礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

朝鮮の李花一圜銀貨・五両銀貨・一両銀貨

2019-06-25 07:23:58 | コラムと名言

◎朝鮮の李花一圜銀貨・五両銀貨・一両銀貨

『日本貨幣カタログ 1997年版』(日本貨幣商協同組合、一九九六)から、「朝鮮貨幣類」のところを紹介している。昨日は、一圜銀貨、十文銅貨、五文銅貨の三種を紹介した。本日は、二六〇ページにある李花一圜銀貨、五両銀貨、一両銀貨の三種を紹介する。
 図版は、いずれも、オモテ・ウラ両面。データによれば、李花一圜銀貨、五両銀貨の二種は、いずれも、「開国四五百一年」=一八九二年(明治二五)に発行され、一両銀貨は、「開国四五百一年」、「開国四五百二年」=一八九三年(明治二六)、「光武二年」=一八九八年(明治三一)に発行されている。造幣廠は、三種とも「京城典圜局」。発行枚数は、李花一圜銀貨、一両銀貨の二種が「不明」、五両銀貨が一九、九二三枚。
 図版を見ると、ウラ面に、次のような文字がある。漢字およびハングルは、いずれも右書き。

一圜銀貨    「開国四五百二年・朝鮮・416・1 WHAN・900・□□・」
五両銀貨    「開国四五百一年・大朝鮮・416・5 YANG・900・□□・」
一両銀貨    「開国四五百二年・朝鮮・1 YANG ・□□・」

 □□の部分はハングルである。一圜銀貨と五両銀貨にあるハングルは同文字、たぶん、「五両」を示すハングルであろう(ローマ字表記では、tad-ryang)。ということは、一圜は五両に当たるということか。博雅の御教示を乞う。
 一両銀貨には「一両」を示すハングルがある(ローマ字表記では、han-ryang)。細かいことだが、一両銀貨にあるハングルと、昨日、紹介した一圜銀貨とでは、「一」に相当する部分のハングルが異なっている。昨日、紹介した一圜銀貨には、「il」に相当するハングルが使われ、本日、紹介した一両銀貨では、「han」に相当するハングルが使われている。なぜ、そのように使い分けたのかは、わからない。これまた、博雅の御教示を乞う。

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朝鮮の一圜銀貨・十文銅貨・五文銅貨

2019-06-24 00:52:42 | コラムと名言

◎朝鮮の一圜銀貨・十文銅貨・五文銅貨

 昨日の続きである。『日本貨幣カタログ 1997年版』(日本貨幣商協同組合、一九九六)の二五九ページ以下に、「朝鮮貨幣類」の紹介がある。最初の二五九ページには、一圜銀貨、十文銅貨、五文銅貨の図版およびデータがある。図版は、いずれも、オモテ・ウラ両面。また、データによれば、これら三種の貨幣は、いずれも、「大朝鮮開国四百九十七年」=一八八八年(明治二一)に発行されている。造幣廠は、いずれも「京城典圜局」、発行枚数は、いずれも「不明」。
 図版を見ると、三種とも、そのウラ面に、右書きで「大朝鮮開国四百九十七年」とある。 ウラ面には、この文字のほかに、次の文字がある

一圜銀貨    「・416・1 WARM・900・□□・」
十文銅貨    「・10 MUN・□□・」
五文銅貨    「・5 MUN・□□・」

 □□の部分はハングルである。一圜銀貨には「一圜」を示すハングル、十文銅貨には「十文」を示すハングル、五文銅貨には「五文」を示すハングルが、それぞれ右書きで書かれている。
 なお、「圜」の字は、朝鮮語では、二通りの発音があるらしい。ひとつは「環」の字と同じ発音、もうひとつは「圓」の字と同じ発音。「一圜銀貨」の「圜」は、後者の発音と思われる。【この話、続く】

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株式会社第一銀行券には渋沢栄一の肖像がある

2019-06-23 07:30:18 | コラムと名言

◎株式会社第一銀行券には渋沢栄一の肖像がある

 数日前、五反田の古書展で、『日本貨幣カタログ 1997年版』(日本貨幣商協同組合、一九九六)を入手した。定価一三〇〇円、古書価三〇〇円。
 その二四七ページ以下に「朝鮮紙幣」の紹介があり、その冒頭に次のようにあった。

(C) 朝鮮紙幣
 明治11年(1878年)6月第一国立銀行釜山支店開設以来、我が国は韓国財政に関与し勢力を伸しました。明治33年〔一九〇〇〕頃には、各国各地発行の手形・銭票・官鋳私鋳白銅貨などが入り乱れて流通し、韓国経済を混乱させるようになっていました。
 そこで日本政府と韓国総税務司海関は、明治35年(1902年)に株式会社第一銀行券規則を制定して、株式会社第一銀行券を発行することとしました。その後、明治43年(1910)に日韓併合条約が結ばれ、韓国が朝鮮とされ、朝鮮銀行が設立されました。
 それから昭和20年〔一九四五〕終戦にいたるまで、朝鮮総督府(韓国)と内閣印刷局(日本)とによって、多くの種類の紙幣が発行されました。大正4年〔一九一五〕の朝鮮銀行券に登場して以来、多くの紙幣に印刷されている肖像寿老人は、旧韓国時代の大学者金允植をモデルにしたとわれています。

 このあと、二四七ページから次ページにかけて、株式会社第一銀行券「拾円」、同「五円」、同「一円」の図版がある。いずれも、オモテ面のみ。肖像は渋沢栄一である。
 同書のデータのよれば、これら三種の銀行券は、いずれも、一九〇二年(明治三五)および一九〇四年(明治三七)に発行されている。
 銀行券のオモテ面の下部には、タテ書きで、次のようにある。

 券面の/金額は/在韓国/各支店/に於て/日本通/貨と引/替可申/候也

 日本は、一八九七年(明治三〇)から金本位制を採用していた。これらの銀行券は、日本の金貨(二〇円、一〇円、五円)との交換が保証されている「金券」であった。

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時局を打開するために宗教家の活動が必要(衆議院)

2019-06-22 02:19:58 | コラムと名言

◎時局を打開するために宗教家の活動が必要(衆議院)

 松尾長造述『宗教団体法解説』(仏教連合会、一九三九)を紹介している。本日は、「五、衆議院の希望条項」を紹介する。ページ数でいうと、四四ページから四八ページまで。明日は、話題を変える。

    五、衆議院の希望条項
 最後に、私の話を終るに当つて、衆議院に於ける希望条項に付て此の際一応御説明申上げて置かうと思ひます。衆議院に於て宗教団体法案を議決せんとするに方つて〈アタッテ〉三箇の希望条項が決議されたのであります。
 第一、政府ハ時局ニ鑑ミ〈かんがみ〉特ニ宗教家ノ活動ヲ促進スル為速ニ〈すみやかに〉適当ノ方策ヲ講ズベシ
 之は宗教家側に取つては二つのポイントを含んで居るのではなからうかと読んで居ります。其の一つは、衆議院は時局に艦みて特に宗教家の活動に期待して居ります。宗教家の活動が何の役にも立たぬ、時局に際して間に合はない、出て来て貰つて邪魔だと云ふならば、こんなことは云ひはしませぬ。時局に鑑み特に宗教家の活動を促進する為め速に適当なる方策を講ずべし――時局解決の為めに、此の時局を打開する為めに、宗教家の活動が是非必要なのだ、故にそれを促進する必要ありと云ふのであります。併しいゝ気になつてはいかぬ、さう云ふ必要なものだけれどもまだまだ不十分だ、故に促進する為め速に適当な方策を講ぜよと云つって居るのであります。一口に云へば、此の際宗教家にウンと働いて貰はなければならぬ。けれども其の働きは不充分である。だから政府の力で引上げろと云ふのであります。宗教家の熟読玩味すべき一条だと思ひます。
 第二、政府ハ宗教教師ノ資格向上ニ付〈つき〉特ニ考慮ヲ払ヒ遺憾ナキヲ期スべシ
 従来の案に於ては宗教々師の資格条件を法律で規定しようと致して居ります。或は中学校を卒業しなくてはならぬとか、或は高等女学校を卒業しなくてはならぬとか、或は相当教養ある者と云ふやうな文字が使つてある。或は消極的には未成年者・破産者・懲役に処せられた者は教師になれないと云ふ風に、中々綿密な規定が考へられてあつたのでありますが、此の法律ではさう云ふ規定は抜いてしまつたのであります。それを衆議院では心配されたものと思ひます。明治二十八年〔一八九五〕内務省で宗教行政をやつて居つた時にも訓令が出て居る。即ち目下国民の大部分が尋常小学校を卒業して居る「故ニ斯ノ如キ人民ニ布教伝道スル教師ハ教義宗旨ニ精通スルノ外〈ホカ〉尚尋常中学科相当以上ノ学識ヲ具備スルニアラサレハ到底其任ニ適セス」とかう云つて居りますが、まことに尤も〈モットモ〉な事である。而して明治二十八年当時は日清戦争の時である。其の頃に比べれば爾来〈ジライ〉四十五年後の今日に於ては、正に此の趣旨は数倍高度に要求せられて居る事は勿論であります。即ちあの当時の国民一般の教養程度から申しますと、今日に於ては遥かに国民の地位が高くなつて教養の程度が非常に上つて居ります。だから明治二十八年当時より、今日は更に其の要望が高度に要求せられて居ることを私共は毫〈ゴウ〉も疑はない。さりとて之を立法化するとなつて来ると一寸困難である。今日で申しますならば明治二十八年の訓令の中学校及ぴ高等女学校卒業と云ふ程度ではいかぬでせう。今日に於ては凡そ千人中九百九十五人までが義務教育を終つて居ります。即ち九九・五%までは小学校を卒業して居る。而して其の中二割は中等学校に入つて中等学校を卒業して居る。アトの八割の小学校卒業者は青年学校の義務制に依つて、全部十八九歳まで教養を受けることになる。斯う云ふ情勢であるから教師の資格を中学校卒業、高等女学校卒業、又は之と同等の学力を有する者と云ふやうなことにすると、青年学校卒業者たる一般国民と別に差異がなくなる。之では寧ろ教師の身分を法律で低く規定することに相成るのであります。又宗教界の事情を見ると千差万別でありまして、従つて色々な註文が出る。成程学校も大事だが、徳操堅固と云ふことが何よりも大事だから其の事を資格として決めてもらひたい、と云ふ註文がありました。德操堅固と云ふ事を法律で定めるとなると、今までの宗敎家は徳操整固でないから斯う決めたのかと誤解を受けると困るぢやないかと思ひます。一説には、大体宗教家は働かなければならぬから、之から先は身体強健と云ふことを条件にして呉れと云ふ註文がありました。斯う云ふ具合に云はして見れば色々の条件が出る。さう云ふ事を全部入れて見たらまるで作文か何かのやうになつてしまふ。即ち教師たらんとする者は幾何・代数・三角を知るは勿論、徳操堅固、身体強健にして――と云ふやうな事を二三十行書かなければならぬ。之は甚だ迷惑である。旁々〈カタガタ〉さう云ふ訳で寧ろ規定を法律には置かぬ方がよいと考へて置かなかつたのであります。併しながら先程申しました通り、今後の教師はその資質を引上げなければならぬ事勿論であります。故に当局といたしましては、今後教派・宗派・教団の当局と協力してあらゆる手段方法を以て教師の資格の向上に努力するつもりであります。
 第三、政府ハ将来宗教団体内部ニ於ケル各種ノ選挙並宗教ノ名ノ下ニ於ケル営利ヲ目的トスル行為ニ付厳重ナル監督ヲ為シ其ノ粛正ニ努ムべシ
 従来宗教団体の内部に於て各種の選挙があります。此の宗教団体の選挙に方つて不正違法の選挙が行はれる事がある。之は甚だ怪しからん事であるから須く〈スベカラク〉本法中に罰則を置いて之に臨むを至当とせずや、と云ふ可なり有力な主張もあつたのでありますが、私共は宗教団体の特殊性に鑑み、それには反対致したのであります。成程宗教団体の選挙に関して忌はしき風聞を聞かないこともありませぬ。併し其の罰則を設けたら国民は何と申しませうか。宗教家と云ふものは吾々を指導する者である、教化の任に当る者である、其の者が自己の選挙に於て違反不正な事を行ふので、成程法律は斯う云ふ罰則を設けたのだ、吾々を教化する和尚様方すら選挙にいゝ加減な事をやるのだ、吾々一般国民が選挙などにいゝ加減なことをやるのは当り前である、と云ふやうな感じを其処に起しはしないか。そこで、此の宗教界の選挙の粛正は別途の方法で致します、どうぞ一つ宗教界の名誉の為め罰則だけは置かないで戴きたい、と陳弁之れ努めた次第であります。兎も角も、一宗一派ばかりの問題ではありませぬ。此の際私は、宗教界全般の為め、宗教団体の権威の為めに、卒先模範的選挙を行ふことに依つて一般選挙界に範を示す位の気慨と御努力とを宗教家各位に対し衷心願つて止まない次第であります。
 以上、宗教団体法について大体の御説明を申上げましたが、此の上共本邦宗教界の進歩発展の為め、皆樣の御努力を呉々も御願ひ申上げる次第であります。(文責在記者)

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宗教団体法は朝鮮・台湾には実施致しませぬ(松尾長造)

2019-06-21 02:38:26 | コラムと名言

◎宗教団体法は朝鮮・台湾には実施致しませぬ(松尾長造)

 松尾長造述『宗教団体法解説』(仏教連合会、一九三九)から、「四、実施後の影響」を紹介している。本日は、その後半。ページ数でいうと、四一ページから四三ページまで。

 第四は、宗教活動に対する監督規定の明示に依り、後顧の憂〈コウコノウレイ〉なき活動の敏活化が期待される事であります。即ち第十六条・第十七条・第十八条に依つて監督規定が極めて明瞭に示された事に関係いたします。従来は一般監督権の範囲に於きまして、色々な監督を受けてゐたが、本法の様に明記してないので極く神経質な宗教家の方になると、非常に心配して、ウツカリした事をするとどんなに叱られるかも知れないから、成べくならば消極的に引込んで居るに限る、出た釘は打たれると云ふから、詰らぬ事をして県庁から御小言を食つても詰らぬ、文部省から叱られては尚更詰らぬから成べく引込んで居らう、斯う云ふ気持になる。一面無理もない。所が今回第十六条で教義の宣布、儀式の執行又は宗教上の行事が安寧秩序を妨げ又は臣民たる義務に背いた時は斯う云ふ制裁を受け、又第十七条に於て宗教団体或はその機関の職に在る者や教師等が法令に違反したり公益を侵害する様なことをした時は斯う云ふ取締を受ける、と極めて明瞭に規定が置かれた。従つて茲に規定せられた以外の事は心配は要らぬから善い事はドンドンやれと云ふことになるので、宗教団体・宗教家の活動は大いに敏活化を期待し得ると云ふ訳であります。
 第五には、今更申上げる迄もなく、現代の思想界は正に世界的転換期に直面して居る。従つて全人類悉く不安に襲はれて居ると云つても差支ない。殊に我国は空前の非常時局に直面してゐるので一層それに拍車が加へられてゐる訳であります。此の人心の不安に乗じて簇出〈ソウシュツ〉するものに宗教結社があります。此の宗教結社を現在の様に此の侭放任して置いて、仮す〈カス〉に十年の歳月を以てしたならば、十年後に於ける宗教界の状況は憂慮に余りあるものがあります。故に若しも本法第十六条・第十七条等の監督規定が正しく適用せられて、それ等の悪を双葉の内に摘取つて行つたならば、従来私共が聞かされた宗教界の不祥事を未然に防ぐことが出来るのぢやないか、此の十六条・十七条の規定は宗教結社等に対して彼等の誤りを未然に防止する効力を充分持つて居ると確信すろものであります。さう云ふ点に於て宗教結社に関しては二十三条・二十四条・二十五条が相当有効に働き得る規定であると、斯う考へる次第でありまず。
 第六に、こんな事を云ふ必要はないかと思ひますが、モウ一つ附加へるならば、朝鮮・台湾では宗教事情を異にして居りますので本法は朝鮮・台湾には実施致しませぬ。併し此の際内地に於て斯う云ふ風な宗教立法が行はれたとなると、それは、必ずや之等の外地に於ける宗教立法乃至は宗教政に対て手鏡となる役割を相当演じて呉れると確信致します。更に国外へ一歩踏出して満洲国の事を考へると、満洲国当局は屡々私共に向つて、日本は兄国である、先輩国である、その先輩国たる大日本帝国に未だ確たる宗教立法なき事は甚だ遺憾である、自分の方でも色々研究して居るが、最近暫定的に斯う云ふ法規を作りました、と云つて昨年〔一九三八〕の秋持つて来ましたので、私読んで見ましたが、暫定的に作つたと云ふだけに、暫定的な性質を多分に含むものであります。要するに我日本に宗教立法がなかつたのであるが、今度は我国にそれが出来たから、満洲国政府では非常に眼を瞠つて〈ミハッテ〉之を読んで居ると思ひます。更に一歩進んで、支那大陛に於ては、今や種々の文化工作を行ひつゝあるのでありますが、新支那の建設、東亜の新建設の為には色々の方面から工作を加へなければならぬ。其の中重要な役割を演ずるものは宗教的の文化工作、之は忘れてはならない大事業であります。其の際に当つて我帝国に斯う云ふ宗教立法が出来たことは、支那に於ける宗教的活動乃至宗教行政に対して多大の示唆を与へ、相当の寄与を為すものではないか、余り行き過ぎた観測かも知れぬが、さう云ふ感じが致します。

*このブログの人気記事 2019・6・21(9位に極めて珍しいものが入っています)

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