◎われわれは今こそ総懺悔し……(東久邇首相宮)
朝日新聞社編『終戦記録』(朝日新聞社、一九四五年一一月)から、「帝国議会における東久邇首相宮殿下の御演説」の部を紹介している。本日は、その二回目。
この演説は、一九四五年(昭和二〇)九月五日に、衆議院および貴族院でおこなわれたもので、インターネット上のデータベース「世界と日本」(代表:田中明彦)にも収録されている。ただし、このデータベースにあるものと、『終戦記録』にあるものとでは、文章や表記が、微妙に異なっている。ここでは、『終戦記録』にある形で紹介する。
敗戦の因て来る〈ヨッテキタル〉ところは、もとより一にして止まらず、後世史家の慎重なる研究批判に俟つべきであり、今日われわれが徒らに〈イタズラニ〉過去に遡つて、誰を責め、何を咎むることもないのであるが、前線も銃後も、軍も官も民も、国民尽く〈コトゴトク〉静かに反省するところがなければならぬ、われわれは今こそ総懺悔し、神前に一切の邪心を洗ひ浄め、過去を以て将来の誡めとなし、心を新たにして戦〈タタカイ〉の日にも増して、挙国一家、乏しきを分ち苦しきを労り、温き心で相援け、相携へて、各々その本分に最善を竭し〈ツクシ〉、来るべき苦難の途を踏み越えて、帝国将来の進運を開くべきである。征戦四年、忠勇なる陸海の精強は、冱寒〈ゴカン〉を凌ぎ炎熱を冒しつぶさに辛苦を嘗めて勇戦敢闘し、官吏は寝食を忘れてその職務に尽瘁し、銃後国民は協心戮力、一意戦力増強の職域に挺身し、挙国一体、皇国はその総力を挙げて戦争目的の完遂に傾けて来た、もとよりその方法において過〈アヤマチ〉を犯し、適切を欠いたものも尠し〈スクナシ〉としない、その努力において甚く適当であつたといひ得ざりし憾〈ウラミ〉もあつた、しかしながら、あらゆる困苦欠乏に耐へて来た、一億国民のこの敢闘の意力、この尽忠の精神こそは、敗れたりとはいへ永く記憶せらるべき民族の底力である。【以下、次回】