に遺すものではないかと恐れるが、苟くも〈イヤシクモ〉雄渾無比なる大東亜共栄圏の首都乃至重要都市としては、その規模に於て少くともこの程度の改造計画は、現在に於ける世界各国諸都市の水準より見るも、最小限度の要求たるべきことを愬へん〈ウッタエン〉として公表を敢てした次第である。名古屋その他の重要諸都市の改造計画に就ても目下研究を進めつゝあり、他日公表の機会を得度い〈エタイ〉と希つてゐるが、これ等重要諸都市の改造も、上記の帝都並に大阪市の場合に準じて、是非とも徹底した計画を樹立し、万難を排してこれが実現を期せねばならぬ。
 重ねて言ふ。要は英断と実行とにある。特に「防火」の点より見たる我国の都市建築は、極言すればイギリスに後れること約300年、ドイツに後れること正に約450年である。而も航空機並に兵器の進歩に伴ひ、都市に対する空の脅威は日一日と増大の一路を辿る。既成文明都市の終焉〈シュウエン〉を招致すべき頻度空襲による徹底的無差別爆撃の日は、刻一刻と近付きつゝある。我等の決心が一刻遅れゝば遅れるだけ、我国の諸都市と欧米の諸都市との武装の差は、益々顕著となる計り〈バカリ〉である。不燃都市なくして国防なし!「宿命的木造都市」だの、「鉄筋コンクリートは理想に過ぎぬ」などと云つてゐる時代ではない。況んや〈イワンヤ〉「木造家屋とは切つても切れぬ生活」などと恋々たるに於てをやである。
 我国都市防空の対策は、今にして一切の姑息案を廃し、一大飛躍をなすに非ざれば永久に外国の後塵のみを拝してをらねばならぬ。日本の都市も今日としては少くとも世界的水準まで、否寧ろそれ以上に防空的に強化することが絶対必要である。
 如何となれば、今日の航空機並に兵器の進歩から見て、我国の都市が敵機の爆撃に曝さるゝ〈サラサルル〉可能性と危険性とは、山一つ河一つで敵国と境を接する欧洲諸国の場合と敢て著しい区別が認められなくなつた計りでなく、海洋から受ける空襲に対しては狭き島国であり而も重要諸都市が殆ど全部海に臨んでゐるだけに、寧ろ我国の方が欧洲の諸国よりも防衛に困難を感ずる場合が多いと認められるからである。
 殊に欧洲の諸都市では、空襲は滅多に致命傷にはならぬが、我国の現状、特に重要工場が木造都市内に多数包蔵されてをり、人口も亦都市に過大集中せる現状に於ては、その惧〈オソレ〉さへも絶無とは保証し得ない。況んや我国は大東亜の盟主として、今後起り得べきあらゆる障害を排除し、不退転の勇気を以て共栄圏建設の聖業完遂〈カンスイ〉に邁進すべき重大使命を負はされてゐるのである。その我国の重要都市は、殊に帝都は、正に大東亜共栄圏の中核である。従つてその規模は、飽くまで皇謨〈コウボ〉の宏大を表象するに足るべく、その構成はどこまでも強靭不壊でなくてはならぬ!
 国家百年の為に、又我々の子々孫々の為に、雄大壮厳〈ソウゴン〉にして、而も簡素強靭、真に俟つあるを恃む〈タノム〉耐弾的完全不燃都市の建設を、 国家の大方針、不動の国策として決定し、財政上の援助・保護・奨励の如きは勿論、組織・研究・法令・教育・宣伝その他あらゆる方策を講じて、軍官民協力一致、万難を排して実現を期すべく、これが断行に邁進すべきである。著者亦浅学なりと雖も〈イエドモ〉、驥尾〈キビ〉に附して微力を致すの覚悟がある。
 以上が著者年来の主張でもあり、不動の信念でもあり、又最近に防空都市建設の世界的水準並に動向を実地踏査して確め得た究極の結論でもあるのである。

 建築学者の田辺平学(一八九八~一九五四)の著書『不燃都市』が刊行されたのは、一九四五年(昭和二〇)八月一五日のことであった。田辺が、この大著によって、「不燃都市なくして国防なし」という年来の主張を世に問うたとき、帝都はすでに焦土と化していた。しかも、日本の降伏によって、この日以降、敵国の空襲は止むことになったのであった。
 では、田辺のこの本は、無用なものだったのか。この大著に結実した田辺の研究は無駄なものだったのか。そんなことはないと思う。
 そう思う理由を述べる。第一に、この本の存在によって、日本が、「国防」という観点なしに、対英米戦に突入したという事実が鮮明になる。そもそも、近代における日本の国民や軍人にとって、戦争というのは、日本の「国外」でおこなわれるもの、あるいは「他国を攻撃する」ものという前提があって、日本本土が敵国から空襲されたり、日本本土に敵国の軍隊が上陸するということは、ほとんど想定外だったのではないだろうか。
 第二に、戦後においても、日本は、「不燃都市」を目指すことはしてこなかった。世に、「国防」の必要を強調する論者、自衛隊の増強を主張する論者は多いが、彼らが、「不燃都市なくして国防なし」という観点から、「不燃都市」の必要を強調しているという話を聞かない。彼らが、本当に「国防」ということを意識しているのであれば、「不燃都市」実現のために、財政上の援助・保護・奨励、あるいは、組織・研究・法令・教育・宣伝、その他の方策を講じるよう、諸機関に働きかけるべきである。
 第三に、今日、日本を「戦争ができる国」にしようとしている政治家がいて、それを支持している国民がいる。そうした政治家・国民にとって、「戦争」というのは、日本の「国外」でおこなわれるものだという前提があるのではないか。戦争ということになれば、当然、自国も攻撃を受けることになる。しかし、いまだ、「不燃都市」を実現していない日本は、とうてい「戦争ができる国」ではない。各地に、原発という「目標」を抱えているという意味においても、とうてい日本は、「戦争ができる国」ではない。
 こういったことを考えさせてくれるこの本は、非常に示唆的であり、そこに結晶されている田辺の研究は、きわめて有益であると思った。

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我国都市における防空上の二大弱点

2016-06-19 04:41:26 | コラムと名言

◎我国都市における防空上の二大弱点

 昨日の続きである。田辺平学著『不燃都市』(河出書房、一九四五)から、本日は、Ⅶ「都市改造」の3「我国の都市改造」の、c)を紹介してみたい(四八〇~四八二ページ)。

 c) 防空上の2大弱点
 我国独自の規模・構想の下に、我々の精神力と資材と科学技術の最善最高を尽して世界的水準以上の防空都市を建設せんが為には、先づ静かに我国都市の現状を注視し、我国の都市が有する特異なる防空上の弱点に就て深く省る必要がある。
 我国重要都市現在の保安・衛生・交通・経済、特に防空上の重大欠陥乃至〈ナイシ〉弱点は下記2点に要約される。
  1.木造建物の大集団 2.人口の過大集中
 木造都市 木造建物の大集団を来した〈キタシタ〉のは、古来大都市の内外に木造建物の建築を無制限に許し来りたる結果である。問題が余りにも近きに在り過ぎる為、一般人士の盲点に入つてゐるのではないかと疑はれるが、これこそ他の文明諸国に絶対に類例を見ぬ我国都市防空上の致命的欠陥である。これが対策は、後段に詳論する如く、「木造建築の即時禁止」並に「耐火建築の徹底的強制」(特に重要都市の中枢部に対して)以外に方法が無い。
 過大人口 人口の過大集中は、「都市疎開」就中〈なかんずく〉「人員疎開」の問題として、最近漸く真剣に取上げられるに至つたが、斯くの如き状態を招致した原因は、特に近年に於ける工場の大都市集中に在る。これが対策は、国土計画乃至地方計画と関連して、大都市の内外に於ける工業の規制とこれに代るべき工業地域の指定並にその発達助成以外に途が無い。これには現行法の運用によつても或程度までは目的が達せられようが、国家百年の計として速かに「国土計画法」並に「地方計画法」を制定して、抜本塞源〈ソクゲン〉的対策を講すべきである。
 特に我国に於て帝都の人口が異常に過大となつた所以は、中央集権・東京中心主義の行き過ぎに因し、政冶・経済・軍事・文化・産業・交通等諸般の事物悉く東京に集中した結果と認められる。関東大震災後の復興に当り、区画整理が実施されて土地は高度に利用されるに至つたが、肝腎の空地の比率を高めることが忘れられて建築物が密集し、人口集中に拍車をかけたことも一因である。道路網の計画その他も、自ら〈オノズカラ〉都心に交通が殺到する如き形態に出来上つてゐる。今日となつては、何れも防空上の鉄則たる「危険分散」に反することこれより甚しきは無い。従来の「人口の増加即ち都市の繁栄」といつた考へ方は、根本的に払拭し去らねばならぬ。空襲時の危険は、都市の人口に比例する。「都市は人生の墓場」といふ言葉が、今日程適切に当嵌まる時はない。過去に人口の増加を誇つた都市程、今日最も深刻に空襲の危機を体験せんとしつゝあるのである。
 通勤時に於ける帝都の交通地獄の如きは、正に世界無類である。著者は今回半歳の間に世界を一周する機会を得、ロンドンを除いて、各国の大都市を殆ど全部見て帰つて来たが、東京位雑沓してゐる所は、他に類が無いことを確認した。1例を挙げれば、ベルリンは人口459万の大都市であるが、乗合自動車は15分間に1台しか運転してゐない。而も全員が大抵腰を掛けられる。満員の場合には、次の車を侍つてをれば、必ず乗れて腰が掛けられる。斯う云つた程度の人口である。
 世界第1の人口700万を誇るニューヨークに於ても、祭日前夜のブロードウェーの物凄い雑沓を体験したが、それは時間的にも位置的にも極めて局部的なものであつた。然るに東京へ帰つて来ると、省線と云はず、都電と云はず、又乗合自動車と云はず、人間が正に寿司詰めである。若しこれに匹敵する所があるとすれば、世界中に唯1箇所、それは上海の南京路であらう。
 而も、過大に集中したこの市民達は、近時漸く防空訓練を重ねたものゝ、幸か不幸か、未だ空襲らしき空襲の経験を持たず、加ふるにその国民性は多血質であつて飽くまで冷静沈着を要すべき変災時に、動〈ヤヤ〉もすれば混乱を招致し易き危険性を多分に蔵してゐる。彼れ是れ思ひ合せて、万一の場合が真に深憂に堪へぬ。
 保安・衛生・交通・経済は勿論、特に防空上危険まる状態に在る現状より帝都その他の重要都市を救ひ、進んで国家百年の計に資すべき途は、著者の抱懐する最も徹底的なる第1案(公表を憚る)が実現困難なりとすれば、次善的ではあるが第2案として既成都市の徹底的大改造を断行する以外に策は無いと信ずる。大改造の基本方針としては、諸外国に類例を見ぬ2大弱点たる「木造都市」と「過大人口」とを対象として、先づこれを根本的に改善することを以て眼目とせねばならぬ。

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大東亜戦争決戦下に執筆された大著『不燃都市』

2016-06-18 04:05:42 | コラムと名言

◎大東亜戦争決戦下に執筆された大著『不燃都市』

 田辺平学〈ヘイガク〉著『不燃都市』(河出書房、一九四五)は、全文横組、五七二ページの大著である。図版多数、詳細な脚注のある専門書である。
 その「序」は、「大東亜戦争決戦下」の一九四五年(昭和二〇)春に書かれている。以下に引用してみよう。

  
「防空」は都市の規模・形態並に〈ナラビニ〉構造に対して、根本的変革を要求するに至つた。防空的に構築されてゐない都市は、今次欧洲大戦に於ける数々の実例が教へる如く、将来益々激化すべき頻度空襲による大規模無差別爆撃によつて根底から破壊せられ、唯一眸〈イチボウ〉の焦土と化してしまふ。
 欧米諸国に類を見ぬ「木造都市」と「過大人口」とを擁する我国に於て、問題は特に切実であり、焦眉の急である。旺盛なる防空必勝の精神、徹底せる防火訓練等の人的要素涵養〈カンヨウ〉の重要なることは、今更論を俟たぬ。然し、精神力のみを以て空襲を防ぐことは出来ぬ。料学の精粋たる航空機並に兵器による空襲に対しては、我々も亦飽くまで構築科学の最善最高を尽して、これと闘つて行かねばならぬ。防空都市建設の必然性と重要性とは正に茲にある。
 将来の都市は、然らば如何に構築すべきか。現在の都市は、果して如何に改造すべきか?
 学的に殆ど未開拓の分野に属するこの難問題に対し、建築防空的見地に立脚して、敢て回答を与へんと試みたものが本書である。即ち本書の大半を占める第Ⅰ~Ⅵ編は「都市の防空的構築」に関し、世界的動向を紹介・批判すると共に、著者の信ずる所に従つて、都市の規模・形態並に構造に就て今後我国の進むべき方途を論じた。
 本書最終の第Ⅶ編は「都市の防空的改造」に関し、我国に於て是非とも断行すべき既存重要都市の改造に就き、その基本方針を明かにした。同時に、参考の為、海外に於ける都市改造の実例を挙げ、特にその代表として、盟邦首都ベルリンの改造計画とその進捗状況を詳細に紹介し、最後に本邦諸都市に対して即時断行すべき防空的改造の具体的事例として、帝都並に大阪市の防空的建設計画に関する私案を世に問ふことを敢てした。都市構築に関する著者年来の研究並に主張と、最近戦火の欧米を親しく踏査して確め得た防塞都市建設に関する著者の信念とは挙げて本書中に披瀝した積りである。本邦都市防空の現在並に将来の為に、何等かの参考ともならば望外の仕合せである。
 尚、「空襲と建築」の題下に著者が初めて防空問題に就て識者に愬ふ〈ウッタウ〉べく小著を公にしたのは、満洲事変直後(昭和8年)の上梓に係る「耐震建築問答」(耐火・防空)であつた。国土防衛上重大にして而も前人未踏ともいふべきこの分野を、聊か〈イササカ〉なりとも開拓せんものと志して爾来十余年、その間或は戦火消えやらぬ中支戦線を踏査し(昭和12年)、或は爆弾降り注ぐ欧洲諸都市を歴訪して(昭和16年)、蒐集し得たる防空に関する内外の資料を、独自の体系の下に整理分類し、許さるゝ範囲内に於て公開したものが即ち本書である。本書の内容は、著者が今日大学に於て講じつゝある「建築防空学」の一端にも該当する。
 引用文献並に写真・図版は、悉くその出所を明記して、原著者に敬意と謝意を表すると共に、今後の研究者並に学徒の便に供した。断りの無き写真・図版は、従つて総て著者自身の原図に拠る。
 本書の最後に掲げた「帝都改造計画」及び「大阪市改造計画」は共に、東京工業大学建築学教室に於て著者が担当する建築防空学講座の関係者並に嘗て同講座の聴講生たりし諸氏その他によつて成る東京工業大学防空都市研究会の立案に係る。戦時下特に多忙なる勤務の傍ら、本計画の立案に尽力せられたる研究会会員各位に対して深厚なる謝意を表す。特に大阪市改造計画に関しては、近畿在住会員柴谷善次郎〈シバタニ・ゼンジロウ〉氏の支援と助言に負ふ所が尠くない。併記して深謝する次第である。
 本書の刊行に当り、都市改造計画案の取纏めを始め、資料の選択、原図の作成等に関しては、研究会幹事として又共同研究者として終始熱心に著者を援助された現東京工業専門学校教授工学士波多野一郎氏の努力に負ふ所洵に〈モコトニ〉多大である。特に原図作製に就ては、助手北村康彦君を煩はした所が勘くない。校正に就ては研究嘱託加藤得三郎氏を始め特別研究生恒成一訓〈ツネナリ・カズノリ〉・尾崎嘉文両工学士に多大の労を煩はした。時局下特に困難なる幾多の事情を克服して、能く本書上梓の目的を達成せしめられた河出書房の熟意、特に同書房の加納泰蔵・富田連太郎両氏の容易ならぬ尽力、並に文祥堂印刷株式会社常務取締役竹村豊作氏の格別の配慮と共に、特記して衷心より感謝する次第である。
 大東亜戦争決戦下
 昭 和 20 年 春
  東京工業大学建築防空研究室にて
  著 者

 困難な時局の中、万難を排して準備された本であったことがわかる。それだけ、「防空」の専門的研究に対する期待が大きかったということであろう。
 ところで、この本は、いつ刊行されたのだろうか。奥付を見ると、「昭和二十年八月十五日」となっている。皮肉なことに、「防空」の必要がなくなったその日に、この本は刊行されたのであった。
 ちなみに、本書の奥付は、貼り奥付で、これのみ、ガリ版刷り、タテ書きになっている。

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戦後も変わらなかった「血液型ナショナリズム」

2016-06-17 04:22:59 | コラムと名言

◎戦後も変わらなかった「血液型ナショナリズム」

 昨日の続きである。古畑種基の論文「血液型より見たる日本民族」には、一九三五年(昭和一〇)発表のものと、一九四九年(昭和二四)発表のものとがある。
 比較のため、それぞれの一部を抜き出してみよう。

【一九三五年論文】また他方、日本民族は血液型より見ると、その混血がほとんど平等におこなわれておることを示す。これは日本民族が建国以来上に万世一系の皇室を奉戴する大家族民族たることを闡明しているものというべきである。
「四海同胞」という言葉の字義通り、我々日本人の脈管の中には一様の血液が流れている、即ち日本民族は血液型学的に見て、血縁を等しうする兄弟姉妹にほかならぬことを示すものである。日本島という大陸から離れた島の中において、三千有余年の間一所〈ヒトトコロ〉に居住しておる間に、混血がおこなわれ、東北人の血管にも南方九州人の血管にも、等しく日本人に共通の血が流れておると見られるのである。

【一九四九年論文】これによつてみると、日本民族は殆ど平等に血液が分布していると考えられる。これは日本人は全部血縁を等しうする大家族民族たることを示しているとゆうべきであつて、「四海同胞」とゆう言葉の字義通り我我日本人の脈管の中には一様の血液が流れて居るのである。つまり日本島とゆう大陸から離れた島の中で、二千有余年の間一所に住居して居る間に、混血が行われ、東北人の血管にも、南方九州人の血管にも、等しく日本人に共通の血が流れて居るものと見られるのであつて、又日本人は共同の祖先を持つ民族と考えてよいのである。

 まず、一九三五年論文のほうから、見てみよう。そこには、「日本民族は血液型より見ると、その混血がほとんど平等におこなわれておることを示す。これは日本民族が建国以来上に万世一系の皇室を奉戴する大家族民族たることを闡明しているものというべきである。」とある(下線)。
 日本列島において、構成民族の混血が進み、全国どこでも、ほぼ一様の血液型分布が見られるようになったことは間違いない。しかし、このことから、なぜ、日本民族は、「万世一系の皇室を奉戴する大家族民族」であるという結論が導けるのだろうか。明らかに飛躍した論理であって、もちろん、血液学型学者、法医学者の言うべきことではない。このことは、二〇一二年八月八日のコラムでも、すでに指摘している。
 次に、一九四九年論文のほうを見てみると、そこには、「日本民族は殆ど平等に血液が分布していると考えられる。これは日本人は全部血縁を等しうする大家族民族たることを示している」とある(下線)。
 さすがに、「万世一系の皇室を奉戴する大家族民族」という表現は避けているが、「血縁を等しうする大家族民族」という表現がある。日本人=大家族民族という認識そのものには、変化がなかったもようである。
 また、一九四九年論文には、「日本人は共同の祖先を持つ民族」という表現がある。この表現は、一九三五年論文にはなかった。日本列島において混血が進み、全国で同じような血液型分布が見られるようになったということから、なぜ、日本民族は「共同の祖先」を持つという結論が導けるのだろうか。これまた、飛躍した論理だと言う以外ない。このことについては、すでに、一昨日のコラムでも触れている。
 ところで、こうして、一九三五年論文と一九四九年論文とを比較してみると、ひとつの憶測が思い浮かぶ。すなわち、古畑種基のいう「共同の祖先」というのは、「万世一系の皇室」のことではないのか。日本民族は「万世一系の皇室を奉戴する大家族民族」であると表現する代わりに、古畑は、「日本人は共同の祖先を持つ民族」という表現を選んだだけなのではないか。
 これは、あくまでも憶測であって、断定はしない。しかし、古畑種基が、戦前・戦中・戦後を通じて、その「民族主義」を貫いていたことは間違いない。二〇一二年八月八日のコラムでは、その民族主義を、「血液型ナショナリズム」と呼んでおいた。

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日本人は血縁が等しい大家族民族(古畑種基)

2016-06-16 02:38:31 | コラムと名言

◎日本人は血縁が等しい大家族民族(古畑種基)
 
 昨日の続きである。昨日、古畑種基著『法医学雑記』(筑紫書房、一九四九)から、「血液型より見たる日本民族」の一部を引用した。
 その際、意味が通らない箇所を【中略】とする形で引用したが、その後、この意味が通らない箇所は、二ページ分の「誤植」に起因していたことに気づいた。つまり、二〇五ページにあるべき記述が、そっくり二〇六ページにあり、二〇六ページにあるべき記述が、そっくり二〇五ページにあったのである。
 本日は、この「誤植」を補正し、昨日、引用した部分を、【中略】なしの形で、再度、引用してみたい(二〇四~二〇七ページページ)。なお、昨日のブログでおこなった、引用部分についてのコメントは、特に、変更の必要を認めなかった。

 日本民族の血液型
 以上血液型の人類学上の応用に関して概略を叙説したがこれによつて血液型の研究が人類学上参考になることが多い事を了解されたと思う。兎に角〈トニカク〉今まで述べて来たように、血液型の分布を調べると或民族と第二の民族との血縁が近いか遠いかと云うことが凡そ〈オオヨソ〉推測されるものである。元来血液型が人類学的に応用される基礎は第一に血液型は遺伝する性質のものであつて性によつて変化なく、又食物、風土、病気等の外的条件によつて変化しないことである。前にも述べたように一民族の血液型の分布率は混血さへなければ、数十代にわたつて変化しないものである。
 我が国に於ける血液型の研究はかなり盛〈サカン〉に行われていて、その研究の多いことは世界各国の研究中群をぬいているものである。日本各地の血液型の分布は、多数の研究者によって報告されている。今これらを総括して述べて見ると、今日まで調査されたものは大体五十五万九千五百人を越え、A型三八・四%、B型二一・八%、O型三〇・四%、AB型九・四%でヒルシュフェルドの生物化学的民族示数は一、五三である。この成績はヒルシュフェルドの分類法に従うと「中間型」に属し、オッテンベルグ、シュナイダーの分類に従うと「湖南型」即ち我々が「日本型」と称しているものに当る。日本内地、各県民の血液型分布はいづれもこの「日本人型」を示して居ることは勿論である。海外に於ける日本人でも百人以上に就いて調べる時は、常にこの「日本人型」を示している。この「日本人型」に近い血液型分布を示しているものは、フインランド人、ポーランド人、トルコ人、ロシア人、シリヤの一部、南方支那人である。大体からいつて日本人の血液型分布は日本民族独特のものと考えてよく、日本人であれば何処で調べても必ず「日本人型」を呈するとゆうことは、血液型の人類学的に応用される根本原理である。「一民族の血液型は混血さへなければ一定である」とゆう原則を如実に証明しているものである。これによつてみると、日本民族は殆ど平等に血液が分布していると考えられる。これは日本人は全部血縁を等しうする大家族民族たることを示しているとゆうべきであつて、「四海同胞」とゆう言葉の字義通り我我日本人の脈管の中には一様の血液が流れて居るのである。つまり日本島とゆう大陸から離れた島の中で、二千有余年の間一所に住居して居る間に、混血が行われ、東北人の血管にも、南方九州人の血管にも、等しく日本人に共通の血が流れて居るものと見られるのであつて、又日本人は共同の祖先を持つ民族と考えてよいのである。

 次に、一九三五年発表の同タイトルの論文において、上記に相当する部分が、どうなっていたのかを確認してみる。

 日本民族の血液型の分布率
 以上血液型の人類学上の応用に関して叙説したことによつて、血液型の研究が人類学上参考となることが多い事を了解せられたと思ふ。こゝには我国に於ける血液型の分布を表に依て示す事とする。これは一九一六年〔大正五〕から一九三三年〔昭和八〕の三月迄の報告を集めたものである。其後も多数の報告が出て居るが、本論文中には一九三三年四月以降のものは引用しなかつたことをお断りしておく。
 各県の血清学的位置をストレング・ウェリッシュに従つて図示したものが別図版【略】である。
 これによると日本人の血液型の分布は殆ど一定してをると云つてもよい。三〇一九五九人に就て調べた処では、O型三〇・五%、A型三八・二%、B型二一・九%、AB型九・四%で特有の「日本人型」を示してをる。ヒ氏〔ヒルシュフェルド〕の人種示数は一・五二で、pは二・七六四、qは一・七一三、rは、五・五二三である。
 日本内地各県民の血液型分布がいずれも日本人型を示していることは無論であるが、海外にある日本人、すなわち在朝鮮日本人、在満日本人、在旅順日本人、在大連日本人、在台湾日本人、いずれも「日本人」型に特有の分布率を示しておる。
 これは一面から見て、血液型の人類学的応用上必要なる根本原理である、『一民族の血液型は混血さえなければ一定である』という原則を立派に証明しておることになり、また他方、日本民族は血液型より見ると、その混血がほとんど平等におこなわれておることを示す。これは日本民族が建国以来上に万世一系の皇室を奉戴する大家族民族たることを闡明〈センメイ〉しているものというべきである。
「四海同胞」という言葉の字義通り、我々日本人の脈管の中には一様の血液が流れている、即ち日本民族は血液型学的に見て、血縁を等しうする兄弟姉妹にほかならぬことを示すものである。日本島という大陸から離れた島の中において、三千有余年の間一所〈ヒトトコロ〉に居住しておる間に、混血がおこなわれ、東北人の血管にも南方九州人の血管にも、等しく日本人に共通の血が流れておると見られるのである。

 新旧の文章を比較して気づいた点、考えたことなどについては、次回。

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