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平和百人一首 (十二)       まもる

2009年02月21日 02時50分23秒 | 文芸作品
 焼け跡の瓦れきの中につはぶきの
     芽吹き初めしか土割の見ゆ     静岡  田中龍子

 街並は焼けて変れど目に触るる
     すべてなつかし還り来れば     兵庫  片岡忠行


★ 戦争は終わったものの、「ひもじい」という言葉が世の中を覆いつくしていた。配給の食料だけでは足りず、栄養失調死する人も少なくなかった。大蔵省は1946年、5人家族をモデルに「月500円の標準家計簿」を発表したが、当時の毎日新聞は、「標準家計簿で生活すると、実際に摂取できたカロリーは1109カロリー。成人男子の必要カロリーの半分以下」との試算を紹介している。

 人々は焼け残った着物や家財を元手に、買い出しとヤミ市に頼る「たけのこ生活」を強いられた。政府の統制を逃れて物資が売買されたヤミ市は値が高く、農家から直接食料を手に入れるための農村行き電車は「買い出し列車」と呼ばれ、混雑を極めた。しかし、買い出しは庶民であっても経済統制違反。当局に見つかれば没収されることもしばしばだった。(毎日新聞の終戦記念びの記事より)




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焼け跡派的こころ (小沢昭一)
2009-02-21 00:02:12
■落語好きの子供時代、寄席通い
 軍国主義たたき込まれ海兵予科へ
 日本の大国主義的感覚に戦争を危ぐ

   俳優 小沢昭一おざわしょういち氏

スクリーンや舞台を引き締める熱演、怪演。
昭和史をたどりつつ奏でるハーモニカの哀調。オジサンたちの心に染み入るラジオの語り・・・・・・。俳優、小沢昭一氏(74)の芸と生き方には軍国少年として体験した戦争の記憶と、価値観が一転した終戦直後の解放感が息づいている。戦後もやがて六十年。焼け跡派のこころは今も熱い。
 僕は落語が好きだったんです。子供のころ、一番影響を受けていたのは落語ですね。家の近くに御園会館という寄席があって、しょっちゅう行ってました。あのころは落語の社会的評価が低くて、ちゃんとした人は寄席なんか出入りするもんじゃないよって。でも僕はこんな面白いものはないと思っていました。
 一方で次第に戦時色が濃くなっていくんですが、子供にとっては、あのころは「赤マントが来る」なんてね、流言飛語なんでしょうけど怖かった。追ってくる危機感みたいなものを赤マントの恐怖としてとらえていたのかもしれません。
 とにかく小さいころから国を挙げてのマインドコントロールの時代です。 「神国日本」ということを自然にたたき込まれて。しかも小学校高学年の受け持ちの先生が海軍出身で、級長、副級長を艦長、副艦長なんて呼ぶ。僕は「甲板士官」でした。そういう先生に薫陶を受けましたから、人より余計に軍国少年としての濃度が濃かつたんです。

終戦の年の春、海軍兵学液予科に進むが、艦砲射撃を受ける日々。半年足らずで八月十五日を迎えた。時に十六歳。強烈な体験は骨身にしみた。それだけに昨今の世相への憂いはひときわ深い。
 玉音放送を聞いて、のたうち回っている教官もいましたが、僕は入学早々からホームシックにかかっていたんで、内心「これで帰れるんだ」と。もう防空壕(ごう)でゲートル巻いて寝るような暮らしをしなくていい。その夜から電球にかぶせた黒い布を取って、ポッと電気がつきましたね。心の電気もついたんです。
 軍国少年でありながら、もともと落語が好きで忠君愛国なしの能天気なやつの話にずっと浸っていたわけですからね。寄席で培っていたそんな人間らしさを愛する心みたいなものを思い出したんです。マインドコントロールがぱらっと解けたって感じですね。
 だからいまだに、ともかく戦争さえなければと思っています。日本は世界のみなさんのおかげでささやかに生きていく国でございます、ってことでいい。それが何だか大国を目指してエラソーな国の仲間に入ろうとする。そこから色々な問題が生じてきますな。
 戦争ってものはなってからじゃ駄目。なりそうな時でも駄目。なりそうな気配が出そうな時にストツップしないと。今、相当その気配が出そうになっちゃった。今の体制だとね、大国主義的な感覚だと本当に戦争になっちゃいますよ。
 戦争は早い話、人殺し大会です。イラクで、もう米兵は何人死んだんでしょう。家族は、泣いていますよ。戦中のつらさと焦臭い焼け跡の解放感を僕は忘れません。
(聞き手は 日経新聞社・社会部次長 大島三緒)




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