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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

「木靴の樹』シナリオ(2)

2014年12月28日 18時05分38秒 | 映画『木靴の樹』
1990年公開映画パンフレット(フランス映画社発行)より引用します。

農園

 門を入って帰ってくる夫婦。

バティスティ「百姓の子が学校に行くなんて大変だ」

 古いつくりの分益農場。オルガンの響きが高まり、農場の一角に帰る夫婦の画に字幕が
重なる。

<19世紀の末、ロンバルディア地方に、酪農場に暮らす四軒の百姓の家族があった。
家屋、家畜小屋、土地、樹木のすべて、家畜と農場の一部は地主の所有で収穫の三分の二は地主のものとなる>

音楽つづき、クレジット・タイトル

 活気あふれる収穫の光景に、クレジット・タイトルがかぶる。どこまでも広がる大地を馬がすき、男たちは種を蒔く。女達は背の高いトウモロコシ畑に埋まり、黄金色の実をとる。子供たちもはしゃぎながら手伝っている。

バティスティーナ「ミネク、ズボンが落ちるよ」

 ズボンをひっぱり上げるバティスティ夫婦の長男ミネクと、青い毛糸の帽子の弟トゥーニ。
傍らでルンクの後家さんの幼い娘達、次女のアネッタと末娘のベッティーナが「実をひっぱるのよ」「ダメだね」「そら、がんばって!」と励ましあいながら、トウモロコシを引っぱっている。



 産まれて間もない黒い子馬と母馬を見にきた、ルンクの後家さんと子供達、バティスティと子供達。母馬が見守るなかで、ふらふらと立ち上がる子馬。

バティスティ「(トゥーニを肩からおろし)この子も見たいとき、静かにな、子馬が驚く」

干草と子供達
 
 フィナールが干草をとりこんでいる。その上で飛びはねてはしゃぐ子供達。フィナールの次男は一緒に遊び、長男のウスティは父の罵声を浴びながら働く。

フィナール「このぐうたら息子め!」

ウスティは、ぼやきながら働く。


農園の中庭

 逃げ回るアヒルを、子供達が追いかける。ウスティがつかまえて、フィナールにわたす。

アネッタ「こわいよ」

ベッティーナ「噛むの?」

オルガ「噛みつきはしないよ」

フィナールの長女オルガは子供達と遊びたい年頃なのに、いつも働かされている。
不安気な子供達の前で、フィナールがなたでアヒルの首を叩き落とす。

フィナール「オルガ!鍋を持って来な」

 オルガは鍋を持って来ると、アヒルの首を持ち去る。フィナールはアヒルの首の切り口から血を絞り出し、鍋にためる。


畜舎(夜)

 農園に住み込んでいる四家族の全員が、冒頭で聞こえていた作業歌をコーラスで歌いながら、トウモロコシの葉をむく作業をしている。バティスティの家族、ルンクの後家さんの家族、フィナールの家族、そしてブレナの家族。せっかく葉をむいていても、トウモロコシの実と同じ場所に投げる子供もいる。

バティスティ「葉と一緒くたにするなよ」

バティスティの家・寝室

バティスティーナ「(次男トゥーニに)手足は洗った?(お祈りをさせながら)おふとんの中で天使にお祈りをしなさい」

バティスティ「(長男ミネクの服を脱がせながら)学校に行けて嬉しいかい?」

『木靴の樹』シナリオ(1)

2014年12月02日 20時37分56秒 | 映画『木靴の樹』
1990年公開映画パンフレット(フランス映画社発行)より引用します。

秋、ロンバルディア
 黄金色に輝くトウモロコシ畑、ゆたかや緑の樹々、ポプラと家屋、それらをロングに見た
 手前のトウモロコシ畑、緑の畝が美しく広がる畑。
 静けさの中、かすかにひなびた歌が聞こえてくる。小川。水の流れの音とともに、歌がたか まる。

教会の中、ミサの後、
 農夫バティスティが神父ドン・カルロに説得されている。
 妻バティスティーナも神妙な顔。

神父
 「儀礼用の衣服をときながら)あの子を学校にやるんだね」
バティスティ
 「はい、でも行きに6キロ、帰りにまた6キロ、大変です」
神父
 「子供の足は丈夫じゃよ」
バティスティ
 「また子供ができるのです。家で手伝わせたいんで」
神父
 「今は手伝わんでも、大きくなれば手助けするよ。神のみ心に従いなさい」
バティスティ
 「私は学校に行かなくても、大人になりました」
神父
 「それは理由にならん。主が利発な子を授けたのは、よけいに期待がおありなのじゃ。主の み心に従うのがお前さんの義務じゃよ」

 考え込むバティスティ。教会の男が次々にロウソクの灯を消していく。歩み去るバティスティ夫婦の木靴の音が響く。夫婦は十字を切って、礼拝堂を出ていく。

町、教会の外(夕)
 手風琴の楽しげなメロディを背に、重い足どりのバティスティ夫婦。

バティスティ
 「えらいことになった!」

ポプラの樹の道
 無言で歩く二人の画に、美しいイタリック書体で、タイトル<木靴の樹>、<エルマンノ・オルミ監督作品>、<ベルガモ地方の農夫と人々の出演>がつつましく重なる。バッハの<ト短調小フーガ>がオルガンで聞こえはじめる。


『大地のような女たち』_『木靴の樹』より

2014年10月31日 22時00分29秒 | 映画『木靴の樹』
1990年公開映画パンフレット(フランス映画社発行)より引用します。

「今、エルマンノ・オルミ監督『木靴の樹』を見終わった。三時間七分が過ぎたとは思えない。まだ北イタリアの農村風景の中にいるようだ。時間が止まったような中で、静かで深い感動がじわっと湧いてくる。ドラマチックなストーリーではないから、瞬間的に感動したり、胸踊ったり、強烈なショックを受けたりはしないが、ミレーの名画を見ているような感動だ。

 物語は十九世紀末、北イタリア、ベルガモの郊外を舞台に、ある分益小作農場に暮す貧しい四家族に起る出来事を、四季のめぐりの中で淡々と描いている。

 神父の強い勧めで、利発な息子ミネクを小学校にあがらせたばかりに、十二キロにも及ぶ通学で、一側しかない木靴を割ってしまった息子のために、地主の立木一本を伐って木靴を作ったバティスティ一家が無一文になって土地を追われる。

 しかしそんなに貧しく、理不尽に虐げられた農民の生活の中で、私が感じたのは女性の強さだ。

 夫の心配をよそに、産婆もなしに子供を生み、無一文になって農場を追われても、静かに堂々とそれを受け入れるバティスティの妻。その表情は悲しみより一家に安心感を与えるものだ。洗濯女として六人の子供を養っているルンク未亡人は、雪の日でも小川で洗濯し、唯一の財産の牛が病気になり、獣医に「手おくれだから早くして銭にした方がいい」と云われても、強い意志で、礼拝堂に参り、そのわきを流れる小川の水を汲んで、病気の牛に飲ませて直してしまう。ブレナ一家のマッダレーナは美しい娘で、ひかえめな意志表示で青年の愛を受け入れるが、完全に結婚のイニシヤティブを握っている感じだ。そして地主が、ホームパーティーでピアノを弾く息子と、脇に立って見守る母を一人窓から覗いているシーンは、夫の疎外感を思い起こさせ、現代を見るようで不思議な場面だ。

 大地にしっかり根をおろした女の強さ。現代のようにウーマンリブ、フェミニズムなどと声高に云わなくても、日々の生活をしたたかに生きている様子がこの映画の女たちにはある。これ以上気弱な男たちを叩きのめさなくても、昔から女たちは充分に強かったのだ。

 ミネク少年の可愛らしさいじらしさは、とても私の拙い筆術では表現出来ない。『ミツバチのささやき』や『都会のアリス』などを見てもそうなのだが、その子供の表情や仕草だけで一本の映画ができあがってしまう程だ。

 自分の割ってしまった木靴が原因で農場を追われ、明日から小学校に行けなくても、母親の縫ってくれた学校用のカバンをしっかり抱いて荷馬車に乗るミネク。もう足長おばさんになってあげたい。胸がキューンと痛むシーンだ。

 そして夕闇の中、小さな明りをつけた荷馬車が農場を後にする。この悲しみの一家に誰れ一人声をかける者もなく、見ないように家の中でじっと息を殺していた農場の人々が、やっと外に出てきて、遠ざかって行く小さな明りを祈るように見つづけている。幻想的で、リリカルなラストシーンがとても印象的だった。


                             澁澤龍子(エッセイスト)」

『時の流れ』_『木靴の樹』より

2014年09月10日 17時41分50秒 | 映画『木靴の樹』
1990年公開映画パンフレット(フランス映画社発行)より引用します。

「「木靴の樹」を観る機を逸してしまってから10年の歳月が流れてしまった。
 
 都会の喧騒の中で暮らしていると、その時間の永さが歪みの曲線となって進行するが、この映画の主人公たちは貧しくとも、自分たち家族の手をしっかと握り、黙々と生きている。

 その時の流れのゆるやかさは直線の美学である。

 ドラマはトウモロコシの収穫の季節から始まる。1本づつトウモロコシのつぶをほどいて袋につめ、地主の処に運ぶための作業をする中庭は石造の塀に囲まれた、収容所のような集合住宅である。

 扉や手すりや窓の桟に至るまで、まるであつらえて造られたような、疲れ具合である。

 その壁のくずれや、汚れのしみや、漆喰壁が落剥の中から身をひそめるようにしてあらわれている煉瓦の割れ目が映る時、それは無言のうちに、これらの貧しき人々の生活苦を表現していることになる。

 飼育されている牛や馬の眼付までが弱々しく哀れさをふくんでいるが、たった一頭の気の荒い馬の表情が、見事にドラマの伏線となっている。

 秋から冬へ、その雪の降り出して来る状況も、仲々のキャメラアイである。ある時には暗部がそのままに灯火のあかりだけがたよりと思わせる程のライティングであり、より一層の貧しさを見せてくれるが、汚れたガラス窓からの風景が、底深いリアリズム画調となってせまって来る。

 俳優の演技よりも上手な、昔話や伝説の語り口、その子供の頃から、何度も語りつくした言葉のうま味、その表情までが一体となって、画面を引き締める。

 教会の牧師が、真実味のある説教であり、その人柄が、村人との関連性をたしかなものにしている。主への祈りが演技ではない。毎日、毎日の祈りのつぶやきが身についていて心の底よりの祈りと感銘をうける。

 灯皿の燈火が、ぼんやりとあたりをてらしている。

 なぜか私は、はるか昔、少年時代の折にみた英国映画、「アラン」を思い出していた。

 荒れる海の孤島、アラン島の中に、ひっそりと漁師の夫の安全を祈る妻の表情、サメのハラワタからとった油が唯一の光源である灯火。にぶい光、岩石だらけの島、その岩をくだいて粉にし、海草を肥料にして苗をうえるとぼしい野菜作り。出演者は現地人とか。ロバート・フラハティの傑作である。

 そのようなことが二重だぶりとなって胸にせまる。

 労働する人々の、妻たちや少年の衣服までがいつの世のものか、現代とも思えるが、はるか年代のものと思わせる程の、定かでない処が逆にこの年月の深さを表現している。

 祭りや、街の風物が映り、軍隊が出動して荒々しく馳け、貴婦人や紳士の、あわただしい動き方が都会
の表情と分り、初めて十九世紀末年のヨーロッパの風俗と判明するのである。それ程、時代の流行から、隔離された農民達の姿なのである。

 病んだ牛が起き上がれず、その眼付きが臨終と思わせ、教会に行って祈る主婦の恵みを乞う姿が胸を打つ。

 空瓶に川の水を入れる処から、なぜか私は感動して、きっと牛は癒されるに違いない、と思う程の想いであった。

 水車小屋の中の製粉機の構造がはっきりと映り、私には得がたき参考資料となった。まさに十九世紀的産物である。

 村人達の連帯感と、その隣人愛、が何気なく会話し、その思いやりの精神が、この映画を気高いものにしている。

 地主だだけがふてぶてしく、怒りを感じさせる程の存在感である。

 少年の一家が離村してゆくその夜のシーンは淡々として、無言の表情である。

 だがしかし、馬車にうずくまり、じっと物かげから、一点を凝視している少年のひとみを想う時、必ずや将来、ひとかどの青年となって、家族の面倒をみるに違いない、という事を感じさせる程の表情であった。

 エルマンノ・オルミ監督は、ドキュメントの手法をとりながら、見事なドラマへの結合をなし得た。

 この作品の風格は、しっかと大地を踏みしめた上で、じっと天の一角をみつめているような巨大なる姿である。


                                    木村威夫(映画美術監督)」





**********

今よりももっともっと一日一日を生き抜いていくことが大変だった人たちがいる。
一見平和な日本にいるとわからないけれど、世界の中には今もそういう国もある。
こうして今生かされていることへの感謝を忘れてはいけない。
私たちは自然のサイクルの一部にすぎない。
謙虚さを忘れて傲慢になってはいけないのだとあらためて思います。
強烈な負のエネルギーに負けそうでふらふらしていますが、吐き気しますが、
ぶれないで自分の足元をちゃんとみていくように気持ちを整理しています。
ブログを書けそうにないと思うぐらい気持ちがぼきっと折れましたが、励ましをもらって
また起き上がれそうです。

『木靴の樹』とバッハの音楽_「木靴の樹」より

2014年07月31日 23時17分23秒 | 映画『木靴の樹』
1990年公開映画のパンフレット(フランス映画社発行)より引用します。

 「時は変わらずに流れ続けていく。人が生まれ、成長し、子を生み、やがて年老いて死ぬ。人間や動物の誕生と死のサイクルもまた自然のサイクルの一部だ。教会の鐘の音が一日の区切りを知らせ、季節の移り変わりが人々に何をすべきかを教えてくれる。そこでは進化する時間や歴史の概念はありえず、人々は悠々と反復する自然のサイクルに従ってただ生きること、それだけである。

 オルミ監督は、こうしたベルガモの農民の姿を、始めも終わりもないかたちで、何の意味づけも解釈もほどこさず、ただ見つめ続けている。そこには個人と個人の自我のドラマはなく、ただ生活する姿だけが描かれている。画面に現れる音楽も、地主が蓄音機で鳴らすモーツアルトの「ドン・ジョバニ」のアリアと息子のピアノ以外は全て生活に直接結びついた民族音楽ばかりである。

 するとバッハの「芸術」音楽だけがどうして、この画面の別の次元で鳴らされているのだろうか。それが最初に頭に浮かんだことであった。それに、ベルガモの人々の信仰はカトリックのマリア信仰であり、バッハはドイツ・プロテスタントの伝統音楽である。

 いっさいの心理ドラマ仕立てを避け、見る者の感情移入を拒むような抑制された画面に対して、バッハの音楽だけがエピソードの情緒的な内容を補う効果音楽として用いられているのだろうか。うっかりすると私たちはそのようにだけ聴いてしまいそうだ。ところが、使われている音楽、特にオルガン・コラールの題名を詳しく調べてみると、オルミ監督はもっと周到な別の意図をもって扱っていることがわかってきたのである。

 彼はバッハの音楽から8曲を選び出したが、冒頭の有名なト短調の小フーガと後半に一度だけ現れる無伴奏チェロ組曲(第3番よりサラバンド)(マッダーレとステファノが小舟でミラノへ向かう場面)のほかは、全て象徴的な題名をもった宗教作品によっており、この題名の象徴する意味こそが、実は音楽の選択の基準になっていたのである。

 彼はまず全体の中心となるテーマとして<片足は墓穴にありて我は立つ>(カンタータNo.156の冒頭のシンフォニアとチェンバロ協奏曲第5番第2楽章に用いられているもののオルガン編曲、通称アリオーソ)を選んだ。冒頭の小フーガのあとテレジーナとアネッタが町から洗濯ものを運んで帰ってくる川べりのシーンで初めて現われ、バティスティの一家が農場を追われ、わずかばかりの家財を積んで黙々と闇の中を去っていく最後に延々と流れ続ける曲である。題名の意味をどのようにも解釈できようが、人間の生と死、幸いと悲しみはいつも隣りあわせにある、ということであろうか。

 貧しいけれど、とりわけ信仰の厚いルンク未亡人。おじいさんと6人の子供をかかえ、毎日の洗濯の仕事でようやく一家を支えるこのルンク未亡人の二つのエピソード(下の二人の子供を養育院に預けるかどうか、食卓を中に15歳のベビーノに語りかける。「俺が昼も夜も働くから・・・」。そして、たった一つの財産である牛が病気にかかり、マリア様の奇蹟で回復する話)には<我を憐れみ給え、主なる神よ>(コラール前奏曲BWV721)を用いており、これは、この二つのエピソードに先立ってアンセルモじいさんが畑の雪の下ににわとりの糞をうめる場面にも現われるので、ルンク未亡人の家族のテーマとも考えられる。

 そして、バティスティとミネクをめぐる”木靴の樹”のエピソード。子供を産みおえたバティスティーナの安らかな顔。一方、学校の石段でミネクの木靴が割れる。バティスティは深夜、ポプラの樹に斧を打ちつけた。そして、台所で蝋燭の火をたよりに木靴の底を削る。これらのシーンには<来たれ安き死、来たれ安らかな憩いよ>(シェメッリ宗教歌曲集よりBWV478)を選んでいる。日々を精いっぱい生きる貧しい小作農に安らぎの時はいつやってくるのであろうか。

 このバティスティの家族のエピソードの途中、生まれたばかりの子供とベッドに横たう母親がミネクに語りかける場面には、中心テーマ<片足は墓穴にありて我は立つ>が挿入されている。

 以下に用いられている音楽を列挙すると-

 冬が過ぎ野や畑に草花の芽がふく春がやってきた。人々は畑仕事に精を出し、子供たちは生き生きと動きまわっている:<いざ喜べ、愛するキリスト者たちよ>(コラール前奏曲BWV734)

 マッダレーナとステファノの結婚、二人を乗せた馬車が教会へ向かう場面:<愛するイエスよ、我はここにあり>(コラール前奏曲BWV731)

 ミラノの修道院で初めて夜を明かした二人に、捨て子が託される場面:<いざ来ませ、異邦人の救い主よ>(コラール前奏曲BWV659)
 
 あえてこれらに解釈をほどこさなくてもオルミ監督の意図はおわかりだと思う。ただ、チェロのサラバンドだけが例外で、ほかの場面と違って、ここでは全く抒情性を排しているように見えるが、それはおそらく近代的な結婚にまつわる観念、あるいはロマン風情愛の表現を抑制するために、あえてこれを選んだように思われる。

 この映画で用いられているバッハのオルガン曲を集めて編んだフェルナンド・ジェルマーニの『木靴の樹』と題するアルバムに寄せたコメントの中で、オルミ監督は次のように言っている。

「私はモンタージュのリズムを支えるために、いつもあらゆる音楽を映像の個々のシーンに近づけてみる。従って(私の映画では)音楽はいつも多少とも機能をもつようになっている。しかし今回は不思議なことに、映像の方はどんなタイプの音楽をも拒否したのである。つまり、田園の雰囲気や農村の推移がまるで別世界の出来事(別の文化)のように見えてしまうのだ。そこで結局、ほとんど諦めた気分で、バッハのオルガン曲を使ってみることにした。するとたちまち、自分の映画の音楽は見つかった、という気持ちになったのである。」

 オルミはここでは、具体的にどのように音楽を配置したかは語っていないが、まずト短調のフーガを冒頭に置くことで、この映画の世界を象徴的に暗示する。そして、<片足は墓穴にありて我は立つ>を農民たちの生活世界全体を包む主題として導入部と終わりのシーンの両端に置いた。個々のエピソードに対応するテーマはすでに述べた通りだが、この映画の中心エピソードであるバティスティとミネクの「木靴の樹」のテーマは<来たれ安き死、来たれ安らかな憩いよ>が選ばれており、この三つのテーマが音楽の面から全体の構造を作っているように思われる。

ところで、バッハの音楽の源泉は大雑把にいえばコラール(ここで用いられているオルガン・コラールのもとになった賛美歌。オルガン・コラールは会衆が旋律を覚えて歌いやすいように、歌の前奏として作られた)にあるといってよいが、このコラールは16世紀初頭ルターによって聖書のことばを民衆にわかりやすく理解させるために考えられた、いわば宗教的民謡であり、200年後にバッハがカンタータなどで用いたものはほとんどが、そうした歌が自然に淘汰されて歌い継がれてきたものであった。そして、その旋律はさらにルター以前にまでさかのぼる、素朴な生活感情から生まれたメロディでもあった。コラールはこうして永い伝統の中でかたちづくられた、民衆にとっての民族的な、また宗教的な象徴としての意味を持っていたものなのである。

 そして、その永い民衆の伝統の上にバッハの音楽が築きあげられたとすれば、最初に感じられた疑問はここではじめて氷解する。

 バッハの音楽は個々の感情と時代を超えて、何かより“大きな感情”を私たちに与えるとよく言われるが、冒頭のト短調のフーガは、いわば土とともにえいえいと営まれるベルガモの農民たちの生活世界を象徴するにふさわしい音楽であり、また、この映画の中心テーマとして用いられた<片足は墓穴にありて我は立つ>のアリオーソも、バティスティの家族のエピソードに用いられている<来たれ安き死、来たれ安らかな憩いよ>のオルガン・コラールも、この常民の世界を大きく包む象徴的な音楽として私たちに響いてくるのである。

 オルミ監督はさきほどのコメントに続けて言う。
「農村を描いたその画面に対して、バッハの音楽は優雅でありすぎるのではないかという意見もあった。だが私はそうは思わない。詩的な存在としてのバッハの偉大さは、貴族的でもなければ、世俗的でもなく、ただ真実のごとくに簡潔で本質的なことなのだ。だから私は確信するのだ。農民の世界とバッハの音楽はたがいに通じ合うもので、『木靴の樹』を音楽的に支えるという以上に、完全に調和するものであるにちがいない」と。」


 安芸光男(音楽ジャーナリスト)





 

『土のコミュニケーション、水の旅』_「木靴の樹」より

2014年03月20日 22時33分09秒 | 映画『木靴の樹』
「木靴の樹」1990年公開映画パンフレット(株式会社フランス映画社発行)より引用します。

「木靴の樹」はいわば土のコミュニケーションをめぐる物語である。理念も制度も欠いた共産主義、映画の時空によってのみ可能な共産主義がここには夢のように花開いている。前近代的な小作農家の集落をコミュニケーションなどと呼ぶのはいかにも奇妙なことと聞こえるかもしれない。事実、彼らの経済生活は、共産主義的な共同性はもとより、いまだに資本主義的な自営業者の主体性さえ獲得していない。ここに登場する四家族はみなその生存のための生産手段、つまり耕作器具や家畜、そして何よりも土地の所有権を地主に奪われており、そのことから生じる悲劇的抒情の上に「木靴の樹」の物語全体が構築されている。だからここに、搾取の悪を告発する社会的正義の姿勢を見てとることも十分に可能だろう。だが、「木靴の樹」は、被搾取階級の不幸を押しつけがましく詠歎する社会劇ではない。「木靴の樹」は、物質と無意識についての映画である。物質の触覚性と無意識の豊かさの水準に、夢のような共産主義が実現する。ここには、土という物質を介して、経済的な現実の外でいかにして無意識のコミュニケーションが成立するかが描かれているのだ。

 土というこの言葉に、たとえば或る種の観念的な農村小説の題名となるときそれが帯びるような、過剰な象徴性を担わせる必要はない。濡れた土、乾いた土、飛び散る土、耕される土、つまり物質としての土が、ここには圧倒的ななまなましさで現前している。裸の土の感触がこれほど魅力的に描き出されている色彩映画もそう多くはないだろう。だがその魅力とは、それがいかに眼を楽しませるかといった単なる審美上の問題なのでもない。土は、四家族の成員の足の下に踏み締められることで、無意識のコミューンがかたちづくられる基盤をなしているのであり、言葉を奪われたこの無意識を、映画のみがなしうる仕方で可視化しつくしているところに「木靴の樹」の美しさがあるのだ。四つの家族の住まいはそれぞれ別々に分かたれているが、その一方で、彼らは大きな中庭を共有している。撮影監督を兼ねる演出家オルミがみずから回すキャメラで捉えたこの中庭の空間のすばらしさ。牛馬や荷車が行き交い、豚がされ、行商の馬車が店を開き、子供たちが駆け抜けるこの開かれた空間は、もはや私有という観念そのものが無効となってしまうような無名の土のコミュニケーションである。雪にぬかるんだ土の質感のみが可能にしている共同性の場所と言ってもよい。同じ土を踏み締めることで、彼らは家族という単位を越えて結びつく。三時間を越えるフィルムの複数の挿話を相互に縫い合わせているのは、この土の主題以外のものではない。

 実際、なぜ「靴」なのか。それが、人間の肉体を土へと結びつける特権的な道具だからだろう。土と深く触れあうために人はかえって靴という媒介を必要とするのであり、その喪失と再生、そして再生の代償という挿話がこの映画のもっとも大きな軸の一つをなすことになる。土が彼らのものでないように、靴の材料たるべき樹もまた地主の所有に帰する。だからこそバティスティの一家は最後に農場を追われることになるのだが、父が一晩かけて、幼い息子のために木片を靴へと刻んでゆくあの美しいシークエンスで、物質としての木はもはや誰のものでもなくなり、夢のような共同性を体現してゆくのだ。また、祭りの晩に金貨を拾うフィナールの挿話はどうか。土の上から拾い上げられ、馬の蹄の裏に、つまりたえず土と触れ合っている表層に隠された金貨は、またいつの間にか土の中へと戻ってゆく。私有の欲望は、土が表象しているおおらかな共同性の夢の前に破れ去ってゆく。経済生活の下部構造の彼方で、無意識のコミュニケーションが人々を包みこむ瞬間への夢想。病気の牛が礼拝堂の聖水によって、一命をとりとめる挿話が物語っているのもまたそれだろう。アンセルモ爺さんによる早熟トマトの栽培の挿話さえ同じことなのだと思う。普通よりひと月も早く実ったトマトを誇る彼の矜(きょう)持に私的なものだが、物質としてのトマトそれ自体が証し立てているのは、アンセルモ個人の所有権ではなくあくまで土の勝利そのものであるからだ。

 「木靴の樹」は土の映画である。だからこそ、映画のもっとも美しいシーンは水のシーンなのだ。結婚したばかりのマッダレーナとステファノがポー河を下る川舟に乗り、ミラノへ向かって新婚旅行に出発する場面の何という美しさ。映画の上映がここまで来て、川舟が岸を離れ水の上をゆるやかに滑り出すのを眼にするときにわれわれの覚える何とも形容しがたい解放感は、水が土にとって代わるところから来るものだ。土を離脱し、何の抵抗も滞りもなく水面を滑走してゆく快挙にひととき身を委ねることが、まだぎこちない若い恋人たちにとっての
新婚旅行なのである。もはや木靴が必要でない空間に彼らが滑り出し、岸に沿ってついてくる家族と隣人たちにおずおずとした合図を送る、とわれわれは、土によるそれとはまた別の共同性の夢想、播種と生長と定住の共同性ではなく反映と溶解と運動の共同性の夢想が全身にひたひたと満ちてくるのを覚え、映画とはこれなのだと唐突に確信してしまう。オーソン・ウエルズの「アーかディン氏」について語りながら、秀れた映画には必ず空港の場面があるという粗暴な断言をしていたのはトリフォーだったが、われわれはほとんど彼に倣って、河と川舟が出て来る映画は例外なく傑作だと言い切ってしまいたい気持ちに駆られる。

 「木靴の樹」の世界は、いかなる物質が人の足の下を締めているかによって、三つの空間に分かたれている。中心をなすのはあくまで土の空間なのだが、この若夫婦のみが滑り抜け、ミラノという都会に滞在してひととき石の空間を体験するのだ。石畳の都会とは、いわば革靴で歩く人々の世界である。新婚旅行という特権的な人生の休暇に、マッダレーナとステファノは木靴の世界をひととき離脱し、裸足の世界と革靴の世界に出会って静謐なおののきを味わう。この挿話的な迂回が「木靴の樹」の土のコミュニケーションに驚くべき物質的な豊かさを賦与しているのだが、それは単に土と水や石との鮮烈な対比にのみよるものではない。彼らが石の空間から持ち帰る一人の子供が、法的なまた経済的な個人私有とも共同所有とも異なる土のコミュニケーションの共同性の何たるかを、ただそこに言葉も発さずに存在しているだけで語りつくしているからなのだ。土地や農機具が他人のものであるように、「木靴の樹」が他人のものであるように、この乳児もまた他人のものである。だが、若夫婦はこれ以上ないほど自然なことであるかのように黙ってこの子供を受け入れる。所有の理念を超えたところで、土の物質的な現前によって媒介されつつ成立している無意識のコミューンの成員として、この子供以上にふさわしい存在はないことを直感したからだろう。もちろん、こうした思想は資本主義の冷酷な論理と相容れるものではない。この孤児と入れ代るようにしてバティスティの一家は農場から追放されてゆくのだが、映画の最後で、彼らが荷馬車に乗ってとぼとぼと去った後、夕闇に紛れるようにして三三五五集い来たり、もはや誰がどの家族とも区別しがたいような姿で中庭に立ち尽くす農民たちの、ロングの固定ショットで捉えられた悲哀の情景こそ、土のコミュニケーションの至高のイメージといってものであるかもしれない。

  
 松浦寿輝(詩人・フランス文学)

                       

『木靴の樹』ストーリー(3)(1990年公開映画パンフレットより)

2014年02月25日 15時32分11秒 | 映画『木靴の樹』
 マッダレーナとステファノが結婚式を挙げた。彼らは荷馬車と小舟をつかって、ミラノへ新婚旅行に行った。ミラノの街は、労働者のストライキと、それを抑圧する軍隊とで騒然としいたが、ふたりはめざすサンタ・カテリナ修道院をたずねあてることができた。ここの修道院長であるマッダレーナの伯母の尼僧マリアをたずねてきたのである。その夜ふたりは、伯母の心づくしでわざわざベッドをふたつ、しばりつけてつくってくれたダブル・ベッドに眠った。

 翌朝、伯母は生後数カ月の赤児を抱いてあらわれた。この子は捨て子だった。ひきとり手には修道院から支払われることになっている仕度金をつけるから、この子の親になってもらえまいかと頼まれ、マッダレーナはひきうけることにした。

 農場の誰もが、新婚夫婦がミラノの修道院から授かった赤ん坊を見に来た。「もしかしたら、この子には高貴な血が流れているかもしれないよ」と言う者があったが、ドン・カルロ神父はそれを制し、いましめた。「この子は百姓のことなるのだ。大切なことは、みんながこの子を愛してやることだよ」。

 河沿いの並木から1本だけポプラの樹が伐あられていることが、ある朝、地主の目にとまった。地主は土地管理人に言って、その犯人を追求させることにした。

 アンセルモおじいちゃんのトマトは、ベッティーナに予言したとおりに、ふたつの畑より一週間以上も早く、みごとに実を結んだ。おじいちゃんとベッティーナはトマトをつんで村に売りに行った。その年はじめての真っ赤なトマトを、みんなが珍しそうに見た。最初のお客になったのはパン屋だった。パン屋の店先に並ぶ砂糖つきのドーナッツはベッティーナには別世界の食べ物のようだった。

 その日の夕方、ベッティーナとアンセルモが農場に戻ると、バティスティの一家が、荷車になけなしの家財道具をつめこんでいた。ポプラの樹のことが地主にわかったので、農場を追われるのである。ミネクは、母親が夜なべして縫ってくれた学校用のカバンをしっかりとかかえていた。それはもう彼には必要のない物になるのだが。

 この悲しい光景を、見る者は誰もいなかった。荷車が去ったあと、農場の人々はやっと外に目を向け、夜の闇のなかに遠く去っていく小さな灯を見つめつづけた。


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ストーリィはこれで終わりです。
まだ書きたいことはあるのでぼちぼちと書いていきます。

『木靴の樹』ストーリー(2)(1990年公開映画パンフレットより)

2014年02月22日 15時40分55秒 | 映画『木靴の樹』
 ルンクの後家さんの家の末娘ベッティーナは、おじいちゃん子。アンセルモおじいちゃんのひみつを、彼女だけは知っている。おじいちゃんはニワトリの糞を集めて、雪が降るのを待っている。雪が降って大地が凍えても、ニワトリの糞をまいた地面だけは冷えないので、そこへ、春になったら、トマトの苗をうえて、一番トマトの収穫をねらっているのだ。「みんな、きっとビックリするだろうネ、おじいちゃん」。

 寒い冬の夜は、農場の人々は畜舎に集まって宵のひとときをすごす。女たちは編物をし、男たちはタバコを吸い、夜話をする。いちばんうまいのは、バティスティであった。
 しかし、バティスティには心配事があったーミネクに暖かい服をつくってやりたい。だが、妻にはもうじき、またひとり子供が生まれる。

 雪の日も、ルンクの後家さんは小川で洗たくをしていた。ドン・カルロ神父が傘をさしかけて言った。「6人のうち、2人の子を養育院に預けたらどうかね」。一家の窮状を見かねての、神父の親切心だった。心迷った彼女は、その夜、長男のベビーノにこの話を打ち明けた。「かあさん、ぼぐが昼だけでなく夜も働くよ。だから・・・」このベビーノのことばに、彼女はもう何も言えなかった。

 早春の日ざしに子供たちが大地を駆けまわる頃、ルンク家の牛が病気にかかった。獣医は、手遅れだと言った。「早めにして銭にしたほうがいい」。しかし、ルンクの後家さんはあきらめなかった。彼女は、小さな礼拝堂に参り、そのわきを流れる小川の水を汲んで、病気の牛に飲ませた。その祈りが神につうじたか、牛はすっかりよくなった。

 端ぎれ、縫布など雑貨を満載した行商人フリキの馬車が来たのは、聖母祭の数日前だった。布を買うマッダレーナ。その母親ブレナ夫人は「もうじき結婚する娘のために、少しまけてやっておくれな」と誇らしげに言った。

 祭りの日、村の広場にはメリー・ゴーランドが設けられた。その年、人々にとって珍しかったことは政治演説集会が同じ広場でひらかれたことである。見物していたフィナールは、人混みの下の地面に、金貨が落ちているのを見つけた。拾って農場に戻った彼は、金貨を馬のひづめの泥の中に隠し、ひとりほくそ笑んだ。

 バティスティに子供が生まれた。男の子である。夕方、学校から帰ったミネクは新しい弟を見せられるが、彼の表情は暗い。一足しかない木靴を、学校の石段で割ってしまったのだ。バティスティは、夜になってから河の畔りに並ぶポプラの樹の1本を伐ってきた。深夜おそくまでかかって、彼はミネクのための木靴を作ってやることができた。

 ある朝、フィナールが大騒ぎを演じた。ひづめに隠しておいた金貨が、いつの間にか落ちてなくなってしまったので、逆上した彼は馬を殴りつけたのだが、逆に馬に追いまわされ、すんでのところで蹴り殺されるところだったのである。寝こんだフィナールは、医者でなく祈祷師を呼び、おまじないをしてもらった。

→まだ続きます。

 

『木靴の樹』ストーリー(1990年公開映画パンフレットより)

2014年01月26日 16時27分07秒 | 映画『木靴の樹』
19世紀末。北イタリア。

パティスティは、ドン・カルロ神父のたっての勧めで、息子のムネクを小学校にあがらせる決意をした。「子供を学校にやるなんて聞いたら、みんなが何て言うだろうか・・・?」

 農村は貧しく、パティスティ一家が他の数家族と一緒に小作人として住みこんでいるこの農場の土地、住居、畜舎、道具、そして樹木の一本一本に至るまで、ほとんどすべて地主の所有に属し、小作人があげる収穫の2/3が地主の物となる。

 秋になって最初の霧が出ると、冬支度がはじまる。とうもろこしの計量の日が来ると、けちのフィナールは、例年のように、馬車のひきだしにいっぱい小石をつめこんで計量をごまかした。その年の収穫は豊作だった。地主は蓄音器を買った。

 ルンクの後家さんは、夫に先立たれた後、洗たく女をして6人の子供たちを養っている。牛の世話と耕作は長男のぺピアーノとアンセルモおじいちゃんがうけもち、上の女の子ふたりは村にいって洗たくの注文をうけてくる。ペピーノはまだ15歳だが、力がある。この冬から彼は、トウモロコシ製粉工場の力仕事をつとめ、家計を助けることにした。

 けちのフィナーレが息子のウスティを叱りつけ、つかみあいの親子喧嘩をするのは日常茶飯事で、喧嘩するだけのたいした理由はないのだった。

 ブレナー一家のマッダレーナは、美しい娘だった。紡績工場につとめている彼女は、ある夕方、工場で知り合ったステファノ青年に送られて家路を帰ってくる。これは彼女のひかえめな意志表示である。彼女の両親も、農場の人々も何も言わない。ふたりの交際は、みんなに認められたのである。

→まだ続きます。

祈りという沈黙_『木靴の樹』_1990年公開映画パンフレットより

2013年12月29日 22時26分04秒 | 映画『木靴の樹』
 「少年がベッドの上で祈っている。母親の祈りに合わせて祈りの言葉を繰り返している。階下では父親が息子のために木靴を削っている。削りながら、二階から聞こえる祈りに合わせて、祈りの言葉を繰り返している。

 この静かで、そして大変美しいシーンは、「木靴の樹」という奇跡的な作品を最もよく現わすシーンだろう。そこには、余計な会話はない。過剰なモノローグも訓話もない。ただ、低くつぶやくような祈りの言葉が繰り返されるばかり。あたかも、世界全体が祈りという沈黙でみたされているかのようだ。

 しかし、これはなんと豊饒な沈黙だろう。いいつくせぬ感謝と願い。家族が互いに寄せるいたわりと信頼。作為の言葉では決して語りえぬまごころのすべてが、この「祈りという沈黙」のうちにある。

 洋の東西を問わず、祈りの本質は沈黙にある。沈黙といっても、ただ口を閉じるということではない。むしろ、心の声を静めるために、口で祈りの言葉を繰り返す。そのとき、自分はもはや祈りの一部となり、祈りは沈黙となる。

 ここに登場する農民たちは、そんな沈黙のこころを暗黙のうちに知っている。種をまき収穫する、その自分たちもやはり大いなる自然の一部分であるのと同じように、朝な夕なの祈りもまた、万物の根底なる大いなる祈りに包まれてあることを、知っている。それこそ、彼ら底辺を生きる人々が千数百年来守り育ててきた。カトリシズムの原点だ。 


 ベッドの上でミネクが唱えていたのは、カトリックでも最もポピュラーな、「ロザリオの祈り」である。受胎告知の時の天使の挨拶を元にした「アヴェ・マリア」の祈りを50回から、時に100回くりかえす祈りだ。この「アヴェ・マリア」の祈りの最後の一節は「聖マリア、罪びとなる我らのために、今も臨終のときも祈りたまえ」となっている。つまり自分が祈っているようでいて、実は「我らのために祈りたまえ」なのだ。繰り返しそう祈るとき、祈る自分はそのまま大いなる祈りに包まれている。

 このような祈りの本質は、「なむあみだぶつ」をひたすら繰り返すお念仏の伝統を持つ我々にはなじみぶかい。たとえば、浄土宗系の称名念仏において、一遍が「称ふれば我も仏もなかりけり 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」とうたい、また蓬如上人が「なむあみだぶつに身をば丸めたる」というのと、こころはひとつだ。

 実際、ミネクが眠そうな目でたどたどしくアヴェ・マリアを繰り返す姿は、「となふれば我も仏もない」境地であり、大いなる祈りに包まれて、「身をば丸めたる」安らぎの境地にほかならない。よく見ると彼はまだちゃんと祈りのことばを覚えていないようすだが、それはそれで象徴的だ。祈りとは何かを語ることではなく、祈りのうちに身を丸めて黙することなのだから。

 
「木靴の樹」が、見るものの心に、ほかのどんな作品とも違う特別な深い感動を呼び起こすのは、このような「祈りという沈黙」の世界を生きる人々を映し出しているからだ。
 
 貧しい彼らが門付けの浮浪者に食事を分けるのは、単なる憐れみからではなく、浮浪者のうちに、祈りの世界と現実の世界との境界を行き来する聖性を見ているからである。

 未亡人の必死の祈りで牛がいやされるエピソードが感動的なのは、奇蹟のようなできごとに対してというよりも、彼女が祈りの世界に全面的に身をゆだねている、その姿に対してではないだろうか。
 
 そのことは、ラストのふたつの主観ショット、すなわちミネクの目から見た去りゆく我が家と、見送る農民たちの目からみた去りゆくミネクたちの馬車の、比類のない美しさに凝縮されている。この二つのショットが痛切でありながら同時に静謐な救いを秘めているのは、彼らのまなざしが家や馬車の背後の暗がりを突き抜けて、「祈りという沈黙」の世界をみつめているからだ。嘆きかなしんだとてどうなろう。人はやがて同じ様に、この世をすら去っていく存在なのだ。窓越しに見送る家族が表にも出ずに、ただひたすら繰り返すアヴェ・マリアには、我々の日常のいいかげんな慰めや励ましの言葉を恥じ入らせる、気高さがある。

 今もロンバルディア地方(イタリア)では、この映画のように、あちらこちらの教会の鐘の音がひねもす鳴り響いているのだろうか。いつか訪ねて、すべてを包み込むような鐘の音の、沈黙の響きのなかを歩いてみたいと思っている。

                           晴佐久 昌英 カトリック司教」




(1990年10月13日 東宝出版事業室 フランス映画社発行より本文、写真ともに引用しています。)



1990年の私は、大きな喪失体験もなくたぶんほとんど意味を理解できていなかったと思いますが、今こうして読み返してみると本当によくわかります。

『赤毛のアン』『大草原の小さな家』『レ・ミゼラブル』などとも根っこでつながっていきます。今わたしたちが忘れてしまっているたくさんのことを教えてくれているように思います。ストーリィなど、これからもパンフレットから書いていきたいと思っています。