たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2000年東宝初演『エリザベート』プログラムより‐キャスト

2024年04月20日 00時13分40秒 | ミュージカル・舞台・映画

東宝初演『エリザベート』_一路さんインタビュー記事

 

エリザベート(オーストリア皇后) 

  一路真輝

トート(黄泉の帝王)

  (Wキャスト)

  内野聖陽・山口祐一郎

フランツ・ヨーゼフ(オーストリア皇帝)

  鈴木綜馬

ルイジ・ルキーニ(エリザベート暗殺者)

  高嶋政宏

マックス(バイエルン公爵、エリザベートの父)

  寺泉憲

ルドヴィカ(バイエルン公爵夫人、エリザベートの母)

  阿知波悟美

ルドルフ大公(オーストリア皇太子)

  井上芳雄

ゾフィ―(オーストリア皇太后、フランツ・ヨーゼフの母)

  初風諄

エルマー(ハンガリー貴族、革命家)

  今拓哉

グリュンネ伯爵(皇帝の側近)

  治田敦

シュヴァルツェンベルク公爵(皇帝の側近)

  塚田三喜夫

リヒテンシュタイン公爵夫人(女官長)

  伊東弘美

ヴィンディシュ(精神病患者)/女官/伯母

  岡田静

マダムヴォルフ/家庭教師

  シルビア・グラブ

兵士/ボーイ/民衆

  青柳勝太郎

叔父/兵士/取調官

  池田紳一

ケンベン男爵(オーストリア貴族)/ボヘミアン/市民

  石山毅

ハンガリーの司祭/兵士/患者

  小原和彦

ハンガリーの青年/従僕/ジャーナリスト

  斎藤桐人

詩人/病院長/民衆

  酒本朗

ヒューブナー男爵(オーストリア貴族)/教授/民衆

  砂川直人

市長/兵士/市民

  武内耕

ジュラ(ハンガリー貴族、革命家)/兵士/参列者

  野沢聡

シュテファン(ハンガリー貴族、革命家)/参列者/看護人

  藤本隆宏

ラウシャー(ウィーン大司教)/市民

  松澤重雄

従僕/患者/民衆

  水野栄治

ツェップス(オーストリア反体制派貴族)/伯父/市民

  森田浩平

死刑囚の母/娼婦/民衆

  井上めぐみ

マデレーネ(娼婦)/女官/市民

  梅村陽子

叔母/侍女/患者

  大川美佳

ヘレネ(エリザベートの姉)/娼婦/民衆

  小野佳寿子

侍女/娼婦/市民

  河合篤子

スターレイ伯爵夫人(エリザベート付きの侍女)/姪/市民

  北林優香

女官/娼婦/参列者

  栗原朗子

侍女/患者/市民

  鈴木喬子

女官/美容師/娼婦

  鈴樹葉子

侍女/患者/市民

  長谷川美穂

エリザベートの妹/侍女/患者

  平澤由美

女官/娼婦/民衆

  丸山知津子

侍女/患者/女官

  尹嬉淑

トートダンサー

   清水隆伍

   須田英幸

   鴇田芳紀

   縄田晋

   NIRO

   東山義久

   藤浦功一

   吉川哲

少年ルドルフ/エリザベートの弟

  (交互出演)小野泰隆 北尾亘 近野桂佑 高橋徹

 

 

 

 

 

 

 


2000年『エリザベート』プログラムより-「愛のテーマ~愛と死の輪舞」

2024年03月29日 22時44分33秒 | ミュージカル・舞台・映画

「トート

  エリザベートいまこそ

  黄泉の世界へ迎えよう

 

  その瞳が胸を焦がし

  眼差しが突き刺さる

  息さえも俺を捕らえ

  凍った心溶かす

  ただの少女のはずなのに

  俺の全てが崩れる

  たった独りの人間なのに

  俺を震えさせる

  お前の命奪う代わり

  生きたお前に愛されたいんだ

  禁じられた愛のタブーに

  俺は今踏み出す

  心に芽生えたこの思い

  体に刻まれて

  青い血を流す傷口は

  お前だけが癒せる

  返してやろうその命を

  その時お前は俺を忘れ去る

  お前の愛を勝ちうるまで追いかけよう

 

  どこまでも追いかけてゆこう

  愛と死の輪舞」


2000年『エリザベート』プログラムより-「夢とうつつの狭間に」

2024年03月26日 12時08分44秒 | ミュージカル・舞台・映画

「エリザベート

  私の求めてた生き方は何

 見つけたはずの道が見えない

 今鎖が断ち切られ

 自由を手に入れたのに

 何処へ行くの

 大空をゆく鴎ならば

 暗い夜明けも迷わずに

 一度目指した地平の果てに

 辿り着くというの

 

 夢とうつつに挟まれて

 揺らぎ続けてる胸の思い

 一人になりたい

 孤独は怖い

 生きていたい

 でも突然

 消えてしまいたい

 大空をゆく鴎のように

 暗い夜明けを飛べるなら

 無くしてしまった大切なもの

 見つけ出せるの

 命の炎をもう一度燃やしてくれるもの

 

 今の私は

 立ちすくんでる

 明日と今日の狭間で

 命の炎をもう一度燃やせるときはくるの」

 

 


2000年東宝『エリザベート』プログラムより‐ハプスブルク家と皇妃エリザベート

2024年03月02日 01時46分16秒 | ミュージカル・舞台・映画

2000年東宝『エリザベート』プログラムより、

「=ハプスブルク家と皇妃エリザベート-東洋英和女学院大学長塚本哲也=

 歴史上、古今東西を通じてもっとも美しい女性はエジプトのクレオパトラ、中国の楊貴妃ということになっている。最近ではハプスブルク帝国の皇妃エリザベートがこれに加わった。クレオパトラも楊貴妃も伝説の美女で、その美しさは確かめようもないが、エリザベートには写真も肖像画も残っており、まごうかたなき美しい女性であることは、伝説ではなく、誰しも認めることであろう。

 それは19世紀の有名なドイツ人宮廷画家ヴィンターハルターが描いた、若き日の皇妃エリザベートの全身像の絵が物語って余りある。40年近く前、ウィーンの王宮ではじめて見たこの大きなエリザベートの肖像画は美しさの極致で、これほど美しい女性がいるのかと圧倒され、深い感動を覚えた。エーデルワイスの花と星の形のダイヤモンドをちりばめた腰まで届く長い栗色の髪、同じような星型の刺繍のある白い豪華なドレスに身を包んだ皇妃エリザベートの美しさは、典雅、気品、端麗、威厳、魅惑、孤高、静寂、ロマンティシズム、いかなる言葉を並べても表現できない存在感と迫力をもって、見るものを金しばりにする。それはこの世のものとも思われぬ、妖精のような幻想的な魅力をたたえている絵であった。

 彼女は中部ヨーロッパに広大な領土を持ち六百数十年もの長い間君臨してきたハプスブルク帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフの皇妃で、その優雅な気品ある姿は、いかにも王朝にふさわしい象徴のように思われがちだが、実際は儀礼づくめで堅苦しいウィーンの宮廷生活を嫌い、地中海やアドリア海、イオニア海などを旅から旅へと渡り歩く「さすらい人」だった。宮廷の公務をおざなりにし、宮廷の生活を嫌ったのは、孤独を愛する彼女の性格なのだが、それは生まれ育った環境からきていた。

 

 エリザベートは1837年12月24日クリスマス・イヴにミュンヘンで生まれた。南ドイツ一帯を支配してきたヴィッテルスバッハ家のバイエルン王国の王族の一人であった。父親のマクシミリアン侯爵は王族としての儀礼的な生活を嫌い、南ドイツの山の中に別荘をつくり、ここでえ狩猟や乗馬、釣り、山歩きを好み、同時に作曲や詩作に耽けり、イタリアなど地中海地域を旅行して歩く自由な芸術家気質の貴族であった。うわべだけの社交界や俗っぽい権力、政治外交から遠ざかり、広大な庭園に動物園のように多くの動物を飼い、家族と共に花咲き乱れる大自然の中で人生を楽しんだ。別荘といっても小さな山小屋ではなく、大きな居城といった方がふさわしい。近くに青い澄んだ湖があり、アルプスの峰々が見える。映画の「サウンド・オブ・ミュージック」のような雄大な大自然の中で、エリザベートは育った。

 兄弟姉妹6人の中で父親の性格をもっとも強く受け継いだのがエリザベートで、子供の時の愛称はシシィといい、父親にもっとも可愛がられた。彼女はいつも泥んこになって野山を飛び歩き、特に乗馬が好きでうまく乗りこなし、一方文学少女で小説を読み、詩作に耽り、メルヘンの世界をただよう夢見がちな野生の少女に成長していった。

 父親のマクシミリアン公爵は南ドイツの村祭りや年の瀬の市に、変装して農民風の服装でチターを片手に、お忍びで街頭や酒場を流して歩くのが大好きだった。父親がチターを弾くかたわらで、シシィがお下げの髪を振りながらミュンヘンの民族衣装にエプロンを拡げ、農民が投げてくれる銅貨を受け取って、お礼にぴょこんとお辞儀をした。農民たちは公爵親子だと知りながら、知らんぷりしてたが、内心は「風変わりな型破りの王族だ」と思っていた。エリザベートはこの時もらった銅貨の一つを、少女時代の思い出として皇妃になっても持ちつづけ、女官や侍女たちに「かつて私が正当に働いて稼いだただ一つのお金よ」といって驚かせた。こんな破天荒な経験を持った皇妃はまずいないだろう。

 こんな型破りの野生の公爵令嬢だから、自ら進んで皇妃になったわけではなかった。三歳年上の姉ヘレーネがオーストリア帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフとお見合いする時、相手側が一家そろって大勢でやってくるというので、母親がこちらも少し出席者を増やさなければと思い、たまたま付き添いにシシィを連れていっただけのことだった。姉ヘレーネはしつけのよい礼儀作法も心得た女性だったが、皇帝の方は本命でない妹のシシィの方を気にいってしまったのである。彼女にはそれまで皇帝が見たこともない野生的な魅力があったからだが、それでいて犯しがたい気品と神々しい美しさがあった。皇帝の結婚申し入れに対し、シシィはいやだといって泣きじゃくったが、母親と育ての乳母から「断ることはできない」と恫喝されて、何が何だか分からないうちに承諾せざるをえず、彼女の運命は決まった。母親が姉妹同士だったから、二十二歳の皇帝と十六歳の皇妃は従兄妹同士の結婚だったのである。

 

 しかしこの結婚は必ずしも幸福ではなかった。お互いに愛し合ってはいたが、きびしい礼儀作法づくめの宮廷生活は、自由にのびのびと暮らしてきた若き乙女にとって拷問にひとしかった。皇妃としての威厳を保つために、面倒で複雑な宮廷儀礼を仕込んでやろうと待ちかまえていた皇帝の母ゾフィー大公妃とそりが合わず、シシィは心身のバランスを失い、神経もずたずたに引き裂かれていった。彼女にとtって宮廷生活は牢獄であった。まだフロイトの精神分析学が確立される前であったが、恐らく極度の鬱病に陥ったのだろう。野生動物が檻に入れられ、行動の自由を失ってもがき苦しむように、彼女は世紀を失った病人のようになってしまったのである。この当時の写真を見ると、暗い病的な表情をしている。

 医者から転地療養をすすめられたエリザベートは、これを口実に息苦しい宮廷から逃亡しようと決心し、自ら保養先をなんとマデイラ島に選んだのである。マデイラ島は大西洋の孤島で、リスボンから1200キロ、アフリカ大陸から500キロも離れているポルトガル領の島で、当時はヨーロッパから見るともっとも遠い最果ての地であった。それほど遠い離れ孤島に行ったのは、ウィーン宮廷への嫌悪だけでなく、永遠なるものへの憧れも重なっていた。遠くへ行きたいというのは、夢見がちな彼女の根源的な願望で、それは心の奥底で永遠なるものとつながっていた。

 マデイラ島は花咲き鳥歌う、陽光に満ちた楽園であった。身も心も生き返ったエリザベートは、スペイン各地や地中海の島々を渡り歩き、帰国したのは半年後だった。しかしウィーンに戻ると条件反射のようにたちまち調子が狂い出し、またウィーンを離れたいという衝動にかられ、旅から旅へと放浪を続ける渡り鳥のような生涯が始まる。

 はじめは宮廷生活への反逆と絶望からの旅だったが、さすらうことによって彼女の魂は甦り、さすらいの旅は彼女の安らぎと心の再生のためのものとなった。彼女は公務を平然と拒絶し、自らの孤独な世界に閉じこもった。野性的でありながら内面的かつロマンティックな性格で、自ら詩をつくっていたが、彼女は非難や批判を承知しながらも、さすらいの旅をやめることがなkった。自らの自由と孤高を保つためには、王室の権威させも無視する勇気があった。

 彼女は皇妃というよりは芸術家気質の女性で、19世紀後半ヨーロッパで女性解放の象徴ともなったノラの先駆者でもあった。ノラは1878年に初演されたノルウェイの作家イプセンの戯曲「人形の家」の主人公で、女性の人格を認めない因習にとらわれた封建的な社会に反抗し、夫と子供を置いたまま家出する女性解放を象徴するヒロインであった。「人形の家」の主人公ノラの名前は世界中に広まったが、シシィはその10年前に、一人で宮廷革命ともいうべきノラの先駆者となっていた。宮廷への反逆は大変勇気のある大胆な行為であった。

 エリザベートが皇妃の地位に何の執着も未練もなかったことは、末娘に言った言葉でよく分る。

「あなたは煙突掃除人夫と結婚してもいいのですよ。結婚とは不合理な制度です。十五歳で結婚が決まり、何やらわけのわからない誓いを交わし、30年あるいはそれ以上たって後悔しても、もうどうにもならないのです。」

 皇帝と結婚したことを後悔している彼女の本心がよく出ている。ただ皇帝を毛嫌いしているのではなかった。儀礼にがんじがらめの形式的な宮廷生活がいやであり、耐えられなかったのである。皇帝から結婚を申し込まれたとき、彼女は、「あの方が皇帝でなければよかったのに。仕立て屋さんでも何でもほかの仕事なら・・・」と言ったのは、生涯変わらなかった彼女の考えだった。

 そんな彼女の拠り所は自分の美しさであった。自分だけが頼りであり、自ら頼りになるのは美しさであった。もともとスタイルがよく美しかった彼女は、その美しさを保つことにあらゆる努力を惜しまなかった。特に彼女の長い髪の美しさはたとえようもなく、くるぶしまである長い房々とした毛の手入れと洗髪に毎日2時間、3時間もかけ、自ら「私は髪の奴隷よ」と周囲に漏らしていた。

 またスタイルをよくするために、当時まだあまり普及していなかったダイエットを自ら実行するだけでなく、スポーツ、特に競歩と体操と乗馬に打ち込んだ。宮廷内に体操道具を設置し、競歩も暑い夏の日に20キロ、30キロとスピードをあげて歩き回り、女官はとてもついていけなかった。乗馬も安全第一というおっとりした軽い趣味のものではなく、野や林を全力をあげて疾走する競馬のように激しいもので、まかりまちがえば命を落としかねないような激しさであった。彼女は何か内部から噴き上げてくる火山のような衝動にかられているようだだった。その内なる激しさは何だったのだろうか。美しさを保つだけではなく、永遠への激しい憧れがいつも湧き出ていた。それは死へのいざないにうながされていたようであるといえよう。彼女の詩集がそれを物語っている。

 エリザベートは古代ギリシアの時代と文化に憧れ、ギリシャ語を学び、イオニア海の島に別荘をつくり、海を見遥るかす庭園にはギリシャ神話のアキレウスの像を置いていた。地中海やエーゲ海、イオニア海をヨットで航行し、沿岸の地をふらりとお忍びでふらつくのが好きであった。船の上からはいつも果てしなく青い海の地平線を一人でじっといつまでも見つめていた。

 旅から旅へとさすらい、ウィーンの王宮に寄りつかない皇妃の不在は、子供たち、特に長男のルドルフには深い精神的な傷を与える結果になってしまった。ルドルフは母親に似て、感受性が鋭く、頭の回転の早い知的な青年に育っていたが、母親の愛情に餓えている孤独な青年だった。いつの間にか、父親の皇帝と政治外交問題で対立が深まり、父と子の相克は次第に抜き差しならないものになっていった。ベルギー王室から嫁いできた皇太子妃との関係もうまくいかず、二人の関係は冷え切ったものになり、たった一人の息子で、ハプスブルク帝国の後継者であるルドルフ皇太子が心身ともに疲れ果て追いつめられていることに、エリザベートは気づかなかった。

 1888年のクリスマスの夜、さすらいの翼を休めにウィーンの王宮に戻った時、30歳にもなる大の男のルドルフ皇太子が突然、母親であるエリザベートに抱きつき、大声をあげて泣き出した。あまりにも激しく、しかもいつまでも泣き止まないので、周囲の人々は感動し、もらい泣きした。

 エリザベートも思わず涙ぐんだ。それが永遠の別れの涙であることはそのとき誰も分からなかった。

 明けて1889年1月末、皇太子ルドルフが若い未婚の18歳の男爵令嬢と心中し、命を絶ったという凶報がエリザベートを襲う。エリザベートは激しい衝撃と後悔の中で、はじめてルドルフ皇太子の心中を察したが、後の祭りだった。皇帝の配慮で彼女はルドルフの葬儀には出席しなかったが、深夜ルドルフ葬られたばかりのハプスブルク代々の人々が眠る霊廟を訪れ、暗闇の中にろうそくを灯し「ルドルフ、ルドルフ」と叫ぶエリザベートの声が暗い地下の墓所にこだまする光景は鬼気迫るものがあったと、霊廟の修道僧は書き残している。

 旅に明け暮れて一人息子の身近にいることができなかったエリザベートは深い後悔に苛まれたが、ルドルフ亡き後、彼女の魂にはどうにも埋めようもない孤独感と絶望感が深まり、この苦悩を断つためにさらに強く死を望むようになった。こうして彼女のさすらいの旅への衝動はさらに激しさを増していった。居ても立ってもいられなくなったのである。アフリカやイタリア、ギリシャに上陸すると、焼けつくような熱い太陽の照りつける血を素足で何時間もぶっつづけに歩きつづけた。死に向かっての自虐的な逃避行であった。

 息子ルドルフの死の後、彼女は公式行事にさえも黒の喪服で出席した。「ルドルフの死は私の信仰を打ち砕きました。これからまだ長い年月、生きつづけるなんて、気が狂いそうです」と、末娘につぶやくような悲しみと無力感、自己嫌悪の中で、彼女はいつも死を身近に感じていた。死神が訪れることを彼女は絶えず待ち望んでいた。死こそ安らぎの時であった。

 安らぎの時は思いがけなく、ある晴れた日に訪れてきた。

 1898年9月10日のさわやかな秋の日の午後1時40分、スイス、ジュネーブのレマン湖で蒸気船に乗ろうとした時に、突然傍観に襲われ、心臓を一突きに刺され、67歳の生涯を閉じた。犯人は25歳の無政府主義者のイタリア人、ルイジ・ルケーニだった。「高位高官の人物だったら、誰でもよかった」とうそぶいていた。あまりにも突然のドラマティックな死で、まるで死神がつかわした宿命の死者のように思われた。彼女は高位高官の人であったが、テロリストの対象になるような暴君ではなかった。むしろ宮廷の封建制に反旗を翻し、デモクラティックでリベラルな皇妃であった。

  19世紀末のこの時代、ハプスブルク王朝のオーストリア・ハンガリー二重帝国は世紀末の文化が花開いていた。当時多民族国家のハプスブルク帝国は政治的には斜陽落日の一途をたどっていた。支配下にあった北イタリアとの戦いに破れ、イタリアは独立、北方の雄プロイセンとの戦いにも大敗して圧倒され、きびしい試練にさらされていたが、文化的には音楽、絵画、文学、建築、都市計画、法学、経済学、医学と多方面の分野に天才たちが輩出し、アルプス山脈のような蛾々たる多様な高度の文化を築き上げていた。

 エリザベートの美しく典雅な気品ある姿はこの絢爛たる王朝文化の象徴のようであったが、その死の20年後の1918年、第一次大戦の終結とともに、700年近く中欧に君臨してきたハプスブルク帝国は崩壊した。彼女の死はその弔鐘であった。

 1953年にできた米国映画『ローマの休日』のオードリー・ヘップバーン演ずる王女は何となくエリザベートを思い出させる。すらりとしていて上品で美しく、自由になって一人ローマの街を遊ぶが、最後は王家の「籠の鳥」になっていくヒロインの哀愁と悲しみをたたえた瞳は、エリザベートの人生そのものだった。エリザベートが死後百年以上たって今なお世界中で語られるのは、50年近く前の『ローマの休日』が主演女優亡きあとも世界中から親しまれているのと同じように、美しさとロマンティシズムと哀愁を帯びたドラマティックな人生だったからだろう。

 

 暗殺者のルイジ・ルケーニは犯行後も悪びれることなく、昂然としていたが、1910年牢獄で自殺した。すでに20世紀になっていたが、1917年にはロシア革命が起り、ロマノフ王朝一家は惨殺され、滅亡し、同時にハプスブルク王朝も700年近い栄華の後に、地上から消えた。20世紀は血なまぐさい階級闘争の時代に突入していった。そのあとにスターリン、ヒトラーが続く。

 こうして見ると、エリザベートの暗殺は20世紀の荒々しい時代の予兆ともいうことができよう。エリザベートに突然訪れた暗殺というドラマはあまりにもドラマティックで、なにか歴史の運命の力だったようにも思える。」

                              


2000年『エリザベート』プログラムより-小池修一郎メッセージ

2024年01月17日 14時01分28秒 | ミュージカル・舞台・映画

2000年『エリザベート』プログラムより-ウィーン初演から東宝ミュージカルまで『エリザベート』上演史 - たんぽぽの心の旅のアルバム (goo.ne.jp)

 

(2000年東宝初演『エリザベート』プログラムより)

「<演出・訳詞>小池修一郎-Message

 ミュージカル「エリザベート」は1992年ウィーンのテアター・アン・デア・ウィーンで初演された。その後、’96年に宝塚とハンガリーで、更に’99年にはスウェーデンとオランダで上演されている。宝塚での上演が海外初演となったわけだが、この時日本では近代中欧ヨーロッパ史が知られていないことと、女性ばかりの劇団であるという二点から演出家である私の要請にのっとり、クンツェ=リーヴァィの原作コンビが大幅な改訂を施してくれた。その後ハンガリー版はほぼ宝塚のものに準じ、また昨年のオランダ版では詳細に亘り手が施されている。何れ演出家の要求に応えたものである。そもそもウィーン初演が旧東ドイツの鬼才ハリー・クプファーの特異な演出で、原台本とは些かの隔たりがあった。私自身再び「エリザベート」と向かい合うに当たり、もう一度台本を洗い直した。そして改めてこの物語が「ハプスブルク家の崩壊=中欧ヨーロッパの解体」を描きつつ’90年代の旧東ヨーロッパの解体を重ねる意図があったことを認識した。その中で自我を通そうとして暗殺されたエリザベートは明らかに「不安定な時代のシンボル」なのであった。今回上演に際し、死への願望と抑えきれない自我の葛藤を抱え彷徨うエリザベートの心理を表現する歌が是非とも欲しいとお願いしたところ、快諾を得た。「夢とうつつの狭間に」がそれである。

 さて、「エリザベート」宝塚上演を通じ私が強く自覚したことが一つある。それは自分が老舗の菓子屋の職人であるということである。ウィーン初演は、舞台を見ただけではとても宝塚に適しているとは思えない作品だった。従って、私が必死で行った作業もこのネタを如何にお客様の嗜好に合う歌詞に作り替えるかということであった。知らない材料で菓子を作る、いわばはじめてカステラ饅頭を作っているような気分だったことは否めない。しかし、何よりトートという存在が男役スターのカリスマ性と合致し、また宝塚の持つ出演者とスタッフの緊密なネットワークも相俟って予想もせぬヒットとなった。即ちあるところからは組織の力が作品を持ち上げてくれたのだ。

 その菓子職人が、今回はいわばコース、メニューを依頼されたようなものである。贅沢な材料=出演陣と個性溢るる様々なスパイス=スタッフ陣が並んでいる。どんな味付けになろうと、そこには一路真輝がいる。思い起こせば17歳の彼女の初舞台から知っている。男役をやらせるのが勿体ないくらいの美少女だった。女優になって5年目。美少女は臈長けた美女となった。天にましますエリザベート皇后も遂に彼女が自らを演じることに満足されるに違いない。「マイヤーリンク」振付けの日、日比谷の街に雷鳴が轟いた。しかし誰も気付いた風もなく稽古は続く。ミュージカルのキング山口祐一郎が新劇の貴公子内野聖陽と新人の井上芳雄に振りを教えている。皆真剣だが笑いが絶えない。想像もしなかった光景だが、好漢揃いに感謝している。意外なまでに洒脱な芸を見せる高嶋政宏、歌・演技とも誠実そのものの鈴木綜馬、24年振りとは思えない堂々たる初風諄等々多士済々の出演陣に恵まれた。また「棺の堆積」「チェス」「地球儀と本」「人間彫刻」等々私の注文に見事に応えてくれた大胆且つ繊細な大島早紀子、緻密なステージングの麻咲梨乃、「迷宮」の創造に腐心された堀尾幸男、エリザベート本人が見たら嫉妬する程美しい衣装作りに没頭された朝月真次郎、15年間、私の舞台を照らしてくれている勝柴次郎、そして作品の命である歌に心血を注がれた音楽スタッフ甲斐正人、岡﨑亮子、林アキラ、更に音響・演出スタッフ、プロデューサーの各人に心から御礼申し上げたい。観客の皆様が味わわれる夢は一重に彼らによって紡がれたものである。

「エリザベート」の旅は続いている。皇后本人に似て、作品も世界を股に掛けている。願わくばこの旅が21世紀も続くことを祈って・・・。

 

 

 

 


2000年『エリザベート』プログラムより-ウィーン初演から東宝ミュージカルまで『エリザベート』上演史

2024年01月13日 10時53分45秒 | ミュージカル・舞台・映画

東宝初演『エリザベート』_一路さんインタビュー記事 - たんぽぽの心の旅のアルバム (goo.ne.jp)

 

なつかしの雪組『エリザベート』日本初演 - たんぽぽの心の旅のアルバム (goo.ne.jp)

 

(2000年東宝初演『エリザベート』プログラムより)

 

「ウィーン初演から東宝ミュージカルまで『エリザベート』上演史-小藤田千栄子(映画・演劇評論家)

 

‐日本では宝塚雪組から‐

 最近の日本では、いちばん人気とも思えるミュージカル『エリザベート』は、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場でスタートした。1992年9月3日のことである。ウィーンは、ヨーロッパのなかでは、ロンドンに次いでミュージカル人気の高いところで、英米の有名作品は、ほとんど上演しているほどである。やはり根本には、オペレッタの伝統があるからだと思うが、オペレッタの専用劇場フォルクスオーバでも、よくミュージカルを上演しているようである。英米の人気作だけではなく、ウィーン・オリジナルにも意欲的なところで、一時期、フロイトを主人公にした『フロイディアーナ』という作品が、日本でもかなり語られたことがある。

 こんなウィーンから生まれたミュージカルの決定打が『エリザベート』なわけだが、私が最初にこの作品を知ったのは、1993年6月のNHKBS2‐トニー賞特集のときだった。ブロードウェイのトニー賞のついでに、ロンドンとウィーンの最新作紹介があったのだが、そのとき『エリザベート』が入っていたのである。舞台面が一部紹介されたが、なんだか大掛かりな作品だなあという印象しか持たなかった。

 この日から2年数か月後の1995年9月、宝塚雪組での製作発表があった。のちに宝塚のプロデューサーに聞いた話では、宝塚には、かなり早い時期から「向いている」という情報が入っていたそうである。だがこのころ宝塚は、新しい宝塚大劇場が出来たり、ブロードウェイからトミー・チューンを招聘するなど、企画がめじろ押しで、『エリザベート』はそのままになっていたのだそうである。それが雪組で浮上してきたのは、多分、名歌手=一路真輝を擁していたからだと思うが、とのかく96年2月~3月=宝塚大劇場、同年6月=東京宝塚劇場と発表された。

 この発表を聞いて、私はモーレツにウィーン・オリジナルを見たくなった。宝塚版を見る前にウィーン・オリジナルを見たかったのである。それで厳寒のウィーンに行った。アン・デア・ウィーン劇場は、その昔、モーツァルトの『魔笛』が初演されたところだそうで、なかなか由緒ある劇場なのだが、のちにオペレッタの専門劇場となり、1960年代以降はミュージカルの名作をたくさん上演するようになったという。馬蹄型の見やすい劇場で、ここで初めて『エリザベート』を見た。

 ウィーン・オリジナルの『エリザベート』は、基本的にはスペクタクルと前衛が合わさったような作りであった。これは演出=ハリー・クプファーの好みだと思えたのだが、全編を歌で進め、さらに大掛かりな装置のスペクタクル性は、ロンドン・ミュージカルのの影響も見て取れたのである。なにしろ舞台面は、8つのセリが切られていて、それが上下に動くのである。オープニングなど見ていて恐いほどだった。

 こんな大掛かりな装置で驚かすものの、次第に狂言回し=ルキーニの案内で、ハプスブルク家の内部を語っていく緻密な構成が見事だった。知っているエピソードもあれば、全く知らなかった話もあるのだが、死=トートの誘いを振りきりつつ、皇妃エリザベートの人生が語られていく。

 ウィーンで見ていて強く思ったことは、実在のエリザベートという人自体が、大変なスターだったらしいということである。きっとどのエピソードも、ウィーンではおなじみの、よく知られているものなのであろう。それを死=トートを出して、ハプスブルク家を崩壊の視点から描いたところが、このミュージカルのいちばん新鮮なところであり、現代劇たりえているところだと思った。

  ウィーンから戻って、ほどなくして宝塚雪組の初演を見た。よく知られているように、宝塚は男役の世界である。いかにタイトルが『エリザベート』であっても、男役が主役でなければ収まらない。そこで潤色・演出=小池修一郎は、かなり手を入れて男役トートを前面に出してきた。

 ウィーン・オリジナルよりも、まず第一に出番が多いし、ほとんどすべてのエピソードに、トートが関わっているという構成にしていた。このあたりはすべてウィーンのオリジナル作家たちと相談ずみだそうだが、加えてトートのために新曲まで用意してしまった。サブ・タイトルにもなっていた「愛と死の輪舞」である。これを歌うことによってトートの存在は、さらに引き立つようになっていた。そしていかにも宝塚らしい豪華な舞台作りも魅力だった。トートは、ほとんどのシーンで10人の黒天使を引きつれて登場し、華やかなダンス・ナンバーも加わったのである。特に私は、フィナーレの群舞が好きだった。

 この公演は、一路真輝のサヨナラ公演でもあり、いかにもカッコいい男役トートを作りあげて、宝塚時代の代表作とした。サヨナラ公演で代表作を出した人も珍しい。雪組の主な共演者を記すと、エリザベート=花總まり、フランツ・ヨーゼフ=高嶺ふぶき、ルキーニ=轟悠、ルドルフ=香寿たつき(宝塚大劇場)、和央ようか(東京宝塚劇場)。

 

‐宝塚では星組・宙組も ‐

 雪組の東京公演が終わったあと、宝塚は星組での続演を発表した。麻路さきの星組である。96年11月~12月=宝塚大劇場、97年3月=東京宝塚劇場。

 この星組公演が始まる前に、ヨーロッパでは、ハンガリーでの公演が始まった。96年8月から、98年4月にかけてである。最初は東南部の古都セゲドで、ついで首都ブタペストのオペレッタ劇場での公演だったが、見てきた人の話によると、なんと宝塚版の、つまり小池修一郎潤色・演出版が、かなり取り入れていたそうである。加えて一路真輝のための新曲「愛と死の輪舞」も歌われていたとか。ということは宝塚版を見たオリジナル作家たちが、宝塚の作りを気に入り、許可を出したということなのであろう。

 宝塚星組の『エリザベート』は、雪組版と同じ台本、同じ楽譜であるにもかかわらず、味わいとしては、かなり異なるものになっていた。これはもう出演者たちの個性としか言いようがないのだが、分かりやすく言えば、麻路さきのトートは、よりビジュアル系と言えようか。主な出演者を記すと、エリザベート=白城あやか、フランツ=ヨーゼフ=稔幸、ルキーニ=紫吹淳、ルドルフ=絵麻緒ゆう。

 1997年3月に、星組の東京公演が終わり、『エリザベート』とも、もうこれでお別れかと思ったのだが、なんと私はウィーンで、もういちど『エリザベート』を見るチャンスに恵まれた。92年9月に始まったウィーンの『エリザベート』は、途中、シーズン・オフということで休場したこともあったが、1998年4月25日に千穐楽を迎えた。上演回数1278回、観客動員130万人の大ヒット作である。この千穐楽のフィナーレの舞台に、日本のオリジナル・トート=一路真輝と、星組のエリザベート=白城あやかが特別出演し、同時取材ということで見せて頂いたのである。

 ウィーンの千穐楽は、もう『エリザベート』オタク全員集合という感じの盛り上がりであった。取れないチケットを、やっと手にした興奮が伝わってくる。ミュージカル・ナンバーはといえば、もう1曲歌うごとに、すごい拍手。1曲ごとのショー・ストップ状態であった。そして物語は進み、いよいよフィナーレ。われらがスターの登場である。ウィーンのエリザベート女優さんが「日本から来た一路真輝」と紹介をし、一路真輝は宝塚から空輸されたトートの衣装をつけて「最後のダンス」を歌いはじめる。この時点で客席は、全員がステンディング・オヴェィション状態なので、後ろのほうの席からはよく見えない。ところが一路真輝が歌いはじめると、一瞬にして客席はシーンとなって、全員が着席し、一路真輝の歌に聴き入ったのである。私はこのとき、一路真輝の歌唱力とは、こういうことなのかと、あらためて感嘆したのであった。「最後のダンス」は、途中、マントを翻して踊るパフォーマンスもあり、ヴィジュアルも要素もたっぷりの、魅惑のワン・パースン・ステージとなった。歌い終わると、すぐさまスタンディング・オヴェイションになったのは言うまでもない。

 続いてハンガリーから招かれていたエリザベート女優さんが「私だけに」を歌い、ついで白城あやかが「愛のテーマ」を歌いながら登場した。衣装は、これも宝塚から空輸されたもので、その豪華なこと。曲の後半では、ウィーンのトート役が登場してデュエット。大トリでは白い衣装に着替えた一路真輝が再び登場して、ウィーンのエリザベート女優さん、ハンガリーのエリザベート女優さんなど、みんな登場しての大コーラスとなった。なんとも豪華なウィーンの千穐楽であった。

 このあと日本では、宝塚宙組も上演した。1998年にスタートした新組の、2本目の作品が『エリザベート』であった。98年10月~12月=宝塚大劇場、99年2月~3月=TAKARAZUKA1000days劇場。トート役は、歌では定評のあったしづきで、エリザベート役に、雪組時代に一路真輝と組んだ花總まりが、再び登場したのが話題だった。『エリザベート』は、上演するには非常に難しい作品なのだが、このあたりになると観客のほうは見ることに慣れてきて、なんとなく安心して見ることの出来る舞台となっていた。すでに『エリザベート』経験者が、何人も出ていたことも大きい。姿月あさと、花總まりのほかに、主な出演者を記すと、フランツ・ヨーゼフ=和央ようか、ルキーニ=湖月わたる、ルドルフ=朝海ほかる(宝塚大劇場)、樹里咲穂(1000days劇場)。

 

-新曲が入って東宝ミュージカル-

 このあとヨーロッパでは、1999年末から2000年にかけてスェーデンのカールスタッド劇場で、ほぼ同じころのスタートでオランダ・ハーグの劇場で『エリザベート』の上演が始まった。オランダ版は、かなりのロングランが想定されているようで、見てきた人の話によれば、これまでの『エリザベート』の集大成版とも言えるものだそうである。

 そしていよいよ東宝ミュージカルの『エリザベート』である。演出の基本は、エリザベート中心の、つまりはヒロインものとしてのウィーン版に戻すのだそうで、なんとエリザベート=一路真輝のために、作者たちは、また新曲を書いたそうである。出演のたびに、オリジナル作家たちから新曲を書いてもらっている一路真輝は、なんとも幸運なスターだが、それだけ信頼を得ているということでもある。となると、これはもう世界一のエリザベートを見せなければ、と勝手にプレッシャーをかけておこう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2000年帝国劇場『レ・ミゼラブル』

2024年01月07日 00時58分02秒 | ミュージカル・舞台・映画

 2000年、東宝初演『エリザベート』のプログラムに掲載されていたオリジナル演出『レ・ミゼラブル』の広告。2000年12月~2001年1月、帝国劇場のみの上演。新演出になって描かれ方が大きく変わったコゼット、オリジナルではメインキャストとして名前がなかったんだなあと。

 新演出でジャン・バルジャンを演じている𠮷原光夫さんがアンティークなオルゴールのようだと話すジョン・ケアードさん演出のレミゼもまたみたいなあという気持ちになります。

 

ジャン・バルジャン:滝田栄

ジャベール:村井国夫

ジャベール:鈴木綜馬

ファンテーヌ:岩崎宏美

ファンテーヌ:鈴木ほのか

テナルディエの妻:大浦みずき

テナルディエの妻:森公美子

アンジョルラス:岡幸二郎

アンジョルラス:今 拓哉

エポニーヌ:本田美奈子

エポニーヌ:島田歌穂

マリウス:石井一孝

マリウス:津田英佑

マリウス:戸井勝海

テナルディエ:斎藤晴彦

テナルディエ:徳井優

ジャベール:川﨑麻世

ジャン・バルジャン:山口祐一郎

ジャン・バルジャン:鹿賀丈史

 

(B5版のプログラム、ずっと持ち続けることはできないので少しずつ断捨離です。)


完全版『1789-バスティーユの恋人たち-』初日前会見

2023年12月20日 14時11分51秒 | ミュージカル・舞台・映画

2023年12月18日神田沙也加ちゃんが突然旅立って二年、哀悼の意を込めて。

(2016年6月発行omoshii mag vol.5ミュージカル特集より)

「完全版『1789-バスティーユの恋人たち-』初日前会見

司会:初日に向けて、稽古場の稽古を経て、4月5日から舞台稽古も始まりましたけれども、手ごたえや意気込みを改めて聞かせていただければと思います。まず、小池徹平さんからお願いいたします。

小池:今回ダブルキャストで加藤(和樹)くんと一緒にロナンをやらせていただいております。一昨日くらいかな、劇場に入って、ようやく三日目ぐらいにして、劇場の雰囲気に慣れてきまして、いま、ずっと毎日、舞台稽古で大変な日々を過ごしているんですけれども・・・。衣装着て動くっていうのを稽古場でやってなかったので、着るとより気持ちは入りますが、その分結構、動きの制限とかが、いろいろ出てきたりして、試行錯誤しながら頑張ってます。もうすぐ、本番が近いので、いよいよ身の引き締まる思いで、毎日、頑張っております。よろしくお願いします。

司会;では、続いて加藤和樹さんお願いします。

加藤:はい、小池徹平くんとダブルキャストでロナン役をやらせていただきます、加藤和樹です。稽古場を経て(ということ)なんですけれども、稽古場でできることは、まあすべてやれたかなと思います。それで舞台稽古に入って、やはり舞台セットに立ってみないとわからないこともたくさんあって。小池先生をはじめ、スタッフさんと息を合わせながら、一つ一つ丁寧に確認しながら、とにかく動きやダンスナンバーがやはり多いので、特にけがにはみんな気をつけて慎重にやっています。で、僕もダブルキャストなので、客席で観る機会があるんですけれども、思った以上にやっぱり派手だし華やかだし、これがすべて一つにつながったときどうなるかというのは僕自身も楽しみです。間違いなく革命的な作品になるのではないかという実感はあります。

司会:では続いて神田沙也加さん、お願いいたします。

神田;はい。夢咲ねねさんとダブルキャストでオランプ役を演じさせていただいております、神田沙也加と申します。稽古はですね、いつかご一緒したいと思っていた演出家の先生でいらしたので、ご一緒できたことがすごくうれしく、日々勉強させていただきました。そして、キャストも、同世代が多い現場でありましたので、すごく楽しく、毎日みんなで試行錯誤しながらやっていました。劇場に入ってからは、私、帝国劇場が大好きなので、毎日劇場入りするたびに身が引き締まる思いでやらせていただいております。舞台稽古を観ていても、今も見ていただいているとおり、皆さんの衣装もすごく華やかだし、舞台のセットや照明なんかもすごく見応えがあり、曲も素晴らしいので、目にも耳にも楽しんでいただけるかなと思っております。本番を楽しみにしていただきたいなと思います。よろしくお願いいたします。

司会:では次、夢咲ねねさん、お願いします。

夢咲:はい。神田沙也加ちゃんとダブルキャストをさせていただいています、夢咲ねねです。私自身、帝国劇場が初めてなので、ずっと憧れていた帝国劇場でこうやって舞台稽古が始まって、いよいよ(本番が)始まるんだな、と身の引き締まる思いと、舞台稽古を自分(の出番)ではないときに観ていて、やはりすごく豪華で、この作品に出られるのは本当に幸せだなと思っております。一生懸命頑張りたいなと思いますので、よろしくお願いします。

司会:花總まりさん、お願いします。

花總:はい、鳳稀さんとダブルキャストでマリー・アントワネット役をやらせていただきます、花總まりです。アントワネットこそ、普段のお稽古時とは全然雰囲気が変わりますので、これでやっとアントワネットに近づけるかなという気持ちでいっぱいです。近年にない迫力のある作品になると思いますので、一生懸命頑張りたいと思います。よろしくお願いいたします。

司会:では、鳳稀かなめさん、お願いします。

鳳稀:はい、花總まりさんとマリー・アントワネット役をさせていただきます、鳳稀かなめでございます。お稽古当初は、どちらかというと小池さんや加藤さん寄りだった私ではございましたが・・・。

全員:(笑)。

鳳稀:少しは女性らしくなれたんじゃないかと思います。舞台に来て、こうやって大きな衣装も着せていただいて、まだまだ勉強の日々でございますが、私らしく精一杯頑張って参りたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

司会:ありがとうございます。最初に小池徹平さんにお伺いしますが、先ほどのご挨拶の中でも、帝劇に舞台稽古で初めて立ってみて、というお話がありましたが、今回初出演で初主演ということで、帝劇の舞台に実際立たれてみていかがですか。

小池:あー、そうですね、まだお客さんが入った状態ではないので、わからないですけど、なんかこう、この建物の中にいるっていうだけでもすごく、少しずつ実感がわいてきて。エレベーター移動が、なんか多いんで、「全然来ないな」っていう時があって。そうですよね?

全員:(笑)。

小池:で、階段を使ったりとか、そうやってるのが、結構楽しいなあと思ったりとかして。

神田:そうかな(笑)。

小池:大変なんだけど、そこを楽しいと思っちゃう。初めてなんで。

神田:そう(笑)、素晴らしい(笑)。

全員:(笑)。

小池:そういうとこも含めて、裏も表も舞台の上でも(笑)、楽しくやれてます。はい。

司会:加藤和樹さんは、2014年の『レディ・ベス』以来で、帝劇にご出演されるのは小池さんより先輩ですけれども、いかがですか。

加藤:そうですね、ちょうど2年前の今ぐらいですね。同じく『レディ・ベス』の舞台稽古の最中ではなかったかなと思います。二度目とはいえ、今回恐れ多くも主演という形ですので、やはり新たな気持ちで。ほんとに素晴らしいキャスト、スタッフに囲まれながらやれてるという感覚があるので、身も心も預けるというか、肩の力を抜いてできるのではないかなあと思っております。帝国劇場に初めて立ったときは、「帝劇には魔物がすんでる」と言われて踏んだ舞台だったので、今回は初日から、面と向かってぶつかっていけるんじゃないかと思います。

司会:今回この「1789」という作品で、ロナンと革命家の民衆・革命家グループと、マリー・アントワネットらの王族・貴族という形で、二つの世界が描かれていますが、オランプ役のお二人は、その世界を行き来する数少ない役柄だと思います。そのあたりいかがでしょう。

神田:まず、王室の場面に変わったときに、観ていらっしゃる観客の方々も華やかさにすごくびっくりすると思います。装置も、私たちも実際シュミレーションしてびっくりしたような装置だったりするので、そこでまず、住んでいる環境が全然違うっていうのが、視覚的に説明されているということ。あとはやっぱり、さっき花總さんもおっしゃっていましたが、今回、ダンスもアクロバットもワイルドで野性味あふれる感じがすごくて、(それを)農民のみんな、平民のみんなやったりして、そういう勢いというか熱いエネルギーっていうのが(平民側にはあって、王室とは)また違う。王室と(平民とを)比べると、静と動のエネルギーがある。その両方を行き来できるのは、オランプとしてもすごく刺激的な日々であって、だからこそ全然自分と180度違うロナンに惹かれたのかなっていうことを、すごくお芝居で経験していますね。

司会:夢咲さんはいかがでしょうか。

夢咲:はい。えっと、私自身、平民なので、なんか、あの・・・。

小池:え?(笑)

全員:(笑)

小池:ごめんなさい(笑)

夢咲:そ、そうなんです(笑)、ですから、平民の場面になると、なんかちょっと、ダンスも情熱的というか、熱いので、すごく心がうずくというか、「あー私もでたい」ってなるんですけど、でも王族は王族で、ほんとに憧れの場所なので、ドレスもセットも豪華で、その場所にいられるのがすごく幸せなと思います。

司会:ありがとうございます。お話にも出た、素敵なお衣装もこの舞台の見どころの一つで、その代表格がマリー・アントワネットだと思います。お二人は宝塚歌劇団で『ベルサイユのばら』にもご出演なさっていましたが、マリー・アントワネットへの改めての印象や、衣装を着られてみていかがですか。

花總:少し、いえ、少しどころか贅沢をしすぎましたが、当時のファッションリーダーでもあったマリー・アントワネットの、これでもかっていう素敵なお衣装はほんとにたくさん着せていただいているので、ぜひそこをお客様にも楽しんでいただけたらいいなと思いますし、個人的にはマリー・アントワネットの登場シーンを、ぜひ楽しみにしていただきたいと思っております。

全員:(激しくうなずく)

花總:宝塚のときとはほんとに全然違うので、宝塚は歴史ある『ベルサイユのばら』という作品に出る、という感じでしたが、今回はフレンチ・ミュージカル『1789』の中のマリー・アントワネット像というのを、小池先生と一緒に作り上げていってる最中です。(『ベルサイユのばら』とは)全然違う感じになっておりますので、ぜひその点も観ていただけたらと思います。

鳳稀:花總さんが言った通り、登場シーンが、見どころだと思います。

全員:(再びうなずく)

鳳稀:あと、衣装ももうほんとに素敵なので、そこも観ていただきないなと思います。宝塚の『ベルサイユのばら』は、私も何度か出させてもらったんですけれども、どちらかというと宝塚は、ほんとにアニメとか漫画の世界で、夢の世界を画いているんですけれども、今回の『1789』のほうは現実的なイメージがとても強いので。今回は民衆側のお芝居がメインになっているので、その中で対比としてマリーはどういう風にやっていけばいいのか。ある意味、今回すごく悩んだところなんですけれども、彼女の、母として、国母として、そういう大きい心を表現できたらいいなと思っております。

司会:最後にロナン役のお二人に一言ずつ締めのご挨拶をいただけたらと思います。

小池:先ほど皆様も言われたような素晴らしい部分を含め、今回この3組のダブルキャストがいて、全部で8通りですかね、いろんな『1789』が楽しめる。ほんとに素敵な舞台に仕上がっていると思いますので、ぜひ、皆さん劇場に観にきてほしいと思います。よろしくお願いします。

加藤:いま、徹平くんが言ったように、組み合わせが違って、通し稽古も何回かやらせていただいて(いると)、やっぱり観てる側としても、キャストが変わるだけで全然雰囲気が変わるんですね。そして、本番の衣装に身を包んで、お客さんの前に現われたときに、そのぱっという華やかさと、その楽曲と、衣装や舞台セットに目を奪われていただき、心を奪われていただけるような、そんな作品になると確信しています。ですので、ぜひ劇場に足を運んでいただきたいと思います。よろしくお願いします。

司会:ありがとうございます。ではこれをもちまして、『1789』初日前会見は終了とさせていただきます。ありがとうございました。

全員:ありがとうございました。」


1998年12月『アマデウス』

2023年12月20日 00時51分55秒 | ミュージカル・舞台・映画

想い出振り返り、

1998年12月13日(日)、14時開演、日生劇場2階I列35番、

3,000円(消費税込み3,150円)

映画『アマデウス』の舞台化、

サリエリが松本幸四郎さん(現在松本白鷗さん)、モーツァルトが市川染五郎さん(現在松本幸四郎さん)、コンスタンチェは藤谷美紀さん。

アマデウス公演記録 (fc2.com)

「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
“アマデウス”とは「神の寵児」という意味。

1823年、晩秋のウィーン。
町中で「モーツァルトの死はサリエーリの暗殺によるもの」という信じがたい噂が流れていた。

しかし、その噂の出処は、サリエーリ自身であるという。
既にモーツァルトの死から32年が経過していた。
70歳に達するサリエーリは衝撃的な告白を始める……。

1781年、皇帝の寵愛を受けた宮廷作曲家のサリエーリには一つだけ気になることがあった。 それは、弱冠、25歳のモーツァルトへの驚くべき評判の高さだった。

モーツァルトのがウィーンへやってくると聞いたサリエーリはその演奏会場に出かけた。 彼がそこで見たモーツァルトは恋人コンスタンツェと卑猥な言葉を口走る、行儀が悪く、軽薄で子供っぽい青年であった。

だが、その晩、耳にしたセレナーデ、その素晴らしさはさらに彼を震撼させた。

幼い頃、神に一生を捧げると誓ったサリエーリ。
ところがその神の仕打ちとは……

サリエーリは慄然とし、“アマデウス”を通じて神に命がけの戦いを挑むのだった。

原作 ピーター・シェファー

監督 ジャイルス・ブロック」

AMADEUS 日生劇場公演プログラム(松本幸四郎・市川染五郎)<中古品> | 宝塚アン (takarazuka-an.co.jp)

 

染五郎さんのお調子者でおだてに弱く甲高い声で卑猥な言葉を連発してコンスタンチェとふざけ合っているのにひとたびピアノの前に坐ると魂を揺さぶる音色を奏でるモーツァルト、努力して宮廷音楽家となったのにその才能の前にはとても足元に及ばないという現実を突きつけられて嫉妬する幸四郎さんのサリエリ、見ごたえのある親子共演でした。

わたしが観劇したのはこの時かぎり、サリエリも幸四郎さんの持ち役となっていたことは知りませんでした。歌舞伎界の域を大きく超えて、ミュージカル、ストレートプレイと大活躍、日本の舞台芸術に多大な貢献をされてきました。

【上演時間掲載】幸四郎が舞台『アマデウス』出演|歌舞伎美人 (kabuki-bito.jp)

 

現在のようなインターネットはなかったのでチケットホン松竹に電話して予約しプレイガイドにて引き換え。

現在同じ席が2023年9月のラグタイムで平日5,000円、土日祝日は5,500円、

30年間給料上がるどころか社会保険料と税負担が爆上がりしているのにどんどんチケット代は上がってきており、土日祝日はさらに上がってきています。劇場ばかりでなく美術館も。それでも人気役者が出演する舞台はチケットがとりづらく、観劇、観覧できる層はまだ幸せだといえるでしょう。

 


ミュージカルピカレスク『LUPIN~カリオストロ伯爵夫人の秘密~』-11月23日帝国劇場➁

2023年11月30日 00時40分58秒 | ミュージカル・舞台・映画

小池修一郎×古川雄大が紡ぎ出すスターミュージカル『LUPIN』~カリオストロ伯爵夫人の秘密~上演中! | 情報☆キック (enbutown.com)

「MUSICAL PICARESQUE『LUPIN』~カリオストロ伯爵夫人の秘密~(以下『LUPIN』)は、フランスの小説家モーリス・ルブランの「怪盗ルパン」シリーズを下敷きに、怪盗紳士アルセーヌ・ルパン、男装の麗人で魅惑的な美女カリオストロ伯爵夫人、令嬢クラリス、シャーロック・ホームズをはじめとした、著名なキャラクター達が、テンプル騎士団の隠し財宝を巡って虚虚実実の攻防を繰り広げる様を描いたオリジナルミュージカル。世界に冠たる有名キャラクターたちがベル・エポックのパリを駆け巡る、小池修一郎×ドーヴ・アチア×古川雄大の豪華組み合わせによるパスティーシュものになっている。」

 

ミュージカルピカレスク『LUPIN~か伯爵夫人の秘密~』-11月23日帝国劇場①

2023年11月23日(木)帝国劇場18時~、

黒羽麻璃央さん、『るろうに剣心』の時はアフタートークショーも顔に包帯グルグル巻きの扮装のまま、振り返ると歌うときよくあれだけの声が出ていたものだと思います。こんなに美しい顔立ちにこんなにいい声の方なのかとあらためて感嘆。ボーマニャン、謎キャラクターですが、世界を手にしてやると歌う姿は『るろうに剣心』の志々雄様でもあり、『カジノロワイヤル』でキキちゃんが演じていたルシッフルさんのようでもあり、小池先生らしいのかもしれません。手下たちを従えてのダンスもあり。男性キャストにまじって美麗さんも男装にハットで踊っていました。衣装も素敵だし、みなさまものすごくかっこよくて見どころのひとつ。トップスターのゆんに対して、2番手スターの敵役。最後ルパンとの殺陣、盆が回ってワクワク。最後は海に落っこちてしまうのがちょっと哀れな感じもありましたが、大真面目に真剣にやっているからキャラクターが生きているのだと思いました。帝国劇場だけなんですね。清史郎君扱いの先行抽選予約したのがこの回、貴重でした。10年前カリオストロ伯爵夫人と恋人同士だった時の二人はどんな感じだったのだろうと想像する余白があるのも楽しいキャラクター。

 

真風涼帆さん、男役を卒業してまだ間もない、男役としての色気が強く残っているこの時しかない中性的な魅力が発揮されたカリオストロ伯爵夫人でした。鍛え上げられた背中が美しいスレンダー美女。美脚も披露。女性として燕尾服を着こなして男性のようにみせながらタンゴを踊る姿、ゆんと背丈も足の長さも対等で素敵でした。真彩ちゃんが素敵な紳士ぶりでときめいている姿も可愛かったです。これは小池先生が帝国劇場で実現したかったのでしょう。終盤お宝箱を見つけた時、従僕のレナールが運ぼうとするのを手伝うわよと言って一緒によいしょよいしょとやっていた姿がなんだか可愛くてツボ、小西さんホームズに薬物注射してせまるところも。スリットからみえた長い長い脚がとってもきれいで驚きました。宝塚あるあるですがホームズをやった真風さんかと思うと不思議な感覚でした。指揮は御崎恵さん、『アナスタシア』の時録音演奏にあわせて一生懸命宙組生たちに指揮していた背中が思い出され感慨深いものがありました。実は女優、馬鹿な男たちがクラリスをめぐって争っている間にお宝を頂戴していくわと高笑いからのオチ、ロンドンでお宝を売ろうとしたらニセモノだったとわかったあと二人はどうなったのだろうと想像すると泣き笑いの余地ある結末。きっとまた人を騙しながらたくましく生き延びていったと思いますがその珍道中でまた物語が生まれそうです。

 チケットを予約できた時は暑くてすごく遠いように感じていましたが、帝国劇場、初日を迎えたと思ったらあっという間、ものすごく早く時間が過ぎたような同時に宝塚のことを心配していると長かったような。こまかいところは理解できていないし、目が足りませんでしたが一度でも観劇できたことに感謝。

ミュージカル・ピカレスク『LUPIN ~カリオストロ伯爵夫人の秘密~』2023年11月28日千穐楽カーテンコール - YouTube

 

『るろうに剣心』の志々雄様と宗次郎のツーショット、

加藤清史郎 Seishiro Kato(@kato_seishiro_official) | Instagramプロフィール

 

 顔が似ていると言われまくった女優がその気になって演じていたのはこの系譜ということですよね。真彩ちゃんも大活躍だし、宙組生たちにみてほしい、もしかしたら帝国劇場でみる予定だったのかもしれないのかもしれません。年末年始をまたいで梅田芸術劇場でも上演されますがみることできるでしょうか。柚希さんは残念ながらみていませんが映像をみると悪女っぷりもダンスも素敵、オンデマンド配信中のトップスター時代のショーをみてもとっても素敵、こんな素敵なOGさんたちと一緒に舞台をつくってきた現役生たちが素敵ではないはすがないですね。

 

2012年『エリザベート』のルドルフ三人衆、それぞれ成長しました。東宝さんがこの時だした写真集、バリューブックスに手放したのでどこかに高額で売られているはずです。

ルドルフ